デジタル時代の教育

デジタル時代の教育

教育と学習をデザインするための指針

A.W. (Tony) Bates

デジタル時代の教育

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デジタル時代の教育 by Anthony William (Tony) Bates is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial 4.0 International License, except where otherwise noted.

はじめに

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この書籍の日本語版の翻訳にあたっては「仮想空間ネットワーク」上にいる「テクノロジーを生かした教育を日本国内でもさらに拡大したい!」という強い希望を持っている、12名の大学教員をはじめとする方々の協力を得ることができました。

ボランティアで翻訳に時間を使い、ようやく Pressbook 版を完成させることができたことを大変嬉しく感じています。そしてトニー・ベイツ博士にも、是非ともこの喜びを伝えたいと思います。

私はこの本で述べられた内容を、読者の皆さんの教育にも生かしていただきたいと願っています。そして日本の教育にも是非とも取り入れていただきたいと願っています。

このような取り組みを広げていくことによって、世界各国の教育をも変えていくことができるでしょう。また、デジタル技術を使うことで学習コミュニティにますます多くの人々を誘い込み、共に学んでいくことができるでしょう。これこそまさに、私自身がこの書籍を翻訳したかった理由でもあります。

このような内容が日本語で入手できることで、今後ますます多くの方々が、この書籍から得たことをヒントに、研究を深めていく勇気の源になることを希望しています。

最後になりますが、BC Campus は このような OpenTextbook、すなわち「無料の教科書」を教育や学習のために出版してくれるウェブサイトを運営しています。Google Chrome を使うと機械翻訳版を読むことができます。http://opentextbc.ca

ダグ・ストラーブル

2020年3月

世界では絶えず紛争のニュースが伝わってくるように感じられる中、皆さんの共同作業のおかげで、素晴らしいオープン・エデュケーションの輪が広がりました。

皆さんの努力の成果はきっと日本の読者にも伝わることでしょう。どうもありがとうございました。

トニー・ベイツ

2019年1月

 

訳者一覧・担当箇所

ダグ・ストラーブル(冒頭箇所・付録B・付録D)

吉永 一行(第1章・第2章)

藤永 史尚(第3章)

淺田 義和(第4章)

木村 修平(第5章)

神谷 健一(第6章・第7章・監訳)

山内 真理(第8章)

岡本 清美(第9章)

長岡 千香子・喜多 敏博・平岡 斉士(第10章・付録A・フォーマット統一)

大澤 真也(第11章)

平野 貴美枝(第12章)

※付録C については原文のままで収録(明らかな誤植は訂正。2019年5月1日時点でのリンク切れはリンクを削除。)

なお、原書へのリンクは以下の通りです。

https://opentextbc.ca/teachinginadigitalage/

シナリオA:大学教授、変化に対応する

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キャンパス近くの、とあるコーヒーショップで聞こえてきたこと:

やあ、フランク、なんだか元気がないね。

うん、最悪なんだよ。昨日うちの学部長が全学部の会議を招集して、大学の新しいアカデミック・プランのこととか、学部が抱える全てのアカデミック部門の意義とは何かについて議論し始めたんだ。今年のはじめに会議が何度もあったことは知っているよね。いくつかの会議には出席した。だけど、新しい時代にフィットする大学の構築とか、教育方法の革命的変化とか、同じような古くさい、曖昧なことばかり話しているように思えたなあ。でもこんな議論は僕の教えているコースには影響がないような気がする。どんどん閉鎖されていく部門からの影響がないことは、早くから分かっている。どちらかと言えば僕のクラスはむしろ大規模になるみたいだ。少しの労力で、より多くのことをやらないといけないということだよ。僕の研究は上手くいっているし、教育負担の増加を引き受けることについてについても、今回は回りくどい話はなかった。その時点で興味がなくなった。こんなことはこれまで何回も経験してきたからね。

だけど昨日の会議で学部長が話し始めたとき、すぐ僕はおかしいと感じた。組織はもっと教育に対して「柔軟」にならないといけないなんてことを語り始めたんだ。それって一体どういうことなんだろう――講義の前にヨガでもやれでもというのか。それから彼は「明確な学習成果の定義」と「個別化された学習」について話し出した。そうだよ。そんなことは馬鹿げている。学んだことを身につけなければいけないことは誰もが知っている。そうじゃないと何にもならない。僕のコースはいつも変わり続けている――もし、僕がコースの最初に成果目標を設定したとしても、多分、コースが終わるときまでには変わっているはずだよ。

でも、驚くようなことが聞こえてきたんだ。これは難しいだろうなあ。「5年以内に、少なくとも全クラスの50%をブレンド型、つまりオンラインを授業の中に含める方法で教えるようにしたい」オーケー、そこまでは大丈夫だと思う――僕は既に講義のバックアップ用に学習管理システムを使っているからね。でも、それが別々の学習者がいるコースの全てで同じコンテンツを提供して、ほとんどの講義を手放すという意味だと学部長が言ったとき、本当に困ってしまった。彼は高校の新入学者から生涯学習者までの、ありとあらゆる学習者に奉仕する必要性や、僕たち上級学部教員に対して教育コンサルタントとして、チームで教える必要性があるなんてことを語り始めた。もし学部長が、僕が教えたいことを部門の誰か他の間抜けな奴らに決めさせようとしているなんてことを思っているとしたら、彼は頭がおかしいね。そんなことよりも、この話が恐ろしいのは、学部長がこんな馬鹿げた話をすっかり信じきっていることを、僕が思っていることの方がだよ。

ただ、僕が本当にパニックになったのは、彼が僕ら全員に教え方についてのコースを受講し始めなければいけないと言ったときなんだよ。今、僕の講義では学生たちからはとても良い評価を得ている――学生たちは、ただ僕のジョークが好きなだけなんだけどね――そして僕の科目を教える方法に口を挟める奴は誰もいないはずだよ。僕は自分の研究領域ではこの国ではトップクラスなんだ。管理側はいったいどうして教え方のことを知っていると思えるんだろう。そんなことよりも僕がいつコースを受講する時間を作ったらいいんだろう。僕は既に一生懸命仕事をしている。僕らにかまわずに、僕らが報酬を得ている仕事を進めることを信頼してくれたらいいんだけどなあ。

 

この話のどこかで思い当たることがあるなら、本書はあなたのためにあります。

For my comments on the scenario, click on the podcast below
このシナリオについてご意見があるときは、下のポッドキャストをクリックしてください。(英語)

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この本について - そしてこの本をどう使うか

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i.なぜこの本が必要なのか

教員や大学教授たちは前例のない変化に直面しています。大規模クラス、多様な学生たち、説明責任を望む政府や雇用主からの要求、労働者になるための準備ができた卒業生の育成、そして何よりも、変革を続けるテクノロジーへの対処。このような状況の変化に対応するために、教員には、どのような変化や圧力に直面したときでも硬い基盤を持った教育を提供できるような、基礎的な理論や知識が必要です。

本書には多くの実用的な例が含まれていますが、それは教育手法の「料理本」にとどまりません。本書では以下の質問に答えています。

つまり本書では、全ての人、特に私たちが教える学生たちがテクノロジーを利用するという状況の中で、現代の効果的な教育へと導く基礎的な原理について検証していきます。本書では、あなた自身の教育について決定を下すための枠組みや指針が提示されています。全ての科目は異なりますし、全ての教員は教育する際に、独自の特別な考えを持っているということへの理解も忘れません。

最後に、本書は教員を対象としたものですが、教師論や指導者としてのあり方について言及した本ではありません。本書は学生がデジタル時代で必要になる知識とスキルの獲得を助ける、あなたのための本なのです。デジタルスキルについての言及はさほど多くありません。むしろ教育の成功につながる考え方や知識が収められています。このことを実現するためには、あなたが主人公であることが必須です。本書はあなたのコーチです。

ii. 本書が想定する読者

私がまず想定する読者は主に教育の向上を不安に感じている、あるいは教室の中で大きな問題に直面している中等後教育(専門学校・短大・大学など)の教員です。教室は大規模ですし、カリキュラムも急速に次々と変化します。そして特に中学校や高等学校の教員の方々は、教え子たちが中等教育を終えた後のことをどのように担保するか心配されているでしょう。時代は急速に変化しており、労働市場の不確実さに対して教え子たちが準備できているのかということに心を砕いています。特に本書は教育におけるテクノロジーの活用を最も効果的に進めるために、何をすべきかが見えないという方々のために書きました。

本書では中等後教育の事例を多く含んでいますが、多くの原理や原則は中学校の教員、あるいはその前の小学校や幼稚園の教員にも応用できるでしょう。私もかつて小学校で教えた経験があるので分かりますが、このような学校では短大や大学と比べて、素材やテクノロジー活用への支援がはるかに少ないことを理解しています。

本書を通じ、私は「インストラクター(講師)」という言葉と格闘せざるを得ませんでした。なぜなら本書では中等後教育であったとしても、教育の伝達モデル(インストラクション)から学習の円滑化(ティーチング)へとシフトする必要があることを述べていくからです。「インストラクター」という言葉は、中等後教育と幼稚園・小学校・中学校・高等学校を区別するためにしばしば利用されるものです。「ティーチャー(教師)」という言葉は後者に使われます。したがって、本書を通じて両方の言葉をほぼ交互に利用することにします。ただ、私の望みは私達が全て、最終的にインストラクター(講師)よりもティーチャー(教師)になることです。

(訳注:ここでは本文での区別について述べられていますが、訳文では teachers and instructors をまとめて「教員」で統一しました。ちなみに日本語では講師・教師はほぼ同じ意味になりますが、語源的には instructor は「内部に構造を作る人」、teacher は「示しながら円滑に進める人」という意味です。)

最後に、本書はテクノロジーに主要な焦点を置いていますが、現在の人間教育を土台とするシステムを破棄したり、高度にコンピュータ化された教育モデルに置き換えたりすることを提唱するわけではありません。実体を伴った改革が大きく求められていますが、十分に資金が提供され、なおかつ公的に支援された教育システムには、今後も永続させるべきクオリティーがあると信じています。これは高度に訓練された高い資格を持った教員の方々によるものです。テクノロジーによって置き換えることは不可能ではないとしても、難しいものとなるでしょう。本書では学習者と教員の両方が、テクノロジーを上手に活用する方法に重点を置いています。

iii. なぜ「オープン」テキストブックなのか

本書はクリエイティブ・コモンズのCC BYライセンスを通じて著作権を保持していますが、第10章で述べる5つの全ての方法において「オープン」です。

上述の5つの行為についての制限事項が1つだけあります。それは、あなたが私を引用元として承認するということです。(もちろん私が他人の著作物を引用している場合や、他人の素材を利用している場合には当てはまりません。)学生に引用元を確認させることが必要なように、あなたも私を引用元として認定することは非常に重要です!そして、もしも本書での記述が役に立ったと感じたなら、その記述をどのように使ったのか、本書をどうすればもっと良くなるのか、フィードバックを tony.bates@ubc.ca までEメールで送ってくださることを歓迎します。しかしこれは単なるお願いです。私は本書を向上させることができますし、どのように使われているのかを知ることができます。

本書は私が1つの章を書いた時点で公開されました。フィードバックを得るために、私のブログ「オンライン学習および遠隔教育のためのリソース」に、ほとんどの章の最初の草稿を載せました。本書は多くの理由から、オープン・テキストブックとして出版されますが、一番の理由は、私がオープンな形で出版することには教育の未来があると考えているからです。ですから、ある意味で、本書は概念の検証です。そして、カナダのブリティッシュ・コロンビア州で政府向けの主要なオープン・テキストブック・プロジェクトを主導している BC Campus による十分な支援、そしてオンタリオ州 Contact North からの追加支援がなければ、執筆は不可能でした。

iv. 本書の書評

本書は完全な草稿を出版した後、すぐに私はこの分野における3人の専門家たちに個別に書評を依頼しました。書評依頼のプロセスと、いっさい手を加えていない書評は付録Dに収められています。
(訳注:編集上の都合により、付録Dでは別の匿名による書評を収録しています。)

v. 本書利用のための様々な方法

本書はWeb上で公開されていますので、ホームページ https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/ をブックマークしておいてください。画面上の目次の章見出しや節見出しをクリックすることで、簡単に読むことができます。

もしもお望みなら、全体の PDF 版をプリントアウトしたりダウンロードしたりするとさらに読みやすくなります。通常はコンピュータやタブレットを使って本書を読むことをお勧めします。epub 版や mobi 版もあります。通常は画面上で読んでいただくのが最適だと思います。なぜなら別のバージョンを出力する際に、図やイラストの位置がずれてしまう場合があるからです。スマートフォンの小さい画面で読むには図やイラストが非常に小さくなってしまうので、フラストレーションが溜まってしまうかもしれません。タブレットで読んでいただく分には問題は発生しないと思われますが、一部の図やイラストが意図していない場所に動いてしまうことがあるかもしれません。

この本には xHTML 版、Pressbooks XML 版、WordPress XML 版もあります。これらを使うことでご自身の用途に合わせ、お好きな部分だけを抜き出したり、加工編集したりすることもできるでしょう。

本書は先行研究に基づき、ほとんどの部分は1時間前後で読めるようにしておくべきとの想定の下で書かれています。したがって、1つの章はせいぜい1時間もあれば読み終えることができるでしょう。一部のセクションはもっと短いです。

多くの節にはアクティビティーがあります。そこでは主に、あなた自身の置かれた状況や作業と関連して、何をどのように読むべきかについて、あなたの考え方を求めます。それぞれのアクティビティーは通常、30分未満で終えることができるでしょう。

各章は「章見出し」「その章で扱われるトピック」「アクティビティー一覧」「重要ポイント」を取り上げた学習目標から始まります。これらにアクセスするためには、それぞれの章見出しをクリック(タップ)してください。画面下にある左右の矢印を使うと前後の節に移動できます。

本書の使い方には、目的に応じて様々な方法があります。例えば、こんな使い方が考えられます。

本書は一般的なオープン・テキストブックと同様、進行中の作品です。何か新しい発展があれば、それらを組み入れ、本書が最新の状態になるように努めます。私のブログ tonybates.ca でもフォローできます。各章には私の個人的な見解を含めるためにポッドキャストを加えている場合があります。また、読者の皆さんからのフィードバックに基づいて内容を変更することがあります。

vi. コンテンツの概要

第1章 教育における基本的な変化

ここでは、本書で扱う様々な段階について議論します。第1章では教員が、主に教育目標と手法について再検討すべき箇所を紹介します。特に、デジタル時代に学習者が必要とする重要な知識やスキル、教育コンテンツをどのように教えたら良いのか、また、テクノロジーがあらゆるものをどのように変化させるかについて明らかにします。

第2章~第5章:認識論と教育手法

ここでは、デジタル時代における教育と学習について、より理論的、方法論的な側面を扱っています。第2章では知識の本質について様々な視点から観察し、知識への理解が学習理論や教育手法にどのように影響するかについて取り上げます。第3章と第4章では、教室中心からテクノロジーとの混合的な手法、そして完全オンラインまで、様々な教育手法について、それぞれの長所と短所を分析します。第5章では、MOOC の長所と短所に目を向けます。これらの章は、以降の章のための理論的基盤となります。

第6章~第8章:メディアとテクノロジー

ここでは様々なメディアとテクノロジーを、教育の中でどのように選択し利用したら良いのか、特にそれぞれのメディアに独自の教育学的特性に重点を置いた議論を進めます。第8章では教育用途での様々なメディアとテクノロジーに関する意思決定のための一定の基準とモデルを示します。

第9章~第10章:情報配信とオープン・エデュケーション

第9章では情報配信について、教室中心か、完全オンラインか、あるいはその混合にするかをどのように選ぶべきか、その判断方法について扱います。第10章ではオープン・コンテンツ、オープン・パブリッシング、オープン・データ、そしてオープン・リサーチにおける最近の発展が、潜在的に破壊的であることの意味について検証します。とりわけ本章は、教育に到来する急進的な変化を理解する基盤となります。

第11章と付録A:デジタル時代における教育の品質確保

ここではデジタル時代における高い品質の教育確保に関する問題について、2つの異なる、しかし補完的なアプローチを紹介します。第11章では高度にデジタル化された教育的文脈における品質を設計し伝達するための9つの実用的なステップを提案します。付録Aでは高品質な学習環境に不可欠な構成要素に目を向けています。

第12章:制度的支援

本章ではデジタル時代に伴う高品質な教育確保のために、学校や大学で必要とされる方針や運営上の支援について、ごく簡単にまとめています。

シナリオ

本書には8種類の「もし、こうなったら」というシナリオがちりばめられています。しかしフィクションとしての要素は半分だけです。なぜならほとんど全ての事例が実話に基づいているからです。ただし一部についてはもともとの事例を複数合体させたり、拡張したり、拡大解釈していることもあります。シナリオを使う目的は、目の前の変化に対する障壁について、そして本当にエキサイティングな未来の教育について、想像力と思考を刺激させたいからです。

その他の特徴

各章はその章の「重要ポイント」と、参考文献で終わります。また、各章の全ての参考文献をまとめた包括的なリストもあります。多くの章の節の末尾にはアクティビティーがついています。

また、各章をサポートするため、より詳細な情報を提供する複数の付録と、一部のアクティビティーについてのサンプル回答を巻末に載せています。

 

An audio element has been excluded from this version of the text. You can listen to it online here: https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/?p=20

vii. 感謝の言葉

本書は多くの人々や機関からの多大な支援なしには完成しませんでした。何よりも BC Campus には大変お世話になりました。BC Campus にはサイトを主宰していただきましたし、彼らが提供する PressBook を使うことを許可してくださいました。特に Brad Payne、Mary Burgess と共に、Clint Lalonde は素晴らしい援助と支援を提供してくれました。オープン・パブリッシング技術について全く知識のなかった私でしたが、Clint と Brad は奮闘する私の手をしっかりと握っていてくれました。彼らがいなければ、やり遂げることはできませんでした。

オープン・テキストブックはエンドユーザーは無料で使うことができますが、専門的な技術支援なしでは現実のものにはならなかったでしょう。教育と学習における改革支援に関する委託業務の一部として、オンタリオ州の遠隔教育・研修ネットワークである Contact North (Contact Nord)は、教育的な設計/編集、グラフィック、著作権処理で不可欠なサポートと援助を提供し、マーケティングと宣伝も支援してくれました。Contact North(Contact Nord)は、本書をフランス語でも利用できるようにしてくれました。

また私は、トロントにあるライアソン大学の生涯教育 G.レイモンド・チャン校の教育設計学(インストラクショナル・デザイン)デジタル教育戦略チームのメンバーを率いる Leonora Zefi から、予想すらしていなかったのですが、非常に手厚い支援を受けることができました。彼らにはボランティアで各章の草稿を読んでいただき、信じられないくらい貴重なフィードバックを与えてくれました。Katherine McManus はインストラクショナル・デザインと編集上のアドバイスをしてくれました。Elise Gowen は著作権のチェックと許可取得という、非常に手間のかかる仕事を全て担ってくれました。

そして私は、UKオープン大学、ブリティッシュ・コロンビア州のオープン・ラーニング局、ブリティッシュ・コロンビア大学の同僚たちから受けた多大なる影響に感謝しています。彼らは私が引用した部分について、多くの先行研究と革新的な視点を与えてくれました。私はこれまでのキャリアにおいて、遠隔教育者と教育技術者・設計者の2つの実践コミュニティから、非常に大きな支援を受けてきました。まさに本書は彼らに負うものです。私は彼らのアイデアと業績のための単なるスポークスマンにすぎません。願わくば彼らの知識を正確かつ明確に表していることを望むばかりです。

最後に、私のブログ読者から、ありとあらゆる貴重なフィードバックを受け取りました。私は本書のほとんどの節の最初の草稿をブログで公開しました。通常なら2、3人の査読チームが担当することになる作業ですが、私には何百、何千ものブログ読者から成るチームがいました。全ての人から受け取ったアドバイスは、本当に助けになりました。大変感謝しています。しかしながら、私は受け取ったアドバイスを全てフォローできているわけではありません。みなさんが疑問に感じるかもしれないミスや判断上の誤りの責任は全て私にあります。

viii. あなたに伝えたいこと

オープン・テキストブックが素晴らしいのは、それが動的で、生きたプロジェクトだからです。変更は即座に反映されます。私は皆さんからのご連絡をお待ちしています。Eメールは tony.bates@ubc.ca です。建設的な批評やフィードバックは大歓迎です。本書をお読みいただいた方々からお寄せいただいた、どのようなコメントにも返答したいと思います。

何と言っても、私は皆さんにこの本を楽しんでいただき、有益さを見出していただけること、そして、この魅力ある時代に、学習者たちが必要とする知識やスキルを、皆さんや同僚の方々が希望を持って身につけることができる一冊になることを望んでいます。

著者について

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Tony smiling left

私は1962年に英国のシェフィールド大学を心理学学士(優等)で卒業し、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで教育のポスト・グラデュエート・ディプロマを、そしてロンドン大学の教育学研究科で教育行政の Ph.D. を取得しました。

大学を離れてからは、小さな田舎の学校で、8歳~11歳の42人の子供のいるクラスで教え、そののちにイングランドの大規模な都市の中等(高等)学校で、特別なニーズを持つ生徒を教えました。そののち、非常に大規模な高校の運営を調査する政府研究プロジェクトの仕事に雇用されました。

この契約が1969年に終わると、英国で新規に開校されたオープン大学スタッフの20番目のメンバーとして着任し、そこで20年を過ごし、教育メディア研究の教授として勤め、退職しました。ここでは最初に BBC がオープン大学のために作成したテレビ番組とラジオ番組の学習効果を、続いてオープン大学で採用された他の新しいメディアを評価しました。その期間中、社会科学とテクノロジーの複数コースでコースの著者/講師も務めました。

1989年の終わりにカナダに移住し、ブリティッシュ・コロンビア州オープン・ラーニング局の戦略的計画常任理事として、5年間働きました。ブリティッシュ・コロンビア大学で遠隔教育とテクノロジーの指導者になるためにそこを離れ、同大学にとって最初のオンライン課程を設計・開発し、教え、ブリティッシュ・コロンビア大学初の完全オンライン学位プログラムを開始し、支援しました。2003年に、ブリティッシュ・コロンビア大学を定年退職し、大学、カレッジ、政府機関を顧客とするオンラインと混合型学習の戦略アドバイスに特化したコンサルティング会社を立ち上げました。これまでカナダ、アメリカ、ヨーロッパの50校以上の大学、短大、複数の政府機関で働いてきており、世界銀行、UNESCO、OECDとの契約を請け負ってきました。

2014年には本書を執筆するために賃金労働から退くことを決めました。教育テクノロジー、オンラインと遠隔教育のための11冊の本の著者でもあり、これらの本の一部はフランス語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語、セルビア・クロアチア語に翻訳されています。

ポルトガルのオープン大学、カタロニアのオープン大学、香港のオープン大学、アサバスカ大学、ローレンシャン大学より名誉学位の授与を受けています。

民間パイロットのライセンスを所持しており、セスナ172でカナダ中を行ったり来たりしています。ゴルフは上手くありませんが、定期的にプレイしています。

著者による他の本

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Bates, T. and Robinson, J. (eds.) (1977) Evaluating Educational Television and Radio Milton Keynes UK: The Open University Press

Bates, A.W. (ed.) (1984) The Role of Technology in Distance Education London: Croom Helm (reprinted in 2015 by Routledge)

Bates, A. (1984) Broadcasting in Education: An Evaluation London: Constable

Bates, A.W. (ed.) (1990) Media and Technology in European Distance Education Heerlen, Netherlands: The European Association of Distance Teaching Universities

Bates, A.W. (1995) Technology, Open Learning and Distance Education London: Routledge

Bates, A.W. (2000) Managing Technological Change: Strategies for College and University Teachers San Francisco: Jossey Bass

Epper, R. and Bates, A.W. (2001) Teaching Faculty How to Use Technology: Best Practices from Leading Institutions Westport CT: American Council on Education

Bates, A.W. (2002) National Strategies for E-Learning Paris: International Institute for Educational Planning

Bates, A.W. and Poole, G. (2003) Effective Teaching with Technology in Higher Education San Francisco: Jossey Bass

Bates, A.W. (2005) Technology, e-Learning and Distance Education New York: Routledge

Bates, A.W. and Sangrà, A. (2011) Managing Technology in Higher Education: Strategies for Transforming Teaching and Learning San Francisco: Jossey-Bass

 

アップデートと改訂

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オープン・テキストブックは動的なプロジェクトです。関連する出版物の追加や URL のリンク切れなどの修正、また読者からの各章へのコメントを毎日のように追加しています。

ここでは、この本が最初の「最終版」として公開された2015年4月15日を基準として、以降の変更点をまとめます。

1. 19 April 2015: Podcast for Scenario A added

2. 3 May 2015: Podcasts added to Chapter 1 on the book’s structure and on skills development, and the order of Sections 3 and 4 of Chapter 1 reversed, following reader feedback.

3. 16 August 2015: Podcasts added to Chapter 2 on why this chapter is important and on the relationship between epistemology, learning theories and teaching methods added.

4. 17 August 2015: Podcast added to Chapter 3 on why a chapter on campus-based teaching methods was needed.

5. 23 August 2015: Podcasts added to Chapter 4, on the relationship between quality, modes of delivery, teaching methods and design and on some of the issues raised in this chapter. Also some editing of the text to clarify the distinction between teaching methods and design models.

6. 6 October 2015: Podcasts added to Chapter 5, on why there’s a whole chapter on MOOCs, and on a vision for MOOCs in the future.

7. 6 October 2015: Podcast added to Chapter 6, on the unique contribution of these chapters to media selection and use

8. 17 May 2016: Culture and learning environments added as Appendix 1, Section A.9. Former Section A.9 now A.10.

10. 16 April 2019. Bonus webinar (60 min) “Rethinking the Purpose of Online Learning” Tony Bates presentation to Royal Roads University. オンライン学習の目的を再考する(英語版)

第1章 教育における根底からの変革

I

この章の目的

この章を読み終わると、以下のことができるようになります。

この章で扱う内容

この章では、中等後教育にのしかかる変革への圧力について、特にその中核的な活動の1つである教育を行う方法について論じていきます。今日の制度は残されるべきものだとは言え、変革が必要とされています。それはその通りだとしても、核となる価値観は維持され、強化されることが重要だということを述べていこうと思います。つまり、何もかも投げ捨ててゼロからやり直すのではなく、核となる価値観を保つような方法で変革を進めていくことが課題となっているのです。

とりわけ、この章では以下のトピックを取り上げます。

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

  1. 知識を生み出し広めることに役立つような特定のスキルを獲得し、伝達する助けとし、同時に、卒業生を知識社会での仕事にそなえて訓練するような教育方法が用いられる必要があります。
  2. 学生数が増えるにつれて、教育は、様々な理由から知識の伝達へと後退し、これまでよりも疑問点が少なくなったり、新しい考え方を探求しなくなったり、異なった観点の提示をしなくなったり、あるいは批判的思考や独創的思考の展開を求めなくなったりするようになっていきます。しかし、このようなスキルこそ、まさに学生たちが知識社会で必要となるものです。
  3. 学生層の多様性が拡大していることは、教育機関にとって大きな課題です。このため、学習者を助け、より個別化した学習と、より柔軟な講義を支えるような教育方法に、さらなる焦点を当てていくことが必要です。
  4. オンライン学習は一連の様々な手法の集合体です。教員や教育組織は一つ一つのコースや専攻プログラムを、この教育手法の集合体のどこに位置付けるべきかということを見極めなければなりません。
  5. 学術的なコンテンツがよりオープンに、自由に手に入るようになると、学生は、自分の所属する機関を、コンテンツを提供してくれるものというよりも、むしろ学習を手助けしてくれるものとして捉えるようになります。このことから教育に関するスキルに重点が置かれるようになり、一方で教員のもつ専門性からは焦点がそれるようになります。
  6. 教員は、それが新しいにしろ既存のものであるにしろ、様々なテクノロジーのもつ価値を評価し、いつ、どのように、そのテクノロジーを自分が(あるいは学生が)使うことが合理的かを判断するための強力な枠組みをもつ必要があります。

1.1 経済の構造的な変化:知識社会の拡大

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図1.1.1 デジタル時代の学習
画像: © CC Duncan Campbell, 2012

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1.1.1 デジタル時代

デジタル時代において、私たちはテクノロジーに囲まれて、いや、まさに溺れています。さらにテクノロジーが変わるスピードに、ゆるむ兆しは見えません。テクノロジーは経済社会の中で、私たち相互のつながり方に、関係のあり方に、そしてさらには学び方に対して、大きな問題提起をしています。しかし今日の教育制度は、おおざっぱに言えば、デジタル時代ではなく、工業時代という過去の時代に築かれたままのものなのです。

こうして教員は変革という大きな問題提起に直面することになります。私たちが送り出している多くの卒業生が、ますます変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な未来に適応したコースや専攻プログラムから巣立ったのだということを、一体どうやったら保証できるのでしょうか。私たちがとってきた指導法や制度の中で、守り続けるべきものは何で、変えるべきものは何なのでしょうか。

このような問題に答えるために、本書が行うのは次の事柄です。

この章では、教育方法の再検討を強いるような近年の展開のうち、主なものを説明します。

1.1.2 労働の質の変化

教育機関に突きつけられた多くの問題提起の中で本質的と言えるものは、特に中等後教育に対する要求が高まっていることです。図1.1.2 は、経済の発展、中でも仕事の創出において、どのような知識が重要な要素となってくるのかを示したものです。

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図1.1.2: 労働人口のうち知的労働で構成される部分
図1.1.2: 労働人口のうち知的労働で構成される部分
【見出し「職種はどうなる?」 中央「知的労働」 上段左から時計回りに 「資源産業/エネルギー」「IT/メディア/エンターテインメント」「小売/金融/サービス」「健康/教育」「製造」】
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この図は、正確なものではなく、むしろ間接的なものに過ぎません。水色の円は、それぞれの業種の労働人口を表しており、国によっては大きすぎる、あるいは小さすぎるということがあります。産業の中での知的労働者の割合についても同様ですが、しかし少なくとも発展途上国においては知的労働で構成される部分は急速に拡大しており、新興国においてもますます拡大してきています。すなわち、体力より知識が求められているのです。(OECD, 2013a 参照) 経済的には、利益を知的部門への投資に回すことのできる企業や産業が、競争においてますます有利となっています(OECD, 2013b)。実際、知的労働者は、学生時代には存在していなかったような新たなサービスや商品を提供するための会社を起こすことで、自ら仕事を生み出しているのです。

教育の観点から見た最大のインパクトは、専門的技術や職業的技術に関する指導者と学生の間で生じています。旧来、主に手作業であった技能について、知的な部分が急速に拡大しています。とりわけ手仕事の分野では、配管工、溶接工、電気技師、自動車修理工、その他、熟練工に関わる労働者にとって、その専門性に関連した職人的なスキルを獲得するだけでなく、問題解決やITのスペシャリストとなり、自営業的な役割を果たすことが必要となっています。

知的労働の拡大のもう一つの結果として、以前に比べてより高いレベルの教育を受けた人材が多く必要となりました。その結果、大学において、より高い能力をもった教職員が必要となっています。しかし大学レベルですら、卒業生に必要とされる知識やスキルの種類は、変化を見せています。

1.1.3 知的労働者

ここでデジタル時代の知的労働者に共通する特徴をいくつか挙げてみましょう。

つまり、多くの卒業生が、卒業から10年ほど後に実際にどのような仕事をしているのかを正確に予測することは、非常に大雑把な表現をするならば難しいと言えるでしょう。医者、看護師、エンジニアといった、明確なキャリア・コースがあるような分野であっても、知的基盤のみならず労働条件でさえ、時とともに急速な変化にさらされることになるでしょう。しかし、セクション1.2 で見るように、そのような環境の中で生き延びて成功するために必要となる多くのスキルを予測することはできます。

これは高等教育界全体にとっては良いニュースです。労働人口の中で必要とされる知識およびスキルの水準が上がっているからです。その結果、知的労働と高度のスキルといった需要に応えるために、高等教育は大きく拡大しています。例えばカナダのオンタリオ州では高校卒業者のうち、中等後教育を行う教育機関に進んだ者の率が、既にほぼ60%弱に達しています。州政府はこれを70%に高め、州内の従来型の工場における雇用が減少していることを埋め合わせたいと考えています。(Ontario, 2012) これにより、今まで以上に多くの学生が大学や専門学校などで学ぶこととなります。Print

図1.1.3 ビデオ・アニメーター:典型的な知的労働
写真: Elaine Thompson/Associated Press, 2007
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アクティビティー1.1 スキルについて考える

  1. あなたの専門領域で、卒業生たちはどのような職に就きますか。そのような職において必要となりそうなスキルを挙げることができますか。そうした仕事において、知識やスキルの要素は、この20年でどこまで変化したでしょうか。
  2. 学術・教育領域から外に目を向け、家族や友人に目を向けてみましょう。こうした人たちが、今の仕事で必要としている知識やスキルの中で、学校にいた頃には必要とされなかった、あるいは20年前にはその業界では必要とされていなかったものは、どのようなものでしょうか。(実際に尋ねてみる必要があるかもしれません!)

参考文献

OECD (2013a) OECD Skills Outlook: First Results from the Survey of Adult Skills Paris: OECD

OECD (2013b) Competition Policy and Knowledge-Based Capital Paris: OECD

Ontario (2012) Strengthening Ontario’s Centres of Creativity, Innovation and Knowledge Toronto ON: Ministry of Training, Colleges and Universities

1.2 デジタル時代に必要とされるスキル

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図1.2.1 ソーシャル・メディアを使った交流は、デジタル時代の基本的なスキルです
図1.2.1 ソーシャル・メディアを使った交流は、デジタル時代の基本的なスキルです
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知識とは、密接に関連しつつも異なった2つの要素、すなわち「知識内容」と「スキル」とからなります。知識内容とは、事実、概念、原則、根拠、手順、手続に関する記述を含みます。少なくとも大学においては、ほとんどの教員は知識内容に通じており、教えている専門領域についての深い理解を持っています。しかしスキルの向上に関して専門知識を持っているかと言えば、全く別の問題です。ここで問題にしているのは、教員が学生のスキル向上を助けられないということではなく(むしろ助けられるのですが)こうした知的なスキルが、知的労働者の需要に答えているのかどうか、そして大学のカリキュラムの中で、スキルの向上が十分に重視されているのかという点にあります。

知識社会において必要とされるスキルには、次のようなものが含まれます。(Conference Board of Canada, 2014から改変)

スキル自体やスキルの向上に関する研究(例えば Fischer, 1980Fallow and Steven, 2000)からは、多くのことを知ることができます。

教育において、知識内容とスキルの違いが持つ意味については、第2章でより詳しく論じます。ここで重要なのは、知識内容とスキルは密接に関連しており、学習者がデジタル時代に必要な知識とスキルを持って卒業することを保証するためには、知識内容の獲得と同じくらいに、スキルの向上にも注意を払う必要があるということです。

なぜデジタル時代においてスキルの向上がこれほどまでに重要なのかという点についての私の考えについては、次のポッドキャストをクリックしてください(英語)。
なぜデジタル時代においてスキルの向上がこれほどまでに重要なのかという点についての私の考えについては、次のポッドキャストをクリックしてください(英語)。

An audio element has been excluded from this version of the text. You can listen to it online here: https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/?p=34

アクティビティー1.2 学生のどのようなスキルを向上させようとしているのでしょうか

  1. あなたのコースで学んだ結果、学生のどのようなスキルが向上すると期待しているのか書き出してみましょう。
  2. 書き出したリストを、本書で先ほど述べたリストと比較してみましょう。どれだけ合致しているでしょうか。
  3. あなたが教えようとするスキルを学生が実践し向上できるようにするために、指導者としてあなたができることは何でしょうか。

参考文献

The Conference Board of Canada (2014) Employability Skills 2000+ Ottawa ON: Conference Board of Canada

Fallow, S. and Stevens, C. (2000) Integrating Key Skills in Higher Education: Employability, Transferable Skills and Learning for Life London UK/Sterling VA: Kogan Page/Stylus

Fischer, K.W. (1980) A Theory of Cognitive Development: The Control and Construction of Hierarchies of Skills Psychological Review, Vol. 84, No. 6

1.3 教育は、労働市場と強く結びつくべきものなのか

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図1.3.1 知的労働者. 写真: Phil Whitehouse,2009. https://www.flickr.com/photos/philliecasablanca/3344142642/ から引用

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しかし、大学、専門学校その他の学校の授業プログラムを労働市場での即戦力ニーズにあまりにも近づけようとすることには、大きな危険があります。労働市場におけるニーズは、目まぐるしく変わるものであり、特に知識社会においては、将来どのような仕事やビジネスや取引が生まれてくるかを見極めることは不可能です。例えば、世界の株式価値上位企業の中に、キャンパスのイケてる女の子のランクづけを行うところから生まれた企業(フェイスブックの始まりはこのようなものでした)が入るなどと、20年前には誰が予測したでしょうか。

デジタル時代に必要とされるスキルに焦点をあてることにより、大学、短大、各種学校の目的についての問題が提起されます。つまり、労働力として十分なスキルを身につけた従業員を育てることを目的としているのかという問題です。確かに、高等教育が急激に拡大してきた背景には、政府や雇用者、保護者が希望してきたことの中に、雇用条件と合致する競争力をもった労働力を、できれば豊富に生み出したいという考えがあったことが大きく関係しています。実際、専門的な労働者を供給するということは、既にその役割の一つとなっています。しかし、かつての大学の役割は聖職者、法律家、そしてずっと後の時代になってからは行政官を育てるということが長く続いた伝統でした。

また、しばしば21世紀型スキルとも呼ばれることがあるような、知識社会で必要とされるスキルに焦点を当てた教育は、これまで大学にしかできなかった知的スキルを発達させるための学習を加速するに過ぎません。一方、労働市場が中心となる現実世界では、特定の会社や業種別のニーズを満たすことではなく、むしろ個人の学習のニーズに応えることが重要です。現代の労働市場の中で生き残っていくためには、学習者は柔軟に順応しなければなりません。会社の寿命がますます短くなる中、会社のために働くのと同様、自分のために働くことができるようになるべきです。したがって、取り組まなければならないのは、教育自体の再構成ではなく、教育がこのような目的に対して、これまで以上に効率的に答えているか、自問することなのです。

1.4 変わるものと継続するもの

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図1.4 ハーバード大学
図1.4 ハーバード大学
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常時接続とソーシャル・メディアの時代には、蔦の絡まる前世紀的なコンクリート造の壁は、より軽く、透明性のある、しなやかなものへと変わるべき時を迎えている。(Anya Kamenetz, 2010)

本書は大学だけではなく、短大その他の学校の教員たちも読者対象としているのですが、ここでは特にデジタル時代が大学にどのような影響を与えたかについて見ておきましょう。名門大学で素晴らしい学位を獲得した者からでさえ言われることですが、一般的には大学という所は世間から外れているものであり、学問の自由という言葉は実際のところ気楽な地位にある教授を守るためのもので、いつまでも変わる必要性のないものであると。そして学界全体が中世に取り残されているようなものだ、などと言われています。言い換えれば、大学は過去の遺物であり、何か新しいものに取り替えなければならないものだというのです。しかし大学は過去800年以上にわたって存在しており、将来も重要であり続けるだろうと考えることには理由があります。そもそも大学というものは、あえて外からの圧力に抵抗する存在として作られているのです。大学はこのように捉えています。王や教皇、政府や企業、世の移り変わりについて、外からの圧力がなければ制度自体を根本的に変えることができなかったと。大学は、独立性、自由、社会への貢献を誇りとしています。では、こうした中核となる価値について、ごく簡単ではありますが見ていきましょう。万が一にも中核となる価値を本当に脅かすような変化が起こったら、大学の教授たちも講師たちも強く抵抗するでしょうから。

大学は知識を創造し、評価し、維持し、普及させるということを根本としています。社会におけるこのような役割は、現在ではかつてないほどに重要になっています。しかし大学がこのような役割をきちんと果たすためには、ある条件が必要です。まず、広く自治が認められることが必要です。新しい知識がもつ潜在的な価値は、とりわけ事前に言い当てることが難しいものです。新たな研究というものは、すぐに短期的な利益が出ることが明らかではなかったり、何も成果が出ないかもしれないものですが、経済や社会に大きな損失を及ぼさないように、そのような研究を奨励することによって、大学は未来に向けた「賭け」を安全に行う方法を提供しているのです。また、政府や産業界のように外側にある強い力が、根拠のある事実や倫理上の原則、社会の共通善に反するときに、大学が持つ重要な役割は、そのような強権的な地位に抗う能力を持っていることです。

おそらくそれよりもはるかに重要なのは、大学には学術的な知識と日常的な知識を区別する様々な原則が存在していることです。前者は抽象と具体の間を橋渡しする能力である論理や理性の法則で、後者は現象的な証拠や経験的な評価に基づく知識(例えば Laurillard, 2001)です。大学では個人や会社が日常の中でできることよりも高い思考レベルで活動することが期待されているのです。

大学を維持する助けとなってきた中核的な価値の一つには、学問の自由があります。厄介な問題を扱い、現状に疑義を呈し、あるいは政府や企業の主張と矛盾する証拠を提示しようとする学者たちは、そのような見解を発表することによって大学を解雇されたり、大学から懲罰を受けたりすることがないよう保護されています。学問の自由があることで、自由な社会を維持できるのです。その一方で、学問の自由とは学者が何を研究するのかを選ぶ自由をもつということでもあります。そして本書にとって重要なのは、知識をどのように広めていくのが最適であるかを自由に選ぶことができるということでもあります。したがって大学における教育は、このような学問の自由や学問の自治という観念に結びついているのです。たしかにテニュア(終身在職権)のような自治を守るための条件の中には、見直しへの圧力が高まっているものもあるのですが。

この点を、ただ1つだけの理由のために主張しておこうと思います。もしも大学が、外からの圧力の変化に合わせて変革をしようとするならば、その変革は大学の内部から、とりわけ教授や講師自身から生じたものでなければなりません。変革の必要性を見極める責任を負い、変革を自らのものとしていこうという姿勢こそ、職能集団としての学部なのです。政府なり社会全体なりが、大学の外から、とりわけ学問の自由という大学の中核的な価値を脅かすような形で変革を押し付けようとするのであれば、社会の中で独自の価値ある存在としてきた大学の本質を破壊してしまう危険、そして社会全体の中で、大学をより価値あるものに変化させていく機会を失わせる致命的な危険があります。しかし本書では変革の道を選ぶことが、学習者たちに利益をもたらすだけでなく、教員たち自身にとっても、仕事をやりくりし、教育を支えていくために必要以上の魅力ある素材を提供する最善の道であることについて、多くの根拠を示していこうと思います。

各種学校や短大は、大学とは幾分違った地位にあります。大学の場合に比べて、当局なり政府のような外部的な組織からの力によって変革を押し付けることは、非常に簡単とまでは言えませんが、比較的簡単です。しかしながら、変革のマネジメントに関する調査研究が明らかにしている通り(例えば Weiner, 2009 参照)、変革を経験する者がその必要性を理解し、自ら変革を希望したときに、より一貫性のある深いものになります。したがって、各種学校も、短大も、大学も、同じ挑戦に取り組んでいると言えます。それは組織の統一性を維持しつつ変革を進めるにはどのような方法があるか、そして何を受け入れるかという挑戦です。

アクティビティー1.4 変わるものと継続するもの

次のような問いについて、他の読者と議論したり、自分の答えを他の読者の答えと比べたりしたくなったかも知れません。

  1. 今日では大学は重要性を失っていると考えますか。もしそうだとすれば、デジタル時代に必要とされる知識とスキルを学習者に教育するために、どのような代替組織があるでしょうか。
  2. 大学の中核となる価値について、どのような見解を持っていますか。それはここで掲げたものとどう違うでしょうか。
  3. 各種学校、短大、大学は、教育の仕方を変える必要があると思いますか。もしそうだとすれば、それはなぜで、どのように変えるべきでしょうか。そしてそれはどのようにすれば学問の自由などの教育機関の中核的価値と衝突せず、より良く実現できるでしょうか。

これらの問いには正しい答えも誤った答えもありません。しかし本章全体を読んだ後、自分の回答を見直したくなるかもしれません。

参考文献

Kamenetz, A. (2010) DIY U: Edupunks, Edupreneurs, and the Coming Transformation of Higher Education White River Junction VT: Chelsea Green

Laurillard, D. (2001) Rethinking University Teaching: A Conversational Framework for the Effective Use of Learning Technologies New York/London: Routledge

Weiner, B. (2009) A theory of organizational readiness for change Implementation Science, Vol. 4, No. 67

1.5 規模の拡大が教授方法に与える影響

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図1.5 講義クラスがより大きくなればより多くの学生が輩出されます
図1.5 学生数の増加でさらに大きな講義室が必要になりました
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国、州、地域が異なれば、高等教育修了者を増やすニーズに対する行政の対応もさまざまです。カナダのように中等後教育の機関に対する公的予算を学生数の増加に合わせて、あるいはそれを超えて増額するというところもあります。しかしアメリカ合衆国、オーストラリア、イングランドおよびウェールズなどのように、経常予算に対する公的資金の直接投入の割合を大きくカットしなければならず、授業料を大幅に増額することになったところもあります。

行政の戦略がどのようなものであるにせよ、私が訪ねたありとあらゆる大学や短大で、教員は以前よりも多くの学生を教育しなければならず、教室のサイズは大きくなり、結果として、双方向性のほとんどない講義が増え続けているといいます。実際、こうした議論は統計にも裏付けられています。Usher (2013) によると、カナダにおける常勤教員と在籍学生の比率は、1995年の1対18から、2011年には1対22に増えています。これに対して学生1人あたりの公的資金投下額は40%(物価上昇率調整後)しか増えていません。実際のところ1対22という数字は、それよりも大規模なクラスとなります。というのも大学では常勤教員は名目上、勤務時間の40%しか教育に費やしておらず、学生は年間に別々の10科目を受講する可能性があるからです。実際、特に1年次および2年次のクラスで、1クラスの人数が極端に増えています。例えばカナダの中規模大学の心理学入門のクラスでは、1人の常勤教授が3,000人以上の学生を担当していました。

しかし授業料は目につきやすいものなので、多くの教育機関や行政当局では、授業料の増加を抑えようとしています。たとえ経常的補助金がカットされているにもかかわらずです。その結果、常勤の教員1人に対する学生の人数は増大しています。また、授業料が高額化し、大学や短大に通うための学生の借金が増加した結果、学生も親も要求が多くなり、学術共同体の学徒というよりも、むしろお客様に近くなっています。特に、教え方が下手であることが目立つようになり、高い授業料を払っている学生にとっては受け入れ難いものになりつつあります。

教員たちからは、政府や大学当局が教員たちに対して、学生数増加に応じた支出増加を行なっていないという不満が聞かれます。実際の状況はさらに複雑です。学生数を増やしている教育機関の大部分では、このような増加に対して様々な戦略で対応しています。

こうした戦略はどれも、教育方法が変わらないままであれば、教育の質に対して否定的な影響を与えるものです。

契約講師は常勤教授よりも安く雇用できるものの、通常、カリキュラムの設計や教科書の選定などについて、テニュアの教員と同じような役割を果たすわけではありません。また、学術的な条件は十分に満たしていることが多いものの、雇用は期限付きであるため、彼らの経験や学生に関する知識は契約が終われば失われてしまうことになります。しかし様々な戦略の中では、これはまだ教育の質についての否定的な影響が最も小さいものだと言えるでしょう。残念ながら教育機関にとっては最も費用のかかる戦略なのですが。

TAは自分が担当する学生よりもせいぜい数年先に進んでいる程度のものであり、教育に関しては、ほとんど研修も指導も受けていないことがしばしばです。また、よくあることですが、留学生をTAとして採用する場合、英語のスキルが不十分なこともあるため、説明を理解することが難しいことさえあります。TAは同一科目として複数開講されるクラスで指導に当たることが多く、このため同じコースを受講する際の指導レベルが全くバラバラになってしまうこともあります。TAの雇用と給与については、博士研究員(ポスドク)への研究による政府機関からの資金獲得状況と密接な関係がある場合もあります。

クラスの人数が増大すると、より多くの時間が講義形式に割かれ、少人数でのグループ・ワークの時間が減るという傾向があります。実際、講義形式の授業は、1クラスの人数が増える場合、それだけの学生を収容できる大きな講義室があることが条件となりますが、非常に経済的な方法になります。学生は同じ講義を聞くことになるので、学生数の増加に伴う限界費用は小さいものになります。しかし受講生が増えるにつれ、教員は多肢選択式問題や自動採点による評価のような、大量の処理に向いた柔軟性の乏しい評価形式に頼るようになります。おそらく、より重要なことは、教員と学生の間の双方向性が、受講生の増加に伴って急激に縮小し、質的にも学生グループ内の相互的なものから、教員と個々の学生の間で行われるものになっていくことです。100人以上の学生が受講する講義では、1セメスターの講義を受けている間に質問したりコメントをもらったりしようとする学生は10人に満たないという研究(Bligh, 2000)があります。この結果から見えてくるのは、講義形式では1クラスの人数が増えれば増えるほど、調査・解明やディスカッションよりも、情報の伝達に重きが置かれるようになるということです。(講義形式の効率性についてより詳細な分析はセクション4.2を参照)

教員の教育負担を増やすこと(担当科目を増やすこと)は、上述の4つの戦略の中では最も例外的なものです。その理由の一部には教員の抵抗があり、労使交渉の中で現れることもあります。教員の教育負担が増加すれば、1クラスあたりの準備の時間は減り、オフィス・アワーのための時間も減り、成績評価も一層手っ取り早い簡単な方法に頼るようになるでしょうから、教育の質は下がると考えられます。仮に常勤教員が教育に充てる時間を減らして、研究に充てる時間を増やそうとするのなら、1クラスの人数をさらに増やすことは避けられません。しかし研究資金が増えれば、TAとして収入を補える博士研究員を増やすことができます。結果、講義を行う際のTAの利用がますます拡大することになりました。ちなみにカナダでは多くの大学で常勤教員の教育負担は減少しつつあります。(Usher, 2013) しかし常勤教員1人あたりのクラス人数は、ますます大きくなっています。

ところで教育以外の業種では、生産性が上がりさえすれば、高い要求を課したとしてもコストの増加に直結するわけではありません。このため行政は、次第に高等教育機関に対して、より生産的にする方法を求めるようになってきました。つまり、より質の高い学生を、より多く、今と同じコスト、あるいはもっと安いコストで、というわけです。(Ontario, 2012 参照)これまでのところ教育機関は、このような圧力に対して、時間をかけながら少しずつ1クラスの人数を増やし、TAのような、より安い労働力を使うことで対応してきました。しかし、ここにきて急に根本的なところから改革をしなければ、質を保てないところまで来てしまいました。ここで私が述べたいことは、教育を設計し直し、それを実施すべきだということです。

他にも、教育方法を変えないままにクラスの規模を少しずつ大きくして来たことの副作用として、教員の仕事がますます大変なものになってしまいました。端的に言えば、教員は、より多くの学生を扱うようになる一方で、その方法は何も変えていないため、より多くの仕事をしなければならなくなってきています。生産性という概念に対して、大学教員たちは教育課程を産業化するものであると否定的に捉えがちですが、この概念を拒否してしまう前に、そんなに懸命になって仕事をしなくても、もっと賢い方法で、より良い結果が得られるようなアイデアを検討してみても良いのではないでしょうか。さて、生産性が上がるように教育を変え、学生にも教員にも利益になることができる方法はあるのでしょうか。

参考文献

Bligh, D. (2000) What’s the Use of Lectures? San Francisco: Jossey-Bass

Ontario (2012) Strengthening Ontario’s Centres of Creativity, Innovation and Knowledge Toronto ON: Provincial Government of Ontario

Talbert, R. (2017). Flipped Learning. A Guide for Higher Enducation Faculty. Sterling, VA: Stylus Publishing, L.L.C.

Usher, A. (2013) Financing Canadian Universities: A Self-Inflicted Wound (Part 5) Higher Education Strategy Associates, September 13

1.6 学生を変え、高等教育の市場を変える

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図1.6.1 学生の多様性の拡大 写真: © greatinternational students.blogspot.com, 2013
図1.6.1 学生の多様性の拡大
写真: © greatinternational students.blogspot.com, 2013
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1.6.1 学生の多様性の拡大

おそらく、この50年間の高等教育において学生ほど変わったものはないでしょう。「古き良き時代」、つまり高校卒業者の3分の1に満たない数しか高等教育に進学しなかった時代には、学生の大部分は大学や短大出身といった学歴をもった家族の下に育っていたものです。このような学生は大抵は裕福な家庭であり、あるいはそこまででないにしても、しっかりした経済的な支えを持っていました。特に大学は学生の選択を今よりも厳しく行なっており、成績が非常に優秀な学生、すなわち最も成功しそうな学生を受け入れていたものです。1クラスの人数は現在よりも少なく、教員たちは今よりも教育に多くの時間を割いており、研究に向かわせる外圧も今より小さいものでした。教育に通じているということは当時も大事なことではありましたが、教員として本質的なことではありませんでした。というのも、教授が世界一の教育者でなかったとしても、優れた学生が成功できそうな環境にいたのですから。こうした「伝統的な」モデルは、ハーバード、MIT、スタンフォード、オックスフォード、ケンブリッジといったエリート私立大学の大部分には現在でも当てはまりますし、リベラル・アーツ教育を行う規模の小さい短大では、どちらかと言えば当てはまるところがあります。しかし先進国における公立大学や、短大の多くでは、かつてなら当てはまることが当然だったとしても、今はもう当てはまらなくなっています。

カナダにおいては、高校卒業生の28%が大学に、20%が短大に進学しており、学生の背景は以前よりもずっと多様になっています。(AUCC, 2011) 行政当局が何らかの形で中等後教育への進学率を70%にするよう教育機関を急き立てている (Ontario, 2011) ことに応じて、教育機関はこれまで教育サービスが行き届いていなかった層、例えば少数民族、特にアメリカにおけるアフリカ系やラテンアメリカ系アメリカ人、先進諸国からの新たな移民、カナダにおける先住民の学生、あるいは英語を母語としない学生などに手を差し伸べなければならなくなっています。行政は、授業料の全額あるいはそれ以上の額を負担できる外国籍の学生をより多く入学させるように大学に働きかけてもおり、結果、文化的・言語的な多様性に繋がりつつあります。言い換えれば、中等後教育の機関は、少数のエリートだけのための組織のままでいるのではなく、社会全体がそうなっているのと同じように、社会経済的多様性や文化的多様性を体現することが求められているのです。

また多くの先進国では、大学や短大の学生は以前よりも年齢層が高くなっており、もはや学業と多少の娯楽(あるいは娯楽と多少の学業かもしれませんが)に専心するフルタイムの学生ではなくなっていることに気がつくでしょう。学費と生活費が高騰していることから多くの学生はアルバイトを強いられており、そのため形式的にはフルタイムの学生、すなわち正規生に区分される学生であったとしても、毎週の授業スケジュールとの衝突が避けられなくなっています。アメリカでは4年間とされる学士の学位を取得するまでの平均年数は、現在では7年間となっています。(Lumina Foundation, 2014)

1.6.2 生涯学習の市場

Council of Ontario Universities (2012) によると、高校を卒業した直後に入学したわけではない学生が全入学生の24%を占めています。そしてこのような学生の入学数の伸び率は、高卒直後に入学する学生よりも高いことを指摘しています。ひょっとすると、より重要なことなのでしょうが、一旦卒業してからキャリアの途中でさらに別のコースや専攻プログラムを受講するために戻って来て、自分の関わる領域で変わり続ける知識に追いつこうとする学習者が多いということです。こうした学生の多くは、フルタイムで働いており、家族を持っており、学業以外の物事と調整をしながら、学業に取り組んでいます。

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図1.6.2 生涯学習者は高等教育におけるマーケットとして重要性を増しつつある 写真: © Evolllution.com, 2013
図1.6.2 生涯学習者は高等教育におけるマーケットとして重要性を増しつつある
写真: © Evolllution.com, 2013
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しかし知識社会における競争力を維持するニーズを持った学生を奨励し支援することには経済的な観点から批判があります。特に出生率の低下と寿命の延伸に伴って、一部の国では生涯学習者、すなわち一度は卒業したものの、さらなる学習のために戻ってくる学生の数が、高校から直接進学する学生の数を超えるということも間もなく起きるでしょう。例えばカナダのブリティッシュ・コロンビア大学では、全大学院生の年齢の中間値は、いまや31歳となっており、3分の1以上の学生が24歳以上になっています。短大から大学、あるいはその逆へと移籍する学生の数も増えています。例えばカナダでは、ブリティッシュ・コロンビア工科大学が毎年の入学生の半分以上が大学の学位を既に取得していると算出しています。

1.6.3 デジタル・ネイティブ

今日の学生が以前とは異なっている別の要因として、デジタル技術、特にソーシャル・メディア漬けになっており、それらを使いこなす能力を持っていることが挙げられます。例えば iPad や携帯電話のような、様々なモバイル機器の上で動作するインスタント・メッセージ、ツイッター、ビデオ・ゲーム、フェイスブック、凄まじい数のアプリなどです。このような学生は、常に「オン」の状態にあります。学生の大部分は、ソーシャル・メディア漬けの状態で大学や短大にやってきて、生活の多くがソーシャル・メディアの上で回っています。Mark Prensky (2001) のように、デジタル・ネイティブたちはデジタル・メディア漬けになっていることから、考え方や学び方が根本的に異なっていると論じる評論家もいます。デジタル・ネイティブ世代は人生の他の側面も全て、ソーシャル・メディアを使おうとします。それでは、この世代の学習体験は、なぜ根本的に異なっているのでしょうか。このことについてはセクション8.2でさらに探求することにしましょう。

1.6.4 エリート主義から立身出世物語へ

高齢の教員たちは、自分たちが学生であった古き良き時代を懐かしく思い出すことでしょう。1960年代に Robbins委員会 が英国における大学数の拡大を提言したときも、既存の大学の学長たちは「数を増やすことは質を落とすことである」と不平を漏らしたものです。1950年代に時間を戻そうとしているように見えるキャメロン政権下の英国ならばあり得るかもしれませんが、公立の大学では教授が菩提樹の木の下で少人数の熱心な学生グループに知識を授けるといったソクラテスの時代の理想は、おそらくもはや存在せず(もしかすると大学院レベルでなら例外があるかもしれませんが)、そのような理想が公立の中等後教育に戻ってくることは、もはや考えられません。高等教育の大衆化は伝統主義者の懸念をよそに、多くの庶民に学問への門戸を開いたのでした。既に見てきた通り、これは社会移動の他に経済的な理由から生じたものでした。

このような学生層に生じた変化が大学や短大における教育に対してもつ意味は重大です。かつてドイツで数学の教授たちは、受講生のうちの5%から10%しかテストで合格しないことを自慢しあったものです。つまり本当に最優秀の学生しか合格できないほどに難しいレベルだったというわけです。合格率が低いことは、教育がどれだけ厳しいものであったかを示すものとされていました。要求されるレベルに到達するのは学生の責任であって、教授の責任ではないとされていたのです。トップレベルの研究生であれば、今でもこうした目標が当てはまるのかもしれませんが、既に見てきたように、今日の大学や短大では、このような状況とは異なる目標、すなわち、できる限り多くの学生が、知識社会で生きていくだけの適格性を身につけて大学を卒業することを、できる限り保証するという目標を掲げています。95%の学生の人生を放り出してしまうなどといったことは、倫理的にも経済的にも許されるものではないのです。行政当局は、卒業率や与えられる学位を、予算投入に影響する「重要業績指標」として使うことが増えています。

学生層が大きく多様化したことを考えると、できるだけ多くの学生が合格できるようにするというのは、教育機関にとっても、また教員にとっても、大きな挑戦です。学生層の多様性が増す中での挑戦で成功するためには、学生を合格に導く教育方法へとより焦点を合わせること、学習の個別化をより推し進めること、講義をより柔軟にすることが必要です。このような改革を進めることで、教員の肩には学生と同じように、さらに重い責任がかかることとなり、より高いレベルの教育スキルが求められることになるでしょう。

幸いにも、人がどのように学ぶかということについては100年以上にわたって非常に多くの研究が行われており、学生を成功に導く教育方法についての研究もたくさんあります。しかし残念なことに、このような研究は大学や短大の大多数の教員たちには知られておらず、用いられてもいません。教員たちは、少人数クラスでエリート学生がいた頃であれば適切であったけれども、今日では既に適切ではなくなっている教育方法に、今でもすっかり頼りきっています(例えば Christensen Hughes and Mighty, 2010 を参照)。ですから、教育にこれまでと違うアプローチを取り込むこと、そして教員が多様な学生たちの中で効率性を高めていこうとするのを助けてくれるようなテクノロジーを、もっと上手に使っていくことが、今こそ必要になっているのです。

アクティビティー1.6 多様性への対応

  1. もし学生を教える際に気がついた変化があれば、それはどのようなものですか。それは本書での分析とどこが異なっていますか。
  2. 学生の合格を保証する責任は誰が負うでしょうか。学生の多様性によって、教員にかかる責任の大きさはどれほどのものでしょうか。
  3. 「数を増やすことは質を落とすことである」という考え方に同意しますか。もしそのように考えるなら、高等教育についてどのような対案を提示しますか。それによる代償はどのようなものでしょうか。
  4. あなたの国では、学術教育と職業教育はうまくバランスが取れていますか。大学に重きを置きすぎていて、技術学校や職業学校に十分な重きをおいていないということはありませんか。

参考文献

AUCC (2011) Trends in Higher Education: Volume 1-Enrolment Ottawa ON: Association of Universities and Colleges of Canada

Christensen Hughes, J. and Mighty, J. (2010) Taking Stock: Research on Teaching and Learning in Higher Education Montreal and  Kingston: McGill-Queen’s University Press

Council of Ontario Universities (2012) Increased numbers of students heading to Ontario universities Toronto ON: COU

Lumina Foundation (2014) A Stronger Nation through Higher Education Indianapolis IN: The Lumina Foundation for Education, Inc.

Prensky, M. (2001) ‘Digital Natives, Digital Immigrants’ On the Horizon Vol. 9, No. 5

Robbins, L. (1963) Higher Education Report London: Committee on Higher Education, HMSO

1.7 周辺から中心へ:テクノロジーは教育の方法をどのように変えたか

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セクション6.2で見る通り、テクノロジーは非常に古い時代から教育の中で常に重要な役割を持っていましたが、最近に至るまで、どちらかと言えば教育の周辺領域にとどまっていました。テクノロジーは、主にマイノリティにあたる学生が普通教室での授業を受けるのを支援するために用いたり、特定の領域(よくあるのは継続教育や公開講座)での遠隔教育の形式で導入されたりしたものです。しかしながら、この10年から15年の間に、テクノロジーは、大学においてさえも教育活動の中核に影響を与えるようになっています。テクノロジーが周辺から中心へと移ってきた流れは、次のようなトレンドから見ることができます。

1.7.1. 完全オンライン学習

いまや単位制のオンライン学習が、大学や短大の学科の大部分、中には K12(初等・中等教育)レベルの学校でさえも主要で中心的な活動になりつつあります。アメリカでは現在、完全オンライン・コース(例えば通信制コース)への入学生が、中等後教育への入学生全体の4分の1から3分の1ほどの割合を占めています(Allen and Seaman, 2014)。北米大陸では、ここ15年ほどの間に、オンライン学習の入学生が、毎年10%から20%ずつ増えてきていますが、これに比べて、キャンパスに通うタイプの入学生は毎年2〜3%程度の伸びにとどまっています。アメリカでは1つ以上の完全オンライン・コースをとっている学生が少なくとも700万人に達しており、中でもカリフォルニア州の短大のシステムには、ほぼ100万人のオンラインコースの入学者が入ってきています(Johnson and Johnson and Mejia, 2014)。つまり完全オンライン学習は、いまや多くの学校や中等後教育システムにおいて、重要な要素になっているのです。

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図1.7.1 アメリカにおけるオンライン学習の成長
図1.7.1 アメリカにおけるオンライン学習の成長
【見出し「全入学生に占めるオンラインコース入学生の割合:2002年秋から2012年秋」 グラフ横軸「2002年秋 2003年秋 2004年秋 2005年秋 2006年秋 2007年秋 2008年秋 2009年秋 2010年秋 2011年秋 2012年秋」 グラフ下部「出典:Seaman and Allen, 2014」】Print

1.7.2. ブレンド型学習およびハイブリッド学習

オンライン学習に関わる教員が増えていくにつれて、これまでクラスの中でできていたことの多くが、オンラインでも同じように、あるいはより良くできるということも認知されるようになってきています(このテーマは第9章でより深く探求します)。結果として、緩やかながらも教員たちは、オンライン学習の要素を教室での教育に導入するようになっています。例えばスライドや PDF の形で、講義ノートを蓄積するために学習管理システム (LMS) を用いたり、オンラインの資料を提供したり、オンラインのディスカッション・フォーラムを立てたりといったことが行われています。このように、オンライン学習が教室での授業という基本的なモデルを変えることなく、対面型の教育の中に徐々にブレンドされて来ています。ここでは、オンライン学習は従来型の教育を補うものとして使われています。この分野では規格や共通の定義があるわけではありませんが、本書ではこのようにテクノロジーを使って学習することを「ブレンド型学習」と表現することにします。

しかし、さらに近年に至って、講義の収録が行われるようになったことで、教員は講義を録画すれば、学生たちがそれを好きな時間に視聴することができ、結果、教室での時間は、より双方向的な集合教育に使えるということが認識されるようになってきました。このモデルは「反転授業」として知られています。

教育の相当の部分をブレンド型のもの、あるいはより柔軟なものに移し替える計画を進めている教育機関もあります。例えばオタワ大学は5年以内にコースの少なくとも25%をブレンド型またはハイブリッド型にする計画を立てています(University of Ottawa, 2013)。ブリティッシュ・コロンビア大学は1年次および2年次の大講義クラスをハイブリッド型のクラスに改める計画を立てています(Farrar, 2014)。

完全オンライン学習とブレンド型学習の将来の可能性については、第9章でさらに論じます。

1.7.3. オープン学習

オンライン学習とも関連した展開で重要性を増しつつあるのが、従来よりもオープンな教育への移行です。オープン学習への展開は10年以上にわたって続いていますが、伝統的な教育方法に直接の影響を与え始めています。一番身近にあるのは、いま皆さんが読んでいるこの本、オープン・テキストです。オープン・テキストは、学生あるいは教員が無料で、デジタル版をダウンロードできるデジタル・テキストで、学生は教科書にかける費用を大きく節約することができます。例えば、カナダでは、ブリティッシュ・コロンビア、アルバータ、サスカチェワンの3州が、大学や短大の専攻プログラムで登録者の多い40のテーマについて、ピア・レビューを経たオープン・テキストの作成と発行について協力をすることで合意しています。

オープン教育における最近の展開の他の例として、オープン教育リソース(OER)があります。これはインターネット上で無料で手に入るデジタル教育素材で、教員や学生は無料でダウンロードすることができ、必要であれば翻案や修正を行うこともできます。その際、素材作成者の保護を定めるクリエイティブ・コモンズのライセンスに従わなくてはなりません。OERの中でおそらく最もよく知られているものは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のオープン・コースウェア・プロジェクトでしょう。個々の教授の許可を受けて、MIT は講義収録システムで記録されたビデオ講義や、スライドなどの補助資料を、インターネット上で無料でダウンロードできるようにしています。

オープン学習の展開がもつ意味については、第10章でも論じます。

1.7.4. MOOC

オンライン学習の主要な展開の1つは、大規模オープン・オンライン・コース (MOOC) の急速な成長です。2008年、カナダのマニトバ大学は最初の MOOC の提供を始めました。登録は2,000人強といった程度で、専門家による Web セミナーでの発表やブログ記事(あるいはその両方)を、参加者のブログやツイートにリンクしていました。コースは誰に対しても開かれており、正式な成績評価を受けられるものではありませんでした。2012年にはスタンフォード大学の2人の教授が、人工知能に関する講義収録を基盤とした MOOC を立ち上げ、10万人以上の学生を引きつけました。以降、MOOC は世界中で急速に拡大しています。

MOOC のフォーマットは様々ですが、一般的には次のような特徴があります。

しかし MOOC は、テクノロジーが急速に進んだ最近の例であり、アーリー・アダプター(新たに現れた革新的なサービスを比較的初期の段階で取り入れる人々)が過度の熱狂を見せているに過ぎず、この新たな教育のためのテクノロジーの長所と短所は注意深く分析していく必要があります。本書執筆時点では MOOC の未来を予測することは困難です。ただ、間違いなく長期にわたって展開を見せ、高等教育の市場で何らかの隙間を埋めることでしょう。

MOOC については、第5章でさらに論じます。

1.7.5 変わりゆく教育の風景のマネジメント

このように教育に関するテクノロジーが急速に発展している中、教員にはテクノロジーの様々な価値を新旧を問わず評価することができ、自分たちや学生たちがいつ、どのようにテクノロジーを使うのが合理的なのか判断できるようにするためには、しっかりとした枠組みが必要であると言えます。ブレンド型学習やオンライン学習、ソーシャル・メディアやオープン学習は、いずれもデジタル時代に効果的な教育をするために重要な技術の進化なのです。

参考文献

Allen, I. and Seaman, J. (2014) Grade Change: Tracking Online Learning in the United States, Wellesley MA: Babson College/Sloan Foundation

Farrar, D. (2014) Flexible Learning: September 2014 Update Flexible Learning, University of British Columbia

Johnson, H. and Mejia, M. (2014) Online learning and student outcomes in California’s community colleges San Francisco CA: Public Policy Institute of California

University of Ottawa (2013) Report of the e-Learning Working GroupOttawa ON: University of Ottawa

1.8 テクノロジーとオンライン学習の新たな展開の位置付け

8

大学でも短大でも、教員たちは現在、次のような難題に直面しています。

しかし一般論としては、中等後教育の現場の教員は、教育、教授法、学習についての研究に関する研修を受ける機会はほとんど、あるいは全くありません。学校教員の多くも、激しく変化するテクノロジーを使いこなすための十分な研修を受けていません。パイロットが最新のジェット機を訓練もなしに飛ばすなどといったことは考えられません。しかし教員は、まさにそのようなことをやっているのです。

そこで本書は、どのように教えるのか、テクノロジーをどのように使うのが最良であるのかを、大学、短大、あるいは学校の中核的価値にかなったやり方で判断できるようにする枠組みの提供を目指します。その際に、学習や教育、そして教育のためのテクノロジーの利用について、過去50年以上にわたって行われてきた大量の先行研究を土台におきながら考えていきます。

次章では「デジタル時代にどのような教育をしたいか」という、何よりも重要な問いを扱います。

アクティビティー1.8 第1章の要点

あなたが本章から読み取った要点を、後述の重要ポイント以外に、少なくとも5つ書き出してください。

筆者の回答と比べるにはここをクリック

重要ポイント

  1. 特定のスキルについて、知識面での獲得だけでなく普及に役立たせる能力、そして卒業生が知識社会で働くための備えとなるような教育方法を用いなければなりません。
  2. 学生数が増えるにつれて、教育は様々な理由から知識伝達へと後退し、次第に質問や新しいアイデアの探求、別の見方の提示、批判的思考や独創的思考の育成などには重点が置かれなくなっていきます。しかし後者のようなスキルこそ、学生にとって知識社会で必要となるものです。
  3. 学生層の多様性が増していることは、教育機関にとって大きな難題です。このため、学習者を助けるには一層個別化した学習や、従来よりも柔軟に講義を支えるような教育方法が重要であると考えなければいけません。
  4. オンライン学習は様々な手法の連続的な集合体です。このため教員や教育組織は、1つ1つのコースや専攻プログラムを、教育手法の中のどこに位置付けるべきかということを見極めなければなりません。
  5. 学術的コンテンツが従来よりもオープンに、無料で手に入るようになると、学生は自分の所属する教育機関について、学習コンテンツを提供してくれるものというよりむしろ、学習を援助してくれるものとして捉えるようになります。このことから教育に関するスキルに焦点が置かれるようになり、その一方で教員のもつ専門性には焦点が置かれなくなっていきます。
  6. 教員組織や個々の教員は、その新旧を問わず、様々なテクノロジーのもつ価値を評価し、いつ、どのようにそのテクノロジーを自分たちが(あるいは学生たちが)使うのが合理的なのかを判断できる、強力な枠組みを持たなければなりません。

第2章 知識の本質と、それが教育に対して持つ意味

II

この章の目的

この章では、知識の本質に関する様々な見解について、とるべき教育方法とどのような関係に立つのかを論じます。

この章を読み終わると、以下のことができるようになります。

この章で扱う内容

この章では、知識の本質と、信じられているものが様々であることを論じ、それが教育や学習にどのように影響しているかについて検討します。

とりわけ、この章では以下のトピックを取り上げます。

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

  1. 教育は高度に複雑な仕事であり、文脈、テーマ、学習者に沿った多様性に適応させなければならず、広く一般化することは不可能です。個別の条件に合わせた適応や修正は当然必要ですが、それでも優れた実践や、理論・研究に基づいた運用基準や原則を示すことは可能です。
  2. 基盤となる信念や価値観は、通常は学問領域ごとに専門家の中で共有されていますが、これが教育に対する取り組み方となります。このような基盤となる信念や価値観は、特定の研究領域で「専門家」になるためには本質的な要素ですが、しばしば暗黙的なものであり、直接的には学生と共有されないこともよくあります。
  3. 学習理論がさまざまであるのは、知識をどのように捉えるかという視点がさまざまであるからです。
  4. 全ての教員は認識論上、あるいは理論上、何らかの立場を出発点においています。外見的に明確に捉えることができるものではないかもしれませんし、ひょっとすると自分自身も自らの信念をはっきりと気づいていないのかもしれませんが。
  5. 結合主義という例外はあり得ますが、本章で概説した学習理論にはいずれも、それぞれを支持する観察可能な証拠が何らかの形で存在しています。それぞれの学習理論は、有効性における違いであるのと同時に、知識そのものへの価値観や信念の違いなのです。
  6. 学術的な知識は、他の形態の知識とは区別されますが、この違いは、今日のようなデジタル時代にこそ、ますます重要な意味を持つものであると主張されています。
  7. しかし学術的な知識は、現代社会にとっては重要な知識の唯一の拠り所ではありません。教員としては他の形態の知識もある中で、学生たちにとっては学術的な知識こそが潜在的に重要であると認識しながら、デジタル時代の学生にとって必要な、あらゆるコンテンツとスキルを確実に提供できるようにしていくことが必要です。

シナリオB:夕食前の会話

9

登場人物

ピーターとルース(家主)
スティーブン(機械工学の教授、ピーターの弟)
キャロライン(作家、ルースの友人)
ピーター(スティーブンに向かって):キャロラインが着いたみたいだ。お前はキャロラインにまだ会ったことがないだろうけど、頼むから今回は親しげに社交的に付き合ってくれよ。お前が以前うちに来た時は、ほとんど一言もしゃべらなかったじゃないか。

スティーブン:ああ、興味のある話を誰もしなかったからね。本と芸術のことばかり。そんな話に興味がないことは知っているじゃないか。

ピーター:とにかく努力だけはしてくれ。ほら、彼女が来た。やあ、キャロライン。よく来てくれたね。入って、どうぞ座って。こちらはスティーブン、僕の弟だ。弟について何も伝えてなかったと思うけど、まだ会ったことがなかったよね。彼は地元の大学で機械工学の教授をしているんだ。ところで、まず、何か飲み物は?

キャロライン:こんにちは、スティーブン。ええ、まだお会いしたことはないわ。はじめまして、ピーター、白ワインをいただけるかしら。

ピーター:お互い自己紹介していて。飲み物を取って来るよ。台所にいるルースを手伝わないといけないし。

スティーブン:あなたが作家だとピーターから聞いたんだけど、何を書いているの?

キャロライン(笑いながら):いきなりまっすぐの質問をするのね。答えるのは少し難しいわ。その時々興味をもったこと次第だから。

スティーブン:じゃあ、今興味を持っていることは?

キャロライン:愛する人を、誰か別の愛する人のせいで失ってしまったときに、人はどんな反応をするのかということを考えているわ。車を父親がガレージから出そうとバックさせているときに、2歳の娘を轢いて死なせてしまったというニュース記事から思いついたの。奥さんがその子を庭で遊ばせていたんだけど、夫が車を出そうとしているのに気がつかなかったのよ。

スティーブン:ああ、なんてひどい事件なんだ。なぜ父親が後方確認カメラをつけていなかったのか不思議でならないよ。

キャロライン:ええ、何が怖いかって、これが誰にでも起こりうるということね。だからこうした日常の中の悲劇について何か書いてみたいと思っているの。

スティーブン:でも、どうやって、自分で経験したこともないようなことについて書けるんだい?ひょっとして、何かそんな経験があるのかい?

キャロライン:ないわ、幸いにもね。そうね、そこが作家の腕ってところかしら。自分自身を他の人の世界へとはめ込んで、その気持ちや感情、そこから起きる行動を予測することができるの。

スティーブン:そんなの、心理学科を卒業しているか、カウンセラーの経験でもないとできないんじゃない?

キャロライン:うーん、家族の中で同じような悲劇を経験した人に話を聞きに行くかしら。事故の後、どんな人になってしまったかを知るためにもね。でも、基本的には私自身がそんな時、どんなふうにリアクションするのか理解して表現していくことね。そして小説の登場人物に合わせて修正していくと思うわ。

スティーブン:でも、ある人が本当に君の考える通りの行動をするかなんて、どうすれば正しいと分かるんだい?

キャロライン:うーん、そういう時の「正しさ」って何かしら。人が違えば、違った行動をするというのは普通でしょう。それこそが小説の中で表現したいことなの。夫はこういうリアクションをとる、妻はそれと違うリアクションをとる。そのとき、2人の間に、あるいは2人を取り巻く人たちの間に相互作用が起きる。私が特に興味があるのは、そんな2人が実際にその後、いい人間関係を保っていけるのか、それともお互いに傷つけあって壊れていってしまうのかということね。

スティーブン:でも、書き始める前にそれは分からないのかい?

キャロライン:それが大事な点なのよ。本当に。事前には分からないわ。私は空想の中で登場人物を成長させたいと思っている。結果はそこにかかっているのよ。

スティーブン:でも、その2人がそうした悲劇に見舞われたときに実際にどんな反応をするか、本当のところが分からなければ、その人たちとか、似たような状況にある人たちを、一体どうやって助けることができるのさ。

キャロライン:私は小説家であって、セラピストではないわ。そんなひどい状況にある人を助けようとしているのではないの。私が理解しようとしているのは、人間の普遍的なあり方なの。そしてそのために私は、私のやり方で始めなければならないの。何を知っているのか、どんなふうに感じているのか。それを文脈に置き換えながら言葉にしていくの。

スティーブン:そんなのナンセンスだよ。自分自身の内面を見つめて、それをフィクションの中に作り上げていくというだけで、どうして人間のあり方を理解できるのさ。そんなことをしても、現実に起きたことには何にも関係がないだろう。

キャロライン(ため息をつきながら):スティーブン、あなたって想像力のかけらもない、典型的なマッド・サイエンティストなのね。

ピーター(飲み物を持って現れる):さてさて、お二人さんは仲良くやっているかな。

ご覧の通り、二人はとても仲良くやっているようには思えません。二人は真実について、あるいはどうすれば真実に到達できるかについて、別々の世界観を持っていることに問題があります。二人は知識が何から構成されるのか、知識がどのように獲得されるのか、そして知識がどのように検証されるのかについて、全く違った見方から出発しています。古代ギリシャ語には、知識の本質について考えるための言葉があります。それが「認識論」です。この言葉はこれから教育方法を巡っていく重要なナビゲーターになることを一緒に見ていきましょう。

2.1 教育における技術・理論・研究・優れた実践

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本章が本書の他の部分にとっても重要である理由についての説明は、次のポッドキャストをクリックしてください。(英語)
この章が本書の他の部分を先取りして特に重要だと考える私の説明については、次のポッドキャストをクリックしてください。(英語)

An audio element has been excluded from this version of the text. You can listen to it online here: https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/?p=57

全ての教育は、技術と科学を混ぜ合わせたものです。技術である理由は、教員が常に様々な変化の中、それぞれに対して素早い判断や意思決定をしなければならないからです。通常、良い教員は教育に対する情熱を持っており、認識面だけでなく情緒面も重要です。教員は学習者の心情を理解し、学習で何に困っているかを察知し、効果的にコミュニケーションできるような人間関係も重要となることも、往々にしてあるものです。

教育についての科学もあります。これは理論と研究を基盤にしています。しかし実際には数多くの理論があり、それぞれの理論の間には矛盾を感じることもしばしばですが、このような矛盾は本来、知識とは何かについての認識論の違いと、価値感の違いから生じています。そして100年以上にわたって、学生がどのように学んでいるのか、経験主義に基づいた研究や、効果的な教育方法が発表されてきています。これも良いものであれば、明確で強力な理論的基盤から導かれていますが、悪いものになると、単なる順位づけや、誰がうまく学習したかというデータ収集に陥ってしまいがちでした。

研究を基盤とした実践の他にも、教員の教育経験に基づいた優れた実践があります。その多くは研究によって有効性が裏付けられていたり、学習理論から導かれていたりするものですが、常にそうであるとは限りません。その結果、一般的には優れた実践を、その時点で認められている知恵であると捉えることはできますが、ある人が優れた実践であると感じた教育方法が、いつでも他の人の共感を呼ぶわけではありません。講義がその良い例です。セクション3.3で、講義には多くの制約がある強力な証拠を示しますが、それでも自分の専門領域を教えるのに最適な方法は講義であると信じている教員は今でも少なくありません。

しかし非常によく訓練された教員でも、うまく学習者とやっていける適性や情緒的なつながりを築くことができなければ、良い教員になれるわけではありません。また、事実上、大学教員のほぼ全てを含むことになるはずの特別な訓練を受けていない教員や、ほとんど経験がないという場合でも、コツをつかんでいる、あるいは生まれつきの才能がある教員であれば、教え方が上手いということもあるでしょう。このような教員の存在はしばしば、教育においては科学よりも技術の方が重要である証拠として引き合いに出されることがありますが、実際にはそんな教員はごくわずかです。訓練を受けることなく自然に素晴らしい教員になっていく人の多くは、仕事の中での試行錯誤を通じ、必然的偶然の中で急速に指導技術を身につけていくのです。

以上のような理由により、あらゆる状況に合う、たった一つの最も優れた教育方法というものはあり得ません。例えば読み書きや算数を教えるための「現代的方法」と「伝統的方法」を巡る不毛な議論が繰り返されるのはこのためです。たいていの場合、良い教員には道具・方法・状況にあった教え方を収めた武器庫があり、それぞれ使い分けています。また教員たちはどのように教えることが良い教育に繋がるかについて、様々な意見を持っているものですが、知識をどう捉えているか、何が学習の良し悪しを決めるのか、望ましい学習成果として何を優先しているのかによって変わってくるでしょう。

それにもかかわらず、このような見かけ上の違いがあるために、教育の質を向上させるための運用基準や手法を作ることができないだとか、教育をめぐる判断の基礎となるべき原則や証拠が存在しないとかいうことを意味するわけではありません。それは、急速に変化するデジタル時代であっても同様です。本書の目的は、そのような運用基準を提供することにあります。もちろん、サイズが1つだけでは誰にでも合うわけではないことは分かっており、教員それぞれが、本書で提案するものの中から自身の教育上の文脈にあわせて選択し、適応させていくことが必要でしょう。しかし、このようなアプローチが機能するためには、教育と学習をめぐる根本的な問題を探求しなければなりません。そのような問題の中には、教育をめぐる普段の議論ではあまり取り上げられないものもあります。最初に取り上げるのは、おそらく最も重要な問題である認識論です。

アクティビティー2.1: 良い教員になるために何が必要だと考えますか

良い教員として最も重要な特徴とあなたが考えるものを3つ、優先度の高い順に書いてみましょう。

2.2 認識論と学習理論

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2.2.1 認識論とは何か

「夕食前の会話」のシナリオで、スティーブンとキャロラインは、知識の本質について、それぞれ全く異なる信念を持っていました。ここでの問題は、どちらが正しいかではなく、我々は皆、真実を構成するものは何か、その真実とはどのようにすれば最もよく実証できるか、そして教育という観点から、人がこのような知識を得るのを助けるにはどうするのが最も良いかといった、知識の本質について暗黙上の信念を持っているということです。また、信念の土台は専門領域によって異なる場合があります。例えば社会科学のように、同じ知識領域の中であっても異なることも少なくありません。そして、この先しばらく読み進めていただければ徐々に明らかになってくることですが、私たちが教育手法をどのように選ぶか、そしてテクノロジーをどのように使うかといったことでさえ、私たちの信念や前提、より具体的には知識をどのように考えるか、その学問領域を修めるために何が必要か、そして学生の学び方をどのように捉えるかによって、完全に決まると言っても過言ではないでしょう。さらに学問分野の違いを超えて共有される学術的知識についての共通の信念が私たちにはあり、このことが一般的な「日常の」知識と学術的知識とを区別していることにも気づくでしょう。

高等教育での教え方は、まず各自がもつ信念によって、あるいはさらに重要な考え方なのですが、その学問分野では何によって有効な知識が構成されるのかという点での共通理解によって決定されるでしょう。知識の性質について考えるとき、その中心にあるのは、私たちが知っていることについて、それを私たちはどのような方法で認識しているのかという問題です。なぜ私たちは、あることを「正しい」と信じることができるのでしょうか。このような考え方は認識論的な性質をもった問いであると言えます。

Hofer and Pintrich (1997) は次のように述べています。

認識論は、哲学の一領域であり、知識の性質とそれが正しいものであると認識することと関係している。

知識の基盤をめぐって信念が衝突した古典的な事例には、1860年に英国科学振興協会で行われたトマス・ハクスリーとオックスフォード司教のサミュエル・ウィルバーフォースの間で行われた、種の起源をめぐる有名な論争があります。ウィルバーフォースは、人は神によって作られたと論じました。これに対してハクスリーは、人は自然淘汰を通じて進化したと論じました。そしてウィルバーフォースは、知識の「正しさ」は信仰と聖書の解釈で決まるのだから、正しいのは自分の方だと信じていました。これに対してハクスリーは、知識の「正しさ」は経験科学と合理的懐疑主義で決まるのだから、正しいのは自分の方だと信じていました。

高等教育は、特定の学問分野での学術研究を裏付ける基準や価値観について、学生の理解を深めることに重点が向けられています。何が当該分野では有効な知識を形作っているのかという問いもそこには含まれます。ある分野で専門家と呼ばれる人々は、通常、このような知識を前提にする傾向が非常に強く、なぜそんなふうに主張できるのか問われない限り、はっきりと意識することはないかもしれません。しかし学生のような初心者にとっては、専門家たちが教育内容や教育方法をどのように選ぶかの背景にある価値観を完全に理解するには非常に多くの時間がかかります。

ですから私たちが認識論上、どのような立場をとるかということと、どのように教えるかということとの間には、実質的な因果関係があるのです。

2.2.2 認識論と学習理論

初等・中等教育の教員の多くは、主要な学習理論には慣れ親しんでいるでしょう。一方、中等後教育の教員は、研究テーマに関する経験、研究能力または職業訓練能力に基づいて採用されているのですから、仮に手短にではあったとしても、主要な学習理論のレクチャーを受け、話し合うことが大切です。実際、様々な学習理論について、きちんとした研修も受けず、知識がなかったとしても、教員たちは主要な学習理論のどれかに当てはまるような教育手法を採用するものです。教育学の専門用語に気づいている場合もあれば気づいていない場合もあるでしょうけどね。また、オンライン学習、テクノロジーを活用した教育、あるいは学習者のインフォーマルなデジタル・ネットワークが拡大するにつれて新たな学習理論も現れてきています。

状況に応じて様々な理論的な指導法を使い分ける知識があれば、教員が直面している学習の文脈が非常にさまざまであったとしても、学生のニーズにはどの教育方法を選択するのか、判断ができる可能性が高まります。これは第1章で述べたように、デジタル時代の学習者の様々な要求に立ち向かう際には特に重要になります。また、ある特定の理論的な指導法を選んだり、好んで採用したりする背景には、テクノロジーを教育支援に用いる手法について、きっと意識していない何か大きな理由があるはずです。

実際、学習理論に関しては膨大な数の文献があり、本書では控えめにいっても大雑把な扱いしかできていません。学習理論について詳しい紹介が欲しいという方には、とんでもない値段ですが Schunk (2011) を購入してください。廉価なものでは Harasim (2012) もあります。ただ、本書の目的は、あらゆる学習理論を徹底的に網羅しているという意味で包括的なものにすることではありません。むしろ本書では、デジタル時代における学習者の多様なニーズに応えることができる様々な教育手法を提案すること、そして、それぞれの評価をするための土台を提案したいのです。

続く節では、最も一般的な学習理論を4つとりあげて、その基礎にある認識論について検討します。

参考文献

Harasim, L. (2012) Learning Theory and Online Technologies New York/London: Routledge

Hofer, B. and Pintrich, P. (1997) ‘The development of epistemological theories: beliefs about knowledge and knowing and their relation to learning’ Review of Educational Research Vol. 67, No. 1, pp. 88-140

Schunk, D. (2011) Learning Theories: An Educational Perspective Boston MA: Allyn and Bacon

2.3 客観主義と行動主義

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図2.3.1 太陽系:客観的事実? 画像: © International Astronomical Union/Wikipedia
図2.3.1 太陽系は客観的事実でしょうか
画像: © International Astronomical Union/Wikipedia
【上段「水星 金星 地球 火星 木星 土星 天王星 海王星 『惑星』または『古典的惑星』」 下段「ケレス 冥王星およびカロン 2003UB313 準惑星」】

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2.3.1 客観主義的な認識論

客観主義者たちは、客観的で信頼できる事実、原理、理論が存在し、それらは発見、記述することができ、時空を超えて存在するというふうに考えます。また、客観主義では人が信じようと信じまいと、知性よりも外側に真実があると捉えています。例えば、物理の法則は常に一定であり、何か新たな「真実」を発見した時にだけ我々の知性が進化するかもしれないと考えます。

2.3.2 教育に対する客観主義的アプローチ

客観主義的な見方を信条とする教員は、授業の中で学ぶべき全体的な知識、すなわち事実、公式、専門用語、原理、理論などを提示しなければならないと考える傾向にあります。

そして、このような全体的な知識を効率的に学習者に伝えることに重点を置いています。講義や教科書は、権威がある、情報量は豊富で、系統立てられており、分かりやすいものでなければなりません。学習者に対しては、当該学問分野で指導的とされている認識論的な枠組に沿って、経験的に得られた証拠と仮説の検証に基づいて、与えられた知識を正確に理解し、再生し、あるいはそこに積み増していくことを要求します。授業における課題や試験は、学生自らが「正しい答え」を発見し、その根拠を示すことを要求するものとなります。独自の考え方や創造的な考え方も同様に必要ではありますが、客観主義的アプローチの枠内で、という制約が伴います。言い換えれば新たな知識の展開は、共有されている理論的な枠組の中で厳格な基準に則った、経験的な検証にかなうものでなければなりません。

「客観主義者」的な教員は、学ぶべき重要項目は何であるか、どのような順序でそれを学ぶか、どのような学習活動を行うか、学習者はどのように評価されるべきかといった判断において非常に大きな力を持っていると捉えます。

2.3.3 行動主義

行動主義は1920年代に初めて登場しましたが、多くの国、とりわけアメリカにおいて、教育および学習へのアプローチとして今なお優勢です。

行動主義心理学は、自然科学的な手法によって人間行動の研究をモデル化しようとする試みです。そして行動のうちでも直接、観察や測定できる側面に注目します。行動主義の核心にある考え方は、ある行動が反応として現れるのは機械的であり、常に同じ方法によって特定の刺激と結びついているということです。つまり、特定の刺激によって特定の反応が引き起こされるということです。さらに単純に説明するならば、反応とは、明るい光を当てられた目の中で虹彩が収縮するように、純粋に生理的な反射作用であるということです。

しかし人間の行動の大部分は、より複雑にできています。にもかかわらず行動主義的な立場の人たちは、ある特定の刺激(出来事)と、反応として起こる、ある特定の行為とのつながりが、たとえどのようなものであったとしても、報酬や懲罰を通じて強化することができるということを実験室の中で示してきました。

刺激と反応の間で形成されたつながりができるときは、これらの間でのつながりを強化するような適切な手段があるかどうかにかかっています。つながりが生まれるのは、ランダムな行動(つまり試行錯誤)に対して、その行動が行われた時に適切に強化が行われるかどうか次第なのです。

これがオペラント条件づけの本質にある考え方です。この理論を最も明確に示したのは Skinner (1968) でした。彼は、鳩が特定の望ましい反応をとったときに(最初はランダムでしょうが)例えば餌を与えるといったような適切な刺激を与えることで、非常に複雑な行動であっても、訓練で身につけさせることができることを示しました。また彼は、様々な刺激の介在がなくても、遠隔刺激を複雑に組み合わせた行動に結び付けていくことで、一連の反応を教え込ませられることを発見しました。さらには、不適切な学習行動や、既に行われていた学習行動も、それを打ち消す方向への強化によって消滅させることができる可能性があることを指摘しました。人の行動の強化は非常に単純な方法、例えば活動に対して即座にフィードバックを与えること、すなわち選択式テストの場合、その場で正しい答えを与えるようにするなどによって行うことができます。

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図2.3.3 B.F.スキナーがティーチング・マシンを実演するYouTube動画(1954年) 動画を見るには画像をクリック
図2.3.3 B.F.スキナーがティーチング・マシンを実演する YouTube 動画(1954年)
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YouTubeでは、1954年に撮影されたB.F.スキナー自身が発明したティーチング・マシンを説明する5分間の大変興味深い映像をこちらで見ることができます。

教育に対する行動主義的アプローチの根底にあるのは、学習は普遍的な原理によって支配されており、この原理は学習者側の意識的な制御から独立しているという考え方です。行動主義の考えに染まっている人たちは、人間の活動を観察する際に、高度な客観性を保とうとし、一般的には、感情、態度あるいは意識のような、計測できないものを観察しようとしません。むしろ人間の行動は予測可能であり、コントロールできるものと捉えているのです。つまり行動主義は非常に客観主義的な認識論の立場から枝分かれしたものなのです。

スキナーの学習理論は、ティーチング・マシン、測定可能な学習目標、コンピュータ支援教育、多肢選択式テストが発展する基盤となった理論的根拠を与えてくれています。行動主義の影響は今でも強力で、会社、軍隊における訓練や、一部の科学、工学、医学における訓練で利用されています。それが特に価値をもち、一般的な手法となっている領域には、事実についての勉強、機械的に丸暗記しなければならない九九や、脳機能障害のために認知能力が制限された大人や子供への対応、商工業における一定で個別の判断を要しない基準や手続に関するコンプライアンスなどが挙げられます。

行動主義は、学習を推進させるための報酬や懲罰を強調したり、あらかじめ学習成果を定義し測定可能なものとすることから、多くの親、政治家、さらに学習の自動化に関心をもつコンピュータ科学者の間で受けの良い、学習概念の基盤となりました。ですからテクノロジーを、とりわけコンピュータ支援教育を、学習に対する行動主義的アプローチと密接な関係があると捉える傾向が近年まで続いているとしていても、さほどの驚きはありません。もっともセクション4.4で見る通り、コンピュータは必ずしも行動主義的な方法で用いられなければならないというものではないのですが。

最後に、確かに行動主義は教育に対する「客観主義的な」手法ですが、それが「客観的に」教育を行う唯一の方法というわけではありません。例えば問題解決型学習では、知識と学習について高度に客観的な手法を選ぶこともできるでしょう。

アクティビティー2.3 行動主義の限界を明確にする

  1. 行動主義的な手法によって「教育」し、あるいは学習することがもっとも適切なのは、どのような知識領域でしょうか。
  2. 行動主義的な手法では適切な教育を行うことができないのは、どのような知識領域でしょうか。
  3. それぞれの理由についてあなたの意見を述べてください。

参考文献

Skinner, B. (1968) The Technology of Teaching, 1968. New York: Appleton-Century-Crofts

2.4 認知主義

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2.4.1 認知主義とは何か

行動主義に対する批判としてすぐに思いつくのは、人間をブラックボックスとして扱っていること、つまりブラックボックスへのインプットと、そこからのアウトプットは分かっていて測定もできる。しかしその中で何が起きているかについては無視されてしまい、関心さえ向けられていないということです。しかし人間は、意識的に考え、決定し、感情を持つことができますし、社会的な対話を通じて考えを表明することもできます。このような能力は全て、学習にとって大きな意味を持っています。したがって、もしもブラックボックスの中で何が起きているかを明らかにしようとするならば、学習についてもより良い理解を得ることができるでしょう。

このため認知主義の立場に立つ者は、人間の内部で起こること、つまり世界をどのように解釈するかについて内側に向けて意識していくことが人間の学習を理解するために欠かせないと考え、これを明らかにすることに焦点を当ててきました。

Fontana (1981) は、学習に対する認知主義的アプローチを次のようにまとめています。

「認知主義的アプローチは、観察可能な行動だけで学習を理解しようとしてはいけないとする立場である。むしろ経験に基づいて再構築した心理的世界(例えば学習者自身の中にある概念や記憶など)を学習者自身が持っていることにも注意する必要があると捉えている。つまり、一人一人が置かれた環境に重点を置くだけでなく、それをどのように解釈し、そこにどのように意味を読み取ろうとしているかに重点を置くのである。そして、一人一人を置かれた環境の中で機械的に作られたようなもののように捉えるのではなく、自ら積極的に学習を進めていく動作主として、外界から自己に流れ込んでくる情報の嵐を、よく考えながら意識的に処理し、分類していこうとすると考える立場なのだ。」(p.148)

つまり、新たな情報を処理する際のルールや原理、これらをどのように関係付けるかについての探求や、既存の知識と新しい知識の間でうまく調和する意味や一貫性の探求が、認知主義的心理学で重視されるコンセプトなのです。認知主義的心理学が関心を向けているのは、学習や思考、行動に影響を与える内的な過程や、その内的な過程に影響を与える状況がどのようなものなのかを見つけ、記述するということに関心を向けています。

2.4.2 認知主義的学習理論

教育において最も広く用いられている認知主義的理論は、学習目標に関するブルームのタキソノミー(分類法)(Bloom et al., 1956)に基づいています。これは様々な学習スキルの発達、すなわち学習方法に関するものでした。ブルームと彼の研究グループは、学習には次の3つの重要な領域があることを主張しました。

認知主義は「思考」の領域に焦点を当てます。最近では Anderson and Krathwol (2000) が Bloom et al. のタキソノミーを若干修正し、新たな知識の「創造」を加えています。

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図2.4.1 認知的領域 図: © Atherton J S (2013) CC-NC-ND
図2.4.1 認知的領域
図: © Atherton J S (2013) CC-NC-ND
【上から「創造 評価 分析 適用 理解 記憶」 説明文「Anderson and Krathwol (2000)による認知領域の修正タキソノミー」】

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Bloom et al.は、学習には階層があることも主張しました。つまり学習者は、記憶から評価、そして新たな知識の創造まで、各段階を経ながら成長していく必要があるということです。

一連の内的作用の土台となるものは何なのか、心理学者はそれぞれの認知的活動を深く探求していきました。その結果、研究はますます還元主義的になってきています。(図2.4.2 参照)

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図2.4.2 © Faizel Mohidin, UsingMindMaps, 2011
図2.4.2  © Faizel Mohidin, UsingMindMaps, 2011
中央 「認知領域」
第1レベル(右上から時計回り)
第2レベル(上から順)
第3レベル(-第4レベル)
知識:想起する/データ/情報/事実/概念
理解:意味を理解する/説明する-自分の言葉で/比較する
応用:知識を使う/適用する-新しい状況に/解決する-問題を
分析:分析する/質問する/比較する/分解する-部分に
統合:自身の構造/新たな意味/新たなパターン/要素を結合する
評価:選択する-一番良いもの/擁護する-原則/判断する-価値

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2.5.3 認知主義的学習理論の応用

学習に対する認知主義的アプローチでは、総合的理解、抽象化、分析、統合、一般化、評価、意思決定、問題解決、創造的思考に重点を置いているために、行動主義と比べた場合、より高等教育に適しているように感じられます。しかし初等・中等教育においても認知主義的なアプローチを導入することで、例えば学習者自身が学ぶ方法を教えること、将来の学習に向けた一層強力で新しい心的プロセスを明らかにしていくこと、そして概念や見解への理解が深く変化していくものであることを明らかにしていくことなどに重点を置くことに繋がるでしょう。

学習に対する認知主義的アプローチは非常に広い範囲を網羅しています。客観主義的な考えに近い認知主義者は、基本的には内的過程を遺伝的や先天的なものと捉えますが、それらは新たな経験のような外的な要因によって訓練したり修正したりできるものと考えています。特に、初期の認知主義では、人の思考をコンピュータにたとえることに関心を持っていました。最近では、脳科学研究が認知と脳内の神経ネットワークの発達・強化を結びつける研究を先導しています。

実践的な見地では、人間の思考をコンピュータにたとえるという考え方から、テクノロジーを基盤とした教育上の開発事例に応用されています。例えば次のようなものです。

認知主義者たちは、人間が新しい情報をどのように処理し、意味あるものとして受け止め、どのように我々が知識を入手し、解釈し、その全体をまとめ上げ、処理し、体系化し、管理しているのかといったことについて理解を深めており、また、学習者の心理状態に影響するような条件をより良く理解できるようにしてくれています。

アクティビティー2.4 認知主義の限界を明確にする

1. 認知主義的な手法によって「教育」し、あるいは学習することがもっとも適切なのは、どのような知識領域でしょうか。

2. 認知主義的な手法では適切な教育を行うことができないのは、どのような知識領域でしょうか。

3. それぞれの理由についてあなたの意見を述べてください。

参考文献

Anderson, L. and Krathwohl, D. (eds.) (2001). A Taxonomy for Learning, Teaching, and Assessing: A Revision of Bloom’s Taxonomy of Educational Objectives New York: Longman

Atherton J. S. (2013) Learning and Teaching; Bloom’s taxonomy, retrieved 18 March 2015

Bloom, B. S.; Engelhart, M. D.; Furst, E. J.; Hill, W. H.; Krathwohl, D. R. (1956). Taxonomy of educational objectives: The classification of educational goals. Handbook I: Cognitive domain. New York: David McKay Company

Fontana, D. (1981) Psychology for Teachers London: Macmillan/British Psychological Society

2.5 構成主義

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図2.5 プロジェクト・ワークは構成主義的学習の一形態です 写真: © Jim Olive, Environmental Protection Agency/Wikipedia, 1972
図2.5 プロジェクト・ワークは構成主義的学習の一形態です
写真: © Jim Olive, Environmental Protection Agency/Wikipedia, 1972

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2.5.1 構成主義とは何か

行動主義的な学習理論と、認知主義的な学習理論の一部では、決定論的要素があります。というのは、行動や学習はルールによって決まるものであり、予想可能で一定の条件の下で作用し、個々の学習者の側ではコントロールすることが(ほとんど)できないと考えられています。これに対して、構成主義者たちが強調するのは、学習に向かう意識、自由な意志、社会的影響の重要性です。

Carl Rogers (1969) は次のように述べています。

各個人は、自分を中心とした常に変化し続ける経験世界の中に存在している。

外界は個人個人の世界の文脈の内部で解釈されます。人間が本質的に主体的で、自由で、各人に固有の意味を見つけようと努めているという考えは古くから存在しており、これは構成主義において欠かせない要素となっています。

構成主義者たちは知識を本質的に主観的であると信じています。また、知識は私たちの知覚から構成され、伝統的な約束事の上で相互に合意するものであると考えています。このような考え方によるならば、私たちが新しい知識を構築するのは、単なる暗記による習得や、知っている人から知らない人への伝達ではないということになります。構成主義者たちは、意味や理解を獲得するためには、情報を自分の中に取り込み、既有の知識と関連付け、認知的に処理する(言い換えれば新たな情報を思考・思索する)ことが必要だと考えます。社会的構成主義者たちは、このようなプロセスが最も機能するのは、討論や自分の理解を他者の理解と照らし合わせて検討・吟味することができるような社会的な相互作用を通じてであると考えています。ある構成主義者にとっては、物理法則でさえ、証拠や観察、演繹的思考や直感的思考によって人間が組み立てたから存在するのだ、ということになります。そして最も重要なのは、あるコミュニティ(この例では科学者たち)が何が有効な知識を構成しているのか、相互に合意したから、それぞれの物理法則が存在しているのだということになるのです。

構成主義者たちの議論の種は、個人個人が彼らを取り巻く環境について、過去の経験と現在の状態を理解するという観点から、意識的に意味を求めて努力しているのかどうかということです。これは一種の試行錯誤です。心の中で無秩序から秩序を生み出し、不協和を解消し、外の世界の現実を自身の過去の経験と調和させる。これは複雑で多面的な営みであり、自らの内省から新しい情報を求めて、他者との社会的接触によって知識を検証しようとすることです。知っていることと新しい知識の関係を探求する方略や、類似点と相違点を明らかにする方略、仮説と仮定を検証するという方略を通じて、問題は解決され、不調和は整理されます。現実は常に一時的なものであり、動的なものなのです。

ある構成主義理論から得られる帰結に、各個人は独自の存在であるというものがあります。というのも、それぞれが異なった経験をし、そこに自分なりの意味づけを探求してきたことが相互作用を与えているため、各個人は他の誰とも異なった存在であるからです。このため少なくとも個人のレベルでは、行動とは予想できないもの、あるいは決定論的ではないものとなります。この点は認知主義とは異なる特徴です。認知主義では全人類に当てはまる一般的な思考のルールが探求されます。認知主義の重要な点は、学習を本質的に社会的なプロセスであると捉え、学習者と教員などとの間でのコミュニケーションを必要としているものだということです。この社会的なプロセスをテクノロジーが手助けすることには問題はありません。しかしこの社会的なプロセスをテクノロジーによって置き換えることはうまくはいかないでしょう。

2.5.2 教育に対する構成主義的アプローチ

多くの教育者にとって、学習の社会的文脈は非常に重要なものです。知識は教員だけではなく、学生仲間や友人、同僚たちが審査します。また、知識の獲得は主として社会的なプロセスや社会的に構築された制度、すなわち学校、大学、そして最近拡大しているオンライン・コミュニティを通じて行われます。このように「有効な」知識であると思われているものは、社会的に構築されたものでもあるのです。

構成主義者たちは学習を常に変化し続けるプロセスであると考えます。概念や原理の理解は、時間をかけて徐々に進化し、深みを増していきます。例えば、非常に幼い子は、温度の概念を実際に触って理解します。年齢を重ねるにつれて、温度は数字で表すことができるようになると分かってきます。例えば、マイナス20℃というのが非常に冷たいというように。(マイナス20℃がありふれたことであるカナダ・マニトバ州にでも住んでいれば別でしょうが。)科学を学ぶようになると、例えば熱とはエネルギーが移転する一つの形態として、さらには原子や分子の運動と関係するエネルギーの一つの形態であるというように、違った理解をするようになります。各段階での「新しい」要素は、それ以前の理解と統合される必要があるとともに、分子物理学や化学などの他の関連する構成概念とも統合されなければなりません。

ですから「構成主義者」の教員は学習者に対し、内省や分析を通じて自身の意味づけを展開すること、意識化と内的なプロセスの進行を通じて知識の層を徐々に重ねること、そしてそれを深めていくことを非常に強調します。リフレクション(内省)、セミナー、ディスカッション・フォーラム、小規模のグループ・ワークやプロジェクト活動は、キャンパス内で行われる教育手法であり(詳細は第3章で論じます)またオンラインでの協働学習や実践共同体は、オンライン学習(第4章)における構成主義的な手法として重要です。

問題解決型授業は、客観主義的な手法、つまり「専門家」が事前に用意した問題を解決するための一連の手順やプロセスをあらかじめ確定しておくという方法で取り組むことができますが、構成主義的な手法でも取り組むことができます。構成主義的な手法では、教員がどの程度まで問題解決に向かって誘導するかということについて、全く誘導を行わない、一定の指針を与える、問題解決に関連する情報源としてあり得るものを学生に指示する、特定の解決方法について学生にブレイン・ストーミングさせるといった段階まで、さまざまに変えることができます。学生は、おそらくグループで作業することになるでしょうが、相互に助け合いながら、問題に対する解決方法を比較し合うでしょう。問題への「正しい」答えは1つとは言えないかもしれませんが、グループは問題解決について、どこまで合意されているかという基準に照らし合わせながら、ある解決方法が他の解決方法より優れていると判断していくことになるかもしれません。

実際、おそらく教員は、まずは学生たちが均質であると見なしながら職務を果たそうとするでしょうし、「適切な」結果を達するプロセスに導くよう直接的な手伝いをしようとするでしょうから、構成主義といっても様々な「度合い」があると捉えることができます。しかし根本的な違いは、学生が自分なりの意味を組み立て、その意味を「現実」と照らし合わせて検証し、さらに一層新しい意味を組み立てていくことを目指しながら作業しなければならないという点にあります。

教育へのテクノロジーの応用についても、構成主義者たちの考え方は、行動主義者たちの考え方と異なります。構成主義の観点からは、現代のコンピュータ・ソフトウェアよりも大脳は柔軟であり、適応しやすく、かつ複雑であると考えます。感情、動機付け、自由意志、価値観、広範な感覚のような、人間だけが持つ要因は、コンピュータの動作と人間の学習を大きく区別しています。このように考えるならば、人間の学習を行動主義的なコンピュータ・プログラムの制約に閉じ込めようとするよりも、コンピュータ科学者に人間の学習方法を反映した学習支援ソフトウェアを作らせる方が、より教育的だと考えられます。このことはセクション4.4で詳しく論じます。

構成主義的な手法は、どのような知識領域にも応用でき、また実際に応用されてきましたが、一般的には人間学、社会科学、教育学など、どちらかと言えば定量的ではない学問分野での教育において用いられています。

アクティビティー2.5 構成主義の限界を明確にする

1. 構成主義的な手法によって「教育」し、あるいは学習することがもっとも適切なのは、どのような知識領域でしょうか。

2. 構成主義的な手法では適切な教育を行うことができないのは、どのような知識領域でしょうか。

3. それぞれの理由についてあなたの意見を述べてください。

参考文献

Rogers, C. (1969) Freedom to Learn Columbus, OH: Charles E. Merrill Publishing Co.

構成主義については多くの書籍がありますが、最適なものは初期の編者・研究者による研究業績です。特に以下のものが当てはまります。

Piaget, J. and Inhelder, B., (1958) The Growth of Logical Thinking from Childhood to Adolescence New York: Basic Books, 1958

Searle, J. (1996) The construction of social reality. New York: Simon & Shuster

Vygotsky, L. (1978) Mind in Society: Development of Higher Psychological Processes Cambridge MA: Harvard University Press

2.6 結合主義<コネクティビズム>

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2.6.1 結合主義とは何か

認識論に関する立場にはもう一つ、結合主義<コネクティビズム>があります。これは近年になって、とりわけデジタル社会に関連して登場した考え方です。結合主義は、今でも正確さを求めながら進化し続けており、多くの批判的研究に注目されながら大きな論争が続いています。

結合主義では、あるネットワーク上にある全ての「ノード(結合点)」を繋いでいくことが新たな知識形態を生み出すと考えられています。Siemens (2004) は、知識とは個々の参加者のレベルを超えたところで生まれ、常に移動しながら変化していくものであると述べています。ネットワークの中での知識はいかなる公的な組織によっても制御したり生み出したりすることはできず、組織は常に情報が流れ続ける世界に「プラグを差し込み」、そこから意味を引き出してくることができる(そしてそうするべきである)ものであるとされます。結合主義における知識は混沌としたものであり、ネットワーク上のノードの間でやり取りが生じたり、情報が出入りしたりするたびに常に変化する現象と捉えられます。また、ネットワーク自体も無数にある他のネットワークと相互に結合しています。

結合主義の重要性について、提唱者はインターネットが知識の本質を変えていると主張します。Siemensから再度引用しますと「パイプの中を流れている内容よりも、パイプそのものが重要」なのです。

Downes (2007) は、構成主義と結合主義の違いを次のように明確に区別しています。

結合主義では「意味を組み立てる」というようなフレーズは意味をなさない。結合は結び付くという過程を経て自然に成立するものであり、何らかの意図的な行為によって「組み立てられる」ものではない。(中略)したがって結合主義においては、知識を移す、知識を作る、あるいは知識を確立するといった概念は実在しない。むしろ学習のための実践をしようとするときに行う活動によってこそ、自分自身や自分の属する社会をある種の(結合的な)方法で成長・発展させるのである。

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図2.6.1: 結合主義の全体図画像: © pkab.wordpress.com
図2.6.1 結合主義の全体図
画像: © pkab.wordpress.com

 

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2.6.2 結合主義と学習

Siemens (2004) の主張は、ネットワーク上での結合と情報の流れ方こそが個々人を超えて存在する知識に繋がるということです。意義のある情報の大きな流れの中に飛び込み、その中で重要な流れを追うことで、学習したことが能力になります。彼は次のように論じます。

結合主義の学習モデルは、学習がもはや内的な活動でも個人的な活動でもない社会が大規模に変化する際のものである。学習(実用知識)は、私たち自身の外側(組織やデータベースの中)に存在しうる。

Siemens (2004) は、結合主義における原理を次のように述べます。

Downes (2007) は次のように述べています。

そもそも結合主義とは、知識が繋ぎ目と繋ぎ目のネットワーク上に広く拡散していると捉える考え方である。つまり学習とは、このようなネットワークを構築する能力と、ネットワーク上を自由に移動する能力から構成されるという主張である。(中略)[結合主義が]指し示す教育学とは次のようなものである。

(a)(筆者自身が多様性、自律性、公開性、結合性と呼んでいる特徴に基づいて分類する)「うまくいく」ネットワークとはどのようなものであるか、その記述に努める教育学。

(b)(筆者自身がモデリングやデモンストレーションと分類する)教員側の実践と、学習者側の実践や内省について、双方の記述に努める教育学。この実践のネットワークは、個人にも社会にも繋がっている。

2.6.3 教育と学習への結合主義の応用

Siemens、Downes、および Cormierは、最初の大規模公開オンライン講義 (MOOC) である Connectivism and Connective Knowledge 2011を立ち上げました。この目的の1つは結合主義的な学習法について説明すること、そしてもう1つの目的は結合主義的な学習法に基づくモデルを提供することでした。

Siemens や Downes のような結合主義者は、教員の役割に関して、ややあいまいな立場になりがちです。なぜなら結合主義が注目するのは、個々の参加者、ネットワーク、情報の流れ、そして結果として生じる新しい形の知識の方だからです。教員の主たる目的は、学習者を一つの方向に向かわせる最初の学習環境や文脈を与えることと、学習者を「うまく」ネットワークに繋げることができるように、個々の学習環境の構築を支援することにあるように感じられます。そして情報の流れや各個人の自律的な内省に接することで、結果として学習が自動的に発生するというプロセスが想定されているようです。この種の学習を支援する公的な組織は必要ありません。むしろこの種の学習は特にソーシャル・メディアに大きく依存しています。また、ソーシャル・メディアは既に全ての参加者がアクセスできるものになっているからです。

教育および学習に結合主義的な手法を導入することについては、数多くの批判があります(セクション3.7を参照)。このような批判の一部については、実践方法が改良され、新しい評価ツールが導入され、大人数での協同学習の体系化が進み、より多くの経験を積み重ねていけば、いずれ克服できるでしょう。結合主義の最も重要な意義は、インターネットや新しいコミュニケーション・テクノロジーの爆発的普及が学習にもたらす意義を徹底的に再検証しようとする、まさに初めての理論的な試みだということです。

アクティビティー2.6 結合主義の限界を明確にする

1. 結合主義的な手法によって「教育」し、あるいは学習することがもっとも適切なのは、どのような知識領域でしょうか。

2. 結合主義的な手法では適切な教育を行うことができないのは、どのような知識領域でしょうか。

3. それぞれの理由についてあなたの意見を述べてください。

MOOCに関する第5章を読んだ後、あなたの解答を振り返ってみましょう。

参考文献

AlDahdouh, A., Osório, A., Caires, S. (2015) Understanding knowledge network, learning and connectivism, International Journal of Instructional Technology and Distance Learning, Vol. 12, No.10

Downes, S. (2007) What connectivism is Half An Hour, February 3

Downes, S. (2014) The MOOC of One, Stephen’s Web, March 10

Siemens, G. (2004) ‘Connectivism: a theory for the digital age’ eLearningSpace, December 12.

2.7 知識の性質は変わったのか

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図2.7 学術的知識は、知識の二次的な形態であり、論理とエビデンスに基づいた抽象化と一般化を目指すものである 画像: © Wallpoper/Wikipedia
図2.7 学術的知識は、知識の二次的な形態であり、論理と証拠に基づいた抽象化と一般化を目指すものである。
画像: © Wallpoper/Wikipedia

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2.7.1 知識とテクノロジー

デジタル時代の教育についての現実的な側面に話を移す前に、デジタル・テクノロジーの発展によって知識の性質が実際に変わってしまったのかという問題に触れておかなければなりません。というのも、もし本当にそうであるなら、教育がどう行われるべきかということだけでなく、何を教育する必要があるかということにも大きく影響するからです。

Siemens や Downes のような結合主義者たちは、インターネットが知識の性質を変えたことを主張しています。そして今日における「重要な」知識、あるいは「有効な」知識は、かつての形態の知識、とりわけ学術的な知識とは異なるものになっていると述べました。Downes (2007) は、新たなテクノロジーによって、学習の脱制度化への道が開かれたと論じています。Wired誌編集者で現在は Ted Talk のCEOを務める Chris Anderson (2008) は、大規模なメタデータにおける相互依存が、新しい知識の創造に対する「伝統的な」科学的アプローチに取って代わるものとなりうると主張しました。

Googleの創立理念は「このページをあのページと比べても、なぜ良いのか分からない」というものだ。入ってくるリンクの統計がそうだというなら、それで十分だ。意味論や因果関係に基づく分析は必要ではない。(中略)これは今日まで用いられてきた他の全てのツールを置き換える、大規模データと応用数学による一つの世界がある。言語学から社会学にいたる人間のあらゆる行動理論との決別だ。分類学、存在論、心理学など忘れてしまえ。自分自身がなぜそれをするのか、その理由を知っている人なんてどこにもいない。重要なのはみんながそれをやっているということであり、我々はこれまで不可能だった、高いレベルでの追跡を行い、測定できるということだ。十分なデータがあれば、数字がそれ自体の証明となる。

しかし、ここでのターゲットは広告ではない。科学だ。科学的手法は検証可能な仮説を中心に築かれてきた。ほとんどの場合、このようなモデルは科学者の頭の中でイメージされてきたシステムなのだ。そしてこのモデルも検証にさらされる。世界がどのように動いているかに関する理論的モデルも実験によって真偽が判断される。こんなふうにして科学は何百年も続いてきた。科学者たちは相関関係が因果関係ではないことや、XとYに相関があるという根拠だけで結論を導いてはいけないことを受け入れるよう訓練されてきた。単なる偶然の一致の場合があるからだ。そうではなく、その基礎となる2つの事実をつなぐメカニズムを理解しなければならないとされてきたのだ。ひとたびモデルを構築すれば、一連のデータを自信を持って結びつけることができる。モデルのないデータはノイズに過ぎないのだ。しかし大規模なデータを前にしたとき、こうした科学的アプローチ、つまり仮説、モデル、検証は、時代遅れのものになってしまうのだ。

(この文章が、金融派生商品による金融市場の崩壊の前に書かれたものであったことは注記しておく必要があるでしょう。市場の崩壊が生じた原因は、主にそのデータを生み出す基礎理論を、関係者の誰もが理解していなかったからでした。)

Jane Gilbert の2005年の著書『知識の波をとらえる(Catching the Knowledge Wave)』では、知識の性質が変わったという前提をはっきりと打ち出しています。そして Manuel Castells (2000)Jean-François Lyotard (1984) を引用しながら、次のように論じています(p.35)。

Castells は、知識とは目的ではなく、一連のネットワークとその上で行われる流れだという。(中略)新たな知識とは出来上がった成果ではなく、それを生み出すプロセスなのだ。(中略)新たな知識は、個々人の頭の中で生み出されるのではなく、人々の間で生じる相互作用の中で生み出されるのだ。(中略)

Lyotard によれば、知識の獲得とは頭を鍛えることであるという伝統的な考え方や、知識が普遍的な真実であるという考え方は、時代遅れのものになっていくという。むしろ、真実も、知識も、そして立証の方法もたくさんあるということになるだろう。その結果(中略)伝統的な学問分野を隔てていた境界は消滅し、知識を示すための伝統的な方法(書籍、学術論文など)の重要性は下がっていく。つまり伝統的な学者や専門家の役割は大きな変化を受けることになるだろう。

1960年代にさかのぼれば、Marshal McLuhan は「メディアはメッセージである」と主張しています。つまり情報が描写され、伝達される方法が変わったのです。情報が異なるメディアを通じて伝われば、私たちが注目するポイントも、私たちの理解も変わってしまうのです。もしも情報や知識がこれまでとは異なる形で示されたならば、あるいはこちらの方がもっと重要なのですが、これまでとは異なる形で流れているならば、教育や学習のような教育プロセスにどのような影響が及ぶでしょうか。

確かに知識が描写される方法は変わりつつあります。ソクラテスが「正しい」知識に導くには筆記ではなく、口頭での対話と弁論のみが可能であると批判したことを思い出すべきです。しかし筆記は、知識を恒久的に記録する方法として重要なものです。そして印刷は、書かれた言葉を多くの人々に広げる方法として重要なものです。その結果、学者たちは他の人が書いたものを検証し、内省を通じて、より良い解釈を行うことができるようになり、自らの立場をより正確かつ注意深く論じることができるようになったのです。大量印刷術が発展したことによりルネッサンスと啓蒙思想が生まれ、近代の学問が結果的に印刷媒体にひどく依存するようになったということは、多くの学者が認めていることです。

現在では、学習や内省の対象となるべき知識を記録し伝達する方法は、これ以外にもあります。例えば動画、音声、アニメーション、グラフィックなどです。そしてインターネットは知識を伝達する速度や範囲を桁外れの勢いにまで拡大しています。第6章第7章でも、このインターネットというメディアは中立的なものではなく、様々な方法で意味を持つものであることを見ていきます。

2.7.2 商品としての知識

上述の論者はいずれも、知識社会における「新しい」知識は、知識の商業化ないし商品化にかかわるものだと論じています。「何であるかということではなく、これで何ができるかということで定義されている。」(Gilbert, p.35)「多くの場合、知識を持ち、買い、売るという能力が新しい知識社会の発展に寄与してきた。」(p.39)

知識社会においては、知識の商業目的での利用が特に強調されています。その結果、例えば長期間にわたる研究よりも、すぐに実用化できる種類の知識が重要性を持つことになりました。しかし、純粋知識と応用知識は強く結びついているため、これは経済発展の観点からしてもおそらく間違っているでしょう。

知識の性質についてはさほど大きな問題ではありません。むしろ学習者が知識を獲得し、それがどのように使えるかを学ぶ方法にあるのでしょう。第1章で論じたように、ここで強調しておくべきことは、教える内容にだけ焦点を当てるのではなく、どのようにすれば知識を最もよく応用できるかというスキルを育て、学ばせることができるかということです。また、後述することですが、学習者は教員以外にも多くの情報源があり、重要な教育上の課題とは、膨大な量の知識を管理することなのです。知識は動的で、拡大しながら常に変化しますので、学習者はまず知識を応用するためのスキルを身につけ、そして自ら学び続けられるようになる道具の使い方を身につける必要があるのです。

ところで、これは知識自体が従来とは異なるものになったという意味なのでしょうか。これから述べていきますが、デジタル時代において、知識のある種の側面では確かに相当変化したと言えるものの、他の側面では、少なくとも本質部分においては変わってはいません。ここで特に主張したいのは、学術的知識の価値と目的は大きくは変わっておらず、また変えるべきでもないということです。これから変わるのはその表現方法と応用方法であり、むしろこれらは変えるべきであるということです。

2.7.3 学術的知識の性質

学術的知識は知識の中でも特殊な形式を持つものであり、他の知識、特に個人的な経験にのみ直接的な根拠をおく知識や信念とは一線を画した特徴を持っています。つまり学術的知識とは、知識の二次的な形態であり、理論と証拠に基づいて抽象化と一般化を目指すものなのです。

学術的知識の基本的な構成要素とは、次のようなものです。

透明性とは、知識の源を追跡し、実証することができることを意味します。体系性とは、知識を常に一定の形式(言語、記号、動画)で首尾一貫した形で示すことができ、考案者以外の誰もが解釈できるようになるということを意味します。知識は再現可能であり、いくらでも複製することができます。最後に、知識は他人に伝えることができ、批判を受けることができる形態でなければなりません。

Laurillard (2001) は、世界に対する学習者の直接的な経験を学術的な概念やプロセスの理解に関連づけることが重要であると認めていますが、大学レベルの教育では、直接の経験を超えて、直接的な経験の省察、分析、説明に向けられるべきだと主張します。どんな学問領域であっても、その領域内での学術的知識の性質に特有の約束事や仮説があります。ですから高等教育を受ける学生は、日常的な経験の視点を、それぞれの学問領域にあった視点に切り替えていくことが必要です。

つまりLaurillard は、大学での教育は「本質的には修辞的な活動であり、学生を説き伏せて世界の経験の仕方を変えさせようとするもの」(p.28) と論じます。そしてLaurillard は、学術的知識が二次的性格をもつものであり、言語、数学記号、「その他、世界を記述でき、解釈すべき記号体系」(p.27) に大きく依存しているため、このような意味の媒介を可能にする記号的表現が必要であるということも指摘しています。

もしも学術的知識に媒介が必要であるならば、テクノロジーを使うことに大きな意義があります。言語(読むこと・話すこと)は、知識を媒介するための一つの手段に過ぎません。動画や音声のようなメディアやコンピュータを利用することで、教員たちは他の媒介手段も使えるようになります。

Laurillard の学術的知識の性質についての見解は、学習者同士の議論や弁論、自発的な学習、あるいはクラウド上の知恵を通じて、自動的に知識を構成できるという見方とは対立します。学術的な知識を身につけさせるための教員の役割は、学習者が専門領域における事実や概念を理解することの手助けだけではなく、専門領域の中で知識を獲得し、有効なものとするためのルールや約束事を学習者が理解する手助けにまで及びます。学術的知識は、共通の価値と判断基準を共有するものであり、それ自体を特定の認識論的な方法論へと昇華するものなのです。

2.7.4 学術的知識 vs. 応用知識

知識社会において、イノベーションや商業活動を生み出す知識は、今日の経済発展に不可欠なものとされています。さらに、この種の知識、すなわち「商業的」知識は、学術的知識とは異なるものだと論じられる傾向にもあります。私としては、その通りだと考えることもあれば、それは違うと考えることもあります。

私は知識こそが現代の経済の牽引役であり、天然資源(石炭・石油・鉄)、機械、安い労働力などが支配的な牽引役だった、「古い」産業経済からの大転換を体現しているなどいうような観点から論じようとしているわけではありません。むしろここで反対意見を唱えたいのは、知識の性質そのものが急速な変化を受けているという考え方です。

知識の性質の変化について広く一般化することが難しいと感じるのは、常に様々な種類の知識があったということです。初めて働いた頃の仕事の一つに、1959年のロンドン・イーストエンドの醸造所がありました。私は夏休みの間、雇われていた学生のうちの一人だったのです。仕事仲間の学生の一人に素晴らしい数学者がいました。昼休みのたびに醸造所の正規労働者たちは、私たちから見れば大金をかけてトランプ(ブラグ)で遊んでいましたが、私たちはゲームに参加できずにいました。私の友人の学生が、どうしてもゲームに参加したいと頼み込み、ようやく仲間に入れてもらっていました。彼らはすぐに友人の稼ぎの全てを巻き上げてしまいました。友人は数字や確率は知っていましたが、世の中には賭けトランプ、とりわけ1対1で対戦するのではなく、仲間とチームを組んで対戦するゲームについて、学校では教えてくれない、たくさんの知識が他にあったのです。Gilbert の指摘は、学術的な知識は「日常の」知識よりもずっと教育的価値が高いのが常であるというものでした。しかし「実際の」世界では、いかなる種類の知識であったとしても、価値があるかどうかは文脈次第なのです。このように「重要な」知識を構成するものが何かということについての考え方は変わりうるものですが、だからといって学術的知識の性質もまた変わるということを意味するわけではないのです。

Gilbert は知識社会においては、社会がますます広がる中で、学術的知識よりも応用知識の方に価値が生まれるような変化が生じてきているのに、教育(特に学校制度)の中では、そのことが認識されることも受け入れられることもないまま来てしまっていると論じます。そして学術的知識を数学とか哲学といった狭い専門分野と結びつけて理解する一方で、応用知識とはどのように物事に取り組むかを知るためのものであり、その定義からして学際的な傾向をもつものだと捉えています。Gilbert は学術的知識について次のように述べています(pp.159-160)。

それは権威のある、客観的で普遍的な知識である。抽象的で、厳格で、不変で、難しい。日常の経験について、今ここに存在している知識を超えて、より高いレベルの理解に到達するもの、それが学術的知識である。(中略)それに対し応用知識は実用的な知識であり、学術的知識を実践に投じることで生み出されるものである。つまり応用知識とは経験しながら、現実世界の状況の中で上手く回っていくまで試行錯誤をする中で得られるものである。

学術的知識の定義に当てはまらないタイプの知識としては、経験から作られるもの、伝統技能、試行錯誤、現場作業者の経験を踏まえた微調整の積み重ねによる品質改善、そして言うまでもなくトランプゲームで勝つ方法などがあります。

学術的知識が日常の知識とは異なるものであるということはその通りですが、学術的知識が「純粋」なもので、応用に適さないものだという考えには反対です。そのような定義は狭すぎます。というのも、この定義では職業学校が含まれないことになりますし、工学、医学、法学、経営学、教育学といった学術的知識の「応用」を扱う専門領域も含まれないことになるからです。これらの学問も、人文科学や自然科学のような「純粋な」専門分野と同じように、大学や短大の「価値ある」領域として受け入れられてきたものであり、このような活動は Gilbert がいう学術的知識の基準を全て満たすものです。

学術的知識と応用知識を区別しようとすることは、知識社会やデジタル時代において必要とされる教育についての実質的な点を見失ってしまいます。大切なのは純粋な知識にせよ応用知識にせよ、知識だけではありません。デジタル・リテラシーや生涯学習につながるようなスキル、姿勢、倫理や社会的な態度も重要なのです。

知識とは「課題」あるいは安定した中身のようなものではなく、動的なものです。そして知識は単なる「流れ」ではありません。中身や「課題」は私たちが中身について行う議論や解釈と同じくらい、本当に重要なものです。インターネットで行われるディスカッションの上を寄せては返す「課題」は、どこからやってくるのでしょうか。個人の頭の中で生まれて消えるものではなく、個人の頭の中を流れていき、そこで解釈され、形を変えていくものです。知識とは動的で変わり続けるものです。しかし、どこかの段階で、ほんのひと時であったにせよ、各個人の中でこれが知識だと考えるものに落ち着くはずです。もちろん時を経る中で、その知識も変化し、発展し、より深い理解に進むことになるでしょうが。

つまり (a)「課題」あるいは内容をどのように獲得するかを知ることや、(b)獲得した内容を用いて何をするかを知ることがいっそう重要なのですが、内容それ自体もやはり重要なものなのです。

ですから、応用的なものであろうがなかろうが、学術的な内容を教えるだけでは十分とは言えません。同じくらい重要なのは、学習者たちがどうすれば自らの職業的あるいは個人的な活動の中で情報・内容を発見し、分析し、統合して応用するできるか、どうすれば自らの学習に責任をもつことができるか、どうすれば知識やスキルを獲得するため柔軟で適応性をもつようになれるか、自分自身でできるようになるための方法を知ることです。これら全てのことが必要です。というのも、どのような職業領域でも知識の量は爆発的に増えているため、その領域で起きている全ての展開を暗記することも、その変化に気づくことも不可能になっており、卒業後であってもその領域に関する情報を最新のものにし続ける必要が生じているからです。

そのために学習者は、適切で重要な内容にアクセスし続けることや、そのような内容を見つける方法を知ることが必要であり、そして学んだことを応用し実践する機会をもたなければなりません。このように学習とは、内容とスキルと態度とが組み合わされたものであり、この組み合わせをあらゆる学習領域に応用していくことがますます必要になっているのです。このように述べるからといって、普遍の真理や根本的な原理原則を探求する余地がなくなるという意味ではありません。学習への探求を、広い学習環境の中に埋め込むことが必要なのです。そこには学習に欠くことのできない部分としてデジタル・テクノロジーを使う能力も含まれますが、その能力は当該の学習領域における適切な内容やスキルに結びついたものであるべきです。

さらに、知的産業が成長する中であっても、学術的ではない知識の重要性を無視してはいけません。学術的ではない知識も同程度に価値があることが証明されています。例えば会社においては、社内でのコミュニケーションを上手に行いながら従業員に関する日々の情報を管理し、外部とのネットワークの構築を奨励し、製品やサービスの改善に向けた協力や参画に対して褒賞を与えることが重要になります。

2.7.5 知識社会における学術的知識の重要性

知識の機能性を過度に強調してしまうと「学術的知識」は知識社会とは関係がないことを暗示するかのように捉えられてしまうでしょう。しかし知識社会の基盤になっているものは、学術的知識の爆発的増加なのです。すなわち自然科学、医学、インターネットの発展に繋がった工学技術、バイオテクノロジー、デジタル金融サービス、コンピュータ・ソフトウェア、遠隔通信などの学術的な発展です。実際、知識産業で発展を遂げた国々は、世界最高レベルの大学進学率を誇る国々であることとも偶然に一致しているわけではありません。

このように、学術的知識は「純粋」なものではありませんし、また不変で客観的な「真実」でもありませんが、原理や価値こそが学術的知識を生み出してきたということは重要です。そこに到達できないことも少なくありませんが、学術的な研究の目的は、たとえ知識が動的で、変化し、常に進化し続けるものだったとしても、深い理解、一般的な原理、経験に基づく理論や不変性といったものに手を伸ばそうとすることです。学術的知識は完全なものではありませんが、求められる水準があるがゆえの価値が必ずや存在します。学術的な知識も方法も持たずにいることは、先に進むための燃料が切れてしまったようなものです。証拠はいたるところにあります。学術的知識は、新たな薬物療法を、気候変動に関する新たな理解を、これまで以上に優れたテクノロジーを、そして間違いなく新世代の知識を生み出しているのです。

実際、これまで以上に、厳格さ、抽象性、証拠に基づく一般化、経験的な証拠、合理主義、学問の独立性など、学術的知識に欠かせない要素を維持しなければならない必要性が高くなっています。教育におけるこのような原理により、産業社会と知識社会の両方で急速な経済的成長ができたのです。変わってきたことと言えば、これらの原理だけでは十分でないということです。むしろこのような原理は、教育や学習への新たなアプローチと結びつけることが必要なのです。

2.7.6 学術的知識と他の形態の知識

既に述べたように、学術的知識の他にも有益で価値のある知識にはいろいろな種類があります。政府や業界はますます職業的・商業的スキルの向上を強調するようになってきています。教員にはこのような知識の育成についても責任があります。特に、手仕事の器用さに必要となる技術、音楽やドラマで演じるための技術、エンターテインメント作品を生み出す技術、スポーツやスポーツ・マネジメントの技術などの形態は、伝統的には「学術的な」知識とは見られてきませんでした。

とは言え、デジタル社会の特徴の一つとして、現在ではこのような職業的なスキルであっても、学術的な知識や、知的・概念的な知識が必要になる割合が非常に高まってきていることが挙げられます。例えば、高いレベルの数学または自然科学(あるいはその両方)に関する知識が、多くの商業的取引や、ネットワーク・エンジニア、エネルギー関連技術者、自動車整備士、看護師その他の健康関連の職種などで必要になりつつあります。このような仕事における「知識」の構成要素は近年ますます増大しています。

仕事の性質も変わりつつあります。例えば、自動車の重要部品ではデジタル化がますます進み、部品は修理よりも交換する場合が増えてきているので、自動車整備士は診断や問題分析を重点的に行うようになってきています。現在の看護専門職は、かつて医師や医学専門家が行なっていた仕事を引き受けるようになっています。現在では働く人の多くが、特に一般の人々のすぐ目の前で仕事するような場合、高い対人関係スキルを習得することが求められています。同時に、第1章で見たように、より伝統的な学術領域では、スキルの育成にますます集中する必要が生じており、それにつれて純粋知識と応用知識の間にある、いわゆる人工的な境界も崩れ始めてきています。

要するに、現在では大多数の職業において、学問を基盤とする知識と、スキルを基盤とする知識の両方を必要としているのです。そしてこれらは統合され関連づけられる必要も生じています。その結果、教育や指導に責任をもつ人々に対する要求が高まっているわけです。とりわけデジタル時代の教員に対するこれらの新たな要求は、教員自身のスキル・レベルを、その要求に合わせて高めていく必要があることを意味しています。

アクティビティー2.7 認識論と学術的知識

  1. あなたの行なっている教育の基礎にある認識論上の立場を述べることができますか。(ご自身の専門領域を付記してください。)それは本章で述べた認識論上の立場のどれに当てはまるでしょうか。それはあなたが行なっている実践の中でどのように機能しているでしょうか。
  2. 個人がインターネット上、つまり友人や見知らぬ人からでさえ、必要な情報を得られるようなデジタル社会における「教員」の役割を正当化できますか。デジタル社会が進展することで教員の役割はどのように変わるか、変わりうるか、変わるべきと考えますか。あるいは「不変のもの」として残り続けるものはあるでしょうか。
  3. あなたが教えている研究領域や専門を簡単に定義してください。学術的知識は日常の知識とは異なると考えますか。もしそうであれば学術的知識は、学習者にとってはどの程度重要なものですか。その重要性は増大していますか。それとも縮小していますか。それはなぜですか。もし縮小しているのであれば、それに置き換わるもの、置き換わるべきものは何ですか。

参考文献

Anderson, C. (2008) The End of Theory: The Data Deluge Makes the Scientific Method Obsolete Wired Magazine, 16.07

Castells, M. (2000) The Rise of the Network Society Oxford: Blackwell

Downes, S. (2007) What connectivism is Half An Hour, February 3

Gilbert, J. (2005) Catching the Knowledge Wave: the Knowledge Society and the Future of Education Wellington, NZ: New Zealand Council for Educational Research

Laurillard, D. (2001) Rethinking University Teaching: A Conversational Framework for the Effective Use of Learning Technologies New York/London: Routledge

Lyotard, J-F, (1984) The Post-Modern Condition: A Report on Knowledge Manchester: Manchester University Press

Surowiecki, J. (2004) The Wisdom of Crowds: Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business, Economies, Societies and Nations New York: Random House

さらに Rugg, G. (2014) Education versus training, academic knowledge versus craft skills: Some useful concepts Hyde and Rugg, February 23 も参照

2.8 まとめ

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本書では、教育と学習に影響を与える認識論的なアプローチをいくつか拾い上げてきましたが、この他の例を挙げることもできます。例えば神学ではこれらの観点とは異なり、信仰に基づく認識論的アプローチからの見解を述べています。そして私たちはスコラ学の原理をオックスフォードやケンブリッジなどのエリート大学で、とりわけ少人数指導制の中に、今でも見つけることができます。

つまり今日の教育に影響を与えている認識論には様々なものがあると考えることができます。さらに教員自身が、異なる学問領域にまたがる場合だけでなく、同じ学問領域の中でも異なった認識論的な立場をとることがあり、多くの学生を不安がらせ混乱させます。例えば、心理学や経済学のような研究領域では、カリキュラムの中での位置づけが異なる場合、認識論的に異なる根拠を持っていることがあり得ます。具体的にはフロイト学派による分析と、投資家の行動に影響を与える行動要因では、統計の有効性についての評価が分かれるでしょう。認識論的な立場をめぐって、目に見える形で学生との間で意見交換が行われることは滅多になく、同じ学問領域の中でも常に一定というわけではなく、相互に排他的なわけではありません。例えば教員は、あえて初学者に対しては客観主義的な立場を使うようにし、そして学生がそのトピックについての基礎的な事実や概念を学習し終えたところで、構成主義的な見方へと切り替えていくということもあるでしょう。教員は1回の授業の中でも認識論的な立場を切り替えるかもしれませんが、しばしば学生にとって混乱の原因となります。

一般論として言えば、どちらかと言えば構成主義的な立場を私自身は好んではいるのですが、さしあたって、どの立場が優れているなどと選ぶつもりはありません。ここに挙げたような認識論的な立場は、どれをとっても賛成・反対の論拠を示すことができます。しかし知識と、その結果としての教育は、純粋なものでもなく、また客観的な概念でもなく、知識の本質についての多様な価値観や信念から導かれているということに関心を持っておかなければなりません。

さらに近頃では学術的知識など、もはや必要のないものであり、ネットワークを通じた学習や、それを応用した学習に置き換わるだろう、あるいは既に置き換わりつつあるというような議論がなされることがあります。しかし私は、学習する内容と同じくらい、スキルの開発にも重点を置きながら、学術的知識を維持し、さらに発展させていくべきだという強力な理由があるということを示しました。

様々な学習理論は、様々な知識の質についての立場を反映したものです。結合主義という例外はあり得ますが、それぞれの学習理論を支持する何らかの経験的な証拠があることを本章では示しました。理論は人々の学び方がそれぞれ異なることを示してくれますが、その一方で教員がどのように教えたら良いかということを、理論が自動的に示してくれるわけではありません。実際、行動主義、認知主義、構成主義の理論は、全て教育学の外側、つまり実験室や心理学、神経科学、心理療法の中で発展してきたのです。これまで教育者たちは日々の教育実践でこれらの理論をどのように活用していくかを考え出さなければなりませんでした。つまり教育方法をこのような学習理論に基づいて開発しなければならなかったのです。

認識論と学習理論と教育手法の関係に関する私見については、次のポッドキャストを参照。
認識論、学習理論、教育手法についての私の見解は、次のポッドキャストを参照してください。(英語)

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次章では、これまで展開されてきた教育手法と、その認識論的な土台、さらにそれらがデジタル時代の教育で持つ意味について検証します。

重要ポイント

1. 教育は高度に複雑な仕事であり、様々な文脈、教科内容、学習者に順応させる必要があります。教育は広く一般化するには向いていません。その一方で、個別の条件に合わせた適応・修正こそ必要ですが、優れた実践、理論、研究に基づいた指針や原則を示すことが可能です。

2. 通常は同じ学問領域で他の専門家たちと共有されているものですが、基盤となる信念や価値観によって、どのように教えるかが決まります。このような信念や価値観はそれぞれの研究領域で「専門家」になるためには必要不可欠な原理であると理解されているのですが、暗黙的なものであり、学生とは共有されないことがよくあります。

3. 学術的知識は他の形態の知識とは区別されるものであり、デジタル時代の今日では、ますます重要性を持つものであることが論じられています。

4. しかし学術的な知識は、今日の社会にとって重要な知識の唯一のあり方ではないことを理解しておかなければなりません。私たち教員は他の形態の知識も存在することや、このような他の知識も、学生たちにとっては潜在的に重要であることを理解した上で、デジタル時代の学生に必要なコンテンツとスキルを幅広く確実に提供できるようにすることが必要です。

アクティビティー2.8 学習理論を選択する

Entwistle (2010) は次のように述べています。

「論拠にどの程度の重きを置くか、また、1つの理論が教育学に対してどの程度の価値を持っているかについて、問いかけるべき重要な問題がある。

  • その理論は、教育の現場におけるデータや観察から導き出されたものか。
  • その理論は、教員にとって理解しやすい言葉で語られているか。
  • 学習に影響を与えるものとして示されている側面は(教員が)すぐに変更できるものか。
  • (特にあなたが仕事や研究をしている具体的な場面で)その理論は教育や学習に直接的な意味をもつか。
  • その提案は、どの程度に現実的で実践的か。
  • その理論は、教育に関する新しい考え方を誘発する可能性があるか。

単に人間がどのように学ぶかを説明するだけでは教授法理論としては不十分である。その理論で学習の質と効率性がどのように改善されるかについて、明確な示唆がなければ理論とは言えない。」

Entwistle の基準と、教育に関するあなた自身の知識と経験を用いて、以下の問いに答えてください。

1. あなたの最も気に入った学習理論はどれですか。またそれはなぜですか。あなたが教えている主なテーマも述べてください。

2. あなたのとっている教育手法は、本章で述べた理論的なアプローチのどれと適合しますか。あなたが教えている時に行なっている活動のうち、その理論と「適合する」ものをいくつか書き出してください。この理論的枠組みの中で、あなたがすぐに教育に採用できそうな他の活動を思いつきますか。

3. あるときは行動主義的、あるときは認知主義的といったように、教える時に異なる理論を組み合わせるということを普段行なっていますか。もしそうであるなら、その理由は何ですか。どんな状況の時に組み合わせますか。

4. 教育実践という点からは本章で示した理論は、どのくらい役に立ちますか。あなたから見て、このような理論は単なる専門用語に過ぎないものでしょうか。役に立たない理論化なのでしょうか。一般的に知られている実践事例の「分類」に過ぎないのでしょうか。あるいは、どのように教えるべきかについての強力な指針になるのでしょうか。

5. ソーシャル・メディアのような新しいデジタル・テクノロジーは、本章で取り上げたような理論にどう影響すると思いますか。新たなテクノロジーでこのような理論は不要になってしまうのでしょうか。結合主義は、他の理論の代わりになるでしょうか。それとも教育や学習に関して、別の見方を付け加えるものに過ぎないのでしょうか。

参考文献

Entwistle, N. (2010) ‘Taking Stock: An Overview of Research Findings’ in Christensen Hughes, J. and Mighty, J. (eds.) Taking Stock: Research on Teaching and Learning in Higher Education Montreal and  Kingston: McGill-Queen’s University Press

認識論、学習理論、そして教育方法の関係についてはさらに Bates, T. (2015) Thinking about theory and practice, Open Learning and Distance Education Resources, July 29 を参照。

第3章 キャンパス中心の教授法

III

この章の目的

本章では一般的に使われる様々な教授法で、キャンパスを中心とする学習環境に重点を置いた範囲で議論していきます。

この章を完了すると以下のことができるようになります。

この章で扱う内容

教育に関する5つの視点を検討し、 デジタル時代との関連性を特に強調しながら、それらを認識論と学習理論と結びつけて考えます。とりわけ、この章では以下のトピックを取り上げます。

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

ほとんどの教員は、その場その場で教える内容と学習者のニーズに応じて、様々な教授法を組み合わせることでしょう。しかし別の教授法と比較検討することで、次のような非常に重要な結論を導くことができます。

  1. デジタル時代に教員が求められるものを全て満たすであろう唯一の教授法は存在しません。
  2. それでも、教育形態の中にはデジタル時代に必要とされるスキルを伸ばすのに適していると考えられるものがあります。特に、対話、ディスカッション、知識管理のような情報の伝達よりも、概念の発達に重点を置いた方法や、現実世界を文脈とする経験学習は、デジタル時代に必要とされる高次の概念スキルの育成に適しています。
  3. 概念スキルが必要とされてはいますが、それだけではありません。求められているのは、非常に複雑な状況の中で、概念スキル、実践スキル、対人スキル、社会的スキルを組み合わせて使うことです。繰り返しになりますが、これは様々な教授法を組み合わせるということを意味しています。
  4. 教授法のほとんどは、メディアやテクノロジーとは独立して存在するものです。つまり、教室でもオンラインでも使うことができます。学習において重要なのは、テクノロジーを選択することではなく、教授法の選択ができる能力と専門知識です。
  5. しかし第4章では、新しいテクノロジーが教育に新しい可能性を開くことについて述べます。例えば、あるタスクについて、より多くの練習と時間を与えたり、これまでとは異なる新たな学習者たちを対象としたり、教員と教育システム全体の両方の生産性を高めたりすることができます。

シナリオC:統計学の講師、制度と闘う

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クライブ (注意深く妻のジーンに目を向けながら):今日は仕事で何か嫌なことでもあったのかい。

ジーン:気づいてた? そう、あったのよ。とてもいいことが。

クライブ:そんなに八つ当たりしないでくれよ。ドアはバタンと閉めるし、猫には怒鳴るし、間髪入れずに君のデスクの上にある大きなグラスでワインを飲もうとすることに気がつかないわけがないだろう。

ジーン(ワインをつかんで):今日は我慢の限界だったわ。教えているクラスの授業評価アンケートの結果を受け取ったのよ。

クライブ:で、芳しくなかった、と。

ジーン:まずランキング表がおかしいわ。A評価が30%ぐらい、B評価が5%ぐらい、C評価が15%、D評価が15%、E評価が35%。全く正規分布してないのよ! 学生は私のことを好きか嫌いかのどちらかなのに、平均するとD評価なのよ。でね、バカな学部長のハーベイはそれだけを見るわけ。来年度、昇任できる可能性はなくなってしまったわ。だから私が説明しに行ってあげないといけないって思っているのよ。石板タブレットが最新技術だった時代を最後に授業してない、あのジジイにね。

クライブ:それ見たことか、なんて言わないけど…。

ジーン:そんなふうに言わないでよ。 私は講義なんか止めて、もっと学生を参加させようと頑張っているつもりよ。私がやっている教え方を変えろって口を酸っぱくして言ってきたFD(訳注:ファカルティ・ディベロップメント、教育内容・方法等をはじめとする研究や研修を大学全体として組織的に行うこと)の連中をやっつけるぐらいにね。残業だって気にならなかったし、テーブルと椅子を元どおりにちゃんと戻せだなんて言い続けてきた施設課のあんな奴といつまでも対立するのも構わなかったわ。私は授業をすることが大好きだし、とても刺激的だし、大満足していたわ。でも、とどめは学部が試験を変えようとしなかったことよ。私は学生に抽出された標本が何を意味しているか考えさせ、有意性を見るためにいくつもの別の方法を議論させ、問題を解決させてきた。なのに学部が課す試験は統計的な手法と公式の暗記を評価するだけの多肢選択問題。学生が私に怒るのも無理もないわ。

クライブ:でも、いつも言ってたじゃないか。学生は新しい教育方法を気に入ってくれているって。

ジーン:学生に騙されていたってことね。授業評価コメントでは3分の1ぐらいの学生は授業が本当に良いと思っているようだったし、統計学にとても興味を持ったなんて言ってくれる学生もいたのよ。でも、それ以外の学生が求めていたのは試験で使えるような虎の巻でしかなかったみたいだわ。

クライブ:で、どうするつもりなんだい?

ジーン:正直、どうしていいかよく分からないわ。でも私がやっていることは正しいと思っている。大きな変化をくぐり抜けてきた今となってはね。確かに学生は最初に虎の巻がもらえないかもしれないけど、いずれはデータを正しく読み取らなければならなくなるわけなのよね。私が試験のためだけに教えるのなら、学生がもっと高いレベルの理工学の授業を取る場合に、統計を適切に使うことはできないでしょうね。統計について少し知っているかもしれないけれど適切な使い方が分からない、ということになってしまうわ。

クライブ:ということは、学部に試験を変えてもらうようにしなければならないということだね。

ジーン:ええ、うまくいけばいいんだけど。でも、そうなったら他の人たちも教え方を変えなきゃいけないことになるわよね。

クライブ:でも、君が教え方を変えた大きな理由は、大学がいま求められているスキルや知識を学生たちが身につけられていないのではないかと懸念していたからではないのかい。

ジーン:そのとおりなんだけど、問題は学部長のハーベイが私をサポートしてくれないことなのよ。あの人ったら靴下や下着まで保守的と言っていいぐらいなのよね。私がやっていることはただ流行に乗っているだけだと思ってる。あの人が何か言ってくれないと、学部の他の人たちが変わることはないのよ。

クライブ:なるほどね。まあ、とりあえずは落ち着いて、ワインでも飲んで。それからどこかいいところへ夕食に出かけよう。そうすれば私も靴下と下着姿のハーベイを思い浮かべなくて済むだろうし。で、私の話も聞いてくれないかな。

3.1 教育についての5つの視点

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For my personal comments on why I wrote this chapter on campus-based teaching methods, please click on the podcast below
私がなぜキャンパス中心の教授法についての章を書いたかについては、以下のポッドキャストをクリックしてください。(英語)

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最初に述べておくべきことは、教授法が何かの学習理論に基づいて行われるべきだという原則やルールはないということです。とりわけ、中等後教育の段階において、自身の教え方が行動主義的あるいは構成主義的であるとされたら、ほとんどの教員は驚くのではないでしょうか。だからと言って、そのような教え方を「理論がない」とするのも正確ではないでしょう。本書ではこれまで、知識の性質についての捉え方が教授法の選択に大きく影響しうることを見てきましたが、この点を強調しすぎるのは賢明ではないでしょう。少なくとも中等後教育の段階では、教えることの大部分は、教員が自分が習ったのと同じ方法を真似する徒弟制モデルに基づいており、経験を積むうちに徐々に改良され、実際に学生がどのように学ぶのかという理論には意識を向けなくなっていくのです。

Dan Pratt (1998) は、5ヶ国の成人教員、253名を調査し「質的に異なる5つの観点で(中略)教育における妥当な観点であることを示しているもの」として以下を明らかにしました。

それぞれの視点は学習の理論と何かしらの関連があることが分かるでしょう。また、このような視点は教授法を運用するにあたって役に立つものなのです。そこでまずは一般的な教授法のいくつかを実践面から見ることにします。そしてこれらが第1章で概説したような知識・技能を養成するのに適切であるかどうかを評価することにします。

様々な教授法については2つの章でまとめることにします。まず第3章ではどちらかと言えば伝統的な学校、すなわちキャンパス中心での教育に由来する設計モデルについて論じます。続く第4章ではインターネット技術を取り入れた設計モデルに焦点を当てることにします。しかし第10章において明らかになりますが、この2つの設計モデルの区別は既に崩れ始めていることをここで指摘しておきます。

3.2 教室設計モデルの起源

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学校制度は、それが作られた時代を反映するものです。フランシス・フクヤマは、政治的発展と政治的衰退に関する重要な著作 (Fukuyama, 2011; 2014) の中で、国家に必要不可欠な機能を提供する組織は、往々にして、時とともにもともとの構造に完全に固まってしまい、外的環境の変化に適応できなくなってしまうと指摘しています。したがって、現代の教育制度の起源については、特に検討する必要があると言えます。なぜなら現在の教育と学習は、かなり昔に作られた制度の構造に強く影響を受けているのです。ですから私たちの伝統的なキャンパス中心のモデルによる教育が、デジタル時代にどの程度まで適合するかについて、検討しておく必要があるのです。

大規模な都会の学校、短大、大学は、年齢による階層化、構成する学習者集団、規定された単位時間によって組織化されるものですが、それは産業社会にとって非常に都合が良いものでした。事実、私たちは今なお教育設計の工場モデルと表現してもよい優れた仕組みを持ち、今でも少なからず私たちにとっては基本的な設計モデルとなっています。

設計モデルの中には伝統や慣習の中に埋め込まれてしまっているものもあります。それはまるで私たちが水の中の魚のようである、つまり私たちが生きて呼吸をしている環境であることをただ受け入れるだけでよい状態になっているわけです。教室モデルはその良い例の一つでしょう。教室を中心としたモデルでは、学習者はクラスというグループに編成され、ある期間(1学期や1セメスター)にわたって、同じ場所で、1日にある回数、ある長さの時間、定期的に集まるのです。

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Figure 3.2 Miss Bowls's class in an unidentified girls' school Date: circa 1905 Image: Southall Board, Flickr
図: 3.2 ボールズ先生の授業(イングランドのある女学校にて、1905年ごろ)
画像: : Southall Board, Flickr
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このような設計は150年以上も前に決められたものです。そして19世紀の社会的、経済的、政治的文脈の中に埋め込まれました。この文脈に含まれたのは以下のものでした。

150年の期間にわたって、私たちの社会はゆっくりと変化をしてきました。上記のような要因や条件のうちの多くは、もはや存在していません。一方で、今なお残存しているものもありますが、過去の時代よりも目立ってはいません。現在でも工場や大規模産業はありますが、小規模な会社も多くあり、かつてよりも大きな社会的、地理的な流動性もあります。そして何よりも仕事と教育の両方を様々な形でうまく進めることができる新しいテクノロジーが大きな発展を遂げました。

以上のことから、教室設計モデルが融通の効かないものであるなどと言うつもりはありません。このような全体的、組織的な枠組みの中で、教員は長い間、多種多様な教授法を採用してきました。しかし、とりわけ私たちが所属する学校組織の構造は、私たちがどのように教えるかに強い影響を与えます。ですから教室モデルを中心に作られている教授法のうち、どれが今日の社会にふさわしいと言えるのかを検討しなければなりません。また、これはさらに難しいことなのですが、今日のニーズにより良く応えられるよう、新しい学校組織を作ったり、学校組織の構造を変えたりすることができるのかどうかも検討する必要があるのです。

参考文献

Fukuyama, F. (2011) The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution New York: Farrar Strauss and Giroux

Fukuyama, F. (2014) Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalisation of Democracy New York: Farrar Strauss and Giroux

3.3 伝達型の講義:聞くことによって学ぶ

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教室での教育形態のうち最も伝統的なものの1つは講義です。

3.3.1 定義

[講義とは] 聞き手に何かを学んでもらいたい話し手による説明であり、ほとんど途切れることがないものである。

Bligh, 2000

この具体的な定義が重要です。つまり講義とは教員と学生との間で行われる質疑やディスカッションで意図的に中断されるという状況を考慮していないからです。教員と学生の間や、学生の間で相互にやり取りを行う形態の講義については、次のセクション3.4で論じることにします。

3.3.2 講義の起源

伝達型の講義の由来は、古代ギリシャ・ローマ時代に遡ることができます。少なくともヨーロッパの大学の歴史が始まった13世紀にあるといって間違いないでしょう。「講義」(lecture) という言葉はラテン語に由来しますが、もともとは読書という意味です。13世紀の頃には、綴じられた本は非常に稀少なものでした。ローマ帝国が崩壊した後の暗黒時代に、ヨーロッパでは多くの文書が破壊されてしまっていました。そのため、たいていは古代ギリシャ・ローマ時代の大変に貴重な巻物の断片や選集を典拠として入念に手作業で作られ、修道僧によって挿絵をつけられたものか、アラビア語圏の原典から翻訳したものを本にしていました。結果、大学はそれぞれの本を1冊しか保有していないのが普通であり、その本は世界で唯一のものであったかもしれないのでした。このため図書館とその蔵書は、大学の評判を決める極めて重要なものだったのです。教授たちは図書館から、その唯一の本を借り出して、文字通り学生たちに読み聞かせなければなりませんでした。学生たちは教授が読み聞かせたものを忠実に書き留めていたのです。

講義という形態自体は、学びの口頭伝承として、他と比べてもはるかに長い歴史があります。つまり知識が世代から世代へと、口伝えによって引き継がれていくのです。このような文脈では「認められた」知識が首尾よく伝達されるために、正確さや権威(あるいは知識へのアクセスを統制する権力)が重要となります。したがって、 伝達される情報が正しいものであると証明するためには、正確に記憶すること、反復すること、権威ある原典を引用することが重要だったわけです。古代ギリシャの英雄伝説、後の時代ではバイキングの英雄伝説が、知識を口頭伝承によって保つ力を示す例と言えるでしょう。そして今でも多くの種族の地域社会における神話や伝説では、このような口頭伝承が続けられています。

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図3.1.1 中世の講義
画家: Laurentius de Voltolina;Liber ethicorum des Henricus de Alemannia; Kupferstichkabinett SMPK, Berlin/Staatliche Museen Preussiischer Kulturbesitz, Min. 1233
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上に示す13世紀の本からの挿絵は、1233年、イタリアのボローニャで、ドイツのハインリヒ7世が大学生に講義を行なっている様子です。驚くべきことは状況が今日の講義とかなり似通っているということです。学生はメモをとっています。後ろで話をしている者もいます。1人は明らかに眠っています。もし仮にリップ・ヴァン・ウィンクル(訳注:「眠ってばかりいる人」を意味する慣用句、日本で言う「浦島太郎」のようなもの)が800年の眠りの後に現代の講堂で目を覚ましたとしたら、自分がどこにいて、何が行われているかを正確に理解できることは間違いないでしょう。

講義という形態には、長きにわたって疑問が呈されてきました。サミュエル・ジョンソン (1709-1784) は200年以上も前に講義についてこのように述べています。

人々は今では(中略)全てが講義によって教えられるべきであるという奇妙な考えを持つようになってしまった。だが、私には講義というものについて、その講義の元になっている本を読み聞かせることと同等の効果があるとは思えない(中略)講義はかつては役に立つものであったのだが、現在では、誰しもが読むことができ、本も多くあるのだから、講義は必要ないのだ。

Boswell, 1791

注目すべきなのは、印刷機、ラジオ、テレビ、インターネットが発明された後でさえも、伝達型の講義は、権威のある教員が学生の集団に向かって話すという特徴を持っており、多くの学校における教授法の中で主要なものとしてあり続けていることです。クリックするだけで情報が得られるデジタル時代においてさえもなのです。これほどまでに長く続いているものには何か意味があるに違いない、ということは言えるかもしれませんが、しかし近年起こった変化の全て、とりわけデジタル時代に必要となった知識や技能を鑑みると、伝達型の講義が教授法として最も適切なものかどうかについては考え直す必要があるでしょう。

3.3.3 講義の効果について研究が教えてくれること

サミュエル・ジョンソンの意見をどのように捉えるにしても、実際、講義の効果については非常に多くの研究が行われてきました。それは1960年代に遡り、現在も続いています。講義の効果の研究を分析したもので最も信頼できるものとしては Bligh (2000) があります。Bligh (2000) では、講義と他の教授法の効果を比較した様々な研究やメタ分析を要約し、以下のような結果が一貫して得られているとしています。

Bligh (2000) は学生の注意、記憶、動機付けに関する研究も検討し、次のように結論しています。(p.56)

このことからも、少なくとも単調にならないように変化をつけて興味喚起することがないのであれば、講義は20〜30分以内に収める方が良いと考えるべき(中略)証拠があることが分かるだろう。

このような研究が示してきたのは、情報を理解、分析、応用し、長期記憶に留めておくためには、学習者は積極的に教材に取り組まなくてはならないということです。講義が効果的であるためには、学習者が情報を知能的に操作する活動を伴っていなくてはなりません。もちろん講義を行う教員の多くは、このようなことを講義中に立ち止まってコメントや質問を求めたりすることで行うのですが、そうではない教員も多いのです。

繰り返しになりますが、上述のような知見が長きにわたって得られており、現在では YouTube の映像が8分ほど、TED talks であれば最大でも20分であるにも関わらず、 多くの教育機関での講義は今でも標準で50分か、それ以上のものを中心として編成されています。運が良ければ学生が質問したり議論したりする時間が最後に数分ある、という状況なのです。

研究からは次の2つの点を結論づけることができます。

  • 講義が効果的であると考えられる唯一の目的であったとしても、情報伝達のために50分間の講義を行うのであれば、内容は十分に整理されている必要がある。併せて学生の質問やディスカッションの機会を頻繁に設けなくてはならない。(これらを行う方法については、Bligh が素晴らしい提案をしている。)

3.3.4 新しいテクノロジーによって講義の重要性は高まるか

長年にわたって教育機関は講義を助けるためのテクノロジーを追加することに莫大な投資をしてきました。 パワーポイント、複数のプロジェクタとスクリーン、学生の反応を記録するためのクリッカーや、ツイッター上で 「物言いをつける」ためのチャンネルを作り、学生が講義について(実際のところ多くの場合は教員についての)コメントをリアルタイムでできるようにすることさえも試してきました。(これは講義する側にとって、あまり気持ちの良くない形であり、苦痛の種になるのは間違いないのですが。)学生は授業にタブレットやノートパソコンを持ってくるように指示され、特に大学では最新の設備を備えた講義教室に莫大なお金が投資されています。しかしこのようなことは全て、表面的な取り繕いに過ぎません。講義の本質が情報伝達であることに変わりはないのです。そして現在においては、伝達される情報の全てが難なく入手でき、他のメディアや、もっと学習者に利用しやすい形で無料で利用できるのです。

私がある大学で仕事をした時、全ての学生がノートパソコンを持参しなければいけない授業がありました。そして少なくとも授業中に、講義と関連する活動で学生がノートパソコンを利用する時間がありました。しかし大多数の授業では、この活動に授業時間の25%以下の時間しか使われていませんでした。残りの時間のほとんどは学生が教員からの話を聞くだけになってしまい、ノートパソコンは勉強とは関係ない、特にオンライン・ゲームのポーカーで遊ぶといったような他の目的で使われる結果となったのです。

教員はしばしば学生たちが「授業とは無関係なことを同時に行なっている」という理由で、携帯電話やタブレットのようなテクノロジーの利用に対して不満を述べているのですが、これは論点がずれています。もし携帯電話やノートパソコンを持っている学生がほとんどだとしても、それでも講義教室に実際にやって来るのはなぜなのでしょうか。ポッドキャストや動画の形でその講義は提供できないのでしょうか。また、学生が講義を聞きに来るとして、なぜ教員は資料を見つけるというような目的で、携帯電話、タブレット、ノートパソコンを学生に使わせるようにしないのでしょうか。学生を小さなグループに分けて、オンラインで調べてグループとしての答えを出させ、クラスで共有するといった活動を行わないのはなぜなのでしょうか。講義を行うことになっているのなら、講義自体を興味深いものに変えることを目指すべきです。そうすれば学生は授業と無関係なオンラインの活動で注意をそらすこともありません。

3.3.5 デジタル時代に講義の役割はないのか

それでも講義という形態にはまだ使い道があります。一例として、私は新任の研究教授の就任記念の講演に出席しました。この講演は教授が行なった共同研究に関するものであり、数種類の癌や他の病気の治療法につながったものを総括するという内容でした。これは一般向けの講演でしたから、当該分野の一流の研究者だけでなく科学についての背景知識がない一般の人々も満足させる必要がありました。教授は非常に良くできた視覚資料と例え話を交えながら講演を行いました。講演の後に懇親会があり、ちょっとしたワインとチーズが来聴者に用意されていました。

この講演がうまくいったのにはいくつかの理由がありました。

  • 家族、同僚、友人が集まる祝賀行事であったこと。
  • およそ20年にわたる研究を1つの首尾一貫した物語にまとめる機会であったこと。

McKeachie and Svinicki (2006, p.58) は講義は次のような目的に最も適していると考えています。

重要なのは最後の点です。よく主張されるのは、講義の本当の価値とは、教授が専門家として、あるトピックや問題にどのようにアプローチしているかの1つのモデルを学生に示すことであるということです。したがって講義で重要なことは学生が読書するだけでも得られる内容(事実、原理、考え)の伝達ではなく、講義で扱うトピックについての専門家としての考え方だというのです。ただし、このような議論を支持する主張には以下の3つの問題点があります。

ひょっとするとデジタル時代においては、上述の McKeachie and Svinicki の提案にあるような活動は、講義をする教員の側ではなく、学生の側で行う方がはるかに重要なのかもしれません。

もちろん講義が非常にうまく機能する場合もあるでしょう。しかしデジタル時代においては、通常、授業の標準モデルは講義であると考えることはできないのではないでしょうか。より良い学習につながる、もっと効果的な多様な方法を教育課程の中で見つけることができるはずです。

3.3.6 なぜ講義は教育における主要な配信方法であり続けているのか

ここまでの話を考慮すると、21世紀に入っても講義という形態がしぶとく残っていることについて、何らかの説明が必要ということになるでしょう。そのうちのいくつかを列挙してみましょう。

3.3.7 デジタル時代において講義には未来はあるか

この問いの答えはどれくらい先の未来を見越しているかによるでしょう。システムはなかなか変わらないということを考慮すると、講義はあと10年はまだ優位であるだろうと思われます。その後は、ほとんどの教育機関で1週あたり3回の講義を13週にわたって行うという授業は姿を消すのではないでしょうか。その理由はいくつかあります。

このことで講義が完全に失われてしまうというわけではありません。講義は特別な目的で行われるものとなり、おそらくマルチメディアを使って同期的あるいは非同期的に行われるようになるでしょう。 特別な目的とは次のようなものです。

講義は教員が自分のことを学生に知ってもらったり、自身の興味や熱意を伝えたり、学生を動機づけたりする機会を与えてくれます。このようなことは学生にとって、多様な学習経験を構成する、比較的小さな要素の1つにすぎないのですが、それでも重要な要素なのです。

講義の役割と未来について、詳細な情報を踏まえた別の見方については Christine Gross-Loh, 2016 を参照してください。

アクティビティー3.3 講義の未来

  1. 講義は役割を既に終えていると思いますか。あるいはすぐにそうなると思いますか。
  2. 第1章で述べたデジタル時代に求められるスキルを見てください。このうち教員が講義することによって伸ばすことができそうなものはどれでしょうか。そのために講義の形態は再設計あるいは変更する必要はありますか。もしそうだとすれば、どのようにすれば良いですか。

参考文献

Bates, A. (1985) Broadcasting in Education: An Evaluation London: Constables

Bligh, D. (2000) What’s the Use of Lectures? San Francisco: Jossey-Bass

Boswell, J. (1791), The Life of Samuel Johnson, New York: Penguin Classics (edited by Hibbert, C., 1986)

Gross-Loh, C. (2016) Should colleges really eliminate the college lecture? The Atlantic, 14 July

McKeachie, W. and Svinicki, M. (2006) McKeachie’s Teaching Tips: Strategies, Research and Theory for College and University Teachers Boston/New York: Houghton Mifflin

3.4 相互交流型の講義、ゼミ、チュートリアル: 話すことによって学ぶ

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3.4.1 対話とディスカッションの理論的・学術的根拠

教員であれば直感的に認識していることですが、研究者は有意味学習と暗記学習を明確に区別しています。 (Asubel, 1978) 有意味学習においては、学習者は暗記することや事実、思想、原理の表面的理解にとどまらず、それらの事実、思想、原理が学習者自身にとってどのような意味を持つかを、より深く理解することなります。Marton and Saljö は、大学生が実際にどのように学習を行うかを検証する研究を行い、学習への深いアプローチと表面的なアプローチを区別しています。 (Marton and Saljö, 1997 などを参照) 深いアプローチを選ぶ学生は、もともと学習内容に内発的な興味を持っている傾向にあるとされます。このような学生は、あるトピックについて、もっと知りたいから学ぶという動機を持っています。一方、表面的なアプローチを選ぶ学生は、どちらかと言えば道具的な動機を持っていると言えます。学習への興味は主に合格点を取る、あるいは資格を取るといった必要性があるかどうかによって駆り立てられるものだからです。

Marton and Saljö に続く研究(例えば Entwistle and Peterson, 2004)では、学生がもつ最初の学習への動機付けだけでなく、その他の様々な要因も、学生が学習にどうアプローチするかに影響することを示しています。とりわけ、一般的に以下のような場合に、学生が学習に対して「表面的な」 アプローチをとると言えます。

他方、学習への「深い」アプローチがみられるのは、次のようなことに重点が置かれる場合です。

Laurillard (2001) と Harasim (2010) が強調しているのは、学生は常に具体的なものと抽象的なものの間を行き来しながら、論理、証拠、議論といった学問的な基準に基づいて、学問的知識を作り上げていく必要があるということです。その代わりに必要となるのが強力な教員の存在であり、対立する考え方を示す中で議論を行なっていきます。そして教員は当該学問分野のルールや基準の範囲内で、それぞれの主張や融和を促し、議論に発展性を与えながら展開させることになるのです。Laurillard はこのような学習のことを「修辞的効果を身につける練習」と呼び、世界について様々な観点から学習者たちに考えさせるようにしました。この実現のためには対話やディスカッションが不可欠となるのです。

構成主義者たちは知識について、主に社会的なプロセスを通して習得されると考えています。また、そのプロセスの中で、学生たちは表面的な学習を超えて、深いレベルでの理解に至る必要があるとしています。一方、結合主義者たちも学習へのアプローチでは学習者同士をつなぐことを非常に強調しており、全ての学習者がお互いにやり取りしたり議論したりしながら学んでいると考えています。そこでは学習者自身の関心事と、その関心事が他の参加者の関心事とどの程度結びついているかの両方によって学習が進められていきます。グループ全体で考えるならば、各自の関心事はさまざまかもしれませんが、参加する人数が非常に多ければ、全ての学習者が議論する関心事は1つにまとまっていく可能性が高くなります。

ここまでで言及してきた理論と調査を組み合わせて考えると、デジタル時代に求められる学習の形は、学生同士や教員-学生間で頻繁に対話を行うことだと言えるでしょう。対話はあらかじめ議論の項目を決めて行われることが普通ですが、次のセクション以降では伝統的に教育者がこのような形式での学習を、これまでどのように進めてきたかについて検討します。

3.4.2 ゼミとチュートリアル

定義:

ゼミとは集団で集まることである。(実際に顔を合わせる、またはオンライン上で。)例えば話題の選定や各学生への課題についてなど、集団としての学習体験をどのようにデザインするかは教員の責任であるが、少なくとも集団に属する学生は教員と同等に活発に学習に参加する。

チュートリアルとは学生と教員の1対1あるいは非常に小さい集団(3〜4名)の学生と教員との間で行われる授業である。学生が考えを示したり議論したりすることについては、少なくとも教員と同様に活発に参加することになる。

ゼミは6名程度から30名程度までの人数になることもあります。 一般的な認識としては、ゼミは学生数が比較的少ない場合に、最もうまくいくとされています。したがって、ゼミは大学院レベルか学部の最終学年でよく見られる学習形態と言えます。

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Socrates and his student: Johann Friedrich Greuter, 1590: (San Francisco, Achenbach Foundation for Graphic Arts 
図3.4.2 ソクラテスと学生: Johann Friedrich Greuter, 1590: (San Francisco, Achenbach Foundation for Graphic Arts)
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ゼミにもチュートリアルにも非常に長い歴史があり、少なくともソクラテスやアリストテレスの時代に遡ることができます。ソクラテスもアリストテレスも古代アテネの貴族に仕える専属教師でした。アリストテレスは若いころのアレキサンダー大王の専属教師であり、ソクラテスは哲学者プラトーの専属教師でした。しかしソクラテスは自らが専属教師であることを否定しており、当時の古代ギリシャで一般的であった「教師は学生というカップに中身を注ぐ水差しである」という考え方に反対していました。むしろプラトンによれば、ソクラテスは対話と質問を使って「何が本当で、真実で、良いものかを自分自身で見つけられるように手助けをした」(Stanford Encyclopedia of Philosophy) というのです。このことから、ゼミやチュートリアルは極めて構成主義的な教授・学習のアプローチであると言えるかもしれません。

ゼミやチュートリアルは様々な形態をとり得ます。似たようなことは中等教育の学校でも行われますが、特に大学院レベルでよくある形態では、教員が予習課題を一部の学生に割り当てておき、その課題について当てられた学生はゼミで他の学生に発表し、議論をしたり、批評をしてもらったり、改善するための提案を受けたりするというものです。各回のゼミでは2〜3人の学生しか発表の時間が取れないかもしれませんが、学期全体では全ての学生に順番が回ることになります。別の形態としては、事前にゼミに参加する全員に対して、先端的な文献課題や研究をしてくるよう指示しておき、ゼミの時間には、事前学習の成果を生かした包括的な議論を行うために教員が論点を紹介するという方法もあります。

チュートリアルはゼミの特殊な教育形態の一つで、アイビーリーグの大学や、特にオックスフォード大学やケンブリッジ大学の教育の特徴であると見なされています。チュートリアルは教授と2人の学生だけで行われることさえあります。一人の学生は気づいたことを発表し、教授はその学生が想定していることについて厳しい質問を投げかけながら、もう一人の学生をも議論に引き込んでいくという、ソクラテス的な方法にきっちりと基づいて行われることが多いです。

このような対話に基づく学習形態であるゼミもチュートリアルも、教室という文脈の中だけではなく、オンラインでも行われます。オンラインでのディスカッションについてはセクション4.4で詳しく議論することにしますが、ディスカッションをオンラインで行う場合と対面で行う場合とを比較すると、一般的には相違点よりも類似点の方が多いと言えます。

3.4.3 ゼミは大規模な教育システムの中で実用的な方法なのか

多くの教員にとって理想の教育環境とは、ソクラテスが菩提樹の下で、3〜4人の熱心で、やる気のある学生に囲まれているイメージでしょう。残念ながらこのような環境は、一部のエリート集団を相手とする教育機関や、高い学費の教育機関以外では実現不可能です。高等教育は大人数を対象におこわなれるという現実があるからです。

しかし学生数が25〜30人のゼミは非現実的というわけではありません。それは公立大学の学部教育であっても同様です。さらに重要なことですが、学生たちがデジタル時代に最も必要になるであろうスキルの習得の促進につながる教育は、このようなゼミの形態でも可能になるのです。ゼミは学生のニーズに合わせて、教室でもオンラインでも行うことができますので、柔軟性が高いものと言えるでしょう。ゼミは各々の学生が予習をして臨む場合に最も効果があることは間違いありません。しかし最も重要なことは、教員がこのような形態で教えることができる能力を持っていることであり、伝達型の講義を行う場合とは別の能力が必要です。

高等教育を受ける学生の数が増加したことは問題ですが、それが全てではありません。例えば、教えるコマ数が少なく、主に大学院生を教えている上級(シニア)の教授などは、学部レベルの大人数クラスでも伝達型の講義を行なってしまうことになるでしょう。仮にシニアの教授や経験豊富な教員が一人でも多く伝達型の講義を辞めて、学習すべき内容を学生に発見させながら分析させるような授業に変えていくことができれば、より多くの時間をゼミ型の授業に充てられるのではないでしょうか。

こういったことはコストに関わる問題ではあるのですが、組織的な問題、つまり何を選ぶか、そして優先すべきことは何なのかという問題でもあるのです。学生にデジタル時代に必要なスキルを身につけさせたいのであれば、大人数の伝達型の講義ではなく、ゼミ型の教授・学習アプローチを、これまで以上に取り入れていくことで、より良い結果が生まれるでしょう。

アクティビティー 3.4 概念的学習の質を高める

  1. グループ・ディスカッションの場面では、教員は学習者に対して、どのような介入をすることが深い概念的学習に向けた手助けにつながると思いますか。
  2. グループ・ワークや概念的学習の質を高めるために、どのようにすれば200人以上の講義形式の授業を作り直すことができるでしょうか。

3.5 徒弟制:実践によって学ぶ(1)

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Figure 2.6 BMW Group UK Apprentice Recruitment, 2013 Image: © Motoring Insight, 2013
図3.5.1 英国BMWの徒弟制プログラムの様子, 2013年
写真: © Motoring Insight, 2013

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3.5.1 教授法としての徒弟制の重要性

実践によって学ぶという形態は Pratt が提唱する5つの教授アプローチの1つです。 (Pratt & Johnson, 1998)  Bloom らが精神運動スキル (psycho-motor skills) を第3の学習領域としたのは1956年のことでした。実践を通しての学習は、特に運動スキル (motor skills) を教える際に一般的に用いられています。運動スキルの学習の例としては、自転車に乗るための学習や、あるスポーツができるようになるための学習などがあります。しかし高等教育の場においても、実践を通して学習する例はあります。教育実習、研修医、実験室での学習などがそれに当たります。

実際、このような実践的学習の大きな括りの中にはいくつかの異なるアプローチや用語があります。具体的には経験的学習、協同学習、冒険学習、徒弟制などですが、ここでは様々な実践的学習のアプローチを包括的に指す用語として「経験的学習」を使うことにします。

徒弟制とは、特に実践を通じて学生に学ばせることを可能にする方法の1つです。これは職業訓練と結び付けられることが多く、経験を積んだ職人や見習いを終えた職人が手本を示し、見習い工はそれにしたがって作業し、それに対するフィードバックを職人が与えるというものです。一方で、中等後教育に携わる教員に対して、教授法を(少なくとも暗示的に)訓練するためにも徒弟制が非常によく使われています。徒弟制による教育方法は様々な領域で応用が可能なのです。

徒弟制のような仕組みは、大学教育のうちでも、特に大学教員養成のための暗黙的かつ標準的なモデルとして広く使われていますが、まずは他の仕組みによる経験的学習とは区別して論じることにしたいと思います。

3.5.2 徒弟制の重要な特徴

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Figure 3.5.3.2 An apprentice being supervised Image: © BBC, 2014
図 3.5.3.2 監督指導の下で作業を行う徒弟工
Image: © BBC, 2014

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徒弟制は目に見えない現象ではないということを念頭においておくのが良いだろう。伝統的な徒弟学習であれ、認知的な徒弟学習であれ、この学習形態には重要な要素がいくつか含まれている。すなわち徒弟制とは学習に関する1つの捉え方であり、教員や学習者には具体的な役割と方略があり、明確な発達段階があることである。しかし大抵の場合、徒弟制の観点からは、人間は一歩引いたところから物事を学ぶことはできないということを知っておく必要がある。むしろ人間は、信頼に値する動態的で独特な、本物の実践が行われている渦の中に積極的に参加することで学んでいくのだ。

Pratt and Johnson, 1998

Schön (1983) は、徒弟制について「きちんと定義されておらず、問題が生じるということが頻繁に発生し、曖昧だったり、不明確だったり、無秩序だったりするという特徴を持つ」実践の状況でうまく機能すると指摘しています。徒弟制による学習では、実際に何かを行うことについて学ぶこと(アクティブ・ラーニング)だけでなく、どのような文脈で学習成果を応用できるかということへの理解も求められます。さらに、その分野で専門家たちが確立している実践、慣習、価値観を学び、理解し、埋め込むことに関係する社会的、文化的な要素があります。

Pratt and Johnson (1998) は「ある特定の領域の知識を完全に習得している、または特に優れた技能をもつ、あるいはその両方を兼ね備える人」定義される「マスター・プラクティショナー」となる人の特徴として、次のようなものを明らかにしています。

  1. 自身が専門とする分野で豊富な知識があり、その知識を実践上の難しい状況においても応用することができる。
  2. 非常に構造化されており、すぐに使えるスキーマ(認知的な地図)を持っているため、これにより新しい情報を習得しやすい。
  3. 十分に整備された方略のレパートリーを持っており、これにより新しい知識を獲得しやすく、自身のスキーマの統合や整理がしやすく、その知識や技能を様々な文脈に応用することができる。
  4. 実践共同体において、自身の独自性を形成する過程の一部が学習の動機になっている。単に見た目だけでの成果目標の達成や、報酬のために学んでいるのではない。
  5. 暗黙知を以下のような形で示すことが多い。
    • 即興的な行動や判断
    • このような行動や判断ができるようになったことを自覚していない
    • このような行動で明らかになることを説明できない、または困難に感じる

さらに Pratt and Johnson (1998) は、それぞれ異なるものですが、互いに関連がある2つの徒弟制の形態を区別しています。すなわち伝統的な徒弟制と認知的な徒弟制です。伝統的な徒弟制による学習体験は、運動スキルや手工業スキルの養成に基づいていますが、これは教える側と学ぶ側が段階的に手順を学びながら徐々に習得していくことを伴います。

3.5.3 大学における徒弟制

認知的な徒弟制、つまり知的な面での徒弟制のモデルは、伝統的な徒弟制学習とは異なるところがあります。というのも、この学習形態は運動スキルや身体スキルの学習の場合と比べて可視化しにくいからです。Pratt and Johnson (1998) によると、このような状況では教員や学習者が知識や技能を応用するとき、双方が何を考えているのか言葉で述べなくてはなりません。そして知識が作られていく状況を明らかにしなければなりません。知識がどのように構成され、応用されるかは、それがどのような状況で発生しているかが極めて重要です。

Pratt and Johnson (1998) では認知的・知的モデルについて5つの段階を提案しています。 (p. 99)

  1. 教員はモデルを示し、学習者はその心的モデルやスキーマを構築する。
  2. 学習者は教員から支援やフィードバック(足場かけ、コーチング)を受けながら、そのモデルをできるだけ正確に再現する。
  3. 学習者は教員からの支援を少しずつ減らしながら、そのモデルの適用範囲を広げていく。
  4. 学習者はその専門的職業として許容される範囲の中で、自ら判断しながら学習を進める。
  5. 一般化:どのようにすればそのモデルがうまく機能するか、起こりうる他の状況ではどのような修正が必要であるかについて、学習者と教員が議論する。

Pratt and Johnson (1998) では、このような徒弟制のモデルが経験の浅い大学教員にとって、どのように機能するか、具体例を挙げています。 (pp.100-101) また、認知的な徒弟制では討論する場、すなわち以下のような機会が必要であると主張しています。

意思疎通が十分に図れるディスカッションや、単一の視点からではなく、実際の場面から生じた現実の場面に本格的に学習者が入り込む機会があること。このように主体的に関与し、階層的に経験を積み重ねていくことからのみ、初心者は熟練していくのである。

大学における徒弟制モデルの大きな課題は、たいていはそれが体系的には行われていないということです。若手の大学教員、新たに大学教員の職に就いた人が、自身が教わった教授たちを観察するだけで自ずと教え方を身に付けるだろうと考えることは、運を天に任せるようなものなのです。

3.5.4 オンライン学習環境における徒弟制学習

教育の徒弟制モデルは、対面授業でもオンライン授業でも機能するものですが、オンラインの環境があるのであれば、通常は対面との混合型で行うことが最適でしょう。

徒弟制による教育プログラムにおいて、教材をオンライン上に移すようになっている教育機関がありますが、その理由の1つは認知的学習の要素が多くの職業で急速に必要なものとなっているからということです。仕事をするために、数学、電気工学、電子工学に関する高い学術的知識がますます必要になってきているのです。このような徒弟制学習の「アカデミック」な部分は、たいていはオンラインでも対面の場合と同様にうまく扱うことができ、そしてオンラインになることで、見習い期間中の労働者は勤務時間外でも勉強することができます。結果、雇用主にとっても、時間の節約にもなるわけです。

一例として、カナダのバンクーバー・コミュニティ・カレッジには、1セメスター13週で提供している車のボディの修理についての実習コースがあります。そのプログラムは既に就業しているけれどもまだ資格は取れていないという州内の労働者に対して、10週分の授業をオンラインで行います。バンクーバー・コミュニティ・カレッジでは、理論的な部分の学習と、車のボディの修理の手順や実践方法については、多数の映像の視聴によるオンライン学習にしています。受講生は全て、既に熟練職人の監督下で働いているので、映像で見た手順の一部をその監督下で実践することができるというわけです。実習コースの最後の3週では、学習者が実際に大学に出向いて、特定の技能について手ほどきを受けます。試験が行われ、その技能を修得している者については、そのまま仕事に戻ってもらうことになります。こうすることで、その技能を身につける必要性が最も高い受講生の指導に集中できるのです。

このような半遠隔プログラムにおいては、企業と大学の間での協力関係が不可欠であり、これによって大学は、職場の「親方」となる職人との協働ができるようになります。特に職業訓練が著しく不足しているような場合に有効であり、技量不足の労働者を熟達した職人のレベルに引き上げることができます。

3.5.5 長所と短所

徒弟制の教育モデルの主な長所は次のように要約することができます。

他方、徒弟制のアプローチをとるにあたっては以下のような難しい制約がいくつかあります。それは大学教員を育成する場合に特に当てはまります。

それでもやはり徒弟制モデルが徹底的かつ体系的に使われるのであれば、非常に入り組んだ現実世界の状況の中でも、非常に有効な教育のためのモデルとなるでしょう。

アクティビティー3.5 大学教育に徒弟制学習を応用する

  1. 大学教員になるための訓練は徒弟制モデルに大きく依存していると思いますか。どのような点で徒弟制による学習と似ており、どのような点で異なっていますか。どのような点で改善できますか。
  2. 徒弟制の要素のうち、教室の場合と同様にオンラインでもうまく扱うことができるものがあるという見解に賛成しますか。それとも反対しますか。もしあるとすれば、それはどのようなものでしょうか。
  3. 見習いの学生を教えるとして、このセクションでは徒弟制の教育モデルを十分に記述していると思いますか。もしそうでないとすれば、何が欠けていると思いますか。

参考文献

Pratt, D. and Johnson, J. (1998) ‘The Apprenticeship Perspective: Modelling Ways of Being’ in Pratt, D. (ed.) Five Perspectives on Teaching in Adult and Higher Education Malabar FL: Krieger Publishing Company

Schön, D. (1983) The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action New York: Basic Books

 

3.6 経験的学習:実践によって学ぶ (2)

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実際のところ、上記のタイトルは包括的であり、この中には、経験的学習、協働学習、冒険的学習、徒弟制といった、様々なアプローチや専門用語が含まれます。このように多岐にわたる実践的な学習へのアプローチを含む大きな傘のような概念として、ここでは「経験的学習」という言葉を用いることとします。

 3.6.1 経験的学習とは何か

この領域では、John Dewey (1938) 、そして最近では David Kolb (1984) といった、様々な多くの理論提唱者がいます。

サイモン・フレイザー大学では、経験的学習を次のように定義します。

実践を通して学ぶ機会に学生が戦略的、積極的に関与し、その活動を振り返ること。そうすることで、教室内外の多くの状況において、学生が理論的な知識を実際に使ってみる力をつけさせることができる。

現実世界の状況の中に学習を埋め込むことを目的とした様々な設計モデルには、以下のようなものがあります。

ここでは経験的学習を設計し提供していくための主な方法の中でも、特にテクノロジーの利用に関するものに重点を置いた議論を進めていきます。なぜならこれはデジタル時代に必要な知識をつけるために必要だからです。(より詳細な分析については、Moon, 2004 を参照。)

3.6.2 中核となる授業設計の原則

経験的学習が重点を置いているのは、実際的な専門技術を得るばかりでなく、概念的な洞察を得るために学習者が何かを実践した経験を自ら振り返るという点です。Kolbの経験学習モデルは、次の4つの段階があることを提案しています。

経験的学習はカナダ・オンタリオ州のウォータールー大学における主要な教授形態です。大学のWebサイトには、Association for Experiential Education による経験的学習が効果的に働く条件が列挙されています。ウォータールー大学では20,000人以上もの学生が経験的学習プログラムで学んでいます。

トロントにあるライアソン大学も経験的学習が広く使われている教育機関です。この詳細を説明したWebサイトもあり、教員向けとしても使われています。次のセクションでは、上記の4つの原則が適用される様々な方法を検討することにします。

 3.6.3 経験的設計モデル

経験的学習には様々な設計モデルがありますが、共通する特徴もたくさんあります。

 3.6.3.1 実験室、作業室、アトリエでの作業

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Figure 3.5.3 Concordia University wood shop
図3.6.3.1 コンコルディア大学(モントリオール)木材加工実習室

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今日では実験室での授業は、科学や工学の教育には欠かせないことが当然であると考えられています。また、作業室やアトリエは、職業訓練の多くの形態や、創造的芸術の発達のためには非常に重要であると考えられています。実験室、作業室、アトリエでの学習には、以下のような重要な役割や到達目標があります。

実験室での授業が持つ教育的に重要な価値としては、学習者が具体的なもの(現象の観察)から抽象的なもの(現象の観察から得られる原理や理論の理解)へと進んでいくという点があります。また、実験室での学習によって、学習者は科学や工学が持つ、きわめて重要な教理上の解釈に触れることになります。つまりいかなる考えであっても、それを「真実」と見なすためには、厳密に定められた方法にしたがって検証しなければならないとする考え方です。

昔からある教育用の実験室や作業室での教育に対しては、科学者、技術者、職人が今日必要としている設備がなく、経験できることが限られているという大きな批判があります。科学装置、工学機器、工作機械がだんだんと複雑で高価なものになるにつれて、特に中等教育の学校以下では、こうした装置などに学習者が直接触れることは、ますます難しくなっています。そして現在では、大学でさえもそうなっているのです。さらに言えば、昔からあるような教育用の実験室や作業室には大きな投資が必要であり、規模を変更することは簡単にはできません。これは教育の機会を素早く拡大するのには非常に不利です。

実験によって科学を教えることは既に確立されていますが、歴史的に見れば、比較的最近になって発展したものであることは念頭に置いておくべきでしょう。1860年代には、オックスフォード大学もケンブリッジ大学も実証的に科学を教えようとはしていませんでした。そこでトーマス・ハクスリーは、王立鉱山学校(かつてはロンドン大学の系列の専門学校の1つ、のちにインペリアル・カレッジ・ロンドンとして独立)で、学校の教員を対象とする科学教授法の専門課程を開発しました。その教育内容には実験科学を学生に教えるための実験室の設計方法も含まれていました。この教授法は学校や大学で今でも最も広く用いられています。

しかし同時に、19世紀以来の科学や工学の進歩により、科学的な検査や妥当性の検証のための別の形態が開発されました。少なくとも学校や大学ではほとんど見かけることがない実験室、例えば、原子核加速器、ナノテクノロジー、量子力学、宇宙探査などのための実験室です。このような場面では、現象を観察したり記録したりするには遠隔操作やデジタル技術を使うよりほかありません。また、実験室、作業室、アトリエで行う作業の目的を明確にしておくことが重要です。遠隔ラボやシミュレーション、経験的学習のような新しい技術を使った方が、実用的、効率的、効果的な方法で同じことができるかもしれないからです。しかしこのような新しい技術の詳細については後ほど検討することにしましょう。

3.6.3.2 問題解決型学習

問題解決型学習(problem-based learning、以下PBL)として体系化された最も初期の形態は、1969年にカナダのマクマスター大学医学部のハワード・バローズらが開発したもので、次第に他の多くの大学や小中高の学校へと広がっていきました。この手法がますます多く使われるようになっている領域では知識基盤が急速に拡大しており、学習者は限られた期間の学習では全ての知識を身に付けることができません。学習者はグループで作業しながら、既に知っていること、知る必要があること、どこでどのようにして問題の解決につながる新しい情報を得ることができそうなのかを把握していきます。この学習の過程を促したり導いたりするためには、従来型の PBL ではチューターと呼ばれていた教員の役割が極めて重要になります。

扱う領域によって、詳細な手順はある程度は異なっていることも多いのですが、PBL は非常に系統だった手法に従いながら問題の解決を行うことが一般的です。以下は、典型的な例の1つです。

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Figure 3.5.3.3 (derived from Gijeselaers, 1995)
図3.6.3.2  Gijeselaers (1995)より作成

マーストリヒト方式によるPBLチュートリアルのための7つのステップ

  1. 概念を明確にする
  2. 何が問題なのかを定義する
  3. 問題について分析や議論を行う
  4. 想定できる説明方法や解決方法を特定する
  5. 課題や学習目標を設定する
  6. 解決方法について調査する
  7. 結論、解決方法、内省を統合する

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これまで、最初の5つのステップでは、20人から25人という小規模な対面授業による指導形式がよく採用され、6つ目のステップでは個人や4〜5人の学習者によるグループでの授業外での学習が必要とされ、7つ目のステップでは教員も交えて、全員で集まって達成されてきました。しかしこのような手法はブレンド型の学習にも適しています。というのは6つ目のステップ、すなわち「解決方法について調査する」ことについて、主にオンラインで行うのです。教員によっては、同期型のWeb会議と、非同期型のオンラインディスカッションを使い、全ての学習過程をオンラインで運営する人もいます。

問題解決型学習のカリキュラムを完成させるためには大変な労力が必要です。まずはテーマとする問題を注意深く選定し、勉強が進むうちに少しずつ複雑さや難しさが増えていくようにしなくてはならないからです。さらにカリキュラムに必要な要素の全てを含むような形で、問題を選定しなくてはなりません。多くの場合、問題解決型学習は学習者も難しいと感じます。いくつかの問題を解決するために必要な基本的な知識基盤が整っていない初期の段階では特に顕著です。この状況を表すため「認知的過負荷」という用語がよく使われてきました。したがって同じトピックを扱う場合であっても、講義の方がより迅速で内容が凝縮された形で扱うことができるという主張もあります。

評価についても注意深い検討が必要です。とりわけ、最終試験が成績評価の大きな割合を占めている場合には、内容を漏れなく取り扱えているかだけではなく、問題解決ができるスキルも評価しなければなりません。

しかし Strobel and van Barneveld, 2009 のような研究では、問題解決学習が学習者の学習意欲を高めるばかりでなく、学習内容を長期的に記憶しておくことや「再現可能」なスキルを発達させることにも長けていることが分かっています。現在では「純粋」な PBL の手法には多くのバリエーションがあります。例えば題材とする内容について、まずは講義や事前の講読課題など、どちらかと言えば伝統的な方法で扱った後に、解決すべき問題を設定していくといった形式です。

3.6.3.3 事例に基づく学習

事例に基づく教授法では、学習者は複雑な現実世界のシナリオについて読んだり議論したりすることで、分析的に思考し、それを基にした判断を下すスキルを発達させることができる。

University of Michigan Centre for Research on Teaching and Learning

事例に基づく学習は時として PBL の変形版とみなされますが、それ自体が一つの設計モデルであると考える場合もあります。事例に基づく学習では PBL と同様、あらかじめ用意された探究課題に沿った学習が用いられます。しかし通常、学習者には事例を分析する際に援用できる知識をある程度、事前に持っていることが必要とされています。また、事例に基づく学習という手法は、PBL よりも柔軟であることが一般的です。事例に基づく学習は、経営教育、法学教育、医療臨床業務において特によく見られますが、その他の分野においても使うことができます。

Herreid(2004) は事例に基づく学習について、11の基本的なルールを示しています。

  1. ある物語が述べられていること
  2. 興味関心を引く問題に重点を置いていること
  3. 過去5年間の事例が設定されていること
  4. 物語の主人公への共感が作り出されていること
  5. 主人公の実際の発言がそのまま含まれていること
  6. 学習者に関連があること
  7. 教育的に有益な内容であること
  8. 意見の不一致を引き起こす内容であること
  9. 何らかの結論を出す必要があること
  10. 普遍的であること
  11. 簡潔であること

また、医療における臨床業務の例を用いて、Irby (1994) は事例に基づく学習の5つのステップを推奨しています。

事例に基づく学習は「正しいか、誤っているか」というような明確な解決策がない、複雑で分野をまたぐトピックや問題を扱う場合や、学習者が相反する説明のどちらかを評価して決定しなければならない場合に、特に役に立ちます。さらに事例に基づく学習は、ブレンド型での学習環境でも、完全なオンライン学習環境でも、いずれもうまく機能するでしょう。Marcus, Taylor and Ellis (2004) では獣医学の分野で、事例に基づく学習のプロジェクトをブレンド型で行うにあたり、次のような設計モデルが用いられました。

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Figure 6. Blended learning sequence involving online learning resources , Marcus, Taylor and Ellis, 2004

図3.6.3.3 オンライン学習教材を含むブレンド型学習の一連の流れ

(図中、左から順に「2〜4時間の講義」「2時間の実技」「少人数グループによる2時間のオンライン事例研究」「2時間の事例まとめ」)

(Marcus, Taylor and Ellis, 2004)

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もちろん、扱うテーマが必要としているものに応じて、その他の構成にすることも可能です。

3.6.3.4 研究課題に基づく学習

研究課題に基づく学習は、事例に基づく学習によく似ていますが、それよりも長期間であり、広範囲に及ぶ傾向があります。また、サブトピックを選んだり、作業を準備・計画したり、研究課題を実行する方法を決めたりするという点で、より学習者の自主性や責任が伴うものになります。一般的に研究課題は現実世界の問題に基づいて作られるものです。そのため学習者は責任感や当事者意識を持って学習活動を行うことができるのです。

同様に、研究課題に基づく学習をうまく行うための適切な実践方法や運用基準がいくつかあります。例えば、Lamer and Megendoller (2010) では、良い研究課題について、以下の2つの基準を満たしていると主張しています。

研究課題に基づく学習の主なリスクとしては、その研究課題の動きをコントロールできなくなり、学生だけでなく教員さえも必要不可欠な学習目標を見失ってしまうことや、重要な内容領域が抜け落ちてしまう恐れがあることです。したがって、研究課題に基づく学習には、教員の入念な計画と監督が求められます。

3.6.3.5 探究に基づく学習

探究に基づく学習 (inquiry-based learning) は、研究課題に基づく学習と共通しているところもありますが、教員の役割が少し異なっています。研究課題に基づく学習では、教員があらかじめ「研究推進のための質問」を用意しておき、学習過程の中で学習者を導いていくという積極的な役割を果たします。一方、探究に基づく学習では、必要があれば教員に手助けや指導を求めることができますが、学習者自らがあるテーマについて調べて研究したいトピックを選び、研究計画を練り、結論まで向かうことになります。

Banchi and Bell (2008) は、以下に示すように、探究には異なるレベルがあり、学習者は最初のレベルから始め、その他のレベルを経て「真の」あるいは「開かれた」探究のレベルへと到達する必要があると述べています。

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Figure 3.5.3.5 Inquiry-based learning, adapted from Banchi and Bell (2008)
図3.6.3.5 事例に基づく学習の各レベル (Banchi and Bell, 2008 より)

タイトル:探究に基づく学習のレベル

左端:教員の関与の高低

  1. 確認のための探究 → 先行知識を強化する
  2. 構成された探究 → 学習者は決まった手順に従う
  3. 導かれた探究 → 調査したい疑問点のみが与えられる
  4. 開かれた・真の探究 → 全てを学習者が行う

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上図から分かるように、最後のレベルは大学における卒業論文の作成過程の特徴を表していると言えます。しかし探究に基づく学習では、この段階の探究は全ての校種において意義があると主張されています。

3.6.4 オンライン学習環境における経験的学習

経験的学習の支持者はオンライン学習に対して、強く批判的であることが多いです。オンラインでは学習を現実世界の事例に埋め込むことができないというのです。しかしこれはオンライン学習の捉え方を単純化しすぎています。経験的学習の支援や促進のためのオンライン学習を効果的に利用できる状況は十分に考えられます。例えば以下のような状況です。

実際、現実世界での経験的学習が実行不可能である、危険すぎる、費用がかかりすぎるというような状況もあります。オンライン学習であれば、実際の状況をシミュレーションしたり、ある技能を習得する時間を短縮したりするのに役立てることができます。フライト・シミュレーターは長きにわたって民間航空会社のパイロットの訓練に使われており、訓練中のパイロットが基本的な事柄を習得するために実機に乗らなければならない時間を減らすことを可能にしています。旅客機のフライト・シミュレーターを構築して運用するには、現在でも非常にコストがかかります。しかし、最近では本物に近いシミュレーションを作るコストが以前よりも劇的に下がっています。

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Figure 3.5.3.5 Virtual world border crossing, Loyalist College, Ontario
図3.6.4 仮想現実世界での国境検問所通過 ロイヤリスト・カレッジ(オンタリオ)

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ロイヤリスト・カレッジの教員たちは、カナダ国境サービス庁職員の研修を行うため、オンライン・ゲームである「セカンド・ライフ」の中に、本物と全く同じように機能する「バーチャルな」国境検問所と自動車を作りました。学生のそれぞれが検問所の職員役として自分のアバターで、カナダへの入国を希望する旅行者役のアバターに質問をします。全てのやり取りはセカンド・ライフ上での音声通信を利用します。旅行者役は学生の中から選ばれ、別の部屋で演じることになります。1人の学習者は3人〜4人の旅行者に国境通過検問を行います。そしてクラス全体でそのやり取りを観察して、やり取りが行われている状況や応答の仕方について議論をします。また、別に設けられた自動車検査のためのサイトでは、完全に分解できる仮想的な自動車を扱っています。これによって学生は密輸品が隠されうる全ての場所について学ぶことができるわけです。

そしてロイヤリスト・カレッジ内の自動車店に実際に出向いて、本物の車で検査を実践してみることで、このような学習が強化されることになります。税関や入国審査官の職に就く学生は最終成績評価のひとつとして、尋問の技術が評価されることになります。「セカンド・ライフ」上での国境検問所シミュレーションを利用した最初の年の学生は、それを使わなかった以前のクラスよりも28パーセント高い成績を収めました。2年目のクラスはさらに9パーセント高い成績を収めることとなりました。詳細についてはこちらから見ることができます。

ブリティシュ・コロンビア州立司法学校の危機管理教育部門のスタッフは、Praxisというシミュレーションを開発しました。現実世界のシミュレーションを訓練プログラムに導入することで、扱う緊急事態は現実味を帯びたものなります。Praxis には Web 経由で参加できることから、 体験的で双方向性のあるシナリオに基づいた訓練を、時と場所を選ばずに実施できるという柔軟性があります。典型的な緊急事態の中には、危険な化学薬品を貯蔵している倉庫での大きな火事があります。このようなシナリオでは例えば、消防、警察、救急隊員、役所の技術職員の「訓練生」となる初期対応者が、自分の携帯電話やタブレットで模擬通報を受けます。そして教わった手順に従いながら、また、その手順を自分の携帯端末で参照しながら、熟練したファシリテータが操作する素早い展開のシナリオにリアルタイムで対応することが求められます。全てのプロセスは記録され、後で対面での報告会が行われます。

繰り返しになりますが、ほとんどの場合、教育の設計モデルは、ある特定のメディアに依存しているわけではありません。このような知識の移転は様々な配信方法を用いて、容易に行うことができます。実践によって学ぶことは、デジタル時代に必要なスキルの多くを発達させるために重要な方法の1つなのです。

3.6.5 経験的学習モデルの長所と短所

経験的学習の様々な設計をどう評価するかは、どのような認識論的立場をとるかによっても変わります。構成主義者ならば経験的学習を強く評価するでしょう。客観主義の強力な信奉者であれば、経験的学習のアプローチに対して非常に懐疑的になることが多いでしょう。にもかかわらず、問題解決型学習は科学や医学を教える多くの教育機関で非常に一般的です。また、研究課題に基づく学習は多くの分野や校種をまたいで使われています。経験的学習が適切に用いられれば、学生の興味を引きつけることができ、より長期にわたって学習した内容を記憶しておくことにつながるという証拠が得られています。経験的学習の支持者は、より深い理解が促され、問題解決、批判的思考、より良いコミュニケーション・スキル、知識マネジメントのようなデジタル時代に必要なスキルを発達させることができると主張しています。とりわけ経験的学習によって、学習者は分野の範疇を超えた非常に複雑な状況や、知識の及ぶ範囲を制御しづらい内容領域に対処することができるようになるのです。

その一方で、Kirschner, Sweller and Clark (2006) のように、経験的学習における指導は、往々にして「無誘導な」ものであるという批判的な主張もあります。また、PBL の効果についての「メタ分析」の結果がいくつか示されています。それらによれば PBL を行なっても問題を解決する能力に変化はなく、基本的な科学の試験の得点も低く、勉強時間は PBL で学んだ学生の方が長く、PBL の方が失うものが大きいというのです。Kirschner, Sweller and Clark (2006) は次のように結論づけています。

統制された研究からの全ての証拠を見る限り、初級〜中級の学習者を教える時、構成主義に基づいて指導を最小限にするよりも直接的にしっかりと指導する方が良いことを示している点でほとんど一致している。かなりの背景知識を持っている学習者に教える場合であっても、学習に際してきちんと指導することが、明示的な指導を行わない手法と同様の効果であるという場合がほとんどである。

経験的学習の手法でカリキュラム内容をもれなく扱うようにするためには、教え方の再構成と詳細な計画立案を十分に行う必要があります。つまりそれは多くの場合、教員研修を大規模にやり直し、注意深く説明を行ない、学習者に対する準備をしてもらうようにしなくてはならなくなるということです。学習者に現実世界に即したタスクを与えるだけで、指導も支援もすることがなければ効果は見込めないとするKirschner et al. (2006) はその通りだと言えるでしょう。

とは言え、経験的学習の多くの形態において、教員からの強い指導は行われ得るものであり、実際にも行われています。また、経験的学習とそうでない学習を行った学習者を比較する場合、効果測定のために行う知識を測るテストでは、経験的学習のみで育成されるスキルを測る問題を含めるよう注意しなくてはなりません。記憶と理解に大きく偏りがちな伝統的な方法と同じような測定方法に基づくものになっていてはいけないのです。

ここまでの議論を考慮すると、デジタル時代に必要な知識とスキルを伸ばすために経験的学習を利用することには賛成です。しかし当然のことながら、その設計モデルと結びつけた最適な実践方法に従いながらうまく行われなくてはならない、ということを主張しておきたいと思います。

アクティビティー3.6 経験的学習の設計モデルを評価する

  1. 経験的学習を実践したことがありますか。その時、何がうまくいって、何がうまくいきませんでしたか。
  2. 問題解決型学習、事例に基づく学習、研究課題に基づく学習、探究に基づく学習には大きな違いがあるでしょうか。あるいは同じ設計モデルに基づきながらも少しずつ異なっているという程度にすぎないのでしょうか。
  3. 上の2.に挙げた学習形態モデルのうちでは、どれか1つだけが良いと考えますか。もしそうであれば、なぜですか。
  4. 経験的学習は、教室や実地で行うのと全く同様に、オンライン上でもうまく行うことができるという点に賛成ですか。もしそうでないなら、オンラインでは再現できない経験的学習で、対面で行うことにこそ「独自性」があるというものは何がありますか。例を挙げてください。
  5. Kirschner, Sweller and Clark (2006) は問題解決学習を強く批判しています。当該論文を全て読み、その結論に理解を示せるかどうか考えてください。もし賛成できないようであれば、その理由も考えてください。

参考文献

Banchi, H., and Bell, R. (2008). The Many Levels of Inquiry Science and Children, Vol. 46, No. 2

Dewey, J. (1938). Experience & Education. New York, NY: Kappa Delta Pi

Gijselaers, W., (1995) ‘Perspectives on problem-based learning’ in Gijselaers, W, Tempelaar, D, Keizer, P, Blommaert, J, Bernard, E & Kapser, H (eds) Educational Innovation in Economics and Business Administration: The Case of Problem-Based Learning. Dordrecht, Kluwer.

Herreid, C. F. (2007). Start with a story: The case study method of teaching college science. Arlington VA: NSTA Press.

Irby, D. (1994) Three exemplary models of case-based teaching Academic Medicine, Vol. 69, No. 12

Kirshner, P., Sweller, J. and Clark, R. (2006) Why Minimal Guidance During Instruction Does Not Work: An Analysis of the Failure of Constructivist, Discovery, Problem-Based, Experiential, and Inquiry-Based Teaching Educational Psychologist, Vo. 41, No.2

Kolb. D. (1984) Experiential Learning: Experience as the source of learning and development Englewood Cliffs NJ: Prentice Hall

Larmer, J. and Mergendoller, J. (2010) Seven essentials for project-based learning Educational Leadership, Vol. 68, No. 1

Marcus, G. Taylor, R. and Ellis, R. (2004) Implications for the design of online case-based learning activities based on the student blended learning experience: Perth, Australia: Proceedings of the ACSCILITE conference, 2004

Moon, J.A. (2004) A Handbook of Reflective and Experiential Learning: Theory and Practice New York: Routledge

Strobel, J., & van Barneveld, A. (2009). When is PBL More Effective? A Meta-synthesis of Meta-analyses Comparing PBL to Conventional Classrooms. Interdisciplinary Journal of Problem-based Learning, Vol. 3, No. 1

3.7 教育の養育モデルと社会変革モデル:感じることによって学ぶ

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この節では、Pratt が言及する残り2つの教育の視点である養育と社会変革について簡単に論じることにします。

3.7.1 養育的視点

教育についての養育的な視点を理解するには、親の役割から考えてみるのが最適でしょう。Pratt (1998) は以下のように述べています。

私たちは「うまくいっている」親が子どもに対して理解し共感することを期待する。そうすれば、どんなに難しいことであっても、心のこもった思いやりと愛情のある指導をしてくれるだろう。養育的な視点を持つ教育者は、親の場合とは異なる問題について、様々な文脈で、そして様々な年齢層に対する教育に取り組むものである。しかしその根底にある特性や関心事は親の場合と同じである。教わる内容をどれくらい身に付けることができたかよりも、学習者の効力感や自尊心に関わる問題こそが、学習の成功を測る究極の基準となるのである。

ここで強調されていることは、教員は学習者の興味関心に焦点を当て、学習者が学ぶ方法を重要視しつつ、学習している時の発言や考えに対して注意深く耳を傾け、「経験の共感的承認」という適切な形で支援を与えることです。このような考え方の背景の一部には、人は非常に幼い時から自律的に物事を学習しているという観察があります。ですから学習者の持つ「自然な学習傾向」を抑制するのではなく、奨励し、学習意欲の分析から決定される適切な学習課題へと導くことができる環境を作り出すことが大切なのです。

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図3.7.1 エンパイア・ステイト・カレッジのメンターモデルは養育的視点を取り込んでいる
図3.7.1 エンパイア・ステイト・カレッジのメンターモデルは養育的視点を取り込んでいる

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ニューヨーク州立大学のエンパイア・ステイト・カレッジでは成人教育におけるメンター制 を導入していますが、これは本節で述べたような養育的視点を非常に細かいところまで取り込んだものとなっています。

3.7.2 社会変革の視点

Pratt (1998, p.173) は次のように述べています。

社会変革の視点を持つ教員は、より良い社会を作ることに関心があり、自らが行う教育はその目的に貢献するものであると捉えている。この考え方の独自性は、明確な理想、すなわち、より良い社会秩序という考え方に繋がる諸原理に基づいている。社会変革の視点を持つ教員たちは、単一の方法で教えるわけでもなければ、一般的な知識について固有の視点を持っているわけでもない。(中略)これらの要因は、全て個人としての行動上の理想に基づいて決定づけられている。

社会には変化が必要であり、社会変革者はこの変化を起こす方法を知っているという捉え方は、ある意味では、認識論的な立場としての教育理論ではないと言えるでしょう。

3.7.3 歴史、そして結合主義との関連

養育的視点にも、そして社会変革の視点にも、同様に長い歴史があり、これまで以下のように述べられています。

教育を養育的・社会変革的な視点からみることは重要です。なぜなら、それらは結合主義についての信念あるいは仮定を映し出しているからです。事実、Illich は早くも1971年の段階で先進的な技術による「学習の網」の利用を支持する、驚くべき発言をしています。

仲間同士を繋げるネットワークの働きは単純なものになるであろう。利用者は名前とアドレスで自らを特定し、どのような活動の仲間を求めているか記述する。コンピュータは同様の内容を記述している人の名前とアドレスを送り返す。このような単純で便利なものが、今まで世間一般で価値を持つ活動に大規模に利用されることがなかったのは驚くべきことである。

このような状況は今日、確かに存在しています。学習者は情報や知識にアクセスするために必ずしも教育機関を経由する必要はありません。ますます多くの情報や知識がインターネットを通して入手できるようになっているからです。MOOC は共通の興味関心を見つけるのに役に立ちます。とりわけ結合主義者による MOOC は、共通の興味関心のネットワークや、自発的な学習のための環境を提供することを目的としています。デジタル時代は学習に必要な技術的なインフラや支援を提供してくれているのです。

3.7.4 学習者と教員の役割

教育に関する全ての視点の中で、養育モデルと社会変革モデルは、学習者中心のモデルとして一二を争うものです。これらのモデルは人間の性質について非常に楽観的な考え方に基づいています。つまり、人間は必要なものを探し出して学ぶものであり、似たような興味や関心を持っている人の中から献身的に面倒を見てくれる教育者を見つけ出し、個々人は自らが学びたいことを見つけ、しかもそれを最後までやり抜く能力を持っているという考え方です。このような考え方は抜本的な変革を求める教育の視点であるとも言えます。それは公教育や私教育がもつ政治的、支配的側面からの脱却を求めているからです。

養育モデルと社会変革モデルのそれぞれの視点において、学習を成功させるために教員が果たす中心的な役割に関する見解の違いがあります。Pratt にとっては学習を育むことが教員の中心的な役割であると考えます。Illich や Freire などは、職業的に訓練された教員は、どちらかと言えば個々の学習者にではなく、むしろ国家のために働くようになる傾向があると考えます。また、これらの教育モデルを支持する人々は、学習者にとって必要な支援を提供するのは、ボランティアの指導者や、ある理想や社会的目標に基づいて組織される社会集団であると考えています。

3.7.5  2つの手法の長所と短所

養育モデルと社会変革モデルによる教育には当然ながら短所もあります。それは次のようなものです。

とは言え、社会変革モデルも養育モデルも、デジタル時代に重要な以下のような側面が含まれています。

アクティビティー3.7 養育、社会変革、結合主義

  1. 養育的アプローチと社会変革的アプローチのいずれか、あるいは両方で教えた経験はありますか。もしそうであれば、本節で示したそれぞれの要素が持つ長所と短所の分析について、あなたと考えが一致しますか。
  2. 結合主義は、養育的、社会変革的モデルの教育のいずれかを現代的に反映したものだと思いますか。それとも結合主義ははっきりと区別される特有の教育方法でしょうか。もしそうであれば本書で取り上げている他の教育方法とは何が異なるのでしょうか。

参考文献

Freire, P. (2004). Pedagogy of Indignation. Boulder CO: Paradigm

Illich, I. (1971) Deschooling Society, (accessed 9 July 2019)

Knowles, M. (1984) Andragogy in Action. Applying modern principles of adult education, San Francisco: Jossey Bass

Pratt, D. (1998) Five Perspectives on Teaching in Adult and Higher Education Malabar FL: Krieger Publishing Company

Rousseau, J.-J. (1762) Émile, ou de l’Éducation  (Trans. Allan Bloom. New York: Basic Books, 1979)

Tan, C.-M. (2012) Search Inside Yourself New York: Harper Collins

3.8 結論

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3.8.1 認識論、学習理論、教育方法を結びつける

3.8.1.1 教育では実用主義は空理空論に勝る

教育方法、学習理論、認識論的立場が直接的に関係していることはあるのですが、いつもそうであるとは限りません。表を作って、それぞれの教育方法をある特定の学習理論に当てはめてみたり、理論を特定の認識論に当てはめてみたりしたくなるものですが、残念ながら教育とは、コンピュータ・サイエンスのようにきれいに整理できるものではないのです。したがって、存在論に基づいて直接的な分類を試みることは、誤った理解をしてしまうことになるでしょう。例えば、伝達型の講義形式であれば、行動主義アプローチではなく認知論的な学習アプローチを促進するように構成されることもあるでしょう。1回の講義が情報伝達、実践的学習、ディスカッションといった複数の要素を組み合わせた形になることもあるかもしれません。

純粋主義的に考えるならば、教員が認識論の違いを超える方法を使うのは論理的に一貫性がなく、学生にとって混乱を招くものになるかもしれません。しかし、教えることは本質的に実践的な仕事ですから、教員はその仕事が達成されるために必要なことを行います。例えば学生がその意義について情報に基づく議論をしたり問題解決を始めたりする前に、事実や原理、標準的な手順や方法の意味を学習する必要があるとします。このような場面では、教員は基礎を固めるために行動主義的な方法から開始し、コースや専攻プログラムが進んだ後の段階になって構成主義的な方法へと移ることも十分に考えられます。

3.8.1.2 教育方法はテクノロジーによって決まるのではない

MOOC や録画した講義のようなテクノロジーの利用により、ある特定の教育方法や取り組みが再現されることはあります。しかし多くの点で、教育方法、学習理論、認識論はある特定の技術や配信手段と関係なく存在するものです。とは言え、第8章第9章第10章で見るように、様々なテクノロジーが教育を変えるために利用されることがあるでしょう。個々のテクノロジーの特徴や「アフォーダンス」(そのテクノロジーで実現可能なこと)次第では、ある教育方法が他の教育方法よりも容易に進化することもあります。

以上のことから、多様な教育方法だけでなく学習理論や基になっている認識論を分かっている教員は、ある場面でどう教えるのが良いのか、適切な判断ができる可能性が非常に高いでしょう。また、後でも触れますが、このような理解をしていることが、ある特定の学習タスクや場面に合ったテクノロジーを適切に選ぶ際に役立ちます。

3.8.2 教育方法をデジタル時代に必要な知識・スキルと関連づける

本章の主な目的は、教室での教育方法のうち、学習者がデジタル時代に必要な知識やスキルの発達を助ける見込みが高いものを、教員の視点から読者が特定できるようにすることでした。このような判断を下すために必要な情報や道具が全て出揃うのは以降の章を読んだ後になりますが、学習者の性質、事前の知識や経験、扱う分野・内容で求められること、教員や学習者が置かれている制度的な状況、学習者が将来的に従事するであろう仕事の場面など、様々な要因を考慮しながら判断することになるでしょう。しかし少なくとも現時点で判断できることがあります。

まずは以下のような、必要とされる様々なスキルを区別できるようになります。

また、指導内容の観点からも、学習者に情報をただ伝達するような教え方ではなく、学習者が情報や知識を活用できるように教える必要なことも分かるでしょう。

教員には気をつけておくべき重要なポイントがあります。

デジタル時代においては、演習形式や徒弟制というような、ある特定の教育方法を選ぶだけでは不十分なのです。また、伝達形式の講義や演習形式というような方法だけでは十分な学習環境とは言えず、対象領域の中で必要なスキルの全てが伸ばされるということは考えにくいでしょう。学習者がスキルを伸ばすために必要なことは、場面と関連があり、練習やディスカッション、フィードバックの機会を含むような、豊かな学習環境を提供することなのです。その結果、様々な教育方法を組み合わせることになるのです。

本章では主に教室、つまりキャンパス中心の教育へのアプローチに焦点を当てましたが、次章ではオンライン・デジタル技術を組み入れた様々な教育方法を検討していきます。ですからこの時点で、演習形式、徒弟制、あるいは養育的アプローチのようないずれかの1つの方法が、デジタル時代に必要な知識やスキルを伸ばすのに最良の方法であると結論づけるべきではないでしょう。同時に、これまで主たる教育方法として採用されてきた伝達型の講義形式の限界が、より一層明らかになってきています。

重要ポイント

教室あるいはキャンパス中心の教育方法について、本章で扱った内容は、完全かつ包括的なリストを意図してまとめたわけではありません。様々な教育方法があり、いずれも特定の状況の中では合理的であるということを示すのが目的です。指導者は、その時に扱う内容と、その時の学習者のニーズの両方に応じて、様々な方法をうまく組み合わせながら利用するのが普通でしょう。それでも本章で示したような様々な教育方法の比較検討から、以下のような主要な結論をいろいろと導くことができます。

  1. デジタル時代に教員が直面する要求を満たす唯一の教育方法は存在しません。
  2. その一方で、教育形態の中にはデジタル時代に必要なスキルを発達させることに向いているものがあります。特に概念発達に重点を置く方法、つまり対話、議論、どちらかと言えば情報伝達は含めない知識管理、現実世界での経験学習のような方法は、デジタル時代に必要な概念スキルを伸ばす可能性が高いです。
  3. しかし必要とされているのは概念スキルだけではありません。非常に複雑な状況の中で概念スキル、実技スキル、対人スキル、社会スキルを組み合わせることが求められているのです。繰り返しになりますが、これが意味するところは、様々な教育方法を組み合わせる必要性なのです。
  4. 本章で見た教育方法のほとんどは、メディアやテクノロジーとは独立して存在しています。言い換えれば、教室でもオンラインでも利用できるということです。学習という視点から見た場合、どのようなテクノロジーを選ぶかということよりも、むしろ適切な教育方法を選んで結果を出せる能力や専門知識の方が重要です。
  5. 他方、新しいテクノロジーによって、教育への新たな可能性が見出されます。具体的にはより多くの練習やタスクに取り組む時間が作り出せること、新しい集団を対象とした教育を実施できるようになること、そして教員と教育システム全体における生産性を向上させるといったようなことです。これらの点については次章で示します。

第4章 オンライン中心の教授法

IV

この章の目的

この章を読み終わると、以下のことができるようになります。

  1. オンラインでの教育・学習の設計に関する重要な手法を提示できる。
  2. デジタル時代における教育における価値という観点から、それぞれのモデルを分析できる。
  3. 自らの教育実践において、どのモデルが最適であるか、あるいはどのモデルとどのモデルを組み合わせることが良いか、決定することができる。
  4. 自らの教育実践を設計するにあたり、適切なモデルを利用できる。

この章で扱う内容

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

  1. 従来の教室における教育、特に一方伝達的な講義は前時代的に設計されたものです。確かに講義にも良いところはあるのですが、時代背景が異なれば、これまでとは異なる教育手法が求められるでしょう。
  2. 重要な変更点は、とりわけ知識管理のようなスキルが重視されるようになり、その一方で物事を暗記することの重要性は薄れてきています。私たちはデジタル時代をさらに発展させていくために求められるスキルを習得するための、教育と学習に関する設計モデルを必要としています。
  3. どんな環境であっても「最適」である設計モデルは存在しません。設計モデルの選択には、それが適用される場面も考慮に入れる必要があります。それでもやはり、ある特定の設計モデルは他のものよりもデジタル時代に求められる知識や技能の育成には有用でしょう。私の関連する分野においては、オンラインでの協調学習、経験学習、そしてアジャイルな設計が私の評価基準に合致しています。
  4. 設計モデルは一般的に、その配信方法には依存しません。ほとんどの場合、オンラインであろうと教室であろうと成り立つものです。
  5. 変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界において、私たちには明確かつ鋭敏な教育の設計モデルが必要です。

シナリオD:歴史的思考の育成

27

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図: 4 D 北京の歴史の中で1964年から2014年の間、学生たちが使っていた人工遺物<br /> 画像: © zonaeuropa.com
図D 北京の歴史の中で1964年から2014年の間、学生たちが使っていた人工遺物
画像: © zonaeuropa.com
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ラルフ・グッドイヤーはアメリカ中部の公立の研究大学に勤める歴史の教授である。彼は72名の学部生が受講しているHIST 305「歴史的研究方法論」の授業を担当している。最初の3週間、以下のような話題・内容で15分のビデオ講義を行なっていた。

  • 歴史家たちが使う様々な素材について。(例えば古代の書物、出生記録・結婚・死などを含む観察的記録、目撃者による証言、絵画・写真などの人工遺物、廃墟などの自然遺物など。)
  • 歴史的分析によって書かれやすいテーマ。
  • 歴史家たちが使う一部の方法論、例えば口述記録・分析・解釈。
  • 歴史を説明する際の3つの理論的立場(客観主義・マルクス主義・ポストモダン主義)

学生たちはラルフが示したスケジュールにしたがって動画をダウンロードした。最初の3週間で学生たちが課されていたのは次のような内容である。

1) 週に2回ずつ1時間のクラスに出席し、事前に視聴した動画に基づくテーマでの議論を行うこと。

2) 教授が関連する話題を投稿するので、大学の学習管理システム(LMS)のディスカッション・フォーラムで、オンラインのディスカッションを行うこと。

3) 成績認定のため、それぞれの話題について少なくとも1回、オンラインで有益な議論を行うこと。

4) よく知られている歴史的研究方法論に関する教科書を読むこと。

4週目、ラルフは学生たちを6名ずつ、12のグループに分けた。そしてそれぞれにアメリカ国外のいずれかの都市の過去50年ほどの歴史について調査するよう指示した。学生たちは大学図書館の所蔵物はもちろん、オンライン素材による新聞記事、画像、調査報告書など、見つけた素材なら何でも含めて良いということにした。また、レポートをまとめる際、以下の条件に従うことを義務付けた。

  • 過去50年ほどの記録から特定のテーマを一つ取り上げ、そのテーマで口頭発表できるようにすること。
  • それぞれのレポートで出典を明らかにし、なぜその出典を選んだか、なぜ他のものを選ばなかったのかについて議論すること。
  • 講義で取り上げた3つの理論的立場の手法を比較すること。
  • 大学の学習管理システムにはこのコース専用の場所があるので、それぞれオンラインの eポートフォリオとして投稿すること。

学生たちは一連の作業を行うために5週間を与えられた。

最後の3週間では、それぞれのグループが口頭発表し、教室内とオンラインで補足説明・討論・質疑応答を行うことになっていた。教室内での口頭発表は録画され、後でオンライン上でも利用できるようになっていた。そして科目の最後では、学生たちが他のチームを評価することになっていた。ラルフはそれぞれの学生による評価を考慮しながら、理由を添えて点数を調整することにしていた。また、それぞれの学生にも、グループごとの点数と教室内やオンラインでの討論参加の度合いに基づいて個々人の成績をつけた。

ラルフは学生たちが仕上げた課題の品質の高さに対し、驚いた、そして満足しているとコメントした。「私が気に入ったのは、学生たちが歴史について学ぶのではなく「歴史的研究」を行なっていたことだよ。」

事実に基づきますが、若干の脚色を加えています。

4.1 オンライン学習と教授方略

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For my personal comments on some of the issues raised in this chapter, please click on the podcast below, which discusses the relationship between quality, modes of delivery, teaching methods and design.
この章で提示した課題に関する私のコメントについては、以下のポッドキャストを視聴してください。教育の質、配信方法、教育手法とデザインについて述べています。

An audio element has been excluded from this version of the text. You can listen to it online here: https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/?p=114

オンライン学習は教室・キャンパス中心の教育において、ますます影響を強めてきていますが、とりわけ重要なことは、教育や学習における新しいモデルや設計を先導しているということです。

最初の商業映画が世に出た時、それまでの歌やダンス、パントマイム、漫才、曲芸などの軽喜劇をスクリーンに転じただけのものでした。その後、D.W. Griffith の Birth of a Nation によって映画のデザインは変化し、当時のシネマでは独自の技術、例えば全景ショットや画面のパン、戦闘シーン、いわゆる特撮などの映像効果などが取り入れられてきました。

同じような発展がオンライン学習においても生じてきています。最も初期の頃には2つの独立した影響が生じていました。教室での教育に由来するデザインと、紙教材やマルチメディアを用いた遠隔教育の流れを受け継いだデザインです。しかし時が経つにつれ、オンライン学習に特有の性質を十二分に活用した新しい教育デザインが誕生してきました。オンライン教育への移行には学習環境の変化を伴います。さて、ここからは教育手法に関する話から、教育デザイン、すなわち教育手法をどのように学習環境へ適応していくかということについて述べていきますが、これは教室でもオンラインでも同じなのかもしれません。

4.2 温故知新:教室型のオンライン学習

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まずは教室での教育方法に関して、かつての姿から少しずつテクノロジーを取り入れていき、最終的に教育設計の原則論につなげていきましょう。歴史あるものから学べることもあるはずです。

4.2.1 講義動画を利用した授業

授業を自動的に録画する技術は、もともと普段から授業に出ている学習者に対し、オンラインで授業をいつでも繰り返し閲覧できるようにし、教室での学習を強化するという目的から生まれたものでした。つまり宿題や復習のためのものだったというわけです。

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MIT OpenCourseware Lecture
図4.2.1 MIT における教室での講義動画。MIT オープンコースウェア(OCW)より利用可能。
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録画された講義を自分たちで閲覧し、その後の授業においてディスカッション等でフォローするという反転授業の形式も、同様の意図で開発されていますが、授業設計者にとって、録画授業による最も大きな影響は、Coursera や Udacity、edX などが提供する大規模オンラインコース(xMOOCs)でした。しかし、このような MOOC であっても実際は教室での授業設計モデルが基本となっています。MOOC と教室との主たる違いとしては、(実質的には大学の多くの授業もそうですが)MOOC は誰にでもオープンであり、MOOCs は無制限に、かつ遠隔地から受講可能であることが挙げられます。これらは重要な違いではありますが、MOOCs の研究成果の一部として多くの授業が細かく分割されて録画されるようになったということはあっても、授業設計としては著しく変わったわけではありません。

4.2.2 学習管理システムを用いたコース

学習管理システム (LMS) は、パスワードで管理されたオンラインの学習環境に教師や学習者がログインして学習することを可能とするシステムです。例えば Blackboard や Desire2Learn、Moodle のような、ほぼ全ての LMS は実際には教室設計モデルを再現してきました。例えば、週単位でのモジュールがあり、教員はクラス内の学習者に対して同時に教材を提示できます。大勢の受講者がいる場合はそれぞれにつく指導者単位での小グループに分けられ(オンラインでの)ディスカッションの機会が与えられ、学習者はほぼ同じペースで教材を用いて学習し、最後にテストやレポートによる評価があります。

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Figure 6.2 A screenshot of the University of british Columbia's LMS, Blackboard Connect
図4.2.1 ブリティッシュ・コロンビア大学の LMS である Blackboard Connect のスクリーンショット

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現在では動画や音声も LMS に導入されつつありますが、教室での講義と比較した場合、教材設計上の大きな違いとしては、話し言葉ではなく書き言葉で、オンラインディスカッションは同期ではなく非同期で、コース教材はいつでもどこでもインターネットを通じて閲覧できるという点が挙げられます。これらは実際の教室と比べると重要な違いであり、熟練した教員であれば、教室での授業で行なっているように LMS を導入したり、自らの教育方法や学習目標に合うように調整したりすることもできます。そして LMS の運用の基本的な方針は実際の教室と同じです。

しかし残念ながら LMS を使った授業でも、単に事前に録画した動画をインターネットに掲載したり、PowerPoint で作成した講義ノートの PDF を載せたりするといった、多くのオンラインプログラムと同様の形でのオンライン授業設計で進んでいます。LMS は従来の教室型の授業設計を超えるための柔軟性も兼ね備えており、これこそが重要なのですが、良いオンライン授業の設計はオンライン学習者ならではの特別な要求にも応える必要があり、このような視点からも教室型の設計とは異なる設計が必要となります。

4.2.3 教室型設計をオンライン学習に応用する限界

古いワインはボトルが新しかろうが古かろうが、良いものであり続けます。ここで問題となるのは、教室型の設計がデジタル時代での変化に適応するか否かです。しかしテクノロジーを付け加えたところで、あるいはオンラインで従来と同じ設計を取り入れたところで、その結果は自動的に必要とされる状況に変化するわけではありません。

つまり新しいテクノロジーの教育的な側面につながる設計をじっくりと見据えることが重要です。なぜなら教育設計をかなり変更し、テクノロジーのもつ特徴を十二分に引き出すことができない限り、物理的な教室での授業を模倣しようとして、結果的に劣ってしまうことになるからです。もし MOOCs で行われているような講義の録画や、コンピュータによる多肢選択クイズのような新たなテクノロジーが、結果的に多くの学生の記憶を高めたり、学習効果を高めることにつながったとしても、デジタル時代に求められる高度なスキルには不十分かもしれません。

また、単に新しいテクノロジーを教室型の設計に加えるだけでは、最終的な結果を変えることができず、技術的な面、教員の時間的な面のそれぞれにおいて、コストだけを高めてしまう可能性もあります。

しかし最も重要な理由は、オンラインで学んでいる学生は、教室とは異なる学習環境で学んでいるので、教育設計もそれに合わせる必要があるということです。このことは本書の残りの部分でも十分に議論していきます。

新しいテクノロジーが最初に使われる場合、教育においても例外なく、独自の可能性が見定められるまでは従来型の教育設計の焼き直しとなります。しかしデジタル時代におけるニーズや、新しいテクノロジーに秘められた独自の特徴を教育に有効活用しようとしているのであれば、そのための基盤的な教育設計モデルの変更が必要となるでしょう。

アクティビティー4.2 教室モデルからオンラインへの移行

  1. 教室モデルは19世紀の産物であり、デジタル時代の教育には変化が必要であるという意見には賛同できますか。あるいは今の時代でも教室モデルで柔軟に対応できる余地がまだ残っていると考えますか。
  2. LMS を利用したコースは、基本的には教室モデルをオンラインに移行したものであると考えますか。あるいはそれ自体が何らかの特徴的な要素を持ったものだと考えますか。もしそうであるなら、どの点が特徴的であると考えますか。
  3. 50分の講義を、例えば10分×5回に分けて録画することの長所と短所は何でしょうか。このような改善は有意義な設計の変更と呼べるでしょうか。もしそうであるなら、どのような点で有意義と考えますか。

4.3 ADDIE モデル

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他にもオンライン教育の設計に影響を与えたものとして、軍隊での教育や遠隔教育で用いられていたものがあります。

4.3.1 ADDIE とは何か

ADDIE に関して書かれた書籍は多数あります(Morrison, 2010 や Dick and Carey, 2004 などを参照)。ADDIE とは以下のものを意味しています。

Analyse(分析)

Design(設計)

Develop(開発)

Implement(実践)

Evaluate(評価)

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Figure 4.3.1 The ADDIE model. This is an interactive infographic. To see more detail on each of the five stages, click on each stage in the graphic © Flexible Learning Australia, 2014
図4.3.1 ADDIEモデル © Flexible Learning Australia, 2014

E-LEARNING の実施にあたって:公認研修の体系化のための道具一式

左上から時計回りに

PREPARATION(事前準備)どのように実施するか、誰が実施主体となるかプロジェクトの目標

ANALYSE(分析、予算の10%)

DESIGN(設計、予算の36%)

DEVELOP(開発、予算の35%)

IMPLEMENT(実施、予算の4%)

EVALUATE(評価、予算の7%)

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4.3.2 ADDIE はどこで使われているか

ADDIE はテクノロジー基盤型教育の設計のために、専門家として活躍するインストラクショナル・デザイナーの多くが用いています。ADDIE は紙ベースであれ、オンラインであれ、質の高い遠隔学習の設計のための基準として使われてきました。また、企業における eラーニングや研修でも広く活用されています。ADDIE には様々なバリエーションがあります。私が好むのは「PADDIE」であり、Planning または Preparation が最初に加わります。このモデルはぐるぐると回るように利用されるものであり、評価の結果が次の分析に、さらに設計や開発の改善へと繋がっていきます。ADDIE が広く利用されている理由の1つには、このモデルが大規模で複雑な教育設計にも利用できる点があります。ADDIE の起源は第二次世界大戦の時、ノルマンディー上陸作戦における非常に複雑な作戦を遂行するために開発されたシステム設計に遡ります。

多くのオープン大学、例えばイギリスのオープン大学(以下、OU)やオランダのOU、カナダのアサバスカ大学やトンプソン・リバース・オープン大学などは、複雑なマルチメディア遠隔教育のコースを運営するために、ADDIE を今でも広く活用しています。20,000人の入学者とともにイギリスで OU が開かれた1971年当時、OU はラジオ、テレビ、特別に設計された印刷教材、教科書、論文の別刷などの教材が課題図書として学生に郵送で届けられ、20名ほどの大学関係者、メディア作成者、コース作成のためのテクノロジー支援スタッフ、大勢のチューターや上級カウンセラーによる学習支援の配信などを含めた学習グループが地域別に用意されました。2年間におよぶコースの作成と運営には、組織的なインストラクショナル・デザインなしでは不可能でした。2014年時点では200,000人以上の学生を抱えていますが、今でも OU は強力なインストラクショナル・デザインのモデルを使っています。

ADDIE とインストラクショナル・デザインのモデルの起源はアメリカですが、イギリスの OU が高品質な教材を開発することに成功したという事実は、他の多くの施設における遠隔教育で、小規模なスケールの ADDIE の利用に影響を与えてきました。さらに言えば、1人の教員と1人のインストラクショナル・デザイナーだけでも利用できます。少しずつ遠隔教育のオンライン化が進んできてからも ADDIE は存続しており、多くの教育機関で、インストラクショナル・デザイナーたちは大規模講義、ブレンド型学習、完全オンラインのコースなどの再設計に今でも利用されているのです。

4.3.3 ADDIE の利点

これだけ成功してきた理由の1つは、良質な設計と密接に関係していたからでしょう。つまり明確な学習目標があり、入念に構造化された教材コンテンツがあり、教員および学生の実施プロセスのコントロールが可能で、メディアが統合され、関連性の高い学習者の活動があり、理想とされている学習目標とその評価が強く結びついているなどの諸要素です。これらの要素の中には ADDIE に取り入れられるものもあれば、取り入れられないものもあるのですが、ADDIE は体系的かつ綿密に連携させて導入することができる設計原則です。また、質の高い多くのコースを設計・開発する際の有益な管理ツールです。

4.3.4 ADDIE の限界

ADDIE はどのようなサイズの教育にも利用できますが、巨大で複雑なプロジェクトほど適しています。少人数のコースや、単純あるいは伝統的な教室での授業設計に ADDIE を利用する場合、1人の教員の利用を妨げる要因は特にありませんが、コース設計やコース運営にかかる費用がかさんでしまったり、かえって余計なものになってしまいます。

ADDIE に関する2つ目の批判としては「着手のための大量の荷物」とも言えるほどに設計や開発に重きが置かれており、コース配信時の教員と学習者の間のやり取りがさほど重視されていないという点が挙げられます。このため構成主義者からは学習者ー教員間の相互交流に注意が十分に払われておらず、行動主義的な教育アプローチが重視されていると批判されます。

他に、5つの段階それぞれに関しては分かりやすく記載されていても、それぞれの段階でどのような意思決定をしていくべきかについての説明がないという批判もあります。例えば、異なる技術をどのように選ぶのか、どの評価手法を選ぶべきなのかといった運用基準や手順は提示されていません。教員が意思決定をするにあたっては、ADDIE 以外のところで判断する必要があります。

ADDIE を必要以上に勧めることは、結果として非常に複雑な設計となってしまい、教員、インストラクショナル・デザイナー、編集者、Web デザイナーなどが関与する必要性から、実際に配信できるまでに2年近くかかってしまうといったことも起こりえます。設計や運用体制が複雑になればなるほど、コスト的に超過してしまう可能性や、プログラミングにかかる費用が非常に高額になってしまうこともあります。

私が主に批判するのは、このモデルがデジタル時代にとって全く柔軟性にかけているという点です。教員はどれだけ速く、新たに開発される教材コンテンツや、新しいテクノロジー、日々開発されるソフトウェアに気を配りながら、常に変化する学習者の能力に対応しているのでしょうか。ADDIE はこれまでよく使われてきましたし、教育や学習のための良い設計の礎となってきましたが、多様な変化を伴う学習コンテンツを扱うにあたって、あまりに予定調和的で連続的なものであり、柔軟性にかけるモデルとなってしまっています。より柔軟な設計モデルについては4.7節で扱います。

アクティビティー 4.3 ADDIEモデルの活用

  1. 今、あなたが担当しているコースを1つ取り上げてください。ADDIE のうちいくつのステップを実施してきましたか。もしいくつかのステップを飛ばしてしまっているとしたら、その部分を実施することでより良いコースに改善できると思いますか。それぞれのステップで必要とされる作業を考慮した場合、得られる結果はその作業量に見合ったものだと思いますか。
  2. 新しいコースを設計することを考えている場合、図4.3.1 を利用してください。そして、そこで勧められている Analysis(分析)に関する4つのステップに沿ってみてください。これは図4.3.1の内容に入っていく最も良い方法でしょう。その内容は役に立つものでしたか。もしそうであるなら、さらにその先のステップに続けてみるのも良いでしょう。
  3. これまでにADDIE を使ったことがあるのであれば、その時は使ってよかったと感じましたか。私が提示した批判には同意できますか。今、あなたが扱っている業務内容に対してADDIE は十分な柔軟性を持っていますか。

参考文献

Dick, W., and Carey, L. (2015). The Systematic Design of Instruction. New York; 8th edition Pearson

Morrison, Gary R. (2010) Designing Effective Instruction, 6th Edition. New York: John Wiley & Sons 

4.4 オンライン協調学習

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4.4.1 オンライン協調学習とは

学習に対する構成主義の手法とインターネットの発展が同時に発生したことにより、構成主義的な特徴を持つ新しい教育方法が次第に作られてきました。従来は「コンピュータを介したコミュニケーション」(CMC) や「ネットワークによる学習」と呼ばれていましたが、Harasim(2012) は「オンライン協調学習理論」(OCL) と名付けました。Harasim は OCL について、以下のように述べています。(p.90)

OCL の理論は学生がともに励ましあい、支援しながら知識の習得を目指すための学習モデルを提示します。ここでいう知識とは、発明や新しい方法を作り出す方法の探究であり、そのことを通じて課題を解決するために必要となる構造化された知識を探求することを意味します。そのため、正解と考えられる内容を丸ごと暗唱するような学習とは異なります。 OCL の理論では学生が活動的になり、相互に関わり合うことを奨励していきますが、学習や知識の構築にとって、この方法で十分であるとは考えてはいません。(中略)OCLの理論では、教員は学習者に対するフェローではなく、知識コミュニティや、その専門領域における最先端の研究に繋げる役割を担います。学習は概念の取り替えであると定義され、知識を構築ための重要な鍵となるものです。学習活動はその専門領域における規範、概念の学習を強調する対話のプロセスによって示され、導かれる必要があります。そして知識が構築されるのです。

OCL は認知的発達に重点を置く「対話による学習の理論」(Pask, 1975) や「深い学びの状態」(Marton and Saljø, 1997; Entwistle, 2000)、「学術的な知識の発達」(Laurillard, 2001)、「知識の構成」(Scardamalia and Bereiter, 2006) の諸理論を土台とし、これらを統合して作られています。

オンライン学習の初期の頃は、インターネット上でのコミュニケーションとして実現可能なことを重要な研究課題としている教員もいました (例えば、Hiltz and Turoff, 1978) 。彼らの教育手法は学生同士または学生と教員との間で行われる、主に非同期のオンラインでのディスカッションによって次第に知識が構成されていくという考え方に基づいていました。

オンラインでのディスカッション掲示板は1970年代に遡ります。しかし1990年代の World Wide Web の誕生、高速なインターネット・アクセス、そして現在ではほぼ全てにおいてオンライン・ディスカッション機能を持っている LMS の開発が組み合わされた結果、実際に使われ始めたと言えるでしょう。そして、このようなオンライン・ディスカッション掲示板について教室でのセミナーと比べると、いくつかの違いがあります。

4.4.2 OCL の中心となるデザイン原則

Harasim は対話を通じて知識構築を行うための3つの段階の重要性について強調しています。

Harasim はこの段階を「最終段階」と呼んでいますが、実際にはこの段階が本当の意味で最後になることはありません。なぜなら学習者にとって、ひとたびアイデアの収集、整理、収束が行われはじめると、さらに深いレベルまでその流れが継続していくことになるからです。この段階における教員の役割は重要であると考えられています。それは学習を促進させるためのプロセスの進行、適切な学習素材の提供、学習者の学びに自信を持たせる活動だけにとどまらず、知識コミュニティやその科目領域の代表者として、その領域で核となる概念、実践、基準、原則が学習サイクルの中に完全に統合されているかどうかを確認しなければなりません。

Harasim はこのプロセスを次の図で提示しています。

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Figure 4.3.2: Harasim's pedagogy of group discussion (from Harasim, 2012, p. 95)
図4.4.2 Harasim によるグループディスカッションの教育論 (Harasim, 2012, p.95より許可を得て掲載)

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別の重要な要素として、OCL モデルにおいては、ディスカッション・フォーラムは教育のための重要な構成要素であり、教科書や動画講義、LMS に掲載される文字情報を補足するために用いるような副次的な付け加えというような位置付けではないということです。教科書や課題図書、他の学習素材もディスカッションを促進するために選ばれることはありますが、その逆になることはありません。これは重要なデザイン上の原則であり、「伝統的な」オンラインコースにおいて学生がディスカッションに参加しないという教員からの不平不満がなぜ発生するを説明するためにも使われます。多くの場合、オンライン・ディスカッションは講義内容と比べると二次的に利用されるものであったり、その運用や設計において知識構築を支援することが念頭に置かれていないことが原因となります。そのため学習者はディスカッションについて、オプション的な位置付けや追加課題としてしか捉えることがありません。なぜなら彼らにとって直接的な成績や評価への影響が見えてこないからです。このことはディスカッション・フォーラムに参加することで評価を与えるということが的外れであることの説明ともなります。ディスカッションに参加することが外発的な動機であってはならず、ディスカッションに内発的な動機によって参加しなければならないからです。(例えばBrindley, Walti and Blashke, 2009 を参照)

4.4.3 探求の共同体

探求の共同体モデル Community of Inquiry Model (CoI) は OCL モデルにある程度、似通っています。 Garrison, Anderson, Archer (2000) は以下のように定義しています。

教育的な意味をもつ探求の共同体とは、個人の集合であり、目的のある対話の中で一人一人がお互いを批評しながら高めあっていきます。そして、一人一人が自分自身の趣旨を築き上げ、相互理解の承認を通じた省察を行なっていきます。

Garrison, Anderson, Archer は探求の共同体には以下の3つの重要な要素があるとしています。

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図4.4.4: 探求の共同体(Community of Inquiry)の概念. <br />図© Terry Anderson/Marguerite Koole, 2013
図4.4.4 探求の共同体 (Community of Inquiry) の概念.
© Terry Anderson/Marguerite Koole, 2013

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しかし CoI は設計というよりも理論に近いものです。それは3つの影響力に対してどのような活動や状態が必要となるかを示していないからです。OCL と CoI の2つのモデルは競争しあうものというより、むしろ相補的なものなのでしょう。

4.4.4 有意義なオンライン・ディスカッションの開発

CoI の原典が2000年に出版されて以来、とりわけオンライン学習に関する3つの「影響力」の重要性を指摘する非常に多くの研究が行われています。どのようなものがあるかについてはこちらをクリックしてください。幅広い領域の研究者や教育者がオンライン協調学習や探求の共同体の研究に注力してきており、成功に導くための方略やデザイン原則について、高い次元での見解の集約と賛同がなされています。学問的・概念的な発展に向けて、ディスカッションは教員の手で効果的に管理運営する必要がありますし、学生がアイデアを発展させながら新しい知識を構成できるようにするため、教員は十分な支援を行う必要があります。

このような研究成果の一部として、そして OCL にも CoI にも影響を受ける必要性のなかったオンライン教育の指導者たちによって、以下のようなデザイン原則が(オンライン)ディスカッションの成功と関連づけられてきました。

これらの問題については、Salmon (2000)、Bates and Poole (2003)、Paloff and Pratt (2005; 2007) でより深く議論されています。

4.4.5 文化的および認識論的な課題

学生は様々な期待や背景を持って学習を経験するために集まります。その結果、ディスカッション主体の協調学習に参加しようとすると、学生間でしばしば文化的な違いが生じることがあります。最終的にこのことが原因となって、伝統的な学習・教育の手法よりも教育効果が相当低くなってしまう場合もあるでしょう。教員は言語、文化、認識論の点で困難を感じている学生に気を配る必要がありますが、オンラインのクラスでは学生はどこからでも参加することができるため、なおさら重要な課題となります。

多くの国では教師の権威に重きが置かれており、教師から学生への情報伝達としての教育が行われています。文化圏によっては、教師の意見に対して批評したり異を唱えることは失礼であると判断されるところもあります。場合によっては、他の学生に対する批評であっても失礼になってしまうかもしれません。教師が主体となる権威主義的な文化においては、他の学生の意見は無関係なものであり、全く重要視されないこともあるでしょう。一方で、文化によっては直接的な指導を行うのではなく、口承によって物を伝えることに重きをおくところや、物語に沿った形での教育が重視されるところもあります。

そのため、オンライン学習活動に構成主義的なアプローチによる設計が利用された場合、学生にとっては大きな負担になることもあります。これは、構成主義的な学習アプローチに不慣れな学生に対しては特別な支援が必要となる可能性があることも意味します。例えば、クラス全体に対する投稿の前に、一度教員にメールで下書きを送らせて確認するといったものが考えられます。オンライン学習における比較文化の問題については、Jung and Gunawardena (2014) や the journal Distance Education, Vol. 22, No. 1 (2001) を参考にしてください。

4.4.6 オンライン協調学習の長所と短所

教育に対してテクノロジーを用いる際の方法は千差万別であり、コンピュータ支援型学習に見られる客観主義的な利用法と、ティーチング・マシンと、これまで人間の教員が行なってきた活動の一部をコンピュータによって置き換えようという取り組みがみられる人工知能の教育利用とでは全く異なります。オンライン協調学習においては、テクノロジーの利用は教員の置き換えではなく、社会的な対話を通じて支援され構築された、知識構築に基づく特定の方法によって学習を発展させることで、教員と学生との間のコミュニケーションを増加し、改善することを目的としています。さらに、このような社会的な対話は手当たり次第によるものではなく「足場かけ」の学習になるように運用されています。

ですから、このモデルには2つの主たる長所があります

一方で、いくつかの限界もあります。

4.4.7 要約

協調学習に関しては、対面であれオンラインであれ、多くの長所や短所があります。オンラインでの協調学習と、よく設計・運営された教室型でのディスカッション主体の教育とでは、ほとんど違いはないと言えるでしょう。繰り返しになりますが、配信方法は設計方法と比べると、それほど重要ではありません。実際、どちらの文脈においても有効に機能するからです。つまり同期型であれ非同期型であれ、遠隔であれ対面型であれ、実施することができます。

しかし協調学習がオンラインでも同様に実施できるということに関しては、十分な証拠があります。これは重要であり、必要に応じて、デジタル時代における多様な学習者が求める方法に合った柔軟な方法で配信できます。また、常に万能であるわけではないにせよ、オンラインの教育を成功に導くために必要な方法については、現在ではよく知られています。

アクティビティー4.4: オンライン協調学習モデルの評価

  1. 「オンライン協調学習(OCL)」と「探求の共同体」との違いは分かりましたか。それとも、実は同じモデルを違う呼び方で扱っているものだったのでしょうか。
  2. これらのモデルのいずれかで、オンライン授業や対面授業での成功が期待できると考えますか。
  3. これらのモデルについて、その他の長所や短所は思いつきますか。
  4. これらの共通認識は、理論として成立していくと考えますか。
  5. これらのモデルを量的な科学、例えば物理学や工学の分野で利用することは意味があるでしょうか。もしそうであるなら、どのような状況が該当しますか。

参考文献

Bates, A. and Poole, G. (2003) Effective Teaching with Technology in Higher Education: Foundations for Success, San Francisco: Jossey-Bass

Brindley, J., Walti, C. and Blashke, L. (2009) Creating Effective Collaborative Learning Groups in an Online Environment International Review of Research in Open and Distance Learning, Vol. 10, No. 3

Entwistle, N. (2000) Promoting deep learning through teaching and assessment: conceptual frameworks and educational contexts Leicester UK: TLRP Conference

Garrison, R., Anderson, A. and Archer, W. (2000) Critical Inquiry in a Text-based Environment: Computer Conferencing in Higher Education The Internet and Higher Education, Vol. 2, No. 3

Harasim, L. (2012) Learning Theory and Online Technologies New York/London: Routledge

Hiltz, R. and Turoff, M. (1978) The Network Nation: Human Communication via Computer Reading MA: Addison-Wesley

Jung, I. and Gunawardena, C. (eds.) (2014) Culture and Online Learning: Global Perspectives and Research Sterling VA: Stylus

Laurillard, D. (2001) Rethinking University Teaching: A Conversational Framework for the Effective Use of Learning Technologies New York/London: Routledge

Marton, F. and Saljö, R. (1997) Approaches to learning, in Marton, F., Hounsell, D. and Entwistle, N. (eds.) The experience of learning: Edinburgh: Scottish Academic Press (out of press, but available online)

Paloff, R. and Pratt, K. (2005) Collaborating Online: Learning Together in Community San Francisco: Jossey-Bass

Paloff, R. and Pratt, K. (2007) Building Online Learning Communities: Effective Strategies for the Virtual Classroom San Francisco: Jossey-Bass

Pask, G. (1975) Conversation, Cognition and Learning Amsterdam/London: Elsevier (out of press, but available online)

Salmon, G. (2000) e-Moderating: The Key to Teaching and Learning Online London: Taylor and Francis

Scardamalia, M. and Bereiter, C. (2006) Knowledge Building:  Theory, pedagogy and technology in Sawyer, K. (ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences New York: cambridge University Press

4.5 コンピテンシー基盤型学習

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e-Commerce business course competencies, Capella University
図4.5.1 eコマースビジネスのコースにおけるコンピテンシー(Capella University)
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4.5.1 コンピテンシー基盤型学習とは

コンピテンシー基盤型学習は学習者がどのようなコンピテンシー(能力・適性)やスキルを身につけたいかを特定するところから始まり、学習者自身のペースで(通常は指導者の協力を仰ぎながら)完全習得できるようにします。学習者は自分たちが必要とするコンピテンシーやスキルのみを学ぶこともあります。これらは「バッジ」などの認証を得ることも増えてきていますが、履修証明や学位などの認定と結びつけることも可能です。

学習者は集団で学ぶより、むしろ個々に、大抵はオンラインで学ぶことが多いです。学習者が既にあるコンピテンシーやスキルを完全習得しており、テストなどの形でそれ以前の学習の評価がなされたのであれば、その範囲を再び学び直すことなく次のコンピテンシーレベルに進むことも可能です。コンピテンシー基盤型の学習は一般的な教室型での学習モデル、すなわち学習者が他の学習者と同じ内容を同じ速度で学ばなければならないモデルとは全く異なるものを目指しています。

実践的あるいは職業上必要となるスキルやコンピテンシーを身につけるという点において、コンピテンシー基盤型学習の価値は明らかですが、より抽象的であったり学問的なスキルを身につけたりする教育の場面でも徐々に使われるようになっており、時には集団で学ぶコースや専攻プログラムにおいてもコンピテンシー基盤型教育が使われるようになっています。

4.5.2 コンピテンシー基盤型学習はどこで使われているか

米国の Western Governors University は4万人近い学生を抱える、コンピテンシー基盤型学習の先駆者です。しかし教育省の支援により、米国では近年ますますコンピテンシー基盤型学習が盛んになってきています。他にコンピテンシー基盤型学習に力を入れているのは Southern New Hampshire University、 成人や雇用者向けに設計された College for AmericaNorthern Arizona University、そして Capella University などです。

コンピテンシー基盤型学習は特に人生経験のある成人学習者で、型通りの教育や研修を受けることなくコンピテンシーやスキルを高めてきた人たちに適しているかもしれません。例えば、学校や大学を中退してしまった後で学びの環境に戻ろうと希望していながらも過去の学びは認めてもらいたいという人たちや、何らかの特別なスキルのみを学習したいと考えている人たちには向いているでしょう。コンピテンシー基盤型学習は大学のプログラムを通じて提供されることもありますが、完全オンラインとしての提供が増えています。なぜなら、このようなプログラムを学びたい学生の多くは既に仕事に就いている、あるいは仕事を探している状態にあるからです。

4.5.3 コンピテンシー基盤型教育の設計

様々な手法がありますが、Western Governor のモデルは多くの重要なステップを示しています。

4.5.3.1 コンピテンシーを定義する

多くのコンピテンシー基盤型プログラムの特徴は、雇用者と教育者との間で共同で行われる、高い次元で達成するにはどのようなコンピテンシーが必要なのかを特定する作業です。この一部は第1章で見てきましたが、問題解決や批判的思考などは、高い次元の例として考えられるかもしれません。コンピテンシー基盤型学習では抽象的で漠然とした目標を、具体的で測定可能なコンピテンシーに分割していくことに挑みます。

例えば、Western Governors University (WGU) ではそれぞれの学位について、大学評議会は高い次元のコンピテンシーの組み合わせを定義し、契約を締結した各分野の専門家によるチームが、特定の能力に関する10領域程度の高次元のコンピテンシーを選び、さらにそれらを30領域程度のコンピテンシーに分解し、これら1つ1つのコンピテンシーが達成できるようなオンラインコースが組まれていきます。それぞれのコンピテンシーは、その修了者が職場で専門家として知っておくべきことや、そのキャリア形成に役立つような内容に基づいて設計されます。学位は30領域のコンピテンシーが全て達成された時に授与されることになります。

学習者や雇用者のニーズに合う、いろいろな意味で少しずつ進んでいき(直前のコンピテンシーに基づいており、順番に学んでいく発展的なコンピテンシーになっている)、首尾一貫する(全てのコンピテンシーを達成することで、ビジネスや職業として求められる知識やスキルが完成する)コンピテンシーを定義することは、おそらくコンピテンシー基盤型教育において最も重要で、最も難しい部分となります。

4.5.3.2 コースや専攻プログラムの設計

WGU では、第三者が作った既存のオンライン・カリキュラムや、出版社との契約に基づいて電子教科書のような素材を利用しながら、自校の専門家チームがコースを作成します。また、無料で利用ができる教育用素材の利用が年々増加してきています。WGU では LMS を利用していませんが、各コースに対して特別にデザインされたポータルサイトを活用しています。電子教科書は追加費用なしで学生に提供される契約が WGU と出版社との間で交わされています。科目群はそれぞれの学習者のために事前に決定されており、選択科目はありません。毎月、新しい学生が入学しており、自分たちのペースでそれぞれのコンピテンシーに向けて学んでいきます。

既にコンピテンシーを習得している学生に対しては、2つの方法で専攻プログラムを短縮しても構わないことになっています。1つは既に関連領域で獲得している適当な分野(一般教育、作文技術など)の単位を振り替えるという方法です。もう1つは準備が整ったと考えるタイミングで試験を受けるという方法です。

4.5.3.3 学習者支援

これも施設によって異なります。WGU では約750名の学習支援者を雇用しています。学習支援者には「学生支援者」と「コース支援者」がいます。学生支援者は、その学習項目に対して何らかの学位(多くの場合は修士号)を有しており、少なくとも2週間に1回、それぞれの学習者のコース学習の進捗管理を行いながら、それぞれの学習者に電話で連絡します。学生支援者は学習者の主な連絡相手となります。1人の学生支援者は約85名の学習者を受け持ちます。それぞれの学習者は最初の日から学習支援者と共に学びを開始し、卒業までその関係を続けます。学習支援者はそれぞれの学習者の進度の決定や学習の支援を行い、困難を感じている時には手を差し伸べるという役割があります。

コース支援者には通常、高度な学位が必要であり、多くの場合は博士号を有しています。コース支援者はそれぞれの学習者が必要な時には、さらに手助けをします。学習テーマにも依存しますが、コース支援者は1人につき約200〜400名の学生を受け持ちます。

それぞれの学習者は学生支援者やコース支援者にいつでも(何度でも)連絡することができます。学習支援者は通常業務日の間は学習者からの連絡に対応することを求められています。学習支援者はフルタイムの勤務ですが、フレックス制であり、通常は自宅からの業務となります。学習支援者は比較的給与が良いのですが、学習支援のための徹底的な訓練を受けています。

4.5.3.4 評価

WGU はレポート、ポートフォリオ、プロジェクト、学生のパフォーマンス観察、そしてその科目にふさわしいコンピュータ採点による課題を、詳細なルーブリックと共に用いています。評価はオンラインで提出され、人の目による確認が必要であれば、認定された評価者(WGU が評価する研修を済ませた専門家)がランダムに割り当てられ、合否判定を行います。もし学生が不合格であった場合、評価者はどの領域でコンピテンシーが不十分であったかのフィードバックを行います。学生は必要であれば課題の再提出を行うこともできます。

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Remote proctoring of exams
図4.5.3 試験の遠隔監督:学生は部屋に設置された2つのカメラによって監督されます

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学生は事前の評価としての形成的評価、および試験監督のもとで行われる総括的評価との両方を受けることになります。WGU ではオンラインでの監督つき試験も増加しており、動画での個人確認のもと、自宅から試験を受けても構わないことにしています。この場合、顔認識の技術によって登録された学生が受験していることを確認できるようにしています。教育や医療の分野では、学生の実技や実践を現場で専門家(教員、看護師など)が評価します。

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Example transcript from Northern Ariziona University
図4.5.4 Northern Arizona Universityにおける成績証明の例
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4.5.4 長所と短所

コンピテンシー基盤型教育の支持者たちは以下のような数々の長所を提示しています。

そのため、WGU、University of Southern New Hampshire、Northern Arizona University など、コンピテンシー基盤型を少なくとも一部において利用している大学では年30〜40%の入学者増が見られています。

主な短所としては、学習環境によってはうまく機能しないことがあるという点です。

4.5.5 最後に

コンピテンシー基盤型学習は学習デザインにおいても比較的新しい取り組みですが、雇用者の間では一般的になってきており、例えばスキルの再習得を求めている成人学習者や、中間管理職に就きたいと考えていて、なおかつスキル目標が比較的手の届くところにあるという成人学習者にとっては適していると言えます。一方、コンピテンシー基盤型学習は全ての学習者に適しているわけではありません。高度な職業、抽象度が高い知識、創造的な問題解決、意思決定、批判的思考が求められるスキルなどの育成においては限界があります。

アクティビティー4.5 コンピテンシー基盤型教育を考える

  1. コンピテンシー基盤型教育を応用する際に、どのような要因が影響してくるでしょうか。この手法を効果的に用いることができるシナリオを思いつきますか。
  2. 学習者が集団ではなく、一人ひとり個別のペースで学んでいくことの長所と短所は何でしょうか。個別での学習では経験できそうにないスキルとしては何があるでしょうか。
  3. コンピテンシー基盤型の学習は、個々の教員が時間をかけて企画していくべきものなのでしょうか。この教育手法を取り入れる際に、組織全体による支援としては何が求められるでしょうか。

さらなる学習として

この箇所を執筆した際には、コンピテンシー基盤型学習に関する文献や研究について、他の教育手法と比べて文献が非常に少ない状態でした。コンピテンシー基盤型学習は近年になって発達してきた分野であり、初期の頃は訓練に重点を置いた手法となっています。このような理由により直近の文献を参照するには限界がありました。この分野についてさらに理解を深めるためには、以下の文献が参考となります。

Book, P. (2014) All Hands on Deck: Ten Lessons from Early Adopters of Competency-based Education Boulder CO: WCET

Cañado, P. and Luisa, M. (eds.) (2013) Competency-based Language Teaching in Higher Education New York: Springer

Garrett, R. and Lurie, H. (2016) Deconstructing CBE: An Assessment of Institutional Activity, Goals and Challenges in Higher Education Boston MA: Ellucian/Eduventures

Rothwell, W. and Graber, J. (2010) Competency-Based Training Basics Alexandria VA: ADST

Weise, M. (2014) Got Skills? Why Online Competency-Based Education Is the Disruptive Innovation for Higher Education EDUCAUSE Review, November 10

The Southern Regional Educational Board in the USA has a comprehensive Competency-based Learning Bibliography

4.6 実践共同体

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Bank of America's Vital Voices progam links women executives of small and medium sized enterprises Image: © Belfast Telegraph, 2014
図4.6.1 Bank of America’s Vital Voices のプログラムは世界中の中小企業の女性経営者を繋いでいます。
画像: © Belfast Telegraph, 2014
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4.6.1 実践共同体の背景にある理論

教育設計を進める際には多くの場合、複数の学習理論を組み合わせることになります。実践共同体には経験学習、社会構成主義、結合主義などが含まれており、学習理論を厳格に分類することの限界を示しています。実践はますます複雑になる傾向があります。

4.6.2 実践共同体とは

定義:

自分たちの関心事や情熱を共有している人の集まりであり、定期的な交流を通じ、その内容をより良くできるよう学んでいくためのもの。

Wenger, 2014

実践共同体の背景にある考え方は非常にシンプルです。それは「私達はみな、日常生活の中で、自分たちを認識できるコミュニティから学びを得ている」というものです。実践共同体はどこにでもあります。ほぼ全ての人がいくつかの実践共同体に属しています。これは同僚や仲間、専門領域や取引先、余暇、興味関心(例えば読書会など)に限りません。Wenger (2000) は実践共同体について、興味関心によるコミュニティや地理的なコミュニティとは異なり、実践の共有が含まれているものであると論じています。実践の共有とはすなわち、物事の作法が参加者の中でかなりの程度で共有されているという意味です。

Wenger は実践共同体について以下の3つの重要な特徴があるとしています。

Wenger (2000) は、個々人は実践共同体に参加することで学習しますが、より重要なこととして、集団での活動を集めることで、より新しい、より深いレベルでの知識が生まれてくるこということを議論しています。例えば、もしも実践共同体が様々なビジネスのプロセスの中心に位置するのであれば、あらゆる組織に対して非常に有益な結果を生むことになるでしょう。Smith (2003) は以下のように説明しています。

(略)実践共同体は作業に影響を及ぼします(中略)。その可能性は、変化の速い仮想経済において、歩みの遅い伝統的な階層社会に内在している全ての問題に打ち勝つためにも重要です。実践は構造化されていない問題を扱う場面でも効果的な手法として観察され、そして伝統的に構造化された領域の外へ知識を拡大していくためにも有益です。また、共同体のコンセプトは長期的に組織を拡大、発展、維持させる手段であると認識されています。

Brown and Duguid (2000) はXerox 社の現場での修理担当カスタマーサービスの営業部門を中心として成長してきた実践共同体について記しています。Xerox の営業担当者たちは朝食や昼食の時の気軽な打ち合わせで、業務上の助言や秘訣を共有しはじめました。そして Xerox 社ではこのような相互交流と創造の場に価値があることを見出し、最終的には Eureka プロジェクトとして世界中の販売員でネットワークを共有できるようにしました。Eureka データベースは100万ドルものコスト削減に寄与したと推定されています。Google や Apple のような企業においても、多くの専門家が知識を共有するための実践共同体を奨励しています。

テクノロジーは広範囲に実践共同体を支援するツールを提供しています。Wenger (2010) は以下の図で表現しています。

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Figure 4.6.2 Communities of practice Image: Wenger, 2010
図4.6.2 実践共同体を支援するツール
画像: Wenger, 2014

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4.6.3 効果的な実践共同体をデザインする

多くの実践共同体には決まったデザインというものはなく、いつの間にかできているという傾向があります。実践共同体には自然なライフサイクルがあり、コミュニティである必要性がなくなった時に終わりを迎えます。しかし現在では、実践共同体の有効性を維持し、改良するにはどのようにしたら良いかについての理論や研究がたくさん行われています。

実践共同体の究極的な成功は、コミュニティの構成員自身による活動によって決定づけられるものですが、Wenger, McDermott and Snyder (2002) は、効果的かつ持続的な実践共同体を生み出し、特にコミュニティの運営に関与するための7つの重要な原則を発見しています。これによると実践共同体の設計者には、以下が求められます。

4.6.3.1 発展をねらった設計

そのコミュニティがうまくいくことを保証し、また、共通の関心領域から大きくぶれることなく構成員の興味に合う形に少しずつ重点を置くように変化していくことを保証することが求められます。

4.6.3.2 内から外、外から内の両方を見据えた話し合い

実践共同体の内から外に向かう「新たな論点の紹介と話し合い」、そして外から内に入ってくる「新たな論点の導入と話し合い」の両方を促します。

4.6.3.3 異なるレベルの参加を奨励する

この全てが参加できるようなコミュニティにしましょう。

(1) 最も積極的で中心的な参加者

(2) 定期的に参加しているが積極的には貢献せず先導的な立場は取らない参加者

(3) おそらく大多数でコミュニティの周辺から自分たちが深く関与できる活動や話し合いが行われる時だけの参加者

4.6.3.4 コミュニティに公的な空間と私的な空間の両方を作成する

公的な場での話し合いと同じように、より私的な個人またはグループでの活動を奨励することで、実践共同体は強化されます。例えば、個人単位で活動についてブログを書くこともあるでしょう。また、小規模なオンライン・コミュニティで生活区域や職場が近い者たち同士が非公式に対面で会う機会を設けようとするかもしれません。

4.6.3.5 価値に重点を置く

意見や話し合いを通じて、コミュニティに最も価値を与えるものは何であるかを明確に突き止めようとする試みを取り入れるべきです。

4.6.3.6 親しみやすさとワクワクとを結合させる

共通の関心事や物事の捉え方に重点を置くだけでなく、話し合いや行動のために、大胆な視点や挑戦的な視点を取り入れると良いでしょう。

4.6.3.7 コミュニティのリズムを生み出す

参加者の時間的制約や興味関心が許す範囲の中で、参加者を定期的に結びつける活動や重点項目を決めておくことが求められます。

その後の研究において、実践共同体の参加者に効果を与える、いくつかの決定的な要因が見つかっています。その中には、以下が含まれます。

EDUCAUSEは高等教育における実践共同体をデザインし育てていくための、段階的なガイドを開発しています。(Cambridge, Kaplan and Suter, 2005)

最後に、例えば協同学習や MOOCs など、他の分野にも関わる研究が、実践共同体の設計や開発に関係する情報を与えてくれる場合もあります。例えば実践共同体は、秩序と無秩序の間でバランスが求められています。あまりに体系化されすぎているところにたくさんの参加者がいれば、何を話し合ったらいいのか、気詰まりを感じてしまうかもしれません。逆にあまりに体系化されていない場合、参加者はすぐに興味関心を失ってしまうか、当惑してしまうことでしょう。

グループやオンライン行動に関する他の知見、例えば他者を尊敬すること、オンラインでのエチケットを観察すること、話し合いの中で特定の個人が場を仕切ろうとしないことなども全て当てはまる傾向にあります。しかし多くの実践共同体では自浄能力がはっきりしていますので、運用上の規則を確立し、参加者にもその規則を守らせることは、まさに参加者自身の責任と言えるでしょう。

4.6.4 デジタル時代における実践共同体を通じての学び

実践共同体はインフォーマル・ラーニングを強力に象徴するものです。実践共同体は共通の興味関心や課題に取り組んでいくために、自然に発展していきます。元来、実践共同体は公的な教育組織の外側に置かれる傾向がありました。多くの場合、参加者たちは公式な認定を求めているのではなく、日常生活での課題を解決したり、より良い方法を求めたりしています。さらに、実践共同体は特定のメディアに依存するものではありません。参加者は対面で打ち解けた場面や、職場で行われることもあるでしょう。もちろんオンラインの実践共同体や、仮想的な実践共同体に参加することもできます。

ここで示しておきたいのは、実践共同体は、変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な状況を特徴とするデジタル世界においても、非常に効果的であるかもしれないということです。生涯学習に関する需要の大部分は今後、協調学習、知識や経験の共有、クラウド・ソーシング(ネット上の一般人にわずかな報酬でアイデア提供や開発業務を委託すること)などを通じて、実践共同体と自己学習が埋め尽くすことになるでしょう。このようなインフォーマル・ラーニングの提供は、赤十字、グリーンピース、UNICEF、あるいは地域政府などの非政府組織や慈善事業で、彼らが所属する領域におけるコミュニティに関わる方法を模索している団体によって行われています。

このような学習者のコミュニティは広範囲で無料で利用できるため、大学が提供する高価な生涯学習プログラムの競争相手にもなっています。このことは大学にとって脅威であり、現在の中等後教育が資格認定を独占している状況を今後も維持していくために、インフォーマル・ラーニングへの認識について、より柔軟な準備を進めていく必要性が生じてきています。

大規模かつオープンなオンライン・コース (MOOCs) は近年における重要な開発成果であり、オンラインでの実践共同体の展開に活用されてきました。MOOCs については第5章で詳細を述べていきますが、MOOCs と実践共同体との関係性についてはここで述べておく意義があるでしょう。現在、数多くみられる教授主義的な xMOOCs では、実践共同体はほとんど考慮されていませんでした。そこで使われているのは情報伝達的な教育方法であり、専門知識が少ないと考えられる学習者に向けて、専門家が情報を発信するような使い方だからです。

一方、結合主義的な MOOCs では、世界中に散らばっている専門家たちが、共通する興味・関心領域に集まってくるという理想的な形をとっています。結合主義的な MOOCs は仮想空間における実践共同体により近い存在であり、同じようなレベルの参加者との知識の共有を重視しています。

しかし現時点での結合主義的な MOOCs では、必ずしも先行研究が示している実践共同体の最良の方法を取り入れながら発展しているわけではありません。また、新たに仮想的な実践共同体を立ち上げるには MOOC 提供者の協力が必要で、MOOC のソフトウェアに対してアクセス権限を与えてもらう必要があります。

実践共同体がデジタル時代において、ますます重要になってくる可能性は大きいです。しかし実践共同体が従来型の教育の代わりになると考えるのは誤りでしょう。教育を設計する際、唯一の「正解」となる手法はありません。集団が違えば、ニーズも変わってきます。実践共同体は、生涯学習者のようなある種の学習者にとっては、既存の教育の代替になることでしょう。参加者が当該領域に関してある程度の知識を持っていれば良い成果が期待できるでしょう。そして個人的に貢献ができれば、さらに建設的な方法で議論に参加できれば、一層の効果を発揮することでしょう。このことは少なくともこれまでの考え方に基づく一般的な教育や研修で学んだ何らかのことが、うまくいっている実践共同体に参加しようとしている人々にも必要であることを示しています。

現在の世界は流動的、複雑なもので、不確実性が高く、曖昧な状況であることははっきりしています。しかしインターネットのおかげでソーシャル・メディアが使えるようになり、地球規模での知識の共有が求められる必要性が出てきました。今後、仮想的な実践共同体は一般的で、重要なものとなることは間違いないでしょう。賢明な教員であれば、特に生涯教育の場面で、実践共同体のモデルの強みをどう活かすか考えることでしょう。しかし、単に一つの興味関心の下にたくさんの人が集まったとしても、効果的な学びに繋がる可能性は低いでしょう。実践共同体のモデルを一層効果的にするためにはこれらのデザイン原則に注意を払うことが必要なのです。

アクティビティー4.6 実践共同体を成功させる

1. あなたが所属している実践共同体はどのようなものか説明できますか。その共同体は成功していますか。また、本節で概観した主要な設計上の原則に当てはまっていますか。

2. 実践共同体について、あなたの教員としての仕事を支援してくれるように改良する方法は何か思いつきますか。

3. 対面でのコミュニティでは必要ではなかったもので、オンラインでの実践共同体を成功させるために特に必要なものはありますか。

参考文献

Brown, J. and Duguid, P. (2000) Balancing act: How to capture knowledge without killing it Harvard Business Review.

Cambridge, D., Kaplan, S. and Suter, V. (2005) Community of Practice Design Guide Louisville  CO: EDUCAUSE

Smith, M. K. (2003, 2009) ‘Jean Lave, Etienne Wenger and communities of practice’, the encyclopedia of informal educationwww.infed.org/biblio/communities_of_practice.htm.

Wenger, E. (2000) Communities of Practice: Learning, Meaning and Identity Cambridge UK: Cambridge University Press

Wenger, E. (2014) Communities of practice: a brief introduction, accessed 15 July 2019

Wenger, E, McDermott, R., and Snyder, W. (2002). Cultivating Communities of Practice (Hardcover). Harvard Business Press; 1 edition.

改訂・追加の課題図書

Wenger, E., Trayner, B. and de Laat, M. (2011)Promoting and assessing value creation in communities and networks: a conceptual framework Heerlen NL: The Open University of the Netherlands

This document presents a conceptual foundation for promoting and assessing value creation in communities and networks. By value creation we mean the value of the learning enabled by community involvement and networking.

For an interesting critique of this paper, see:

Dingyloudi, F. and Strijbos, J. (2015) Examining value creation in a community of learning practice: Methodological reflections on story-telling and story-reading Seminar.net, Vol. 11, No.3

シナリオE:ETEC 522 e-Learning におけるベンチャービジネス

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マイク:おお、ジョージじゃないか。お前が UBC (ブリティッシュ・コロンビア大学) で取ってる奇妙なコースのことをアリソンとラヴィッシュに聴かせてやってくれよ。

ジョージ:やあ、お二人さん。いやあ、すごいコースなんだよ。僕が受講している他のコースとは全く違っててねえ。

ラヴィッシュ:どんなコースなんだい?

ジョージ:テクノロジー企業を新しく始める方法だよ。

アリソン:一体どうしたの?あなた、教育専攻の修士課程にいるわよね?

ジョージ:うん、そうだよ。このコースでは教育で使われる新しいテクノロジーに注目しているんだけどね。それでテクノロジーを一つ選んで、会社の作り方を学ぶんだ。

マイク:ジョージ、本当かよ?じゃあ、社会主義の原理とか、公教育の重要性とかはどうなるんだい?そういうのはもう一切合切諦めて、太った資本家にでもなろうってのかい?

ジョージ:ううん、そんなのじゃないよ。このコースでやろうとしているのは、学校や大学で上手にテクノロジーを使うにはどうしたらいいかを考えることなんだよ。

マイク:でも、儲ける方法とかもやるんだろ?

ラヴィッシュ:マイク、ちょっと黙っててくれないか。おいジョージ、聴かせてくれよ。俺、興味あるんだ。実際に経営学を勉強しているからな。お前、まさか13週間で会社を作る方法を勉強しているのかい?やれやれ、ちょっと待ってくれよ。

ジョージ:どちらかと言えば起業家になる方法かな。リスクがある中でこれまでと違ったことをやったりする。

マイク:もちろん他人の金でだよな?

ジョージ:うーん、本当に君はこのコースに関心があるのかい?それとも僕に苦難を味わわせたいだけなのかい?

アリソン:マイク、ちょっと黙っててよ。ところでジョージ、もう何かテクノロジーは選んだのかしら?

ジョージ:だいたいね。このコースではほとんどの時間をかけて教育分野で利用できそうな新しいテクノロジーのことを調べて分析しているんだけど、一つテクノロジーを選んで、調査して、それをどうやって教育に活かすか計画を立てて、しかもそれを使ってどうやってビジネスにつなげるかを考えるんだ。でも僕が思うに、このコースの本当の目的はどうやってテクノロジーで教育や学習を改善したり、変えたりできるかを考えることじゃないかなあ。

ラヴィッシュ:それで、一体どんなテクノロジーを選んだのかい?

ジョージ:ラヴィッシュ、そんなに結論を急ぐのは良くないよ。このコースでは2つの軍隊風の基礎訓練があってね、一つはエドテック市場の分析、もう一つは起業するための能力、つまり起業家になるためにはどうしたら良いかを知ることなんだよ。マイク、どうして笑ってるんだい?

マイク:お前が戦闘服を着て、砲火の下を這い回りながら、それでいて手には本を持っているなんて笑えるな。

ジョージ:まさか、そんな軍隊風の基礎訓練じゃないよ。完全にオンラインなんだ。先生が最初にいくつかテクノロジーを示してくれるんだ。でも多すぎて、あっという間に制限時間が過ぎてしまうぐらい次々と出てきてね、何を調査するかほとんど時間がないんだよ。そこでみんなで協力し合うんだ。多分これまで50種類以上の製品やサービスを調べたはずだよ。そしてみんなで分析結果を共有するんだ。今のところ3つまで絞り込めたんだけど、近いうちに1つに決めなきゃいけない。そして YouTube でうまく宣伝しないといけない。それが成績に繋がるんだ。

ラヴィッシュ:何だって?

ジョージ:みんなでほとんどの製品を調べ終わったら、次にそれを売り込むための短い動画をYouTubeで作ることになるんだよ。どんなテクノロジーを選んだとしても、その事例を8分以内の動画にしないといけない。それで成績の25%が決まるんだ。

アリソン:わあ、それは大変ね。

ジョージ:うん。みんなで助け合ってやってるよ。試し撮りしたのをみんなで見せ合ってあれこれ意見を出し合うんだ。それで何日かしてから完成版を提出するんだよ。

アリソン:他にはどんなことで成績が決まるの?

ジョージ:25%は失読症の学習者を助けるダイバスターっていう名前の製品を分析する課題で決まるんだ。僕は主に教育的な意味での長所と短所を分析したんだけど、これは商業的にも行けると思うね。別の課題で、これも25%分なんだけど、何か一つ製品やサービスを選んで、その応用事例を考えないといけなかった。僕の場合はある製品を使って一つの単元を教えたんだ。4人のチームなんだけどね、僕らのチームは無料で使える既製のオンライン・シミュレーション・ツールを使って、とある化学反応を教える簡単なモジュールを作ってみたんだよ。それから最後の25%分は議論や課題にどのくらい貢献したかで決まるのさ。

ラヴィッシュ:何だって?自分で自分の成績を決められるのか?

ジョージ:そうじゃない。自分でやったことを全部集めてポートフォリオみたいなものを作って、それを先生に提出するんだ。それを見て貢献の度合いによって成績をつけてくれることになっている。

アリソン:でも、まだよく分からないんだけど、カリキュラムってどうなってるの?どんな教科書を読まされるの?何を知ってなきゃいけないの?

ジョージ:うん。それが2つの軍隊風の基礎訓練なんだ。でも本当はね、僕ら学生がカリキュラムを作るんだよ。先生が言うには最初の週の課題は教育に関連がありそうな新しいテクノロジーにどういうものがあるのかを考えることだってね。そして8種類の中から選んでグループを作ったんだ。これまでたくさんいろいろなことを学んだよ。インターネットでいろいろな製品を検索して分析しただけだけどね。みんな、なぜその結論に至ったかを考えて正しく説明しなきゃいけないからね。どんな教育理念を持っているんだろう、とか、どんな基準で製品を選んだり拒んだりしているんだろう、とか、これってふさわしいツールなのかな、とか。でも会社が潰れてしまったり、テクノロジーがもうサポートされなくなったりで、いい教材がなくなってしまうのは残念だよね。何よりも勉強になるのはテクノロジーの別の使い方を考えることだよ。これまで別の教え方なんて考えたことがなかったのにね。テクノロジーは人生を楽にするだけのものだと思ってたけど、このコースのおかげで本当の可能性を考えることができるようになったよ。今になって思うんだけど、学校をデジタル時代に向かって振り回すためにも、もっといい立ち位置に立てたような気がするんだ。

アリソン:(ため息)うーん、それって学部と大学院の違いってことにならない?そんなこと、もっと教育のことを知ってからじゃないと、やっちゃダメだと思うわ。

ジョージ:どうだか分からないね。たくさんの起業家が教育のためのツール開発から手を引いたようには思えないし。

マイク:ジョージ、ごめんな。俺、お前が大金持ちになるのが待ちきれんわ。じゃあ次はお前が何か飲み物を買ってきてくれるよな?

 

このシナリオは教育工学専攻の修士課程プログラムブリティッシュ・コロンビア大学大学院)に基づいて書かれています。

教員は David Vogt と David Porter で、インストラクショナル・デザイナーの Jeff Miller が支援しています。

4.7 アジャイル (Agile) な設計:学習のための柔軟な設計

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4.7.1 アジャイルな設計モデルの必要性

Adamson (2012) は次のように述べています。

個々のビジネスが膨大かつ複雑であり、混乱や不確実さが相互に結合しているような世界を支えている仕組みのこと。原因と結果という連続的なプロセスが次第に関連性を失っていくため、知的労働者たちは新しい方法や解決策を考える必要がある。特に知的労働者は、変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な(Adamson は VUCA 環境と呼んでいます)状況に対応する必要があります。これは確実に教員にも当てはまります。なぜなら新しい技術を活用し、様々な個性のある学習者に対応し、教育機関に対しても変化が求められるような、急激な変化を伴う世界で仕事をしなければならないからです

例えばコース設計に注目してみましょう。教員はどれだけ速く新しいコンテンツを開発し、日々入れ替わるような新しい技術やアプリに気を配り、常に変化する学習者の気質に注意し、デジタル時代に求められる知識やスキルを育成しなければならないという圧力にどのように対応すれば良いのでしょうか。変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な環境においては、柔軟な思考、ネットワーキング、情報収集や分析などの抽象的な「スキル」レベルを設定しない限り、事前の学習成果を設定することさえ困難です。学習者は知識運用に関して、どこで関連する情報が得られるか、どのように情報にアクセスするのか、その情報をどのように評価し適切に利用するのか、といった主要なスキルを身につける必要があります。これは学習者に対して少しずつ知識を与えるところから始め、理解させ、練習させ、意見を求める機会を与えます。これによって知識の理解力を測定し、評価を行いながら、現実世界での問題解決に対応させていきます。

このためには、変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界で求められる知識やスキルを学習者が身につけることができる、豊富で常に変化する学習環境を用意する必要があります。

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Figure 6.16 A volatile, uncertain, complex and ambiguous world Image: © Carol Mase, Free Management Library, 2011, used with permission
図4.7.1 変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界
画像: © Carol Mase, Free Management Library, 2011, used with permission
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4.7.2 アジャイルな設計モデルの基盤

このモデルの設計思想を表現するには困難な理由が2つあります。1つは、アジャイルな設計には唯一のアプローチというものが存在しないことです。その環境に応じて適用する方法を変えることができます。もう1つの理由は、もともと小規模な開発でのみ利用されており、過去数年間、技術やメディアの利用が容易な場面で使われきたもので、これを教員やコース設計者が元来の趣旨である標準的な設計思想ではない場面で導入し始めたのです。つまりアジャイルな設計というもの自体がまだまだ発展の途上であるということです。しかし、このことはソフトウェアの設計者たちも同様に直面してきたことです。(例えば、Larman and Vodde, 2009 や Ries, 2011などを参照)ひょっとすると教育設計において応用できる知見があるのではないでしょうか。

ここで最初に「アジャイルな」設計と、ADDIE モデルから派生したラピッド・インストラクショナル・デザイン (Meier, 2000) やラピッド・プロトタイピングとを区別しておくことが重要です。ラピッド・インストラクショナル・デザインやラピッド・プロトタイピングでは、特に企業研修におけるコースやモジュールをすばやくデザインすることができますが、設計者たちは ADDIE モデルと同じように、決まった順序で反復しながら進めていきます。ただし、この流れは ADDIE モデルよりも圧縮された流れで進みます。ラピッド・インストラクショナル・デザインやラピッド・プロトタイピングは、アジャイルな設計の一種と考えられることもありますが、以下に示すような重要な要素が不足しています。

4.7.2.1 軽量かつ素早い

ADDIE が100人のオーケストラで、複雑な楽譜と長時間のリハーサルを必要としているとすれば、アジャイルな設計はジャズ・トリオで、一回の演奏のために集合したら次の演奏まではバラバラになっているというものです。コースの開始前には短い準備期間しかありませんが、コースをどのように進め、どのようなツールを使い、学習者にどのような活動をさせるか、あるいは学習者をどのように評価するのか、などはコースの進行とともに決められていきます。

教える側にしてみれば、多くの場合は数人が実際の設計に関わり、普段はめったに会うことのない1~2名の教員と1名のインストラクショナル・デザイナーが、学習者からのフィードバックや学習者の進捗などを基に、コースを運営していくことになります。ただしコースの進み具合によっては、より多くのコンテンツ関係者が何らかの理由で招集されたり自発的に参加したりすることもあります。

4.7.2.2 環境の変化に伴ってコンテンツ、学習活動、使われるツール、評価が変わる

コースで発達させようとしている中核的なスキルが変化しにくいものであったとしても、扱われるコンテンツは非常に柔軟であることが多く、湧き上がってくる興味関心や知識、それまでの学習者の経験に基づいて利用されます。例えば、シナリオEの ETEC522 に対しては、総合的な学習目標は教育の先駆者やイノベータに求められるスキルの獲得であり、これについてはコースが繰り返されても変化することなく残ります。しかし技術は急速に新しい製品、アプリ、サービスを毎年のように生み出していることから、コースのコンテンツは毎年大きく変化しています。

また、学習活動や評価の手法についても変化を受けやすくなっています。これは学習者たちが新しいツールや技術を使えるようになると、学習にも利用することができるようになるからです。学習者は自分たちでコアとなるコンテンツを探し出し、管理し、自由に使うツールを選ぶことができるということがよくあります。

4.7.2.3 その設計はこれまでの技術でできたこと、これからの技術でできることを活用しようとする

アジャイルな設計は、新しいツールやソフトウェアの可能性を教育に活用することを目的としており、少なくとも時には副次的な学習目標を変えることをも意味しています。これは、技術の進化で新しいことができるようになることに伴って、学習者を育てるためのスキルも年々変化していくということを意味するのかもしれません。ここで重要なことは、新しい技術によってこれまでと同じことがやりやすくなるのではなく、デジタル世界にますます関係が深い、これまでとは異なる成果のための努力が求められるということです。

例えば ETEC 522 では、学習開始時点では LMS は利用しませんでした。その代わりに WordPress で作成された Web サイトが使われました。なぜなら学習者も教員と同様に、コンテンツを投稿していたからです。しかし他の年にはコースのコンテンツとしてモバイル学習が取り上げられていたため、コースではアプリやその他のモバイル機器が重要な要素として扱われてました。

4.7.2.4 実質的な教育の原則がコースの全体設計を1つの先端まで導く

メロディー、リズム、曲の構成といった共有された枠組みの中で多くのジャズトリオがうまくいくように、アジャイルな設計も、最も良い方法による原則によって形作られています。最も良いアジャイルな設計は「良い」教育設計の原則に紐付いており、例えば明確な学習目標の存在、学習目標に関連した評価方法、手厚い学習支援、即時的かつ個別化されたフィードバック、アクティブ・ラーニング、協調学習、そして学習者からのフィードバックに基づくコースのメンテナンスが、豊富な学習環境に含まれています(付録A を参照)。時には実験的な理由により、意図的に最も良い方法から離れた実践が行われることもありますが、コース全体にリスクに与える影響を避けて実験することから、通常は小規模な違いしかありません。

4.7.2.5 経験主義的な、開かれている実用的な学習

通常、アジャイルなコース設計は現実世界にぴったりと当てはまるように行われます。そして大部分、あるいは全てのコースは、登録された学習者以外にも開かれることがあります。例えば、YouTube での最新ビジネス紹介のように、ETEC 522 の多くは、そのテーマに興味のある人達に広く開かれています。これにより、起業家が新しいツールやサービスの紹介をするために、あるいは経験したことを情報交換するためにコースへアクセスしてくることもあります。

他にも、カナダの大学が開発した南米研究についてのコースの事例があります。このコースにはオープンかつ学生によって運営されている Wiki があり、それを利用して学生たちはそれぞれが立てた最近の話題についてオンラインでディスカッションを行うことができました。このコースはアルゼンチン政府が国営化しているスペインの石油会社、Repsol でも同時に積極的に利用されていました。数人の学生たちがアルゼンチン政府の活動に対して批評的なコメントを投稿したところ、翌週、たまたまこのコメントをネット検索中に見つけたアルゼンチンの大学の教授が、政府の政策を擁護する詳細な返信を行なったことがありました。その後、このトピックはコースの公式なディスカッション・テーマとして扱われるようになりました。

このようなコースは部分的にのみ公開されていることもあります。過激なテーマはパスワードで保護されたディスカッション・フォーラムで扱われ、それ以外の部分は公開されているということもあります。このような設計が繰り返し行われる中で、さらに明確な設計原則が他にも登場してくるかもしれません。

4.7.3 柔軟な設計モデルの長所と短所

アジャイルな設計の主な長所の一つは、学習者を変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界に備えさせることに重点が置かれているということでしょう。これは学習者がデジタル社会で求めれられる多くの特別なスキル、すなわち知識マネジメント、マルチメディアによるコミュニケーション、批判的思考、イノベーション、その領域で必要とされるデジタル・リテラシーなどの育成支援を明確な目的としています。アジャイルな設計がうまく利用されていた環境では、学習者はその教育設計が非常に刺激的で楽しいものだったということに気づいていたでしょうし、教員は熱意を持って前向きに教えることができたでしょう。アジャイルな設計では ADDIE モデルによる手法よりもコースを迅速かつ、はるかに低コストな初期投資で開発・提供することができます。

しかしアジャイルな設計は非常に新しく、先行研究も少なく、まだ評価もなされていません。コンピュータソフトのアジャイルな設計との類似点から学ぶことができるとは言え、これに関する「学校」や統一見解としての原則も存在していません。実際、アジャイルな設計の大部分は他の教育手法、例えばオンラインでの協調学習や経験学習が網羅していると論じられる可能性もあります。しかし、それぞれのコースや専攻プログラムが表面上では大きく違っていたとしても、挑戦的な教員は ETEC 522 と同じような方法でコースを設計し始めており、関連性や形状を決める基本的な設計原則には一貫性があります。(キャンパス内での利用ですが、ETEC 522 とは全く異なる他のアジャイルな設計事例としては McMaster University の Integrated Science program があります)。

確かにアジャイルな設計は教員がリスクを負う覚悟が必要ですし、成功するかどうかは、教員自身が優れた実践経験の持ち主である、または革新的かつ創造的なインストラクショナル・デザイナーによる強い支援を得ている、あるいはその両方であるということに、強く依存しています。また、アジャイルな設計思想に基づく研究成果が少ないため、これがどこまで通用するのかについては、まだよく分かっていません。例えば、この手法は比較的小規模なクラスではうまくいきますが、どのぐらいの規模までうまくいくのでしょうか。成功事例では、学習者が既に学習領域について十分な基礎知識を持っていたからという可能性もあります。それでも私はアジャイルな設計を用いた教育に期待しています。それはアジャイルな設計が変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界で求められるニーズによく合致していると考えるからです。

アクティビティー4.7 アジャイルな設計の長所と短所

  1. アジャイルな設計手法や、柔軟な設計手法は、学問的な上達に繋がると考えますか。それとも学問的にはうまく行かないと考えますか。その理由は何ですか。
  2. アジャイルな設計のような手法をあなたの教育に取り入れてみたいと思いますか。あるいは既に実施されていますか。あなたの領域においてこの手法を取り入れた場合の利益と損失にはどのようなものがありますか。

参考文献

Adamson, C. (2012) Learning in a VUCA world, Online Educa Berlin News Portal, November 13

Bertram, J. (2013) Agile Learning Design for Beginners New Palestine IN: Bottom Line Performance
Larman, C. and Vodde, B. (2009) Scaling Lean and Agile Development New York: Addison-Wesley
Meier, D. (2000). The Accelerated Learning Handbook. New York: McGraw-Hill
Rawsthorne, P. (2012) Agile Instructional Design St. John’s NF: Memorial University of Newfoundland
Ries, E. (2011) The Lean Start-Up New York: Crown Business/Random House

4.8 教育方法に関する意思決定

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Figure 4.8 Making decisions
図4.8 どの設計手法を選択するのか

(図中英文:落ち着いて正しい選択をしましょう)

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4.8.1 教育手法・設計方法の選択

第3章第4章では様々な教育方法と設計手法を扱ってきました。これ以外にも多くの教育方法・設計手法を含めることができるでしょう。まだ扱っていないものとして例えば MOOCs がありますが、MOOCs に関連する設計方法については第5章で扱うことになります。

教育手法と、その手法に基づく授業設計は、教えようとしている場面がどのようなものであるかということに強く依存します。しかし重要な基準は、学習者がデジタル時代において必要となる知識やスキルを習得するのに適した手法・設計になっているかという点です。他に考えられる重要な尺度としては、学習領域による要求、教えようとする学習者の性格、利用可能な学習素材などが挙げられます。そして何よりも学習支援の観点で重要なものは、あなた自身が「良い教育を構成するものは何か」についての捉え方と信念です。

第3章第4章で扱われた教育手法は一般的にそれぞれが独立しているものではありません。両者は混在することもあり、ある程度までは等しいこともあります。しかし混在させることには限界があります。考え方は首尾一貫している方が、学習者だけでなく、教員であるあなたにとっても混乱が少ないでしょう。

では、どのようにして適切な教育手法を選ぶべきでしょうか。図4.8.1 に1つの方法を示します。ここでは表の見出しにある5つを基準として選びました。

4.8.1.1 認識論的基盤

それぞれの手法は、どのような認識論に基づくでしょうか。その手法では、学ばなければならない知識の全体像について、硬直した「正しい」形として学習を設計しているのでしょうか(客観主義的)。それとも学習とは動的な過程であり、知識とは発見されるべきものであると捉えながらも、常に変化するものとして提示しているのでしょうか(構成主義的)。あるいは知識とは繋がりの中にあり、様々な解釈は結節点、すなわちネットワーク上の他人から得られると考え、知識の創造や伝達にはそれぞれの結節点で他人と繋がることが重要であるという観点なのでしょうか(結合主義的)。それとも認識論的には中立であり、同じ教育手法を様々な認識論的立場から捉えるのでしょうか。

4.8.1.2 産業社会とデジタル社会(期待される学習目標)

それぞれの手法は、標準化された学習目標を採用した産業社会に役立つような学習の形態に繋がるのでしょうか。高等教育を受ける比較的少数のエリートや、社会における上位層を見極め、選び出すことに役立つのでしょうか。同じような能力を持った学習者集団に対する学習の容易な運営を可能にできるのでしょうか。

それとも柔軟なスキル開発を促進し、デジタル世界において求められる知識の効果的な管理に役立てることができるのでしょうか。新しいテクノロジーでできることを適切に教育で利用することを可能にし、支援していくのでしょうか。変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界で、学習者が必要とするような教育支援を提供できるのでしょうか。学習者を支援して世界市民にすることはできるのでしょうか。

4.8.1.3 学術的な品質

それぞれの手法は、深い理解や他領域への応用が可能な学習に繋がるものなのでしょうか。学習者が選んだ領域で、その専門家に成熟することは可能なのでしょうか。

4.8.1.4 柔軟性

それぞれの手法は、今日の多様な学習者が求めるものに合致しているでしょうか。オープンかつ柔軟な学習へのアクセスを奨励するものでしょうか。絶えず変化している環境において、教員が自身の教育手法を順応させるのに役に立つでしょうか。

これらは私の評価基準ですので、他の評価基準があっても構いません。コストや時間なども重要な要素でしょう。しかし、この表を以上のような基準で作成したのは、私自身が様々な手法や設計モデルの中でどの位置にいるのか、より良く考える手助けになるからです。手法や設計モデルを特定の基準に当てはめた時、特に重要なものには3つ星を、弱いものには1つ星をつけています。また、該当しない項目にはn/aを付けています。繰り返しになりますが、あなた自身も可能な限り、これらのモデルにランクを付けてみてください。このように表現しているのは私が構成主義者だからです。もし私が客観主義者であれば、どうしようもない評価尺度を利用することを勧めてしまっていたことでしょう。

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Figure 4.8.1 Choosing design models
図4.8.1 設計モデルの選択

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21世紀型の学習、学術的な品質、柔軟性の3項目全てが高い評価になったのはオンライン協調学習です。経験学習やアジャイルな設計も高い評価となっています。伝達型の教育は最も低い評価となっています。これは私の好みにかなり近い評価です。しかし、もしあなたが500名を超える土木工学の1年生に教えるとしたら、評価結果は私のものとは大きく異なることでしょう。ですから図4.8.1は気づきを得るためのものとして使ってください。一般的な提案ではありません。

4.8.2 設計モデルと教育・学習の質

最後に、それぞれの手法の概観から、教育の質に関する主要な論点を簡単に述べてみましょう。

これ以外にも、議論すべき重要な教育手法である MOOCs があります。これは次の章で扱います。

For my personal comments on some of the issues raised in this chapter, please click on the podcast below, which summarises some of the issues in the last two chapters
この章で提示した課題に関する私のコメントについては、以下のポッドキャストを視聴してください。

An audio element has been excluded from this version of the text. You can listen to it online here: https://pressbooks.bccampus.ca/teachinginadigitalagejpn/?p=143

アクティビティー 4.8 選択する

あなたの主要な課題領域とレベルを記してください。その後、以下の設問に答えてみてください。

  1. もし学習者が将来に向けて適切な準備をしようとしている場合、そのコースまたは専攻プログラムで達成しようとしている(高次の)学習目標は何でしょうか。
  2. その学習目標を達成させていくためには、どの教育手法が最も適しているでしょうか。
  3. 現在、行なっていることをどのくらい変える必要がありますか。それによってコースや専攻プログラムはどのような形になっていくでしょうか。今後、どのように教育していきたいのか、そのシナリオを書き起こすことはできますか。また、どのように学習者はそのコースや専攻プログラムで学んでいくことになるでしょうか。
  4. 勤務先からはどのような支援が得られるでしょうか。この支援とは、アイデアの支援、変化・改善のための支援、新しい教育手法を学習する時などの資金提供、あるいはインストラクショナル・デザイナーなどの専門家からの支援などを意味します。
  5. あなたの学生は、いま考えている変更に対してどのような反応を示すでしょうか。もし彼らに「売ろう」とするのであれば、どうやって行いますか。

重要ポイント (第3章・第4章)

  1. 従来の教室における教育、特に一方伝達的な講義は別の時代に設計されたものです。確かに講義も多く提供されてはいますが、今は異なる時代背景があり、異なる教育手法が求められています。
  2. 重要な変更点は、スキルや、知識の管理が特に重視されるようになり、内容を暗記することの重要性が薄れてきたことです。私たちはデジタル時代に求められる技能の習得に繋がるような教育と学習に関する教育手法を必要としています。
  3. 全ての環境において「最適」とされる設計モデルは存在しません。設計モデルの選択には、それが適用される文脈も考慮する必要があります。それでもやはり、ある設計モデルは他のものよりもデジタル時代に求められる知識や技能の育成に有用です。私が関わる分野では、オンライン協調学習、経験学習、そしてアジャイルな設計が私の評価基準に合致しています。
  4. 設計モデルは一般的に、その配信方法には依存しません。ほとんどの場合、 オンラインであろうと教室であろうと成り立つものです。
  5. ますます変わりやすく不確実で、複雑かつ曖昧な世界において、私達には軽量で融通の効く手法が必要です。

第5章 MOOCs

V

(訳注:第5章では MOOC と MOOCs の両方が出てきます。この違いは英語の単数形・複数形によるもので、原文が Course の意味で使われている場合は MOOC、Courses の意味で使われている場合は MOOCs と訳し分けていますが、日本語では単複の区別がありませんので、どちらもほぼ同じものを指すと考えていただいて結構です。)

この章の目的

Massive, Open, Online Courses(大規模・オープン・オンライン・コース、MOOCs)は、高等教育のあらゆるテクノロジーの中で最も破壊的であり、それゆえ最も物議を醸しています。

この章を読み終わると、読者は

For a my personal introduction to this chapter, please click on the podcast below.
著者によるこの章の紹介を聴きたい場合は、以下のポッドキャストをクリックしてください。

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この章で扱う内容

この章では下記の項目について扱います。

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

  1. MOOCs の登場により、あらゆる高等教育機関はオンライン教育の戦略とオープン・エデュケーションへの取り組み方の両方について、注意深く検討せざるを得なくなりました。
  2. MOOCs はオンライン学習の一形態でもオープン教育リソースの一形態でもありません。MOOCs にはどのような長所や短所があるのか、オンライン学習やオープン性をめぐる全体的な文脈の中に位置づけて考えることが重要です。
  3. MOOCs の設計には目的や考え方が反映されている大きな違いがあるため、一様ではありません。
  4. 現在の MOOCs には、深い学びや変容する学び、つまりデジタル時代に必要とされる高度な知識や技能の習得を促進する上で、大きな構造上の限界があります。
  5. MOOCs はどちらかと言えば、まだ成熟の初期段階にあります。MOOCs の持つ強みと弱みがよりはっきりし、設計を改善するノウハウが蓄積されれば、高等教育をめぐる学習環境の中で MOOCs は今よりも重要な地位を占めることになるでしょう。
  6. MOOCs は大規模講義のような従来の教育スタイルの一部に取って代わる役割を十分に果たしうるでしょう。しかし MOOCs は、従来の教授法を補ったり代わりとなったりする重要な役割を持ち続ける思われます。MOOCs は教育への変革をせまる重要な要素であり、今後もそうあり続けるでしょうが、MOOCs そのものは高等教育にかかる高いコストを解決するものではありません。
  7. おそらく MOOCs の将来における最大の価値は、小さな地域社会でのアクションを通じて、大きな地球規模の問題に取り組もうとする手段を提供することでしょう。

5.1 MOOCs の簡単な歴史

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図5.1.1 TED Talkで話すDaphne Koller(2012年)(訳注:日本語の字幕があります)
図5.1.1 TED Talkで話すDaphne Koller(2012年)(訳注:日本語の字幕があります)

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この YouTube 動画を観るには、画像をクリックしてください。この動画への反応を知りたい方は「Coursera スタイルのMOOCs の良いところ、悪いところ」をご覧ください。

MOOC という用語が最初に使われたのは、カナダのマニトバ大学の公開講座部門が2008年、ある講座を提供した時です。学位取得の必要単位には算入されない「結合主義と結合的知識」(CK08) は George Siemens、Stephen Downes、Dave Cormier によって設計されました。この講座は学費を払っている27名の学生が受講したほか、オンラインでも無料公開されました。教員たちが大いに驚いたのは、無料のオンライン版に2,200人もの学習者が集まったことでした。Downes はこの講座と後続の類似の講座について、その設計から connectivist(結合主義)、すなわち cMOOC と分類しました(Downes, 2012)

2011年の秋、スタンフォード大学の2人のコンピュータ科学の教授、Sebastian Thrun と Peter Norvig は「AI(人工知能)入門」という MOOC 講座を開始し、16万人以上もの受講生を集めました。この講座に続いて、まもなく2つのコンピュータ科学の領域での MOOCs 講座を、スタンフォード大学の Andrew Ng と Daphne Koller が始めました。Thrun はその後 Udacity を、Ng と Koller は Coursera を設立しました。両社とも営利企業であり、独自に開発したソフトウェアを用いて大規模な受講生の受け入れと教育プラットフォームの構築を可能にしました。両社は他の主要な大学に報酬を支払ってパートナー契約を結び、このプラットフォームを通じて独自の MOOCs 講座を提供できるようにしました。近頃 Udacity は方向性を変え、職業訓練や企業研修の市場に注力しています。

2012年3月、マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学は、edX という名称のオープンソースの MOOCs プラットフォームを開発しました。edX にもオンライン受講登録や授業配信の機能がありました。edX も主要な大学との間で MOOCs 配信に関するパートナー契約を結んでおり、各大学は無償で授業を edX を使って配信できますが、中にはパートナー加入のためにお金を払う大学もありました。他にも、イギリスのオープン大学による FutureLearn など、様々な MOOCs プラットフォームが開発されています。これらを通じて提供される MOOCs の大多数はビデオ講義と機械採点によるテストに基づいているため、Downes はこれらを xMOOCs と呼び、より結合主義的な cMOOCs と区別しています。

2015年3月には、全世界での MOOCx 講座の数は 4,000を超え、そのうち1,000講座がヨーロッパの教育機関によるものでした。

参考文献

Downes, S. (2012) Massively Open Online Courses are here to stay, Stephen’s Web, July 20

5.2 MOOC とは何か

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© Giulia Forsythe, 2012 and JISC, 2012
図5.2 MOOCを理解する(© Giulia Forsythe, 2012 and JISC, 2012)
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5.2.1 MOOCs は大規模な混乱を招いているか

近年、教育の世界で MOOCs (Massive Open Online Courses) の発展ほど議論を呼んでいるものはおそらくないでしょう。作家の Thomas Friedman は、2013年に New York Times 上で次のように書いています。

高等教育を改めて考えてみると、MOOCs ほど可能性があるものは他には見つからないだろう。アメリカは比較的少額のお金を使えば、エジプトの村に場所を確保して25台程度のコンピュータを設置して高速の衛星インターネット接続を導入し、地元の教員をファシリテーターとして雇い、オンライン講義を受講したいエジプト人を誰でも招くことができるのだ。世界最高レベルの教授による授業をアラビア語の字幕つきで。修了証を発行するためにほんのわずかなお金を支払うだけで、世界中の最高水準の教授による最高レベルのオンライン講義を受講して、全ての学習者が独自の学位を作り出せる日が間もなくやってくる。MOOCs は教え方、学び方、そして雇用に至る道筋を変えてしまうだろう。

他の多くの人々も、Clayton Christensen (2010) が教育の世界を激変させると論じたように、MOOCs を破壊的なテクノロジーの一例とみなしています。その一方で、MOOCs はそれほど大した問題ではなく、教育コンテンツを配信するための新しい仕組みにすぎず、教育の根幹には影響を及ぼさないと論じている人もいます。特に、デジタル時代に必要とされる種類の学びには至らないという主張です。

MOOCs は、教育の大改革に繋がると考えられる一方で、新しいテクノロジーが現れる時に、特にアメリカで頻繁に起こるような、度を過ぎた単なる誇張の一例にすぎないとも考えられるのです。私から見れば、MOOCs は重要な意味を持つ進展であると言えますが、同時にデジタル時代に必要な知識やスキルの育成を行なうには難しい限界もあると言えるように思います。

5.2.2 主要な特徴

これから見ていくように MOOCs は教育設計の守備範囲をますます拡大しつつある用語なのですが、共通する特徴を持っています。

5.2.2.1 大規模であること

Coursera によると、設立された2011年以降の4年間で、最大規模の講座では1,200万人以上が登録し、24万人が受講したそうです。最も初期の頃の MOOCs に見られた何十万という膨大な数の登録者数は、その後の MOOCs では必ずしも同様だったわけではありませんが、それでもかなりの人数です。例えば2013年にブリティッシュ・コロンビア大学が Coursera を通じて複数の MOOCs 講座を提供したところ、最初の募集でそれぞれの講座に 25,000人から19万人が登録しています。(Engle, 2014)

しかし、このような実際の数値よりも重要なのは、MOOCs は拡張可能性が無限大であるということです。MOOCs で講座を提供している教育機関が、登録者を新たに1人追加する限界費用はほぼゼロですから、技術的には最終的な人数制限を設ける必要がないのです。とは言え、現実にはこの理屈どおりにはいきません。登録者数の増加に比例して中核となるテクノロジーやバックアップ、通信帯域といった費用が増加するので、以下で見るように MOOCs を提供する組織に連鎖的な費用が発生する可能性があります。しかし、膨大な登録者数の中では新たに1人を追加することで発生する費用が極めて小さいため、事実上は無視できるのです。おそらく拡張可能性は MOOCs の特徴の中でも、とりわけ政府機関からの注目が非常に大きい部分ですが、忘れてはならないのは、これはテレビやラジオにも備わっている特徴であり、MOOCs だけが持つものではありません。

5.2.2.2 オープンであること

MOOCs への参加者に必要なものはコンピュータやモバイル機器、そしてインターネットへのアクセスだけです。しかし、ビデオ配信を利用する xMOOCs ではブロードバンド通信が最も重要であり、おそらく cMOOCs にも望ましいでしょう。しかし利用者数の増加に比例して認定バッジや修了証につながる評価に手数料を要する MOOCs が増えつつあります。少なくとも初期の頃は、参加者は無料で利用できたのですが。

重要な点として、Coursera を通じて配信されている MOOCs の講座は完全にはオープンではないという点があります。(教育において何が「オープンであること」を構成するのかについては第10章を参照。)Coursera は教材に対する権利を有しています。そのため Coursera の許可なく別の目的で利用したり再利用することはできません。そして講座が終わるとき、Coursera のサイトから削除される可能性もあります。また Coursera のプラットフォームに MOOCs 講座を開ける教育機関であるかどうかは同社が決定することから、教育機関にとっては Coursera がオープンに利用できるというわけではないのです。一方で edX はオープンソースなプラットフォームであり、edX に参加している教育機関であればどこでも、教材の権利をどうするかの扱い方を自分たちで決め、独自の MOOCs 講座を提供することができます。cMOOCs は一般的に完全にオープンですが、参加者個人が教材の全てとは言わないまでも多くを作っているため、各個人が教材の権利を有しているのかどうか、そして教材がどれくらいの期間利用できる状態にあるのか、いつでも明確なわけではありません。

また MOOCs 以外のオンライン教材にもインターネット上でオープンかつ無料で利用できるものが多く、MOOCs 教材よりも再利用しやすい形態であることも付記されるべきでしょう(第10章を参照)。

5.2.2.3 オンラインであること

少なくとも MOOCs は本来の意味からも全てオンラインで提供されるものですが、教育機関ではキャンパス内でのブレンド型による学習で MOOCs の教材を使えるよう、権利保有者と交渉を行なっている事例がますます増えています。言い換えれば、キャンパス型の教育機関が MOOCs を使う学習者の支援を、授業を通じて教員が行なっています。例えばサンノゼ州立大学に通う学生は、Udacity の MOOCs の教材を使い、講義、課題図書、試験を利用しながら学習しました。教員は授業時間を使い、少人数での活動やプロジェクト学習、試験によって、進捗状況を確認したのです (Collins, 2013)。MOOCs の様々な活用方法については、セクション5.3でさらに詳細に論じます。

繰り返しになりますが、講座をオンラインで提供することは MOOCs に固有の特徴ではありません。アメリカだけで700万人以上の学生が通常の学位プログラムの一環として、オンラインで受講して単位を取得しているのです。

5.2.2.4 まとまった講座であること

MOOCs を他の大多数のオープンな教材と区別している特徴は、MOOCs で提供される内容は、一つにまとまった講座として構成されている点です。

しかし受講者にとっては、このことは必ずしも明確ではありません。MOOCs の多くでは講座を首尾よく終えた受講生に修了証や電子バッジを発行していますが、今までのところ、このような証明が MOOCs を提供している教育機関であっても、入学選考の際に有利になったり、単位認定されたことはありません。

5.2.3 まとめ

MOOCs が備える全ての主要な特徴は、MOOCs 以外の形態にも存在していることが分かります。しかし MOOCs に独特なのは4つの主要な特徴の組み合わせであり、とりわけ MOOCs は大規模で運用することができ、参加者にオープンかつ無料で提供されているという事実にあるのです。

参考文献

Christensen, C. (2010) Disrupting Class, Expanded Edition: How Disruptive Innovation Will Change the Way the World Learns New York: McGraw-Hill

Collins, E. (2013) SJSU Plus Augmented Online Learning Environment Pilot Project Report San Jose CA: San Jose State University

Engle, W. (2104) UBC MOOC Pilot: Design and Delivery Vancouver BC: University of British Columbia

Friedman, T. (2013) Revolution Hits the Universities New York Times, January 26

5.3 様々な MOOC の設計

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Figure 5.3 There are many variations of the basic MOOC designs Image: © Dairy Cattle, India, 2014© Dairy Cattle, India, 2014
図5.3 MOOCの基本的な設計には様々なバリエーションが存在する
画像 © Dairy Cattle, India, 2014© Dairy Cattle, India, 2014
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本節では、主な MOOC の設計について分析します。ただ、MOOCs は比較的新しい事象であり、設計モデルは常に進化し続けています。

5.3.1 xMOOCs とは

MOOCs はもともとスタンフォード大学の教授らによって、その後しばらくして MIT やハーバード大学の教員によって開発が進められましたが、非常に行動主義的であり、情報伝達モデル的です。すなわち中核となる教育は短い講義を録画したオンライン動画で行われ、コンピュータによって自動採点試験が組み合わされ、時には相互評価も用いられます。このような MOOCs は、Coursera や Udacity、edX のようにクラウドを基盤とする専用のソフトウェア・プラットフォーム上に構築されています。

xMOOCs とは、Coursera や Udacity、edX によって開発された講座を指す用語として Stephen Downes (2012) が提唱した造語です。本稿執筆時点(2015年)では、xMOOCs は最も一般的な MOOC です。xMOOCs では教員は講座の設計に大きな自由度を持っているため、細かい点を挙げていくと多種多様です。しかし、一般には xMOOCs には次のような共通の設計上の特徴があります。

5.3.1.1 専用に設計されたプラットフォーム用ソフトウェア

xMOOCs は専用に設計されたプラットフォーム用ソフトウェアを用いています。これにより大規模人数での参加者の登録、デジタル教材の保存、オンデマンドでの教材配信が可能になるほか、評価や受講生の取り組みの追跡が自動化できます。そしてソフトウェアを提供している企業が受講生のデータを収集し、分析することもできます。

5.3.1.2 動画講義

xMOOCs はオンライン配信されているということ以外は標準的な講義形式を採用しています。すなわち録画された動画講義を受講生がオンデマンドでダウンロードするのです。動画講義は通常10〜13週間にわたって毎週更新されます。初期の頃は50分講義だったのですが、経験が蓄積された結果、より短い再生時間(時には15分ほど)の動画を用いる xMOOC もあり、動画の区切りが多くなる傾向があります。同様に xMOOC で提供される講座の長さそのものが短くなりつつあり、中にはわずか5週間で終わるものも出てきました。動画制作の手法も様々です。大学での対面式の講義を録画して蓄積したものをオンデマンド配信するという講義録画型から、スタジオでの本格的な撮影を行うもの、授業を行なっているパソコンのデスクトップを教員自身が再生しながら録画するようなものまで様々です。

5.3.1.3 コンピュータによる課題の自動採点

受講生はオンライン上のテストを終えるとすぐに自動フィードバックを受け取ります。このようなテストは通常、講座期間中であれば常に受験できる状態にありますが、単に受講者へのフィードバックのためだけに使われる場合もあります。これは成績優秀者のための賞を決めるためかもしれません。あるいは講座の最後でオンライン試験として実施され、これに基づいてその講座の最終成績や修了証の発行のために使われることもあります。ほとんどの xMOOC 上の課題は多肢選択式の自動採点問題ですが、コンピュータ科学の講座ではプログラミングの一部や、数学の公式を扱うような場合もあり、回答にテキストや公式の入力を求めたり、ごくまれにですが短文回答を受講生に求めたりもします。そしてこのような問題もコンピュータが自動採点します。

5.3.1.4 相互評価

xMOOCs の中には実験的に受講生をランダムに小集団に振り分け、相互評価させる手法を試している事例もあります。特に回答形式が自由な問題や価値判断が問われるような課題でこのような手法が使われます。ですが、この方法はうまくいかないことが多いです。というのも、小集団に属するメンバー間で習熟度に差があったり、講座への関わり方において参加者に様々なレベルがあるからです。

5.3.1.5 補助教材

場合によっては、スライドのコピーや補助的な音声ファイル、他の素材へのURL、オンライン上の論文などが受講者に提供されることがあります。

5.3.1.6 意見の共有や議論のための場所

受講者たちが質問を投稿したり、手助けを求めたり、講座の内容について意見したりするための場所が備わっています。

5.3.1.7 議論の管理は全く存在しない、あるいはほんの少ししかない

議論や意見がどれくらい管理されるかは、おそらく xMOOCs に備わった他のどの特徴よりも多種多様です。たとえ管理なるものが存在したとしても、それは受講者全体に向けられており、参加者の一人一人を対象としているわけではありません。膨大な数の参加者が受講して意見を書き込むわけですから、 MOOC 講座を実施している教員(たち)による個々の意見の管理は、事例がないわけではありませんが、ほぼ不可能です。教員の中には質問や意見に全く返信しない人もいますので、そのような場合には参加者は他の参加者の反応に頼らざるを得ません。また、教員の中には意見や質問の中から「お手本」を取り上げ、それらに対する返信を投稿する人もいます。中にはボランティアや有給のティーチング・アシスタント (TA) に依頼して、受講者の多くが共有している関心事を洗い出してもらい、教員や TA が対応するという場合もあります。しかしほとんどの場合は受講者同士がお互いに意見し合ったり、質問に回答し合ったりしています。

5.3.1.8 認定バッジや修了証

xMOOCs では、コンピュータによる最終試験の成績に基づいて講座を優等な成績で修了したとみなすと、何らかの顕彰を行うのが通例となっています。しかし本稿執筆時点では MOOC が発行するバッジや修了証は、MOOC 講座を提供している教育機関によってすら、正規の授業単位や入学用途としては用いられていません。これは MOOC の講義がキャンパスに通う学生に対して行われる内容と同じであっても同様です。そして、このような MOOC の修了証明が雇用主に受け入れられたという記録もありません。

 5.3.1.9 学習分析

xMOOCs の学習分析に関して出版された情報は、本稿執筆時点ではそれほど多くありませんが、 xMOOC のプラットフォームには受講者とその成果である「ビッグデータ」を収集し、分析する機能が備わっています。これにより少なくとも理論上では、教材や設計において改善しなければならない箇所や、受講生に対して自動的にヒントを表示すべき箇所を、教員はすぐに知ることができます。

そのため xMOOCs は高品質な教材を配信し、主に受講生へのフィードバックのためコンピュータによる自動評価を行い、受講生と学習プラットフォームのあいだに生じるあらゆる主要なやり取りを自動化するという、情報伝達モデルに重点を置いた教授モデルを主に採用しています。受講生個人と講座の責任者である教員との間では直接的なやり取りはほとんど行われませんし、教員は受講生たちのコメントに対してある程度の一般的な回答を寄せる程度です。

5.3.2 cMOOCs

最初の cMOOCs は2008年にカナダのマニトバ大学で開講された、講座に関わる3人の教員によって始められました。cMOOCs はネットワーク上での学習に基づいており、受講者たちはソーシャル・メディアを利用し、他の受講生たちとのやり取りや議論に参加しながら学習を進めます。cMOOCs には標準的なプラットフォームはありません。Web放送や受講者のブログ、ツイート、ハッシュ・タグで同じトピックをブログとツイートで共有できるソフトウェア、オンラインのディスカッション・フォーラムの組み合わせによって cMOOCs が構成されます。cMOOCs を起ち上げて自ら参加する専門家もいますが、受講者たちの興味関心や貢献によって成り立っているものがほとんどです。そして一般的には、公的な成績評価は行われません。

cMOOCs と xMOOCs は全く異なる教育理念に基盤を置いています。cMOOCs では繋がりを持つこと、とりわけ受講者たちが講座の内容に深く関わることに重きを置いています。公式には教員が存在しないこともありますが、「ゲスト」として招かれた教員が、その講座のためにWeb放送やブログ執筆を行うことはあります。

5.3.2.1 主要な設計原理

cMOOCs の主要な設計原理について、Downes (2014) は次の4つを指摘しています。

このように、cMOOCs の提唱者にとっては、学習は xMOOCs のように、専門家が知識のない人に情報を伝達によって生じるものではなく、参加者たちの間での知識の共有や伝搬によって生じるものなのです。

5.3.2.2 原理から実践へ

cMOOCs では、このような主要な設計原理の特徴がどのように実践されているのか、ひとつひとつ細かく特定していくことには多少の困難を伴います。それは cMOOCs は、発展しながら繰り返し実践されるという事情があるからです。実際、大多数の cMOOCs ではこれまで、MOOC の組織づくりや宣伝、議論の発端となるコンテンツの「結節点」を提供する際、いくらかは「専門家」の手を借りてきているからです。つまり、cMOOCs の設計面での運用は xMOOCs と比べ、未だ発展の途上にあるのです。

しかし、cMOOCs の主要な設計実践としては、ひとまず以下のものが挙げられるでしょう。

そのため cMOOCs では、主に学習者の自発性に基づいてネットワーク化する手法を用います。学習者はオープンなソーシャル・メディアを通じて相互に繋がり、各自が貢献しながら知識を共有するのです。コンテンツの配信や学習者支援について、あらかじめ決まっている教育課程や、教員ー学習者という正式な関係はありません。参加者は他の参加者による貢献から学び、学習共同体の中で生成されるメタ的な知識に学び、参加者自身が行なった他者への貢献を振り返ることから学びます。このため、関心や実践に基づく学習共同体に見られる数々の特徴を持つことになるのです。

5.3.3 その他のバリエーション

ここまで xMOOCs と cMOOCs の設計について慎重に述べてきました。両者の理念や理論的な違いについては Mackness (2013)Yousef et al. (2014) にも同じような指摘がありますし、cMOOCs のもともとの設計者の一人でもある Downes (2012) 自身も同様に述べています。

しかし、ここで強調しておきたいのは、MOOCs の設計は進化し続けており、多くの変種を生み出しているという点です。Yousef et al. (2014) はこの点について、次のように図示しています。

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from Yousef et al., 2014
図5.3.3 MOOCの設計上の分類(Yousef et al., 2014, Figure 5, p.12より)

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Yousef et al. の用語を使うならば、smOOcs は small open online courses を、bMOOCs はキャンパス内で実施される対面型授業とのブレンド型で利用される MOOCs をそれぞれ表します。

しかし Chauhan (2014) は以下のように、MOOC の教授モデルをさらに細かく分類しています。

Hernandez et al. (2014) は Open University of Portugal が開発した MOOC を iMOOC と呼んでいます。iMOOC は xMOOC や cMOOC の両方を兼ね備え、さらにグループ協働学習や足並みを揃えた指導のような、単位が発行されるオンライン講座にも見られる特徴を備えています。ブリティッシュ・コロンビア大学や、その他の多くの教育機関が開発した MOOCs では、オンライン上の議論や参加者からのコメントを、ボランティアや有償のアシスタント、教員が管理しています。このような MOOCs の設計は単位取得を目指すオンライン講座に近いものですが、誰にでも開かれているという点で異なります。

5.3.4 何が起こっているのか

時が経つに連れて MOOC の設計が進化することは、さほど驚くべきことではありません。この発展には3種類の明確に区別できる段階があるように思われます。

MOOC の設計と、どのように MOOCs が使われるかについての革新的な試みは、今後もきっと続くでしょう。

しかしこのような発展が、MOOCs の定義や目標について、中でも特に大規模性とオープン性について、大きな混乱の種になるかもしれません。もし学外からの参加者が大学で行われている「閉じた」授業に参加するために高額な参加費を支払わなければならない場合、あるいは、学外から参加する前に一定の基準にしたがって選抜されなければならない場合、それは本当にオープンと言えるでしょうか。MOOC という用語が意味するのは、慣例に縛られないオンラインでのあらゆる提供物なのでしょうか。あるいはオンライン上で行われる、あらゆる連続的な教育講座を意味するのでしょうか。例えば SPOC がどのように典型的な連続する教育講座と異なるのか、 LMS ではなく記録された講義を用いること以外では何が異なるのか、なかなか理解できないでしょう。設計面と理念に大きな違いがあるにも関わらず、結局のところオンライン上の授業が全て MOOC と表現されてしまう危険さえあるのです。

このような個々の革新的な試みは、多くは教員個人が主導した結果ではありますが、基本的には歓迎されるでしょう。しかし参加者になろうとしている人々に対して公正を期すのであれば、それらがもたらす結果について注意深く検討する必要があります。MOOCs を設計する教員個々人は、それが教育理念と矛盾していないことを確認し、なぜ従来型のオンライン授業ではなく MOOC を選ぶのかを明確にしなければなりません。これは公的な評価が行われる際には特に重要です。正式には入学していない学習者や、学生として登録されていない者への評価の状況は、明確で一貫している必要があるのです。

キャンパス内で行われている授業と MOOCs を混合することは、さらに大きな混乱を招きます。現在のところ、まず MOOC を構築してから、学内の授業にどう適用できるかを検討するという戦略が採られているようです。しかし設計面からは、まず単位取得が可能な従来型のオンライン授業を構築してから、他の参加者に向けてどのようにオープン化できるかを検討するほうが良い戦略ではないでしょうか。他の戦略としては、コース専用の Wiki や学生ブログのような、オープンなソーシャル・メディアを用いて公式な授業へとアクセスを広げていく方が、本格的な MOOC を構築するよりも良いのかもしれません。

「ブレンド型」のMOOC を実験的に活用しているほとんどの教育機関において、学内の教育に MOOCs 教材を組み込む政策的合意について、現時点ではあまり考えられていないように思われます。仮に MOOC 参加者が、学内で行われている授業の受講生と全く同じ内容を履修しており、評価も全く同じだった場合、その教育機関は首尾よく講座を終えることができた学外から参加している MOOC での受講者に単位や入学許可を与えるのでしょうか。もし認められない場合、それはなぜでしょうか。このような問題を扱った教育機関の理事会を対象とした優れた議論については Green (2013) を参照してください。

さて、MOOC の発展の中には、どうやらオープン型の学習に関して政策的に手つかずのままになっているものがあるようです。いずれどこかの時点で教育機関はオープン型の学習に関して、明確で首尾一貫した戦略を打ち立てる必要があるでしょう。そこには、どのように提供されるのがベストなのか、どのようにすれば公的な学習と相互互換できるのか、どこまでオープン型の学習は教育機関の財政上の制約に対応できるのか、そして MOOCs と他のオープン教育リソース(OERs)と単位取得可能な従来型のオンライン授業が目標達成のために一致できる点はどこなのかといった論点が含まれます。この話題については第10章で詳しく扱います。

アクティビティー5.3: MOOC の設計を考える

1. MOOC と呼べるのはどういう場合でしょうか。あるいは呼べないのはどういう場合でしょうか。MOOC に共通する特徴とは何でしょうか。MOOC は今でも役に立つ用語なのでしょうか。

2. 仮にあなたが MOOC を設計するとして、誰をターゲットとするでしょうか。それはどんな種類の MOOC でしょうか。どのような学習評価を行いますか。その MOOC を実施した後、うまくいったことをどのように評価しますか。どのような基準を使いますか。

3. ゼロから MOOC を作るのではなく、あなたの担当する1つ以上の授業をこれまで以上にオープンにする方法について何か思いつくことはありますか。MOOC と比較してその方法にはどのような長所と短所があるでしょうか。

参考文献

Chauhan, A. (2014) Massive Open Online Courses (MOOCS): Emerging Trends in Assessment and Accreditation Digital Education Review, No. 25

Downes, S. (2012) Massively Open Online Courses are here to stay, Stephen’s Web, July 20

Downes, S. (2014) The MOOC of One, Valencia, Spain, March 10

Green, K. (2013) Mission, money and MOOCs Association of Governing Boards Trusteeship, No. 1, Volume 21

Hernandez, R. et al. (2014) Promoting engagement in MOOCs through social collaboration Oxford UK: Proceedings of the 8th EDEN Research Workshop

Mackness, J. (2013) cMOOCs and xMOOCs – key differences, Jenny Mackness, October 22

Yousef, A. et al. (2014) MOOCs: A Review of the State-of-the-Art Proceedings of 6th International Conference on Computer Supported Education – CSEDU 2014, Barcelona, Spain

5.4 MOOCs の長所と短所

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標準的な学術的基準による徹底した分析の結果、学内の教育と比較して MOOCs は学術的厳密さの点で上回り、はるかに効果的な教授法である。

Benton R. Groves(博士課程大学院生)

xMOOCs に感じる大きな懸念は、デジタル世界で必要とされる高度な知的スキルの習得について、現在の設計ではこれ以上進めないのではないかという点である。

Tony Bates

5.4.1 MOOCs に関する研究

本稿執筆時点ではほとんどの MOOCs は誕生から4年未満であり、MOOCs についての研究は端緒についたばかりで、刊行されているものはわずかです。現在の MOOCs 研究の多くは MOOCs を提供している教育機関自身が行なっており、入学や履修登録に関する報告か、教員自身による自己評価の形態をとっています。Coursera や Udacity のような商用プラットフォームを提供する企業は莫大なビッグデータを所有しているのですが、限定的な研究結果しか提供していないのが残念です。また edX が設立される際にパートナーになった MIT とハーバード大学は、主に自分たちの講座に関して研究を行なっています。現時点では xMOOC、cMOOC のどちらについても独立性の高い研究はごくわずかです。

しかし私はこれまで MOOCs の強みと弱みについて考察しているあらゆる研究を可能な限り利用しようとしてきました。そして私たちがはっきりと認識しておくべきは、ここで議論している MOOCs という現象が、政治的、感情的、そして多くの場合、非理性的な観点から評価されており、確かな論拠が蓄積されるまで、しばらく待たねばならないということです。

ここで述べておくべきもう1つの論点として、私が MOOCs の評価に用いる基準は、MOOCs がデジタル時代に必要とされる学びに繋がりうるかどうかである、ということを書き添えておきます。言い換えれば、第1章で定義した知識やスキルの習得に役立つのかどうかということです。

5.4.2 広く開放された無料の教育

MOOCs、中でも xMOOCs は、コンピュータとインターネットがあれば、誰にでも無料で世界最高レベルの大学から提供された高品質の教育コンテンツを利用することができます。このこと自体が素晴らしく価値のある条件です。この意味で MOOCs は教育の提供への有益な広がりだと言えるでしょう。誰がこのことに異論を唱えるでしょうか。もちろん私はそんなことはしませんし、MOOCs についての議論をさらに進めようとは思いません。

しかし MOOCs は唯一の解放された無料の教育形態というわけではありません。インターネット配信ほどの力はありませんし、影響力も限られているかもしれませんが、図書館の書籍、オンラインで広く公開された無料の教科書、そして放送による教育も無料で利用できます。このような費用のかからない教育の初期のあり方から、私たちは今なお MOOCs に当てはめるべきことを学べるのです。

このような教育形態は、公的な単位取得に基づく教育の必要性を置き換えることはありませんでしたが、これらを補強し、強化するために書籍、教科書、教育番組などが利用されてきました。ですから MOOCs も非常に優れた価値のある、教育を継続することができる、そして気楽に教育を受けることができるツールであると言えます。とは言え、以下で見ていくように、MOOCs は人々が十分に教育を受けている場合にこそ最大の効果を発揮します。

問題となるのは、MOOCs が利用者に開放された無料の教育手法であるため、特に発展途上国では従来の高等教育のコストを必然的に押し下げることや、需要そのものを消し去ってしまうというような議論が行われる時です。(5.2節の Friedman のコメントを参照してください)

これまで発展途上国では地上放送や衛星放送を通じた様々な教育提供の試みが行われてきました。(Bates, 1985)しかしこれらは全て、様々な理由でアクセス機会の増大やコストの削減に失敗してきました。中でも非常に重要なこととして以下のような問題点がありました。

また、発展途上国に一番必要なのはスタンフォード大学の教授による高品質の授業ではなく、高校レベルの授業なのです。そしてアフリカでも携帯電話は広く普及していますが、通信帯域幅は非常に狭いのです。例えば YouTube の典型的な動画をダウンロードするのに2米ドルかかりますが、これは多くのアフリカ人の1日あたりの所得に相当します。ですからストリーミング動画による講義が有効かと尋ねられたら、非常に限定的だとしか言いようがないでしょう。

MOOCs は発展途上国では無益であると言っているわけではありません。むしろ、このことが意味するのは以下の点です。

ところで、オープン教育リソースという意味では MOOCs が常に開放されているというわけではありません。例えば Coursera や Udacity では許諾なしでの教材の再利用に制限がありました。edX のような開放されたプラットフォームでは、教員個人や教育機関ごとに教材の再利用を制限できます。ただし、多くの MOOCs は1〜2年間だけ存在して消えていきます。そのため MOOCs 上の教材を別のコースや別の専攻プログラム上で再利用することが難しくなっています。

最後に、MOOCs の大部分には無料で参加できますが、MOOCs の提供側には相当のコストがかかります。この点は 5.4.8 でさらに掘り下げて論じます。

5.4.3 MOOCs の主な利用者

Ho et al. (2014) の報告によると、ハーバード大学と MIT の研究者らは edX を通じて提供された17の MOOCs 講座のうち、全受講者の66%、修了証を得た受講者の74%が学士号以上を有しており、71%は男性、平均年齢は26歳でした。また、この報告と他の研究によると、受講者のかなりの割合(40〜60%)はアメリカ国外から参加しており、高品質な大学教育へのオープン・アクセスに強い関心が寄せられていることが示唆されました。

コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの研究者らである Hollands and Tirthali (2014) の報告は「MOOC の中では活発」な62の教育機関における80人以上のインタビューに基づいており、次のように述べています。

MOOC プラットフォームから得られたデータが示しているのは、MOOCs は世界中の何百万人もの人々に教育機会を提供しているということである。しかし MOOC に参加する人々の大部分は、既に十分な教育を受けていたり、被雇用状態にあり、講座に集中して取り組める人々はごくわずかである。全体としてデータが指し示しているのは、現在の MOOCs は教育を「平民的なものにしている」とは言い難く、教育へのアクセスという点での格差は解消しているというよりも、むしろ現状では拡大している可能性がある。

MOOCs への要求を満たす人々とは、大学が行う継続的な教育の多くと共通しているように、高い教育を受け、ある程度の年齢の、雇用された層なのです。

5.4.4 持続と関与

edX の研究者ら (Ho et al., 2014) は edX が提供する17の MOOCs 講座には以下のような様々なレベルでの関与があったことを報告しています。

Hill (2013) は Coursera の参加者を次の5つのタイプに分類しています。

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図5.4.4.1 Coursera講座参加者の受講パターン(© Phil Hill, 2013)
図5.4.4.1 Coursera のような MOOCs が提供する講座に出現する学習者のパターン(© Phil Hill, 2013)
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Engle (2014) は Cousera 上で開講したブリティッシュコロンビア大学の MOOCs 講座にも次のような類似のパターンを見つけました。他の研究でも同種の報告が行われています。

通常、修了証を取得できる人は登録者の5〜10%程度であり、MOOC に少なくとも一度は積極的に関わった人の10〜20%程度なのです。しかし修了証を取得した人数は絶対的に大きいのです。edX では17の講座で43,000人以上、ブリティッシュコロンビア大学では4つの講座で8,000人以上、1つの講座では2,000〜2,500人になります。

Milligan et al. (2013) は 2,300人の登録者のうち cMOOC 講座の半分程度を終えた29人を抽出し、インタビューを行なった結果、cMOOCs にも次のような類似の関与パターンが存在することを報告しています。

MOOCs はそれがどういったものであるかを基準に審査される必要があります。例えば、他には存在せず、有益な、公的ではない教育の形態として。このような結果は公的な教育ではない放送教育(例えばヒストリー・チャンネル)についての研究にとてもよく似ています。視聴者にヒストリー・チャンネルで放送されている全てのエピソードを見せ、最後に試験を受けさせるようなことを期待する人は誰もいないでしょう。Ho et al. (p.13) は xMOOCs への関与レベルの違いを次の図で説明しています。

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Ho et al., 2014
図5.4.4.2 MOOC 参加者の関与レベル(© Ho et al., 2014)

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ここで、1985年に私がイギリスの放送教育について書いた一節を引用します (Bates, 1985)。

(p.99) タマネギの中心に核をなす、わずかな学習者が講座全体を真剣に学習し、受験できる場所で最終評価や試験を受ける。その小さな核の周囲には、いくぶん大きな層をなす学習者がいて、試験は受けないものの地元で開講される授業や通信教育には登録する。さらに、より大きな学生の層が存在し、放送を視聴するだけでなく付属の教科書を買いもするが、授業には参加しない。そして、最も大きな集団は単に放送を視聴しているだけである。最後のこの集団の中にさえ、様々な人が存在するだろう。ほぼ定期的に番組を視聴する人から、(またもやこの人数の方がはるかに多いのだが)番組を1回だけ視聴する人まで。

さらに私はこうも書きました (p. 100)。

疑い深い人はこう言うかもしれない。効率的に学ぶことができたと言われている人というのは、講座に勤勉に取り組み、最終試験で優等な成績を修めることができたごくわずかな人たちにすぎないだろうと。(中略)これに対する反論として考えられるのは、もし放送教育がなければそのトピックに関心を寄せることすらなかった人々に興味をもたせることができた時点で放送教育は成功だったと。つまり重要なのは教材に触れた人々の数なのだ、と。(中略)しかしここで問うべきは放送教育が、本当にそれがなければ興味を持たなかった人たちに教育を施したのかどうか、あるいは既に十分な教育を受けた人たちに別の機会を提供しただけにすぎないのではないか、ということだ。(中略)公的ではない放送教育の恩恵を最大限に受けているのは、より良い教育を受けているイギリスやヨーロッパの人々であるということを示す非常に多くの証拠が存在しているのである。

全く同じことが MOOCs についても言えるのではないでしょうか。知識基盤型産業で働く人々にとって欠かせないのは、新しい知識に簡単かつオープンにアクセスできることであるというデジタル時代にあって、MOOCs はそれらの知識にアクセスするための貴重な手段になるでしょう。しかしここで論じるべきは、より効率的に同じことができる方法があるかどうかということです。ですから、公的ではないものの継続性が求められる教育にとって、MOOCs は有益な貢献であると考えられますが、真に革新的であるとは言いがたいのです。

5.4.5 学生は MOOCs で何を学ぶのか

これは容易には答えられない質問です。というのも、2014年現在、この疑問に答えようとしている研究があまりにも少ないのです。その理由の1つは次のセクションで見るように、MOOCs での学びの評価は大きな課題として残っているからです。また、少なくとも2種類の研究が存在します。学びの量を測定する量的研究と、MOOCs 内での学習者の実体験を記述することで間接的にどのような学びを得たのかを探る質的研究です。

本稿執筆時点で MOOCs による学習に関する量的研究で最も目を見張るべきは Colvin et al. (2014) です。この研究では MIT の物理学入門の MOOC 講座での「概念学習」が調査されました。この研究では MOOCs 講座での様々な受講者の学習実績を、物理や数学の知識を持たない人々と、既に十分な知識を持っている物理教員のような人々との間で比較しただけでなく、従来型の大学内授業で同じカリキュラムを受講した学生たちの学習実績とも比較しています。その結果、どの組み合わせの間でも本質的な学習量に大きな違いは見られなかったのですが、学内での授業を受けた学生というのは、前の学期の授業を修了できず、再履修していたという学生だったということは述べておく必要があるでしょう。

この調査は、教育テクノロジーにおける比較研究の結果として、それほど大きな違いは得られないということを示す典型例です。他にも学習者の属性が違うといったような多様性があるのですが、これは配信方法(講義か MOOC か)と同様に重要な要素でした。また、この MOOC の設計は、一定の考えに基づいて作られた質問に対する正しい答えを出せるかどうかに重点を置いた、行動主義的〜認識主義的な学習アプローチをとるものであり、第1章で述べた、デジタル時代に必要なスキルの育成を目指しているわけではありません。

MOOCs 内での学習者の実体験についての研究、特に MOOCs を使ったディスカッションに関する研究は、例えば Kop (2011) のようにたくさん存在します。 例外はありますが、一般的に MOOCs ではディスカッションは監視されておらず、他の受講者と繋がったり回答したりすることは受講者に任されています。しかし学術的な学びに必要な高レベルの概念分析能力を育成する際に MOOCs のディスカッションの有効性から判断することについては強い批判もあります。深い概念学習を行うには通常、学習者に対して、誤解や思い違いを正すための的確なフィードバックを与えるとともに、論拠の提示や議論の明確さといった、学術的な学びの基準が満たされているかを確実にすることが求められるため、専門家による介入が必要とされます。また、より深く理解するために必要な情報の提供と指導の機会を設けておくことも必要です (Harasim, 2013) 。

そして教員からの介入がなければ、あるいは内容が難しければ、講座の規模が大きくなればなるほど受講者は「過負荷、不安、喪失感」を感じる可能性が高くなります (Knox, 2014)。Firmin et al. (2014) が示しているのは、教員による「励まし、そして学習者の努力と関与への支援」があれば、MOOCs 講座に参加している全員にとって、良い結果に繋がるということです。専門家が行うべき役割を担わなければ、他の受講者からのコメントやフィードバックという点で、受講者は質的に多様な情報に立ち向かうことになります。また、協働的・協調的なグループ学習の成功に必要な条件に関する研究がたくさん存在しているのですが(例えば Dillenbourg (1999) や Lave and Wenger (1991) )こうした知見はこれまで一般的に MOOCs におけるディスカッションの管理にほとんど活かされていません。

反論の1つとして、少なくとも cMOOCs ではネットワーキングやコラボレーションに基づいて、学術的な学びとは本質的に異なる、新しい形態の学びを生み出している、したがって MOOCs はデジタル時代の学習者のニーズに適合しているのだというものがあります。特に成人の参加者は、Downes and Siemens の主張によれば、高いレベルの概念学習を身につける手立てを自己管理することができます。MOOCs は「需要」に基づくものであり、同じようなことに関心を持つ他の学習者や、自らの学習を支援してくれる専門家を探しているという個々の学生の関心を満たしているのです。また、多くの人にとっては、深い概念学習の必要性はこの関心に含まれないのかもしれません。おそらくそこに含まれるのは、事前に持っていた知識を新しい特定の文脈でうまく活かしたいという気持ちなのです。MOOCs が特に有効に機能するのは既に高水準の教育を受けている人々に対してのようです。そして正式な教育で習得した多くの概念的スキルを MOOC に参加する時に持ち込んでくれることから、そのような事前の知識やスキルを持っていない人々への手助けにも貢献するのです。

時間の経過とともに経験が蓄積されつつあり、MOOCs は小規模なグループ作業に関する研究から得られた知見のいくつかを、大人数のグループ作業にも取り込み、応用しているようです。例えば MOOCs の中には「ボランティア」として学習共同体の指導者を利用しているものがあります (Dillenbourg, 2014) 。米国国務省は MOOCs 参加者を育成するために、使節団や領事館を通じて MOOCs 合宿を開催してきました。この合宿にはフルブライト奨学生や大使館職員が含まれており、海外からの MOOC 参加者のために講座の内容やトピックについて率先した議論を行なっています (Haynie、2014) 。ブリティッシュ・コロンビア大学など一部の MOOCs 提供校では教育助手の小集団に対して、MOOCs 上のフォーラムに目を配り、貢献するために手当を支払っています (Engle, 2014) 。Engleは、限定的とは言え効果的であった教員たちによる介入の他に教育助手を活用することで UBC MOOCs はよりインタラクティブで魅力的なものになったことを報告しました。ただし誰かにお金を支払って MOOCs を巡視や支援してもらうには当然ながら提供校へのコストを増加させます。ですから、MOOCs で非常に大規模なグループでのディスカッションを効率的に管理するためには、新しい自動化技術の開発が欠かせません。エジンバラ大学ではオンライン上のディスカッション・フォーラムを巡回し、支援や励ましが必要であると判断された学生に、予め用意されたコメントを直接送信する自動「教員ボット」の実験をしています (Bayne, 2014) 。

これらの結果と手法は、単位が発行されるオンライン学習にとって教員の存在が成功のための重要な鍵となるという先行研究と一致しています。しかしその一方で、まだ学生に備わっていない深い概念学習を定着させるのに必要な支援と構造化を MOOCs が提供することになるのであれば、やるべきことはまだたくさんあります。デジタル時代に必要なスキルの育成は、膨大な数の参加者を扱うならば、さらに大きな課題となる可能性があります。参加者たちがどのような条件の下で、実際に MOOCs から何を学んでいるのか、確固たる結論を引き出す前に、もっと多くの研究が必要でしょう。

5.4.6 評価

MOOCs に参加する膨大な数の受講者を評価することが大きな課題であることは明白です。複雑な課題ではありますが、ここでは簡単な説明にとどめます。ただしセクションA.8では、様々な種類の評価について一般的な分析を示します。また Suen (2014) は、これまでに MOOCs で用いられてきた評価について、包括的でバランスのとれた概要を説明しています。本節は Suen の論文に大きく依拠しています。

5.4.6.1 コンピュータによる採点評価

今日に至るまでの MOOCs における評価は、主に2種類あります。 1つ目は、定量的に測定できる多肢選択問題や、数式または「正しいコード」を入力して自動的にチェックできる回答ボックスに基づくものです。通常、受験者には採点された回答の種類に応じて、正解・不正解といった単純なものから、より複雑なものまで、即時フィードバックが与えられますが、全ての場合において、このプロセスは完全に自動化されています。

事実や公理、公式、方程式、あるいは明確で正しい答えがあるような形式の概念学習について直接テストする場合、この方法はうまくいきます。実際、オンライン上でただちにフィードバックを与える仕組みはなかったものの、1970年代というかなり以前から、イギリスのオープン大学では多肢選択問題のコンピュータによる自動採点が行われていました。ただし、この評価方法は深層的または「変容的」な学習のテストでは十分機能するとは言い難く、特に創造的思考や独創的思考など、デジタル時代に必要な知的スキルの評価には適していません。

5.4.6.2 相互評価

MOOCs で試みられている2番目のタイプの評価は、参加者がお互いの作業を評価する方法です。相互評価は新しいものではありません。この評価法は伝統的な教室での形成的評価や、単位取得ができる一部のオンライン教育でうまく使われてきました (Falchikov and Goldfinch, 2000; van Zundert et al., 2010) 。さらに重要なことですが、相互評価は学習者が他者の成果物を評価する過程を通して、深い理解と知識を向上させることができる強力な方法であると考えられてきました。そしてこの方法はデジタル時代の学習者が他者を評価するために必要な批判的思考のようなスキルを育成することにも役立ちます。

しかし相互評価がうまく機能するには、教員が採点指標、ルーブリック(確立された指示書き)、評価基準の提供に密接に関わり、学生の評価について、教員が定めた採点指標の範囲での一貫性が保たれているかを確認し、必要に応じて修正することが重要なのです。教員は MOOCs 上に採点指標やルーブリックを提供することはできますが、不可能ではないにしても多数の受講生が相手では、複数の相互評価の綿密なモニタリングは困難です。そのため MOOC 受講者は、成果物を「公正」に、あるいは正確に評価するだけの知識や能力を持っていないかもしれない、あるいは全く持っていない他の受講生から、無作為に評価されることに腹を立ててしまうことが多いのです。

MOOCs における相互評価の限界を回避するため、全採点の平均化に基づく調整型相互評価やベイズ推定モデル (Piech et al., 2013) など、様々な試みが取り入れられてきました。しかし、こうした統計的なテクニックを使うことで相互評価のエラーを減らすことができたとしても(あるいは増やしてしまったとしても)評価者の思い違いによる判断ミスの問題を解決するまでには至っていません。特に受講生の大半が MOOC 講座で学ぶ重要な概念を理解できていない場合には大きな問題になります。このような場合に相互評価を取り入れたとしても、盲人が盲人の手を引く状態になってしまいます。

5.4.6.3 エッセイの自動採点

これも採点を自動化する数々の試みが行われてきた分野の1つです (Balfour, 2013) 。この手法は徐々に高性能になってきていますが、現在のところ正確な評価に関して文法や綴り、文章構成のような、主として技術的なライティング能力の測定にとどまっています。残念ながらここでも、高い水準の知的スキルが表現されているエッセイを正確に測定しているわけではないのです。

5.4.6.4 電子バッジと修了証

特に xMOOCs では、講座の到達度を測定する最終試験(通常は機械採点)に基づいて、受講者に修了証や「電子バッジ」が付与されることがあります。

アメリカで認定された学位授与機関の学長から成るアメリカ教育評議会 (ACE) は、Coursera の MOOCs プラットフォームで5つの講座について単位認定の推薦を提議しました。しかし審査の責任者 (Book, 2013) は次のように述べました。

ACE 設置認可が行なっているのは、既に認定を受けている機関から提供される講座であることを認定しているだけです。その審査は学習成果を評価するものではなく、講座の内容に焦点を当てたものであるため、学習成果の教育学的な有効性に関する全ての疑問については不問としているに過ぎません。 

実際、MOOCs を提供している教育機関のほとんどは、自分たちが発行した修了証を入学や学内プログラムの単位として認めていません。このように MOOCs 提供校であっても自分たちの教育に自信が持てないことほど、MOOCs での評価の質について雄弁に物語っていることはないでしょう。

5.4.6.5 評価の裏側にある意図

MOOCs における評価を議論の対象とするには、評価の背後にある意図を精査する必要があります。評価の背後には様々な異なる目的があります。(セクションA.8を参照)相互評価と機械による自動採点で得られる即時的なフィードバックは、形成的評価にとって非常に有益です。受講者は自分たちが理解したことを確認し、重要な概念についての理解を深めるのに役立てることができるからです。一方、cMOOCs における学びは Suen が指摘するように、受講者間で行われるコミュニケーションとして測定されるので、知識の検証は cMOOCs 上の仲間たちの採点に委ねられます。つまり cMOOCs に参加した全ての受講者が正しいと信じるものを足し合わせた結果ですから、正式な評価は不要なのです。ただしこのようにして学んだことは必ずしも「学術的に」検証された知識にはならないのですが、公正を期すために書き添えるならば、そもそも「学術的な正しさ」は cMOOCs 支持者の関心事ではありません。

学業評価は、学生の学力の測定だけでなく、学生の流動性(大学院への入学など)、そしてさらに重要なこととして、雇用機会と昇進にも影響する一種の通貨です。学生の視点に立った場合の通貨の妥当性とは、認定が正当か否か、そして移転が可能であるか否かということが欠かせません。これまでのところ MOOCs は考え方や原理、プロセスに関する理解と知識の評価(これだけでも価値あることだと思いますが)を超えた、受講者の学習成果を正確に評価できることの論証はできていません。MOOCs が論証することができたのは、デジタル時代に必要とされる深い理解、知的スキルの開発や評価することはできていないということです。 確かに、これは MOOCs と他の形態のオンライン学習とを分かつ特徴である、大規模性という制約がある中では不可能なのかもしれません。

5.4.7 知名度の向上

MOOCs に対して教育機関が寄せている期待についての調査で、 Hollands and Tirthali (2014) はブランドの構築と維持が MOOCs を立ち上げる上で2番目に重要な理由であることを見出しました。(最も重要なのは勢力範囲を広げることであり、それも部分的な知名度の向上の試みと捉えることもできるでしょう。)MOOCs の利用による教育機関の知名度の向上は、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学など精鋭が集まるアイビー・リーグの大学が先導しているほか、Coursera は基盤システムへのアクセスを「トップクラスの大学」のみに制限しています。MOOCs を開始した多くの大学はしばらくの間、単位取得できるオンライン学習コースへの移行を見送っていたため、先陣的効果を与える結果となりました。MOOCs は実際には遅れてやってきたエリート教育機関が、オンライン学習の「先駆者」という行列の先頭に一気にジャンプするための手段を提供したのです。

特定分野の専門知識をMOOCs を使うことで、これまでよりもはるかに広い範囲に向けて公開することは明らかに理にかなっています。アルバータ大学における恐竜学、MITにおける電子工学、ハーバード大学における古代ギリシア英雄について学習する MOOCs 講座がこれらの例です。間違いなく MOOCs は教員個々人の知識の質を広げるのに有用です。一般的に教員は生涯、大学の中だけで教えるよりも MOOCs 講座を通じて多くの学生に知識を届けることに喜びを覚えるものです。そして MOOCs は教育機関が提供する講座やプログラムの質をちょっとだけ見せるための良い方法でもあります。

しかし MOOCs が実際に知名度の向上に与える影響を測定することは困難です。Hollands and Tirthali は次のように指摘します。

MOOC に関連する活動の結果、多くの機関がメディアから大きな注目を集めていますが、こうした新しい決断が知名度の向上に及ぼす影響を切り分けて測定することは困難である。ほとんどの教育機関は、知名度の向上に関するメリットをどのように把握し、定量化するかについて考え始めたばかりだ。

とりわけ上位レベルの教育機関は、既に優秀な学生を惹きつける魅力を持っていますので、正規の大学プログラムへの応募者数を増やすためには MOOCs は必要ありません。これまでのところ、このような教育機関が MOOCs の修了を正課の学位プログラムへの入学に認めている例はないのです。

そして、他の全ての機関が MOOCs を提供し始めると、知名度の向上の効果は次第に頭打ちになります。実際、ジョージア工科大学の MOOCs 講座の1つが突然破綻した時のように (Jaschik, 2013) 、質の低い教育や授業計画を何千人もの人々に公開することは、教育機関の知名度に悪影響をおよぼす可能性があります。しかし、概して、ほとんどの MOOCs は他の形式の教育や広報活動の利用よりも、多くの人々に対して知識や専門的な知見を広めるといった点で、学校の評判を高めることに成功しています。

5.4.8 費用と経済規模

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The MOOC value proposition is that MOOCs can eliminate the variable costs of course delivery. Image: © OpenTuition.com, 2014
図5.4.8 MOOCs の価値が示す問題は、MOOCs によって講座配信にかかる変動費を無くすことができるかどうかという点です。(© OpenTuition.com, 2014)
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MOOCs の主な強みの1つは、参加者が無料で MOOCs を利用できることです。繰り返しになりますが、このことは現実的にというよりも、原理的にそうであると言えます。というのも MOOCs を提供する側は、特に評価にかかる費用として、一定の料金を請求しても良いのです。そして MOOCs は参加者には無料であるかもしれませんが、提供する側にはかなりの費用がかかります。また xMOOCs と cMOOCs とでは費用には大きな違いがあります。後者の開発にかかる費用は一般的に言えばはるかに安上がりですが、たとえ cMOOCs であっても開発費用がかかる可能性や、実際にかかっている場合があります。

MOOCs の費用について現段階では決定的な結論を引き出せる十分な事例がないため、MOOCs の設計と提供にかかる実際の費用についてはこれまでのところほとんど情報がありません。しかしデータならあります。オタワ大学 (University of Ottawa, 2013) は、Coursera が大学に提供した数字と、単位取得できるオンライン講座の開発コストに関する知見に基づいて、xMOOCs の開発費用を約10万ドルと見積もりました。

Engle (2014) は、ブリティッシュ・コロンビア大学が提供する5つの MOOCs 講座の実際の費用について報告しています。(実は UBC MOOCs の講座数は4つだったのですが、そのうちの1つが2パートに分割されていたのです。)UBC MOOCs には、他の MOOCs には必ずしも当てはまらない2つの重要な特徴があります。 第一に、UBC MOOCs はスタジオを用いた本格的な制作環境からデスクトップ録画まで、多種多様な動画制作方法を利用していたため、開発費用は動画制作技術の高度さによってかなり異なります。第二に、UBC MOOCs は、オンライン上の議論に目を配り、学生からのフィードバックを受けて授業教材を調整または変更する有給の学術助手を多用したため、同様にかなりの配信費用がかかりました。

UBC 報告書の付録Bには、合計の試算として 217,657 ドルと記載されていますが、これは学術的な支援、つまりおそらく最も重要な費用である教員の時間コストを除外しています。学習支援は初年度の総費用の 25% に達しました。(教員の費用を除く)。報告書の図1の動画教材制作費(95,350ドル)と動画教材制作に費やされた費用の割合(44%)から計算すると、教員の費用と運営費用(プログラム管理や諸経費)を除いた直接経費は 216,700ドル、つまり MOOC 講座1つあたり、有給の学術助手の費用も含め、約 54,000ドルと推定されます。一方で、費用の範囲も同じくらい重要です。集中的にスタジオ制作を利用した MOOCs の動画制作費は、他の1つの MOOC の動画制作費の6倍以上でした。

単位取得を目的としたオンライン講座および遠隔教育における主なコスト要因や不確定要素は、Rumble (2001) および Hülsmann (2003) による先行研究から比較的明らかになっています。 私は同様の原価計算方法を用いて、ブリティッシュ・コロンビア大学のオンライン修士課程の7年間にわたる費用を追跡し、分析しました (Bates and Sangrà, 2011) 。このプログラムでは、主に学習管理システムを中心的なテクノロジーとして利用し、教員が講座を開発し、オンライン上での学習者サポートと評価を提供したほか、登録者数が多いときは追加で補助教員からの助けを得ました。

私がUBCプログラムの費用を分析したところ、2003年の開発費用は1講座あたり約2万ドルから2万5千ドルだったことが分かりました。しかし7年間かかった講座の開発費用は全体の15%未満であり、主にこのプログラムの最初の1年程度の時に発生しました。オンラインでの学習者サポートと学生評価の提供を含む配信費用は合計の3分の1以上を占め、当然のことですが講座が提供される年ごとに発生しました。このように、単位取得のできるオンライン学習では、配信費用はプログラムが存続する期間にわたって開発費用の2倍以上になる傾向があります。

MOOCs 、単位取得のできるオンライン授業、そして大学で行われる教育の主な違いは、MOOCs の場合、学習者サポートや教員による評価がありませんので、実際上はそうでない場合があるにしても、原則として全ての配信費用を削減できることです。

xMOOCs の提供には明らかに多大な機会費用が含まれています。当然と言えば当然ですが、MOOCs 講座の提供に際しては最も高く評価されている教員が関わります。大規模な研究大学では、そのような教員の授業負担は最大でも年間4〜6科目でしょう。ほとんどの教員は MOOCs に無償で関わってくれますが、教員の時間は有限です。それは、少なくとも1学期分の授業負担の1科目分(授業負担の25%以上に相当)を割いてしまうこと、または研究に費やされる時間が xMOOCs の開発と配信に奪われることを意味します。さらに、5〜7年程度は行われる単位取得可能な授業とは異なり、MOOCs 講座では多くの場合、一度か二度しか開講されません。

しかし xMOOCs の開発費用は、MOOCs 講座を担当する教員の時間分を除外したとしても、動画を利用しますので、学習管理システム(LMS)を利用した単位取得可能なオンライン授業の開発費用のほぼ2倍になる傾向があります。教員にかかる費用を含む場合、とりわけ教員に必要な MOOC 講座で公開する授業実践に費やす余計な時間、例えば動画撮影のためのリハーサルの時間などを考えると、xMOOCs の製作費用は同じ長さの授業時間の単位取得可能なオンライン授業と比べると3倍近くにもなります。xMOOCs でのコンテンツ配信には動画の代わりに LMS などの安価な方法の利用や、講義録画システムを使った教室講義の動画を再編集することもできますし、実際に行われている事例もあります。

そうは言っても、学習者サポートや学術的な支援を必要としなければ、MOOCs の配信にかかる費用はゼロであり、ここに節約できる大きな可能性があります。つまり受講者1人当たりの費用を計算した場合、単価は非常に低くなります。コースの修了証明書を取得した学生1人当たりの費用で計算したとしても、オンラインまたは大学内の授業で優等な学生の費用よりもはるかに安上がりです。ひとつの MOOCs 講座の開発に約10万ドルかかり、5,000人の参加者が修了証明書を手にした場合、学生1人当たりの平均費用は20ドルです。しかし MOOC の受講生と大学院修士課程の学生では同じ種類の知識とスキルがあると評価することが当然のはずですが、このようなことは通常ありません。

ここで問題となるのは MOOCs が学習者サポートも人間による評価にかかる費用もなく成功するかどうか、あるいはこちらの方が一般的な判断基準ですが、学習の質を損なうことなく、MOOCs による「自動化」で教育配信にかかる費用を大幅に削減できるかどうかです。しかし現在のところ、高次の学習能力と「深い」知識という観点からは、MOOCs でこのようなことが可能であるという証拠は何もありません。このような種類の学習を評価するには、知識を測るための課題を準備する必要があります。また、通常そのような課題の評価には人間による採点が必要となり、結果として費用がかかることになります。そして、これまでうまくいっているオンライン単位取得プログラムの先行研究では、オンラインにおける教員の積極的な参加がオンライン学習を成功させるための重要な要素であることが分かっています。ですから、適切な学習者サポートと評価は MOOCs にとって依然、大きな課題なのです。MOOCs はある程度の知識を教えるのには良い方法なのですが、他の種類の知識を教える際には、遅かれ早かれ大きな構造上の問題にぶつかります。残念ながら、MOOCs で教えるのが難しいのはデジタル時代で最も必要とされる種類の知識なのです。

持続可能なビジネス・モデルの観点から、私立財団からの多額の寄付や基金から支出することで、優秀な大学は xMOOCs に移行することができましたが、ほとんどの教育機関ではこのような形での資金調達は困難です。Coursera と Udacity にとっては MOOCs 提供機関にプラットフォーム利用料を課したり、バッジや証明書の発行に課金したり、受講者データを販売したり、企業からスポンサー料を集めたり、直接広告を掲載したりするなど、様々な方法を取り入れることで、成功するビジネス・モデルを創り出す機会があります。

しかし特に公立の大学では、これらの収入源のほとんどは利用できない、あるいは許可されていないため、たとえ MOOCs で使われる素材を学内の授業で再利用する場合でも、MOOCs への多額の投資をどのように回収すれば良いか、見通しは不明です。MOOC 講座を提供するたびに、オンライン単位取得プログラムに回せる労力や資金が奪われるのです。そのため教育機関は、オンライン学習のための資金をどこに投資するかについて、難しい決断を迫られています。MOOC 講座を首尾よく修了できた時に単位を付与する何らかの適切な方法が見つからない限り、乏しい資金を MOOCs に投じるという決断は困難です。

5.4.9 MOOCs の長所と短所のまとめ

本章で分析した MOOCs の長所と短所に関する要点は次のようにまとめることができます。

5.4.9.1 長所

5.4.9.2 短所

アクティビティー 5.4 MOOCs の長所と短所を考える

  1. あなたは、MOOCs が単に放送教育の別形態にすぎないという論点に同意しますか。その理由は何ですか。
  2. xMOOCs の費用と、単位認定されるオンライン授業の費用を比べることは合理的でしょうか。両者は同じ資金をめぐって競合しているでしょうか。それとも両者の資金や目標は全く異なるでしょうか。もしそうであるなら、どのような点が異なるでしょうか。
  3. cMOOCs は xMOOCs よりも優れていると主張できるでしょうか。それとも比べるには違いすぎるのでしょうか。
  4. 講座をきちんと修了した受講者1人あたりの費用で判断すると、MOOCs は対面式またはオンラインの単位認定コースよりも明らかに安くなります。これは公平な比較と言えるでしょうか。公平と言えないのであれば、なぜでしょうか。
  5. MOOCs 講座をきちんと修了した学生に対して、教育機関は単位を与えるべきだと思いますか。もしそうなら、なぜですか。そしてこの関係から読み取れることは何ですか。

参考文献

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5.5 政治的、社会的、経済的な推進力としての MOOCs

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Figure 5.7 MOOC mania Image: © Park Ridge Underground, 2010
図5.5 MOOC 熱に浮かれてモ~(moo)大変(© Park Ridge Underground, 2010)
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5.5.1 MOOCs をめぐる大騒ぎの理由

前節までの議論から分かるかもしれませんが、MOOCs を取り巻く賛成意見と反対意見は均衡状態にあります。しかし、MOOCs の価値についての明白な質問、そして MOOCs 登場前にも学部課程と大学院課程ではオンライン学習が取り入れられており、10年以上にわたって実質的ではありながらも静かに進歩していたという事実を考えるならば、次のような疑問が生じるかもしれません。なぜ MOOCs はこれほどまでにメディアから注目されているのでしょうか。特に政府の政策立案者、経済学者、そしてコンピュータ科学者が、なぜ MOOCs を熱心に支持するようになったのでしょうか。なぜ MOOCs に脅かされる恐れのある多くの大学や短大の教員からだけでなく、MOOCs をもっと支持してもおかしくない、オンライン学習の多くの専門家(例えば Hill, 2012; Bates, 2012; Daniel, 2012;Watters, 2012)からもこれほどまでに強い拒絶反応が起こっているのでしょうか。

MOOCs に関する議論は、MOOCs の長所と短所について、冷静で合理的な証拠に基づく分析に頼っているのではなく、感情や自己利益、恐怖、または教育の現実についての無知から引き起こされている可能性が高いことを理解する必要があります。ですから、何が MOOC 熱を引き起こしているのか、政治的、社会的、経済的要因を探ることが重要です。

5.5.2 大規模で、無料で、アメリカ製!

私が MOOC 熱の本質的な理由と呼びたいのは、MOOC とはこういうものだからです。スタンフォード大学の教授である Sebastian Thrun、Andrew Ng、Daphne Koller が最初に開設した MOOC が世界中から20万人以上の登録者を集めたこと、それらの講座が無料で行われたこと、そしてアメリカ中のメディアが圧倒されるような超一流の私立大学の教授たちが行なったということは驚くに値しません。どういう見方をしたにせよ、それだけで大きなニュースだったのです。

5.5.3 アイビー・リーグ!

MOOCs が登場するまでは、スタンフォード大学、MIT、ハーバード大学、カリフォルニア大学バークレー校など、米国の主要なアイビー・リーグ大学や、トロント大学やマギル大学など、カナダで最も権威のある大学などの多くは、いかなる形でのオンライン学習もほとんど無視していました。(唯一の例外は MIT で、その教材の大部分は OpenCourseWare プロジェクトを通じて無料で入手可能でした。)

しかし、2011年までに、単位取得ができる学部課程や大学院課程という形で、カーネギー・メロン大学、ペンシルベニア州立大学、メリーランド大学など、アメリカの他の多くの非常に名高い大学や、カナダの多くの一流大学などでオンライン学習が深く浸透し、米国では3つの授業のうちほぼ1つがオンライン受講になったほとです。さらに、少なくともカナダではオンライン講座の修了率が高く、質の面でも大学内の授業と一致しているケースが多かったのです。

それまでオンライン学習を無視していたアイビー・リーグや他の有名大学でも、2011年までは注目しようとしなかったのですが、MOOCs に着手することにより、これらの名門大学は技術革新の面でも先駆者となることができました。一方、それと同時に、厳しく選抜した、非常に個人的で高価なキャンパスでの教育を、オンライン学習から遠ざけたのです。言い換えれば、MOOCs はこれらの有名大学にオンライン学習を模索するための安全な実験の場を提供し、アイビー・リーグの大学は MOOCs、そして間接的にオンライン学習全体に対して信頼性を与えたのです。

5.5.4 破壊的!

2011年以前の数年間、様々な経済学者や哲学者、そして産業界の専門家たちは、新しい技術が次々と出現し破壊的な変化を受ける次の大きな領域は教育分野であると予測していました(例えば Lyotard, 1979; Tapscott (undated); Christensen, 2010)。

単位取得が可能なオンライン学習では、ブレンド型学習を通じて、大規模な混乱の兆候もなく、静かに大学教育の主流へと吸収されていきましたが、大きな変化を伴う MOOCs が現れたことで、教育分野における破壊的イノベーションの理論を裏付ける証拠となったのです。

5.5.5 シリコン・バレー!

初期の MOOCs が全て起業家のコンピュータ科学者によって開発されたことは偶然ではありません。Ng とKoller は、すぐに民間営利企業として Coursera を作り、その直後に Thrun が Udacity を創業しました。続いて MIT のコンピュータ学者である Anant Agarwal が edX を率いました。

最初の MOOCs は非常に典型的なシリコン・バレーの新興企業でした。つまり、明晰なアイデアがあり(クラウドに基づく比較的単純なソフトウェアで数字を処理する大規模なオープン・オンライン・コース)、どのように機能するかを見るために市場に投入され、あらゆる障害や問題をさらにテクノロジーとアイデアで解決する(この場合は、学習分析、自動採点、相互評価)。そして小さなゴミのような諸問題が消えたあとで持続可能なビジネス・モデルを構築するというような。

その結果、初期の MOOCs のほとんど全てが、オンライン教育の成功事例に関する教育理論や、オンライン学習における成功・失敗につながる諸要因を扱った先行研究を完全に無視していたことは驚くにはあたりません。また、結果として実際に MOOCs を修了するのが参加者のごくわずかであることも驚くべきことではありません。やるべきことはたくさんあるのですが、これまでのところ Coursera や、規模は小さいものの edX は、オンライン学習の教育者や先行研究を無視し続けています。彼らはむしろ自分たち自身の研究をやりたいのでしょうが、それは単に車輪の再発明に過ぎません。

5.5.6 経済こそが重要なのだ、愚か者!

MOOC 熱を引き起こす全ての理由の中で、ビル・クリントン氏によるこの有名な選挙スローガンは最も印象に残るものです。2008年に起きた悲惨な金融危機の影響は2011年まで続き、中でも米国の連邦政府の財政は深刻な影響を受けました。

景気後退により、アメリカの各州は深刻な税収不足に陥り、高等教育制度の財政的要求を満たすことができなくなりました。例えば、米国最大規模を誇るカリフォルニア州の短大制度は、2008年から2012年の間に州の予算を約8億900万ドルが削減され、その結果、50万人が授業を受けられない事態に陥りました (Rivera, 2012) 。無料の MOOCs は、州知事の Jerry Brown の目には天から授けられた恵みと映ったのです(例えば To, 2014 を参照)。

政府の資金が急激に削減された結果、授業料が急上昇し、高等教育の実質コストが急上昇しました。米国の授業料は、過去10年間で年4%のインフレ率と比較して年7%で増加しています。ここでついに高等教育の高コストを抑える方策が現れたのです。

しかし、2015年までには米国の経済は回復しており、州の財源も歳入を取り戻していますので、高等教育のコストに対する根本的な解決策を求める圧力は緩和され始めています。経済が回復してもなお MOOC 熱が続くかどうかは興味深いところですが、より費用対効果の高い高等教育の追求が消えることはないでしょう。

5.5.7 冷静になろう!

ここで述べたものは全て MOOC 熱を駆り立てる強力な要因であり、だからこそ MOOCs の強みと弱みを明確かつ冷静に判断することがますます重要なのです。唯一の判断基準は MOOCs を使うことで、知識基盤型の社会で必要とされる知識とスキルを学習者が身につけることができるかどうかです。その答えはもちろんイエスであり、ノーでもあります。

正規の教育を低コストで補完するものとして、MOOCs はかなり有用ではありますが、完全な代替にはなりません。現在のところ MOOCs で学べるのは基本的な概念的学習やその理解、そして限定的な活動における知識の応用です。MOOCs は実践的なコミュニティを構築するのに役立つかもしれません。このようなコミュニティでは、既に教育を十分に受けたり、あるトピックについて深く共有された情熱を持っている人々が互いに学び合うことができます。

しかし、明らかに現時点での MOOCs は、変容的学習や深い知的理解、複雑な代替案の評価、そして証拠に基づく意思決定には繋がっていませんし、専門性に基づく学習者支援や、より質的な評価をしっかりと行わないのであれば、繋がることは決してないでしょう。その実現には少なくとも相当の費用をかける必要があります。

結局のところ選択肢は2つしかありません。つまり、MOOCs にもっと多くのリソースを投入し、コストを劇的に増加させることなく根本的な欠陥のいくつかが解決されることを願うか、あるいは、デジタル時代の学習者のニーズという点で、より費用対効果の高い学習成果が得られる他の形態のオンライン学習に投資するか、のどちらかなのです。

参考文献

Bates, T. (2012) What’s right and what’s wrong with Coursera-style MOOCs Online Learning and Distance Education Resources, August 5

Christensen, C. (2010) Disrupting Class, Expanded Edition: How Disruptive Innovation Will Change the Way the World Learns New York: McGraw-Hill

Daniel, J. (2012) Making sense of MOOCs: Musings in a maze of myth, paradox and possibility Seoul: Korean National Open University

Hill, P. (2012) Four Barriers that MOOCs Must Overcome to Build a Sustainable Model e-Literate, July 24

Lyotard, J-J. (1979) La Condition postmoderne: rapport sur le savoir: Paris: Minuit

Rivera, C. (2012) Survey offers dire picture of California’s two-year colleges Los Angeles Times, August 28

Tapscott, D. (undated) The transformation of education dontapscott.com

To, K. (2014) UC Regents announce online course expansion, The Guardian, UC San Diego, undated, but probably February 5

Watters, A. (2012) Top 10 Ed-Tech Trends of 2012: MOOCs Hack Education, December 3

MOOCの熱狂について愉快に考えたいときは:

North Korea Launches Two MOOCs

“What should we do about MOOCs?” – the Board of Governors discusses

:上記の2つのブログ投稿は風刺であり、フィクションです!

5.6 MOOCs が部分的な解決策にしかならない理由

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5.6.1 背景と設計の重要性

私はよくMOOCs に批判的な代表格とみなされますが、長年オンライン学習を支持してきた私にしてみれば、やや驚くべきことです。実際、私は MOOCs が重要な発展であると確信していますし、特定の条件下であれば非常に大きな教育的価値があると信じています。

しかし、いつだって背景は重要です。教育への需要や市場は1つだけではなく、たくさんあります。18歳で高校を卒業する学生は、何らかの経営教育を必要としている家族持ちの35歳のエンジニアとは全く異なる需要を持っているでしょうし、全く異なる背景で学びたいと思っているでしょう。 同様に、妻のアルツハイマー病の早期発症に苦労し、切実な助けを求めている65歳の男性は、高校生またはエンジニアと比べて全く異なる状況にあります。教育プログラムを設計するとき、それぞれの人に適する方法は異なるのです。こうした様々な背景を一気に解決できる特効薬や解決策はありません。

次に、あらゆる形態の教育について言えることですが、MOOCs をどう設計するかは非常に重要です。適切に設計されていない場合、特定の学習者が特定の背景で必要とする知識やスキルを育成できないという意味で、MOOCs はその学習者にとってほとんど、あるいは全く価値がありません。しかし設計を変えれば、MOOC はその学習者のニーズを十分に満たすことができます。

5.6.2 cMOOCs の可能性

もっと具体的にお話ししましょう。cMOOCs には計り知れない可能性があります。というのも、生涯学習は今後ますます重要になるでしょうから。献身的で熱心な他の学習者と協力して共通の問題や関心のある分野について取り組むために、高い教育を受けている知識のある人々を世界中から集めることができる可能性は、教育だけでなく世界に広く改革をもたらすでしょう。

ただし、現在これを cMOOCs で行うことはできません。なぜなら、組織に所属しておらず、オンライン上のグループをどのように運営すればうまく行くかについて、既に知られている知見を利用していないからです。しかし、これらの教訓を学んだ上で適用すれば、cMOOCs は地球規模の健康や気候変動、市民権、およびその他の「優れた民間事業」の分野で、私たちが直面する大きな課題のいくつかに取り組むための素晴らしいツールになります。cMOOC の長所は、変革する意欲と力を持っている人々だけでなく、全ての参加者が取り組む問題を定義して解決する力を持っていることです。この章を締めくくるシナリオF では、cMOOCs をそのような「優れた民間事業」に利用する事例をご紹介します。

シナリオF で登場する MOOC は正式な教育に代わるものではなく、正式な教育を始めるにあたってのロケットのようなものです。この MOOC の背後にあるのは非常に強力な組織による資金源で、初期の推進力、操作の簡単なソフトウェア、全体的な構造、組織と編成を提供し、また、稼働時に重要な人的資源を提供します。しかし、それが教育機関である必要はありません。公衆衛生当局や放送機関、国際慈善団体、または共通の利益を持つ団体の連合体組織なども該当するでしょう。そして当然のことながら、たとえ cMOOCs であったとしても、企業や政府の利益によって操られる危険があるかもしれません。

5.6.3 xMOOCs の限界

xMOOCs が本当に脅威となるのは、学部レベルの多くの大学で行われている大規模な対面式の講義に対してです。MOOCs はそのような講義を置き換えるためには一層効果的な方法となるでしょう。xMOOCs は相互的であり、ずっと残るものですから、学習者は何度でも教材を見返すことができます。また、MOOC 講座を受け持つ教員たちが、MOOCs は教室での講義よりも優れていると主張しているのを聞いたことがあります。教員は教室での授業よりも MOOC により心を配り、努力を注いでいるのです。

しかし、私たちは大学のキャンパス内で、なぜこのような方法で教えているのかを疑問に思うべきです。今や教育用コンテンツはインターネット上のあらゆる場所(MOOCs を含む)で自由に利用できるようになりました。求められているのは情報管理なのです。つまり学習者自身が必要な知識を特定し、教育用コンテンツを評価し利用する方法を理解しなければなりません。xMOOCs はこのようなことをしてくれません。情報を事前に選択してパッケージ化するだけです。xMOOCs に対する私の大きな懸念は、デジタルの世界で必要とされる高次の知的スキルを伸ばすための、現在の設計が持つ限界です。残念ながら xMOOCs は21世紀型スキルを教えるためには全く適していない設計をキャンパスでの教育からオンラインに移しているだけなのです。一流大学の講義が配信されているからといって、必ずしも学習者が高度な知的スキルを身につけることになるとは限りません。さらに重要なことですが MOOCs では評価という観点からは、比較的少数の学習者しか達成しているとは言えず、このような学習者も主に知識の理解と限られた応用でしかテストされていないのです。

私たちは、デジタル時代のスキルの育成という点で MOOC よりも優れた教育的手法を持っていますし、実践してきました。例えば大学で行われている問題解決型学習や、発問に基づく学習がそうですし、単位取得が可能なオンライン授業では協働学習のような構成主義的なアプローチを利用する学習がそうですが、このような方法は簡単には拡大できるものではありません。深い知識を持つ専門家とそうではない初学者との間での相互作用は、今なお決定的に重要な意味を持ちます。このような相互作用を通じて物事の深い理解が可能になり、学びによって学習者は世界を異なる視点から捉えることができるようになり、根拠に基づく高い次元での批判的思考、複雑な代替案の評価、高いレベルでの意思決定ができるようになるというわけです。今日までのコンピュータ技術はこの種の学習を発展させるという点においては極めて不得手です。このような理由から、単位取得に基づく授業やオンライン学習においては教員と学習者の比率をなるべく小さくすることを目指す必要があり、同時に教員と学習者の間での相互作用には、多大な注意を払わなければならないのです。

しかし xMOOC は継続的な教育の一つの形態として、あるいは幅広い教育提供の一部となり得るオープンな教材としての価値があります。また、大学で行われる教育においても価値のある補助教材になりうるでしょう。ただし従来の教育や、単位取得できる現在のオンライン学習の設計に代わるものではありません。継続的な教育の一つの形態であるならば、修了率が低いことも、正式な単位が取得できないことも、大して重要ではありません。しかし MOOC を正式な教育の代替と考えるならば、それがたとえ教室での講義に代わるものであったとしても、修了率と学習評価は非常に重要なのです。

5.6.4 MOOCs は公的な高等教育制度を損なうか

本当の危険は MOOCs が高額な公的高等教育制度を損なう可能性があることです。一流大学が無料で MOOCs を提供できるのであれば、なぜ低品質で高コストの州立大学が必要なのでしょうか。そのリスクは、はっきりと2層に分かれています。一方では比較的少数の優秀な大学が富裕層や特権階級に仕え、たっぷりの報酬につながる知識とスキルを育むのですが、もう一方では大衆が MOOCs で提供される授業を受け、そのような授業のために州立大学は最小限で低コストの学習者サポートを提供するのです。こんな具合になってしまうと、社会的、経済的には大惨事になる可能性が高いでしょう。というのも、この制度ではこれからの時代、優良な仕事に必要とされるであろう高次のスキルを持った十分な数の学習者を育成できないからです。自動化によって、ごく少数のエリートを除いてあらゆるまともな仕事が消滅すると信じているなら話は別ですが。(これは小説『ハンガー・ゲーム』の世界ですね。)

単位取得が可能なオンライン教育の場合、コンテンツは5年間で総コストの15%未満を占めます。質の高い成果と高い修了率を確保するために必要な主な費用は学習者サポートに充てられ、これこそが最も重要な学習機会を提供します。政治家やメディアによって喧伝されているような MOOCs は、この点において見事に失敗しています。一般的に教育のオープン化を目指す動き、特に MOOCs が、アメリカや他の国々でイデオロギー的および商業的な理由から、意図的に公教育を弱体化させようとする武器として使われることがないかどうか、よく注意する必要があります。オープン・コンテンツや OER、MOOC は、誰にとっても高品質であるという保証に自動的に結びつくわけではないのです。結局のところ、資金が充実した公的高等教育制度は、依然として大多数の人々に対して、高等教育への入口を保証する最善の方法なのです。

そうは言っても、そのシステムにも改善の余地は大いにあります。MOOCs やオープン・エデュケーション、そして新しいメディアは、改善に必要な多くの有望な方法を与えてくれます。次に紹介するシナリオF は、社会変化の中で必要とされる学びに対して MOOCs が与えてくれる可能性の一つです。ただし MOOCs は単位取得が可能なオンライン学習の利用、オープン学習、遠隔教育における先行研究によって分かっていることを基盤にしながら、多様な学習ニーズに適した方法で、講座やプログラムを設計しなければなりません。このような環境では MOOCs は1つの重要な部品になり得るのですが、異なるニーズを満たす他の形態の教育に代わるものではありません。

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アクティビティー5.6 MOOCの戦略を練ろう

あなたは財政問題に悩む中規模研究大学の副学長です。学長は理事会から、教育と学習における戦略的革新を、約5%の来年度運営予算削減の中で進めるよう求められています。

有力な理事会メンバーの一人は、財政問題の解決策として、大学が MOOCs を開発することを強く推し進めています。

学長は MOOCs に関する大学の戦略がどうあるべきか、そして MOOCs が教育および学習のための全体的な戦略にどのように当てはまる見込みがあるか、理事会に提出する説明文書の作成をあなたに求めました。あなたはどのように答えますか。

 

重要ポイント

  1. MOOCs の登場は全ての高等教育機関に対し、オンライン教育の戦略と、その戦略に基づくオープン教育への取り組みの両方について、慎重な検討を迫っています。
  2. MOOCs はオンライン学習やオープン教育リソースの唯一の形態ではありません。オンライン学習とオープン性の全体的な背景に照らし合わせて MOOCs の長所と短所を検討することが重要です。
  3. MOOCs の設計には、教育目的や教育哲学の違いによって、かなりの違いがあります。
  4. 現在の MOOCs には、深層的または変容的な学習を展開するためには、あるいはデジタル時代に必要とされる高度な知識とスキルを育成するためには、大きな構造上の制限があります。
  5. MOOCs は現在でも十分には成熟しきっていない段階にあります。MOOCs の長所と短所が一層明確になり、設計の改善に関する経験が増加するにつれて、高等教育の環境の中で大きな位置を占めていく可能性があります。
  6. MOOCs が伝統的な教育の形態(大規模な講義の授業など)をうまく置き換えることができる場面もあるかもしれません。しかし MOOCs は、どちらかと言えば従来の教育方法に対する重要な補完手段や代替手段であり続ける可能性が高いです。MOOCs は変革を進める上で重要な要素であり続けるでしょうが、それだけでは高コストな高等教育に対する解決策にはなりません。
  7. おそらく将来における MOOCs の最大の価値は、地域社会での行動を通じた、大きな地球規模の問題に取り組む手段の提供にあるのでしょう。

テクノロジーを用いたWebセミナー:成功事例と選択肢

このWebセミナーでは世界中の参加者と話し合います。

ディスカッションや参加者のコメントなど、このトピックに関するWebセミナーの記録は、ここをクリックするとアクセスできます。

このWebセミナーでは、25分間のプレゼンテーションと、それに続く20分間の質疑応答が行われます。

このWebセミナーは、2015年9月29日にオンタリオ州の Contact North (Contact Nord) によって開催されました。

次は

ここまでで教育と学習のための異なる設計モデルの議論を終わります。次の4つの章ではメディアの選択や配信方法の決定の詳細について議論します。ですが、まずは未来の MOOCs がどのようなものか、シナリオF で見てみましょう。

シナリオF:老いにどう立ち向かうか

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ベス・カーター:みなさんおはようございます、BBCラジオのベス・カーターです。Open University が昨日アナウンスしたところによりますと、同校の今や世界最大というオンライン講座に50万人が登録したそうです。この OU の MOOC 講座ではみなさんにおなじみの話題を扱っています。加齢と、それに伴う困難と機会についてです。

スタジオにはこの講座でコーディネーターを務めるジェーン・ダイソンさんをお招きしています。ジェーンさんは55歳で社会事業に関わってこられたそうですが、これほど大規模なテクノロジーに基づく講座を行う人には見えませんね。どうしてこんなことになったんですか?

ジェーン・ダイソン:(笑)ぜんぶ私のせいなんです!私は何年も前に OU を卒業していまして、OU のオンライン同窓会が、世界で最も緊迫した課題について卒業生に意見を求めていたんですね。このような課題に OU がどう対応できるのかと。私は最近、お年寄りやそのご家族、時には雇用主に対して、加齢とともに浮上する様々な課題についてたくさんアドバイスをしているんです。

OU にはこのような課題に関するたくさんの講座やオンライン教材がありますが、利用には学位取得のために登録しないといけません。そうすれば教材は手に入りますが、サポートが何もないんですね。それに、いくら OU でも正規の授業で扱うには課題があまりにも多すぎるんですよ。ですから私が提案したのは、様々な人たちが関わる MOOC 講座を開いてはどうかということでした。医療従事者や公務員、介護士、家族、そして最も重要な老人自身が、問題や課題、どういったサービスが利用できるのか、自分たちにできることは何かについて話し合えると思ったんです。

ベス・カーター:それからどうなりました?

ジェーン・ダイソン:OU から、地元の OU オフィスに来てくれと依頼があり、何人かのスタッフと会いました。そこで、このような講座をコーディネートする意思はあるかと尋ねられました。

ベス・カーター:MOOCs についてもう少し教えてくれませんか。MOOCs は約10年前は話題になりましたが、そこから下火になり、最近ではあまり聞きませんね。この MOOC 講座がこれほどの人気になった理由はなんですか?

ジェーン・ダイソン:初期の MOOCs の問題は、参加者が迷子になってしまうことでした。多くの MOOCs は講義だけで、参加者が互いに助け合うことは参加者次第だったんです。組織というものがなかったのです。OU が行なったのは「加齢」MOOC 講座に登録した人にとても単純なオンラインのアンケートに答えてもらい、どこに住んでるかとか、加齢についての専門家かどうか、本人が老人なのかその家族なのかといった、詳細を尋ねました。そのデータにもとづいて自動的に参加者をグループに分け、各グループに様々な参加者が混じるようにしました。

ベス・カーター:なぜそれが重要なのですか?

ジェーン・ダイソン:OU の教育技術センターは初期の MOOCs について研究を行なっていて、大規模なオンライン授業でうまくグループが機能するにはどうしたら良いかという課題を扱っていました。センターは KMI と呼ばれる OU の他の研究グループと共同で調査を行なっていたのですが、KMI は参加者をグループ分けするのに私たちが利用しているソフトウェアを開発している部局で、このおかげでグループ内の議論で浮上した課題について各グループに十分な数の専門家やサポートが配置されているんです。

ベス・カーター:それはどのように機能するのでしょうか?

ジェーン・ダイソン:話題にのぼる課題や話題の種類は信じられないほど多様です。例えば、父親や母親が認知症を患っているんですが、どうすれば助けになるのか分からない、切羽詰まっているという家族がグループのメンバーにいます。また、お年寄りのメンバーの中には、自分のことは自分でできると思っているのに家族から家を追い出されそうだと感じている人もいます。公務員のメンバーの中には、仕事量が多すぎてクビになりそうとか、訴えられそうになっている人もいます。そして、ただ単に年老いて孤独で、誰かと話したいというメンバーもいるのです。こうした参加者を全員オンライン上の議論フォーラムに入れると、その結果は驚くべきものです。大事なことは同じグループの中に助け舟の出せる十分な専門知識を持つ人をちょうどよい具合に混ぜること、そして、議論を仕切れる人をグループに入れることです。私たちはイギリスだけでなく、参加者のいる国々で利用できるサービスの膨大なリストを持っています。ですからこの講座はある意味では自助的な支援サービスなのですが、より大きな実践コミュニティに所属しているというわけです。

ベス・カーター:海外からの学生についてお話したいのですが、私の理解では、参加者のおよそ半数がイギリス以外からだとか。

ジェーン・ダイソン:そのとおりです。加齢人口の問題はイギリスだけのものではありません。OU は世界中のオープン大学と非常に緊密な繋がりを持っています。この講座の開始について話し合っているとき、OU は他のオープン大学のいくつかを訪問し、講座の参加に関心があるかどうか尋ねました。現在、この講座は英語で提供されているのですが、オランダ、ドイツ、フランス、スペイン、日本、カナダ、アメリカ、そして他の多くの国々から参加者が集まっています。他にスペインではスペイン語、バスク語、カタルーニャ語で教材を提供するミラーサイトを設けていますが、この議論フォーラムはカタルーニャのオープン大学が管理を担当しています。そのため、スペインだけでなくラテン・アメリカからの参加者もいます。私たちはまもなく中国のオープン大学とも同様の合意を結ぶ予定です。そうすればさらに50万人の参加が見込まれます。嬉しいことに参加者がたくさんいますから、常にバイリンガルの参加者がいて、ある言語で起こった議論を別の議論に翻訳してくれるんです。

ベス・カーター:次に何をするおつもりですか?

ジェーン・ダイソン:この加齢についての講座で常に議論の的になっている大きな問題のひとつは心の健康についてです。もちろんこれはお年寄りに限りません。この講座では既に国会に対して孤独な老人へのより良い福祉を求める請願書を提出しました。おそらく今後数年のうちにこの分野で明るい進展があると思います。OU は心の健康について同様の MOOC 講座を検討中のようですし、喜んでお手伝いしたいですね。

ベス・カーター:ありがとう、ジェーン。来週はオンライン・ギャンブルについてカウンセラーをお招きして議論します。

 

これはイギリスのオープン大学における2014年の教育・学習計画の一貫として開発された仮説シナリオです。

第6章 教育におけるテクノロジーを理解する

VI

この章の目的

この章を読み終わると、以下のことができるようになります。

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この章の内容についての私の個人的な見解を知っていただくには、以下のポッドキャストをクリックしてください。(英語)

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この章で扱う内容

教育におけるメディアとテクノロジーの本質と役割を理解し、メディアとテクノロジーを適切に使いこなせるようになることは、デジタル時代における教育を上手に進めるためにも欠かせません。この章はメディアの選択と利用について考えていく3つの章のうちの最初の章です。

この章では教育におけるテクノロジーの土台について重点的に述べます。そして以下のテーマを扱います。

加えて、この章には以下のアクティビティーが含まれています。

重要ポイント

  1. テクノロジーはいろいろな使い方ができる道具にすぎません。何よりも重要なのは、テクノロジーをどのように使うかです。教育であっても、いや教育であるがこそ、同じテクノロジーをいろいろな方法に応用できるのです。ですからテクノロジーの価値を判断するためには、それをどのように使うことができるかについて詳しく見ていかなければなりません。本質的な議論としては、いっそうメディアに注目することになるでしょう。つまり、テクノロジーの利用の中で、どの部分が個々のツールやテクノロジー自体の利用と言うよりも、全体的な利用として語られるのかです。もちろん個々のツールやテクノロジーが、ほぼ全てのメディアの中での重要な構成要素であったとしても同様です。
  2. テクノロジーよりもむしろメディアに注目することにより、対面授業さえもメディアに含めることができます。そうすればテクノロジー型のメディアとの様々な特性や性質との違いを比較することができるでしょう。
  3. 通常は組み合わせて利用されますが、教育メディアとして主に扱われているものは以下の6つです。
    • 対面授業
    • 教科書
    • (静止)画像
    • 音声(スピーチを含む)
    • 動画
    • コンピュータの利用(アニメーション、シミュレーション、バーチャル・リアリティを含む)
  4. メディアは形式、記号システム、文化的価値によって異なります。これら独自の特徴はメディアやテクノロジーのアフォーダンスと呼ばれる機会が増えています。つまり、異なるメディアが学習者の様々な学びを支援し、異なる成果を達成するために使われます。そして学習の個別化も進むでしょう。
  5. 似ているテクノロジーもあれば、異なるテクノロジーもあります。このような違いに着目することで、新しいテクノロジーを分析するための土台を手にいれることができます。つまり既存の景色の中に「フィット」するならば、それはどこなのかを理解することができます。さらに教育や学習における潜在的な長所や短所を評価することもできるでしょう。
  6. このような性質や特徴は他にもまだまだあることでしょう。しかし次の3つは特に重要です。
    • 放送かコミュニケーションか
    • 同期型(ライブ)か非同期型(録画)か
    • 単独のメディアかリッチメディアか
  7. そうは言っても、どのメディアがどの特性や性質にフィットするかを知るには、通常、そのメディアがどのように設計されているかによるでしょう。同時に、テクノロジーには通常、この3つのうちのどれかで限界点を強いられることになります。つまり、メディアにおける教育的なアフォーダンスの利用という点において、それぞれの特性に「自然」な位置と、適切な設計があります。
  8. つまりメディアの持つ特性や性質は、従来ならば不可能であると考えられていたことが、新しい教育メディアやアプリケーションによって達成できるようになるかもしれないということを認識しながら、学習目標や希望する成果に対して評価していかなければなりません。
  9. 時代の流れの中で、メディアの傾向としては、よりコミュニケーション的に、より非同期的に、そして「リッチ」になってきました。そして教員や学習者に対して、いっそう威力のある教育・学習のためのツールを提供してきました。
  10. インターネットは非常に強力なメディアです。ツールやメディアをインターネットと組み合わせることによって、教育メディアとしての特性や性質を持ち合わせることができるようになりました。

6.1 教育と学習のためのテクノロジーの選択:その挑戦

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Image: Tony Bates, 2014
図6.1 この写真の中で、テクノロジーはいくつ使われているでしょう。

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電子工学の技術者であっても、この写真の中で使われているテクノロジーの全てを列挙せよと言われたら、きっと困ってしまうことでしょう。いずれも2014年の時点での北米の家庭娯楽用のシステムで使われているものです。その答えはテクノロジーが何を意味するのかによります。

答えはもちろんこれら全てです。そして、これらを統合できる全てのシステムです。実際のところ、たった1枚の写真の中で使われているテクノロジーと言っても非常に多く、列挙しきれません。私たちはデジタル時代に浸かりきっています。教育分野は比較的、テクノロジーの導入では遅れていると言えますが、それでも例外ではありません。なぜなら学習も人間にとっては基本的な活動であり、テクノロジーが介入してくることとの相性は良いのです。場合によっては非常に良いとも言えるでしょう。さて、テクノロジーが浸透している時代では、教育の世界ではテクノロジーはどのような役割を果たすでしょうか。どのような長所(あるいはアフォーダンス)があり、そして何がテクノロジーの限界点なのでしょうか。何のために、どのようなテクノロジーを使うべきなのでしょうか。

以下の各章では、教育の文脈において理論的根拠と実用性の両面に基づいた、意思決定のためのフレームワークやモデルを提供することを目的とします。

これは簡単なことではありません。柔軟であるけれども、背景となる非常に多くの要因を、十分に扱えるようなモデルを与えるためには、深いレベルでの哲学的・技術的思考、そして実際に挑戦してみること必要です。例えば、教育に関する理論や信念は、様々なテクノロジーの選択と利用に強く影響を与えることでしょう。技術的な側面では、テクノロジーを分類することがますます困難になっていくでしょう。テクノロジーの進化があまりにも速いからというわけではありません。テクノロジーには異なる多くの強みやアフォーダンスがあり、どのような背景で使われるかによっても変化していくのです。実用的な側面として、単に教育におけるテクノロジーの特徴だけに注目するというのは間違いでしょう。他にも社会的や組織的な面、コストや利用のしやすさについても考えなければなりません。やはり教育や学習のためのテクノロジーの選択と利用は、その背景、価値、信念を軸に据えるのであれば、厳密な科学的根拠や理論の下で進めて行くべきなのです。つまり、たった1つの「最善の」フレームワークやモデルというものは存在しないでしょう。その一方で、急速に進化するテクノロジーを考えた場合、教員たちはテクノロジーによる決定(MOOCs?他の何か?)に対して開かれています。あるいは、このような選択や利用へ導いてくれるモデルがなければ、完全に教育からテクノロジーを締め出してしまうこともできるでしょう。

実際、教育のためのテクノロジーに関しては、答えを出さなければならない基本的な問いがまだあるのです。例えば、

このような問いは、のちにこの本で正面から取り組むべき難問です。しかし学生たちに教えなければならないカリキュラムに直面している教員の姿を考慮するならば、そして学習方法を探している学習者の姿を考慮するならば、あるテクノロジーを使うべきかどうか、それとも別のテクノロジーを使うべきかどうか、何らかの実用的なガイドが必要となることでしょう。この章と次の章では、学習体験が最適化されるように、このような問いに効果的かつ実践的に答えることができるモデルやフレームワークを示します。

ではここで、教育や学習のためのテクノロジーの選択について、あなたの今の考えをまとめてみましょう。

アクティビティー6.1 どのテクノロジーを指導の際に使うか、現状を踏まえた意思決定はどのように行いますか。

  1. どのテクノロジーを指導の際に使うか、現時点ではどのように決めたら良いでしょうか。教室にある機器を使いますか。IT支援員の人に尋ねますか。このような意思決定に際し、何か理論や原則を持っていますか。
  2. これは簡単に答えられる質問でしょうか。それはなぜですか。
  3. 図6.1でテクノロジーはいくつ使われていますか。列挙してみましょう。(私の答えは巻末にあります)

6.2 教育テクノロジーの歴史を概観する

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Figure 6.2. Charlton Heston as Moses. Are the tablets of stone an educational technology? (See Selwood, 2014, for a discussion of the possible language of the Ten Commandments) Image: Allstar/Cinetext/Paramount
図6.2.1 モーセ役のチャールトン・ヘストン。石板は教育用のテクノロジーと言えますか。(モーセの十戒で可能な解釈についての議論は Selwood, 2004 を参照のこと)
写真: Allstar/Cinetext/Paramount
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教育におけるテクノロジーの役割についての議論は、少なくとも2500年前に遡ります。教育におけるテクノロジーの役割とその影響について、より良く理解するためには、少しだけ歴史を振り返ってみなければならないでしょう。なぜなら過去の歴史から学ぶべき教訓があるからです。Paul Saettler による The Evolution of American Educational Technology(アメリカにおける教育テクノロジーの発達)(1990) は歴史的観点に立つ最も充実した記録の一つです。しかしこの記録は1989年で止まっています。それ以降、多くのことが起こりました。Teemu Leinonen も最近の出来事について貴重な記述を行なっています。(詳細はLeinonen, 2010を参照のこと) こちらも参照してください。: The Evolution of Learning Technologies.

ここで述べようとしていることは、ごくわずかな範囲での教育テクノロジーの歴史と、これについての個人的な振り返りです。

6.2.1 話し言葉によるコミュニケーション

公式な教育における最古の手段は話し言葉によるものでしょう。つまり人間の声です。長い目でみると、口頭でのコミュニケーションは多くの場面でテクノロジーを促進し、支えてきました。古代においても口伝という方法で、物語や民俗的な事柄、歴史やニュースが伝えられ、正確に暗記させるための重要な役割を果たしました。現代でもなお、多くの先住民文化の中では口伝は重要な役割を担っています。古代ギリシアでは礼拝やスピーチは、人々が学び、学習に合格するための手段でした。ホメロスのイーリアスとオデュッセイアは口承詩であり、公演を目的としていました。これらを学ぶためには、人々は書かれたものを読むのではなく聞いて記憶し、そして文字ではなく朗読によって伝えなければなりませんでした。

しかし紀元前5世紀までには、古代ギリシアでも書かれた文書がかなりの数で存在していました。もしソクラテスの記述を信じるのであれば、以降の教育はますます堕落のらせんを辿っていることになります。プラトンによると、ソクラテスは暗唱ではなく、文字で書いたものを見ながら暗唱するふりをした生徒(パイドロス)を捕まえました。ソクラテスは、神テオスがエジプトの王に「記憶と知恵の両方に使える手段」として、どのように文字を与えたかという話をパイドロスに聞かせました。王は感心しませんでした。むしろ王は、

文字で書くと魂に物忘れを埋め込んでしまう。人々は記憶の訓練を止めてしまうに違いない。書かれたものに頼り切るのが目に見えている。内側にある記憶に頼らなくなってしまい、外側にある記号を手段にしてしまう。お前たちが見つけたものは記憶のための方法ではない。思い出すための方法だ。真実の知恵などない。それは教養の真似事に過ぎない。確かに何も教えないで学生たちに多くのことを伝えることはできる。しかし結局ほとんど身につけずに終わってしまう。知恵ではなく、知恵があるといううぬぼれに満たされた人間など、仲間にとって重荷になるだけだ。

Phaedrus, 274c-275, Manguel, 1996 を原典とする再和訳

私の以前の同僚たちもソーシャル・メディアについては同じように語っています。

石盤は12世紀のインドで、そして黒板とチョークは18世紀に移る頃に使われ始めました。第二次世界大戦が終わった頃、米軍はオーバーヘッド・プロジェクタを訓練の用途で使い始めました。その後、米軍での講義で一般的になり、1990年頃に電子プロジェクタとパワーポイントのようなプレゼンテーション用の機材へと大規模に置き換わるまで使われました。すなわち米軍こそが最もテクノロジーを使った場所であり、主に軍用やビジネス目的で使ったと言えます。つまり当初は教育目的ではなかったのです。

電話は1870年代に遡ります。多くの人が利用し、膨大な費用がかかったことから、遠隔教育を含め一般的なアナログ型の電話は、主要な教育用ツールには決してなり得ることがなかったものの、1970年代以降は音声会議を補うためのメディアとして利用されてきました。専用のケーブルやシステムと、専用の会議室を利用したテレビ会議は1980年代から利用されています。ビデオ映像を圧縮する技術の開発と、比較的安価なビデオ・サーバーが2000年代初頭に開発されたことにより、2008年の講義録画システム、すなわち教室での講義を録画したりストリーミング放送で流したりする仕組みの導入に繋がりました。インターネットを介した Web セミナーは、講義を届けるために広く用いられています。

このようなテクノロジーのうち、教育において、口頭でのコミュニケーションが基盤とならないものは何も登場していません。

6.2.2 書き言葉による通信

教育において、文字、すなわち書き言葉の役割にも長い歴史があります。聖書によるとモーセは、十戒を書き言葉として伝えるために、おそらく紀元前7世紀頃には石盤への彫刻を使ったようです。ソクラテスは書き言葉の利用には強く反対していたとのことでしたが、言葉を書き記すことにより、伝達が解析しやすくなり、長い文での推論がしやすくなり、議論がはるかに伝わりやすく、歪みなく複製できるものになりました。その結果、一瞬で終わってしまう話し言葉のもつ性質が、ますます分析や批評の対象として広がっていきました。15世紀のヨーロッパでの印刷技術の発明は非常に破壊的なものであり、今日のインターネットと同様、多くの人が書き言葉による知識をはるかに容易に利用できるようになりました。書き言葉に対する印刷技術の爆発的な普及は、ますます多くの政府関係者や商業関係者に文字を読んで分析することを要求するようになり、ヨーロッパにおける公式な教育の急速な発展に繋がりました。ヨーロッパでのルネサンスや合理主義的啓蒙運動の発展、迷信や思い込みを推論や科学で打ち壊した背景には様々な要因が関係していましたが、印刷術がこの大きな変化の鍵を握っていたと言えます。

19世紀の輸送インフラの改善、そして1840年代に安価で信頼性の高い郵便システムが生まれたことで、1858年のロンドン大学による外部学位プログラムとしての最初の公式な通信教育が登場しました。ロンドン大学による通信教育は、現在でもロンドン大学国際プログラムとして継続されています。1970年代には高度な教育設計に基づいて特別に開発された、イラストが豊富な印刷媒体による教材を利用した統合的な学習活動を伴う、オープン大学による通信教育が行われています。

1990年代半ばに開発されたWebを基盤とする学習管理システムの発展に伴い、デジタル化された文字によるコミュニケーションはインターネット上での主要な通信手段となり、現在は講義録画システムも利用されています。

6.2.3 放送とビデオ

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BBC television studio and radio transmitter, Alexandra Palace, London Image: © Copyright Oxyman and licensed for reuse under this Creative Commons Licence
図6.2.3 ロンドンのアレクサンドラ王宮にあるBBCテレビスタジオと無線送信機
写真:Oxymanによる著作物ですが、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で再利用が認められています。

 

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英国放送協会 (BBC) は1920年代、学校のための教育ラジオ番組を放送を開始しました。 1924年に BBC で放送された最初の成人教育のためのラジオ番組は「人間と昆虫の関係」であり、同年、BBC の新しい教育ディレクターである J.C. Stobart は Radio Times で「放送大学」への構想を打ち出しました (Robinson, 1982)。テレビが最初に教育のために用いられたのは1960年代であり、学校教育と成人教育を対象としていました。(現在でも BBC の王権法人団体設立許可における6つの目的のうちの1つは「教育・学習の推進」です。)

1969年、英国政府は BBC との協定によって大学レベルの番組を広く届けることを目的とした、オープン大学 (OU) を設立しました。ここでは OU の専門職員が執筆した印刷教材と、BBC のテレビ番組やラジオ番組を組み合わせることで学習コースをまとめました。ラジオ番組では主に口頭での伝達を想定していましたが、テレビ番組では講義形式はあまり取り入れられませんでした。その代わりに一般的なテレビ番組の手法である、ドキュメンタリーやプロセスの実演、事例紹介などに重点を多く置いていました (Bates, 1985を参照のこと)。言い換えれば、BBC はテレビ独特の「アフォーダンス」(この詳細は後で詳細します)に注目していたのです。時が経つにつれて録音用カセットや録画用カセットのような新しいテクノロジーが登場したこともあり、特に OU 番組でのラジオによる生放送は削減されましたが、現在でも世界中で一般的な教育番組が放送されています。(例えばカナダの TVOntario、アメリカの PBS、ヒストリー・チャンネル、ディスカバリー・チャンネルなど。)

テレビの教育への利用は1970年代から実験的に行われてきましたが、とりわけ世界銀行や UNESCO のような国際機関が発展途上国における教育の万能薬として利用するようになってから急速に世界中に広まりました。しかし発展途上国では電力不足、費用面、公共の場で利用可能なテレビの安全性、気候、教員たちからの反発、そして現地の言語や文化における問題が徐々に明らかになってきたことなど、こうした希望に対する実現可能性の低さが明らかになってきたことで急速に衰えていきました(例えばJamison and Klees, 1973などを参照のこと)。衛星放送は1980年代には利用できるようになっており「世界一流の大学から学問に飢えている全世界の人々に向けて配信する」希望が生まれましたが、同様の理由で急速に廃れていきました。しかし1983年に独自の人工衛星、INSAT を打ち上げたインドでは、現地で作られた教育テレビ番組を国内のいくつかの言語で全国で放送し、インド製のアンテナとテレビ受信機を学校や地域のコミュニティ・センターに配置しました (Bates, 1985)。インドは本書執筆時点の2015年でも人工衛星を使った遠隔教育を、国内で最も貧しい地域に対して提供しています。

1990年代、デジタル圧縮と高速インターネットが利用可能になったことにより、映像を作成し配布する際のコストが劇的に低下しました。そして映像の記録にかかるコストの低下は講義録画システムの開発にも繋がりました。インターネットがあれば、いつでもどこでも学生は記録された講義を視聴し、復習することができるようになったのです。マサチューセッツ工科大学 (MIT) は2002年、OpenCourseWare プロジェクトを経て、録画講義を無料で一般公開し始めました。YouTube は2005年に始動しましたが、Google によって2006年に買収されています。YouTube は短めの教育素材としてますます利用が増加し、ダウンロードやオンライン・コースとの統合が行われるようになっています。YouTube を使ったカーン・アカデミーは2006年に開始され、方程式やイラストのためにデジタル黒板を採用し、重ね撮りされた音声による講義が提供されています。アップル社は2007年に iTunesU を創設し、大学授業のビデオ教材やその他のデジタル教材が収集され、誰でも無料でダウンロードできるポータルサイトになりました。

講義録画システムが登場するまでは、学習管理システム (LMS) は基本的な教育のデザイン機能を統合するだけのものでした。そのため教員は教室型の授業をLMSに合わせて再設計する必要がありました。一方、講義録画システムでは、標準的な講義中心のモデルから変える必要がなく、いわば PowerPoint や黒板に書くだけのスタイルに支えられた、本来の口頭での伝達に先祖返りしたような印象でした。このような理由から口頭での伝達は今日でも強力に生き残っていますが、新しいテクノロジーに組み込まれながら馴染んできています。

6.2.4 コンピュータ技術

6.2.4.1 コンピュータを基盤とする学習

本質的な話として、プログラム学習の開発では人間が介入することのないコンピュータ化された教育を目的としています。ハードウェアとソフトウェアの設計と、学習内容や評価のための質問を出題するための情報を構造化しておいたものを使い、学習者の知識をテストして迅速にフィードバックが提供されます。B.F.スキナーは1954年、行動主義理論に基づきプログラムされた学習におけるティーチング・マシンの実験を開始しました。(セクション2.3を参照)

スキナーのティーチング・マシンは、コンピュータを基盤とする学習の最初の形態の一つでした。コンピュータによるテストは、人間よりもはるかに容易に評価できるので、結果的に MOOCs では最近になってプログラム学習が息を吹き返してきています。

PLATO はもともとイリノイ大学が開発した一般的なコンピュータによる教育システムで、1970年代後半までには世界中のおよそ12の教育機関のメインフレームコンピュータを繋いだ数千台の端末から構成されるようになりました。PLATO はほぼ40年間に渡って非常に成功したシステムで、掲示板、メッセージ・ボード、オンライン・テスト、eメール、チャット・ルーム、インスタント・メッセージ、リモート画面共有、マルチ・プレーヤー・ゲームといった、オンラインでの主要な機能を組み込んでいました。

人工知能 (AI) を介して教育プロセスを複製しようとする試みは1980年代半ばに始まりました。最初に焦点が当てられたのは算数教育でした。しかし過去30年間に渡る大規模な教育研究への投資にも関わらず、ほとんどの結果は期待はずれに終わりました。コンピュータには学習者が学習する時、あるいは学習に失敗する時に起こる多種多様な現象に対応しきれないということが分かったのです。最近は認知科学や神経科学において詳細な研究が行われていますが、本書執筆時点では、基礎科学と科学的知見に基づいた特定の学習行動の分析や予想との間の溝は、依然として大きいです。

さらに最近では学習者の行動に基づいて反応を分析し、最も適切な分野に行き先を変えるという、適応学習も進化してきています。また、活動状況など学習者に関するデータを収集し、他のデータと結びつけて分析する、ラーニング・アナリティクスも関連する開発領域であると言えます。これらの開発については、セクション6.7 でさらに詳細に説明します。

6.2.4.2 コンピュータ・ネットワーキング

1982年に開発されたアメリカの ARPANET はインターネット・プロトコルを利用した最初のネットワークでした。1970年代後半、ニュージャージー工科大学のマレー・トロフとロクサーヌ・ヒルツは、大学内部のコンピュータ・ネットワークを使い、ブレンド型学習の実験を行いました。彼らは教室での授業とオンライン・ディスカッション・フォーラムを組み合わせました。そしてこれを「コンピュータ媒介コミュニケーション」(CMC) と呼びました (Hiltz and Turoff, 1978を参照)。カナダのゲルフ大学では1980年代に、CoSy と呼ばれるソフトウェア・システムを開発し、販売しました。このソフトはオンライン上のディスカッション・フォーラムをスレッド化できるもので、現在の LMS に含まれる機能の先駆者です。1988年、イギリスのオープン大学は DT200 という科目を提供しました。ここでは OU の伝統的なメディアである印刷教材、テレビ番組、オーディオ・カセットに加えて、CoSy を利用したオンライン・ディスカッションでの議論を加えました。この科目には1,200人の登録学生がいたことから、最も古い「大規模オンライン科目」の一つとなりました。その後、コンピュータを利用した自動化またはプログラム学習と、ネットワークを利用した学生・教員間での相互のコミュニケーションの間で見解の相違が生じていくことになります。

ワールド・ワイド・ウェブが公式に立ち上がったのは1991年でした。ワールド・ワイド・ウェブは基本的にはインターネット上で動くアプリケーションの一つであり、一般の利用者がプログラミング言語に頼ることなく、文書やビデオ、その他のメディアを作ったり、リンクしたりできるものでした。最初のWebブラウザである Mosaic は1993年に利用できるようになりました。Web以前の時代では、文書を読み込んだり、インターネット上で素材を探したりするためには、長く時間のかかる方法が必要でした。1993年以降、様々なインターネット検索エンジンが開発されてきましたが、1999年に開発された Google は代表的な検索エンジンの一つとして浮上してきました。

6.2.4.3 オンライン学習環境

1995年、Web上では WebCT(のちのBlackboard)のような学習支援システム (LMS) の開発ができるようになりました。LMS は学習目標を書いたり、学習者が活動したり、宿題について質問したり、ディスカッション・フォーラムになったりする「スペース」を提供するだけでなく、コンテンツを読み込んで整理することができるオンライン教育環境です。最初の完全オンライン・コースとして単位取得できるものは1995年に始まりました。LMS を使ったものもあれば、単に教材を PDF やスライドで読み込むだけのものもありました。教材は主に文書や画像でした。2008年頃に講義録画システムが現れるまで、LMS はオンライン学習が提供される主流な手段でした。

2008年までには、カナダの George Siemens、Stephen Downes、Dave Cormier はWeb技術を利用して、専門家の主催するWebセミナーでのプレゼンテーションやブログ投稿をリンクし、参加者側でもブログ投稿やツイート機能が提供された最初の「統合的な」大規模オープン・オンライン・コース (MOOC) の学習コミュニティを、2,000人以上の登録者を迎えて開始しました。これらのコースは誰に対しても開かれていましたが、正式な評価はありませんでした。2012年にはスタンフォード大学の教授が2人で講義録画を中心とした人工知能に関する MOOC を立ち上げ、10万人以上の学生を集めました。以降、世界中で爆発的に MOOC は広がっています。

6.2.5 ソーシャル・メディア

ソーシャル・メディアはコンピュータ技術からすればサブカテゴリにすぎませんが、その開発は教育テクノロジーの中で独自の歴史的な発展を遂げています。ソーシャル・メディアは異なる幅広いテクノロジーを網羅しており、ブログ、Wiki、YouTube 動画、スマートフォンやタブレットのような携帯端末、Twitter、Skype、Facebook などを含んでいます。Andreas Kaplan, Michael Haenlein (2010) はソーシャル・メディアを以下のように定義しています。

インターネットによるアプリケーションの集合体であり、利用者間で独自に生み出したコンテンツの作成や交換ができる。そして仮想的な共同体やネットワークを使って情報やアイデアの作成・共有・交換ができる。

ソーシャル・メディアは若い世代や21世紀になって生まれた世代と強く結びついています。別の言い方をすれば、本書執筆時点では中等後教育の学生の多くと言えます。ソーシャル・メディアは公式な教育とも統合されつつあり、現在ではその教育的な価値は、例えば教室での学習の周辺にオンラインの学びの場を作ったり、講義の途中でツイートしたり、教員が評価したりするといった、非公式な教育の場面でも使われるようになってきています。このような学習に対する非常に大きな可能性は、第8章第9章第10章で詳しく述べていきます。

6.2.6 パラダイム・シフト

教育は長い時間をかけて徐々にテクノロジーを取り入れ、馴染んできていることが分かります。ここで学んでおくべきテクノロジーの、教育への利用における過去の有益な教訓が、いくつかあります。とりわけ、新たに発生したテクノロジーに関する主張は、真実でも、また新しいものでもないという可能性があるということです。また、新しいテクノロジーが古いテクノロジーを完全に置き換えてしまうことは滅多にありません。通常、古いテクノロジーは無線通信など、より専門的で「ニッチ」な領域で生き残ったり、例えばインターネットにおける動画のように、より「豊か」なテクノロジー環境の一部として組み込まれたりすることで生き残ります。

しかし、デジタル世代とそれ以前の全ての世代を区別するテクノロジーの発達は急速に進化しており、私たちの日常生活の中に浸透してきています。ですから、少なくとも教育テクノロジーの立場からは、インターネットの影響については、教育における1つのパラダイム・シフトとして記述しておく方が公平です。私たちは今なお、その影響を吸収しながら応用していく段階にあります。次のセクションでは、異なるメディアとテクノロジーが教育に果たす重要性について、より深く検討していきます。

アクティビティー6.2 歴史は私たちに何を教えてくれますか。

  1. 何が教育テクノロジーを構成するのでしょうか。MIT で録画された講義をどのようにオープン・エデュケーションの素材と区別するのでしょうか。教育テクノロジーであって、単なるテクノロジーではないというのはどういう時なのでしょうか。
  2. インターネットの前身である Arpanet は1990年以前にも長らく存在していましたが、インターネット・プロトコルとの組み合わせや、HTML、ワールド・ワイド・ウェブの開発は、遠隔通信や教育にとって明らかな転換点でした。(少なくとも私にはそう感じられました。)それでは一体、何がインターネットや Web をパラダイム・シフトにしているのでしょう。それとも、これらは単にテクノロジーの進化、つまり開発における次へのステップとして普通に通る道なのでしょうか。
  3. 書くことはテクノロジーでしょうか。講義はテクノロジーでしょうか。これがどうであるかは関係があるでしょうか。
  4. さらに厳密に、そして批判的に捉える習慣ができるのであれば、上に挙げたテクノロジーの分類や定義にも疑問が湧いてくることでしょう。(人々がコミュニケーションの手段としてどのように対処するかという問題とは全く別です。)例えば、コンピュータが媒介するコミュニケーション (CMC) はインターネット以前から存在していました(実際には1978年から)。しかし、それはインターネット技術なのでしょうか。(確かにその通りです。しかし当時はそうではありませんでした。)ソーシャル・メディアは、CMC とどう違うのでしょうか。例えば放送、ケーブル・テレビ、衛星放送、DVD、あるいはテレビ会議などのテレビ技術と区別することは意味があるのでしょうか。そしてこのことは今でも関係があるのでしょうか。もしそうであるならば、教育的観点とはどのような共通点・相違点があるのでしょうか。

ここに示した問題のうちのいくつかは、以下の節で明らかにしていきます。

参考文献

Bates, A. (1985) Broadcasting in Education: An Evaluation London: Constables

Hiltz, R. and Turoff, M. (1978) The Network Nation: Human Communication via Computer Reading MA: Addison-Wesley

Jamison, D. and Klees, S. (1973) The Cost of Instructional Radio and Television for Developing Countries Stanford CA: Stanford University Institute for Communication Research

Kaplan, A. and Haenlein, M. (2010), Users of the world, unite! The challenges and opportunities of social media, Business Horizons, Vol.  53, No. 1, pp. 59-68

Leitonen, T. (2010) Designing Learning Tools: Methodological Insights Aalto, Finland: Aalto University School of Art and Design

Manguel, A. (1996) A History of Reading London: Harper Collins

Robinson, J. (1982) Broadcasting Over the Air London: BBC

Saettler, P. (1990) The Evolution of American Educational Technology Englewood CO: Libraries Unlimited

Selwood, D. (2014) What does the Rosetta Stone tell us about the Bible? Did Moses read hieroglyphs? The Telegraph, July 15

6.3 メディアかテクノロジーか

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6.3.1. メディアとテクノロジーの定義

哲学者や科学者は、非常に長い期間にわたってメディアとテクノロジーの性質について論じてきました。日常言語では私たちはメディアとテクノロジーを区別することなく利用する傾向があるため、これらの区別は困難です。例えば、テレビは多くの場合、メディアとテクノロジーの両方に当てはまります。インターネットはメディアでしょうか。それともテクノロジーでしょうか。それがどうしたというのでしょう。

私はメディアとテクノロジーには違いがあるということを議論したいと考えます。そしてこの区別は、いつ、どのように利用するかという運用基準を求めている際には特に重要です。テクノロジーそのものに注目しすぎることは危険です。そして特に教育において、テクノロジーが利用される際の個人的、社会的、文化的な背景の中では、十分にその危険性が認知されていません。教育や学習では「メディア」と「テクノロジー」という用語は、その選択や利用について考えることまで含めた様々な意味を持っています。

6.3.1.1 テクノロジー

テクノロジーには多くの定義があります。(優れた議論がWikipediaにありますので参照してください)本質的には、テクノロジーには、ツールについて基本的な言及をしたものから、テクノロジーを用いて開発したシステムまで、幅広い定義があります。ですから、

教育テクノロジーの面では、私たちは広義のテクノロジーとはどういうものであるかを考えておかなければなりません。インターネットのテクノロジーとは、単に道具の寄せ集めではなく、コンピュータや通信、ソフトウェアや規則、手続きや約束事を束ねたシステムなのです。しかし私は早速ここで「人類の知識における現状」という非常に幅広い定義を破り去ろうと考えます。ひとたび定義してしまうと、生活の様々な異なる側面を包含してしまいます。そして扱いにくい曖昧な定義になってしまう恐れがあるからです。

私自身、教育におけるテクノロジーとは、教育や学習を支援するための物や道具であると考える傾向があります。ですから、コンピュータや学習管理システムなどのソフトウェア、伝送や通信ネットワークの全てがテクノロジーです。そして印刷された本もテクノロジーです。テクノロジーとは多くの場合、電話回線やインターネットなど、テクノロジー・システムとして機能することを可能にするような、ツールと技術的なつながりの組み合わせも含みます。

しかし、私にとっては、テクノロジーやテクノロジー・システムは、それ自体の意味を伝えたり、作ったりするものではありません。何かをするように指令するまで、あるいは作動するまで、または人がテクノロジーと対話を始めるまで、彼らはただそこに座っているのです。では、ここでメディアについて見ていきましょう。

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Figure 6.3.1.1 Don't just sit there - DO something! Image: © Alex Dawson, Flickr, 2006
図6.3.1.1 そこに居座らないでください。何かをしてください!
写真: © Alex Dawson, Flickr, 2006

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6.3.1.2 メディア

メディア(mediumの複数形)は同様に様々な定義を持つ語ですが、教育や学習に関連するテクノロジーの定義とは別の点で2つに区別される意味を持つ語であることを提案します。

‘medium’ という単語はラテン語から来ていますが、中間物という意味と、仲立ちや解釈をするものという意味があります。中間物を運ぶテクノロジーと同様、メディアは能動的なコンテンツの作成、意思疎通、そしてそれを受け取り理解する人を必要とします。

感覚や「意味」に繋がるメディア

私たちは音や視覚などの感覚を使ってメディアを解釈します。この意味では、私たちはメディア「チャンネル」として文字情報、画像、音声、動画を捉えることができます。これらは意味のあるアイデアやイメージを仲立ちするものだからです。つまり、私たちがメディアを使う全てのやり取りは、現実の解釈であり、例えば文字を利用した著述、絵やデザインを利用した画像、おしゃべりや台本、録画することを利用した音声や動画といった、通常は人間を介する何らかの形式を含むのです。しかしメディアには2通りの参加方法があることに注意して下さい。一つは情報を作る側、もう一つは情報を受け取り、それを解釈しなければならない側です。

メディアはもちろんテクノロジーに依存しますが、テクノロジーは単にメディアの一つの要素に過ぎません。つまり私たちはインターネットについて、単に技術的なシステム、あるいは意味や知識を運ぶことを手伝ってくれる、独自性を持つ形式、あるいは象徴システムを運ぶものとして考えることができるでしょう。このような形式や象徴システム、そして独自性を持つ特徴(例えばTwitterの140字制限)は、情報を作る側にとっては計画的に作られるものであり、利用者の側には正しく解釈されるものである必要があります。さらに言えば、少なくともインターネットでは、人々は知識を作る側でもあり、そしてその意味を解釈する側でもあるのです。

このような文脈では、コンピュータの利用も一つのメディアであると捉えることができるでしょう。私はここで「コンピュータ」ではなく「コンピュータの利用」という用語を使います。というのは、確かに「コンピュータの利用」でもコンピュータを使うこととさほど変わりませんが、「コンピュータの利用」とすることで、何らかの形での参加や、構文の解釈を含むからです。メディアとしてのコンピュータの利用は、アニメーションやオンラインのソーシャル・ネットワーキング、検索エンジンの利用、デザインやシミュレーションの利用を含みます。Google の主要なテクノロジーには検索エンジンがありますが、私は Google を一つのメディアであると分類します。それは、Google にはコンピュータの利用の際の検索支援技術の他に、コンテンツとその提供者、そして検索の際に使う単語を決める利用者が必要だからです。つまり、意味の作成、やり取り、解釈の有無こそが、テクノロジーがメディアに変化するための追加の要件となるのです。

(訳注:原文では「コンピュータの利用」は computing という用語が使われています。この語には「コンピュータによる計算」という意味もありますが、第6章・第7章では「コンピュータの利用」で統一しました。)

教育のために知識を表現するという観点からは、以下のメディアを考えることができます。

それぞれのメディアの中には、小分類があります。例えば、

さらに言えば、これらの独自性を持つ象徴システムは、このような下位分類の中にも、やり取りに影響を与える様々な手法があります。例えば小説の筋書きと登場人物の利用、写真の構成、音声に効果を与える抑揚、映画やテレビにおける場面カットと編集、そしてコンピュータの利用の中ではユーザー・インターフェイスあるいはWebページのデザインです。異なる象徴システムとその意味の解釈との関係は、それ自体が研究対象であり、記号論と呼ばれます。

教育では、教室での授業もメディアとして考えることができます。また、テクノロジーやツールが利用されています。(例えば、チョークや黒板、 PowerPoint とプロジェクター)しかし主要な構成概念は、リアルタイムであり、同じ時間、同じ場所で、教員の介入や学習者とのやり取りがあるということです。オンライン教育、つまりコンピュータやコミュニケーション・ネットワークとしての意味でのインターネット、そして中核テクノロジーとしての LMS を使う場合は別の教育メディアであると考えることもできるでしょう。しかしこれは教員や、オンライン学習に欠かせない要素であるインターネットならではの独自性を持った背景の中にあるネット上の学習素材と、学習者の間で起こるやり取りでもあります。

教育的な観点からは、知識をどのように伝えるかという点において、メディアは中立的あるいは「客観的」なものではないということを理解しておくことが重要です。メディアは良くも悪くも、意味の解釈に対して、ひいては私たちの理解に対して、何らかの影響を与えるようにデザインされ、使われているのです。ですからメディアがどのように機能するのかという知識がデジタル時代の教育には欠かせないのです。とりわけ私たちの学習を促進するためには、テクノロジーよりもむしろメディアをどのように設計し適用するのが最も良いのかを知っておく必要があるでしょう。

長い時間の中で、メディアは一層複雑なものになってきました。例えばテレビのような新しいメディアでは、映像というメディアに対して、例えば音声のような、それよりも前の時代のメディアの構成要素を含んでいます。デジタル・メディアやインターネットは、例えば文字、音声、動画のような従来のメディアをますます取り込み、統合させています。また、新たなメディアの構成要素、例えばアニメーション、シミュレーション、インタラクションを加えつつあります。デジタルメディアがこのような多くの構成要素を取り込むようになると「豊富なメディア(リッチメディア)」になります。つまりインターネットの持つ大きな利点は、文字、画像、音声、動画、コンピュータの利用に代表されるメディアを全て含むことができるというわけです。

構成物としてのメディア

メディアが持つ第2の意味はさらに広いものであり、産業全体、あるいは特定のテクノロジーの周辺で構成される人間の活動における重要な領域を指します。例えば映画やテレビ、出版、そしてインターネットです。このように様々なメディアには、知識を表したり、構成したり、通信したりする、それぞれの方法があります。

ですから、例えばテレビでは、ニュース、ドキュメンタリー、ゲーム番組、アクション番組といった様々な体裁があります。一方、出版では小説や新聞、コミック、伝記などがあります。それぞれの体裁は重なりあう時もありますが、メディアの中には他のメディアとはっきり区別できる象徴システムがあるものです。例えば映画の中では、カット、フェード、クローズ・アップなど、他のメディアのものとは著しく異なっている技術があります。このように全てのメディアは独自の特徴や伝統を持っており、意味を引き出す方法や、解釈方法を補助したり、変化させたりしています。

最後に、報道機関に与える強い文化的背景があります。例えば、Schramm (1972) は、しばしば放送局では教育番組において、教員とは異なる専門的な基準や「品質」を評価する方法があることを発見しています。(そしてこのことはオープン大学のために作られた BBC の番組を評価するという私の仕事をとても興味深いものにしてくれています。)今日、この専門的な基準の「格差」は、テクノロジーを教育のために利用するという価値観や信念という点において、コンピュータ科学者と教育者の間にも垣間見ることができます。最も生々しく言うならば、誰が教育のためのテクノロジーの利用に責任を持つのか、誰が MOOC のデザインやアニメーションの利用について決定権を持つのか、というようなコントロールの問題に帰着します。

6.3.2 メディアにできること(メディアのアフォーダンス)

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Figure 6.3.2 Graphs can represent, in a different way, the same concepts as written descriptions or formulae. Understanding the same thing in different ways generally leads to deeper understanding. Image: © Open University 2013
図6.3.2 グラフは同じ概念を異なる説明や方法で表現することができます。一般的に、同じ内容を様々な方法で理解することは、より深い理解に繋がります。
図: © Open University 2013

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それぞれのメディアには、それぞれの教育効果や、できることがあります。同じ教育内容を異なるメディアに移しただけでは、そのメディアが持つ独自の性質の活用に失敗するだけでしょう。そのメディアをさらに前向きに使いましょう。これまでとは違った、より良い教育ができるようになります。そうすれば学生もより深く効率的に学べるはずです。この説明のために、教育メディアの研究者としての私自身の初期の事例を見てみましょう。

1969年、私は研究員としてイギリスのオープン・ユニバーシティに職を得ました。この時、大学は王権法人団体設立許可を受けたばかりでした。私はそこで任命された20人目のスタッフでした。私の仕事は簡単でした。BBC との提携によって低コストで単位を与えない遠隔教育プログラムを提供しようとしていたナショナル・エクステンション・カレッジ (NEC) が試作品として作った番組について調査していくというものでした。NEC では当初、プリント教材と、オープン大学が提供するラジオ放送・テレビ放送からなる一種の統合コース・モデルを開発しようとしていました。

同僚と私は、NEC の授業を受けている学生たちに毎週、アンケートを郵便で送っていました。このアンケートでは選択肢が決まっている設問と自由回答の設問があり、各コースを構成するプリント教材と、放送教材に対する学生たちの反応について尋ねました。我々はそれぞれのマルチメディア遠隔授業の設計の際に、どんな要素がうまくいき、どんな要素がうまくいかなかったのか調べていました。

私が分析を始めた時に特に気になったのは、自由回答の設問で書かれたテレビやラジオについての反応でした。プリント教材への反応は「冷めた」ものであり、合理的、冷静、批判的、建設的な意見が寄せられる傾向がありました。放送教材では逆に「熱い」回答が寄せられました。熱狂的、強く支持する、あるいは強い批判、時には敵対的、そして批判的な意味での建設的な意見は稀でした。ここに何か研究すべき事柄があるような気がしていました。

異なるメディアが学習者たちに与える影響は異なる、ということを素早く得られたことは最初の発見でした。しかしどのようにメディア同士が異なっているのか、なぜ異なっているのかに気づくまでにはかなりの時間がかかりました。以下に示すのは OU のオーディオ・ビジュアル研究グループで、私が同僚との共同研究で見出した結果の一部です。(Bates, 1985)

6.3.3 なぜこれらの知見は重要なのでしょう

当時(そしてその後も長らく)Richard Clark (1983) などの研究では、異なるメディアを「適切で科学的な方法」で分析した際、有意差は認められなかったと主張していました。具体的には、教室での授業やテレビやラジオや衛星などの他のメディアとの間に差はなかったのです。今日でも、私たちはオンライン学習に関しては同様の結果を得ています。(例えば Means et al, 2010)

しかし(適合研究もしくは準実験的研究と呼ばれる手法を除けば)研究者たちが使う比較研究の手法として、これらは全く同じ条件のもとで行われなければならないという制約があります。つまり、科学的に厳しい条件で比較をするためには、仮に教室で授業をしたのであれば、テレビで授業をした場合と比較しなければならないのです。テレビのドキュメンタリー番組のように異なる方法を取り入れた場合、それは比較したことにならないのです。教室を基盤とした比較研究のためには、テレビで可能なこと、つまり教室での授業よりも優れたことは全て取り除かなければなりません。実際、Clark の主張において、2つの条件の間に学習の違いが見られたときは、この違いは異なる教育条件、つまり非教室空間での教授法が用いられた結果だったというのです。

重要な点は、異なるメディアは異なる方法で学習者を支援するために使われうるということです。このことで学習成果も異なってくるのです。ある意味では Clark のような研究者の主張が正しかったと言えるでしょう。教育手法こそが問題であると。しかし別のメディアを利用することで、より簡単に学習方法を支援することができうるのです。私たちの事例では、ドキュメンタリー風のテレビ番組を使って、分析力、理論的構築の応用、利用方法を理解させることを目的としています。一方、教室での講義は、学生に理論的構築の方法を正しく理解させようとすること、そして正確に思い出せるようにすることに重点を置いています。つまり、テレビ番組での学習効果を、教室での講義と同じ方法で評価するよう求めることは、テレビ番組の潜在的な価値を測定するには不当な方法です。この例では、両方の教育方法、つまり理解を促すためには言葉による説明の後でドキュメンタリー的手法を使った方が良かったのでしょう。(テレビ番組では両方ができる点に注意してください。教室での講義では片方しかできません。)

おそらくもっと重要なのは、多くのメディアを使うことが、1つのメディアを使うことよりも優れているという考え方です。様々な手法を使うことは、異なる好みを持つ学習者を学習に向かわせることに役立ちます。そして科目内容を別のメディアによって様々な方法で教えることにも役立ちます。その結果、より深い理解や、場面にあった様々なスキルの習得につながることでしょう。一方で、このような取り組みはコスト面においては不都合です。

6.3.3.1 これらの知見はどのようにオンライン学習に適用できるのでしょうか

オンライン学習では、文字、静止画、音声、動画、アニメーション、シミュレーションなど、幅広いメディアを組み込むことができます。私たちはインターネットの中で使われるそれぞれのメディアが持つ特性を理解する必要があります。また、その特性に応じて使い分け、時には統合することでより深く理解させ、幅広い学習成果やスキルを発達させていく必要があるでしょう。異なるメディアを使うことで、学習の個性化や個別化、つまり異なる学習スタイルや必要性に応じて、学習者をより良く引き合わせていくこともできるようになります。最も重要なことは、私たちは単に教室での指導を MOOCs のようなメディア授業に合わせるのは止めるべきであり、オンライン学習の良さが十二分に引き出せるように設計し直すべきなのです。

6.3.3.2 教育への示唆

教育や学習のための適切なテクノロジーの選択に興味があるなら、あるテクノロジーの技術的側面だけを見るべきではありませんし、そのシステムが置かれている、より広い視野だけで捉えるべきでもありません。さらに言えば、教室で教える教員として、私たちが普段から抱えているような教育上の信念で捉えるわけにも行きません。私たちはそれぞれのメディアの独自性を、形式、記号体系、文化的価値の観点から検討する必要もあるでしょう。このような独自性は、メディアやテクノロジーのアフォーダンスと呼ばれるようになりつつあります。

メディアの概念を「テクノロジー」の概念と比べた場合、はるかに「柔らかく豊かな」ものであり、解釈の仕方が人によって異なる上、その定義は困難です。しかし「メディア」は便利な概念で、1対1の顔を合わせてのコミュニケーションをメディアに含めて考えることもできます。また、テクノロジー自体が意味を伝える手段ではないという事実も認めることができます。

新しいテクノロジーが開発され、メディア体系に組み込まれていくにつれ、古い形式や方法は新しいメディアへと引き継がれていきます。教育も例外ではありません。新しいテクノロジーはクリッカーや講義録画のように古い形式に「適応」していきます。あるいは私たちは学習管理システムと同様、仮想空間内に教室を作ろうとします。一方、メディアとしてのインターネットに備わった独自の特徴を活用する、新しい形式や記号体系、組織的設計が次第に発見されるようになってきました。こうした独自の特徴を同時進行ではっきりと観察することは、時に困難な場合があります。しかし私たちが日々開発しようとしている、e-ポートフォリオ、モバイル学習、アニメーションやシミュレーションのような無料の学習用素材、大規模な自律学習、オンラインのソーシャルグループは全て、インターネットに独特の「アフォーダンス」を活用した事例なのです。

さらに重要なことがあります。メディアを利用する際に避けて通れないことですが、なぜそのメディアを使うかについての意味を解釈する必要性を考えるのであれば、記号体系、文化的価値、組織の特徴を、コンピュータが認識し、理解し、適用できるといった、はるかに大きな能力を持つまでの間、少なくとも教育現場においてコンピュータを人間の代わりに使うのは大きな間違いでしょう。なぜならこれらを「読み取ること」は、異なるメディアの特性を知るためには欠かせない要素だからです。そして教育メディアとしてのインターネットの有用さや適切さを判断する方法として、教室の指導における記号体系、文化的価値、組織の特徴だけに頼ってしまうことも同様に間違っています。

私たちが正しく仕事をしようと考えるのであれば、教育の目的に応じた適切なメディア選択の際には、それぞれのメディアの利点と限界をより深く理解しておかなければなりません。しかし多様な背景上の要因が学習に影響を与えていることを考えると、メディアやテクノロジーの選定作業はどこまでも複雑になってしまうことでしょう。一方、教育領域においては、効果的な意思決定を単純なアルゴリズムや決定木で行うことは不可能です。しかしそうであったとしても、インターネットに依存しきっている現代社会では、それぞれのメディアを最大限に活用する方法を見極めるための運用基準が多少はあります。このような基準を開発するためにも、私たちは特に文字、音声、動画、コンピュータの利用それぞれにしかないアフォーダンスについて探求していく必要があるのです。これが次の章で取り上げる課題です。

アクティビティー6.3 メディアかテクノロジーか

  1. あなたはメディアとテクノロジーを効果的に区別することができますか。もしそうなら、どのように次のメディアとテクノロジーを分類したらよいでしょうか。
    • 新聞
    • 印刷機
    • テレビ番組
    • Netflix
    • 教室
    • MOOC
    • ディスカッションフォーラム
  2. あなたは別のメディアで表現された知識は、何か別のものに変わってしまうと考えますか。例えば数学関数のアニメーションは、文字で書かれた、あるいは印刷された関数の方程式と同じでしょうか。数式とアニメーションのどちらが「数学的」でしょうか。
  3. あなたの教育観では、インターネットの独自性とは何でしょうか。それとも単に古いものと新しいものを一緒にしただけですか。
  4. 文字には出版社や新聞社があります。音声にはラジオ局があります。動画はテレビ局やYouTubeがあります。では、インターネットにはそれに対応する組織はあるでしょうか。それとも出版、ラジオ、テレビと同様のメディアとは言えない何かでしょうか。

より深い理解のために

Bates, A. (1985) Broadcasting in Education: An Evaluation London: Constables (out of print – try a good library)

Bates, A. (2012) Pedagogical roles for video in online learning, Online Learning and Distance Education Resources

Clark, R. (1983) ‘Reconsidering research on learning from media’ Review of Educational Research, Vol. 53, pp. 445-459

Kozma, R. (1994) ‘Will Media Influence Learning? Reframing the Debate’, Educational Technology Research and Development, Vol. 42, No. 2, pp. 7-19

Means, B. et al. (2009) Evaluation of Evidence-Based Practices in Online Learning: A Meta-Analysis and Review of Online Learning Studies Washington, DC: US Department of Education (http://www.ed.gov/rschstat/eval/tech/evidence-based-practices/finalreport.pdf)

Russell, T. L. (1999) The No Significant Difference Phenomenon Raleigh, NC: North Carolina State University, Office of Instructional Telecommunication

Schramm, W. (1972) Quality in Instructional Television Honolulu HA: University Press of Hawaii

If you want to go deeper into the definitions of and differences between media and technology, you might want to read any of the following:

Bates, A. (2011) Marshall McLuhan and his relevance to teaching with technology, Online learning and distance education resources, July 20 (for a list of McLuhan references as well as a discussion of his relevance)

Guhlin, M. (2011) Education Experiment Ends,Around the Corner – MGuhlin.org, September 22

Salomon, G. (1979) Interaction of Media, Cognition and Learning San Francisco: Jossey Bass

6.4 放送か、コミュニケーション・メディアか

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Figure 8.6
図6.4 教員は薄い色で示されています。放送は一人から多数ですが、コミュニケーション・メディアは多数と多数がお互いにつながっています。
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6.4.1 主なメディアの特徴

教育に対して有効に作用するそれぞれのメディアやテクノロジーの特性やアフォーダンスを正しく理解することで、それぞれのメディアやテクノロジーの長所と短所を明確にすることができます。そして、テクノロジーにどのような共通した特徴があるのか、あるいは違った特徴があるのかを知ることができます。

見ておくべき特徴は幅広く様々ですが、ここでは特に教育にとって重要な3つの観点に注目してみましょう。

これらの特徴を別々のものとしてではなく多面的な状態として見ていきます。以降ではメディアやテクノロジーが設計された、あるいは使われた形態に応じて、多面体上での異なる点に相当するものとして考えていきます。

6.4.2 放送か、それともコミュニケーション・メディアか。

大きく構造的に捉えるならば、「放送」メディア、すなわち主に一対多であり一方向であるメディアか、主に多対多なメディア、つまり双方向または複数につながる「コミュニケーション型」であるメディアかで区別できます。コミュニケーション型のメディアには、複数の利用者の間で通信の「権利」が均等に与えられるようなものも含まれます。

6.4.2.1 放送メディアとテクノロジー

例えばテレビ、ラジオ、印刷教材は、主に放送型、あるいは一方向でのメディアです。利用者あるいは「受信者」は、「受信」した内容を別の内容に解釈したり、意図的に無視することはあったとしても「メッセージ」を変えることができないからです。ここでは動画を配信する技術(地上波放送、衛星放送、ケーブルテレビ、DVD、インターネットなど)については重要ではないことに注意しておく必要があります。いずれにせよ「放送」であり、一方向のメディアであることには変わりありません。インターネット技術の中にももともと一方向のものがあります。例えば、研究機関のWebサイトは主に一方向の情報伝達技術を利用しています。

放送メディアや放送テクノロジーの1つの利点は、全ての学習者に確実に同じ内容の学習教材が届けられることが保証されていることにあります。これは教員が十分な資格を持っていない、あるいは教員の質がまちまちな国では特に重要なことです。また一方向の放送メディアでは、伝達内容の品質を確実に保ちながら、配信組織が内容制御や情報統制をすることができます。放送メディアや放送テクノロジーは「客観的」な教育と学習が良いと考える人に支持される傾向があります。なぜなら「正しい」知識を、教育を受ける人全員に伝えることができるからです。一つの欠点は、教員と学習者の間でのやり取りを提供しようとするならば、追加の方法が必要だということです。

6.4.2.2 コミュニケーション・メディアとテクノロジー

電話、テレビ会議、電子メール、オンライン・ディスカッション・フォーラム、ほとんどのソーシャル・メディアやインターネットはコミュニケーション・メディアやテクノロジーの例であり、これらの全てで利用者はコミュニケーションやお互いの通信ができます。また理論的には、少なくとも全ての利用者に対して技術的に平等な「権力」が与えられています。コミュニケーション・メディアの教育的意義は、教員と学習者の間でのやり取りを可能にするということです。そしておそらくもっと大きな意義は、たとえ参加者同士が離れた場所にいたとしても、ある学習者は他の学習者とのやり取りが可能であるということでしょう。

6.4.2.3 どっちがどっち?

この分類については、もっとはっきり述べなければならない曖昧なもので、必ずしも厳密なものではありません。ますますテクノロジーは複雑なものになりつつあり、幅広い機能を提供できるようになっています。特にインターネットは単一のメディアとは言い切れないものであり、むしろこれまでとは異なる、そしてしばしば逆の特徴を持つ様々なメディアやテクノロジーが統合されているものです。さらには、ほとんどの技術はある程度柔軟なものであり、別の方法でも利用できます。しかしテクノロジーを広げすぎると、例えば放送メディアを使って xMOOC のように一層相互的なやり取りをできるようにしようとするならば、往々にして歪みが生じるものです。私はこの分類は有効であると感じますが、一方でそれぞれのメディアや技術の特性とはこういうものであると教義のように考える立場も分からなくはありません。つまり私はそれぞれの事例を別々に捉えているのです。

たとえ学習管理システム (LMS) のディスカッション・フォーラムのような機能によって双方向でのコミュニケーションができるとしても、私は LMS の主たる分類は放送メディアや一方向の技術であると捉えています。また、LMS の通信機能にディスカッション・フォーラムのような機能を追加する場合、主にプラグインとしてそこにたまたま埋め込まれているものは、格好いい見た目のデータベースに過ぎないということを主張されても構いません。実際、教育で必要な機能を全て盛り込みたいと考えるのであれば、様々な技術を組み合わせなければならないということに気づくことでしょう。そしてコストは増大し、複雑なシステムにならざるを得ません。

Webサイトはその設計の度合いに応じて、この範囲内のどこかに置かれます。例えば、航空会社のWebサイトでは、その会社の完全な管理の下、フライトを見つけたり、予約したり、座席指定したりすることができるという相互性を持ち合わせています。これはコミュニケーションとは言えませんし、Webサイトを書き換えることもできませんが、少なくとも何らかの相互性があり、ある程度までは個人的な好みに編集することができます。しかしフライト選択画面で表示されている文言を変更することはできません。だからこそ私は特徴について話したいのです。利用者とやり取りできる航空会社のWebサイトは放送メディアの数よりも少ないです。しかしこれとて「純粋な」コミュニケーションメディアではありません。航空会社が自身のWebサイトを制御しているため、顧客と航空会社ができることは同等ではありません。

ここで強調しておきたいことは、例えば YouTube やブログのように、コミュニケーション・メディアよりもむしろ放送メディア的と考えられる技術が多いものがある一方、例えば Facebook ページ上での個人的な話題のように、主にコミュニケーション・メディアでありながら、放送メディアの技術を一部利用しているというなソーシャル・メディアもあるということです。Wiki は明らかに「コミュニケーション」メディアと言えるでしょう。他のテクノロジーを導入せずに大きく変えることは難しいという特徴がある点は否めませんが、テクノロジーに対する教員、教材作成者、利用者の意図的な介入がテクノロジーのどこかの側面に影響を与えるかもしれないことは改めて強調されなければなりません。

放送メディアやコミュニケーション・メディアを使う際、教員の役割も全く違ったものになる傾向があります。放送メディアでは中心的な役割は教員にあり、教員自身が内容を選択して配信することが多いです。xMOOCs は優れた例です。しかしコミュニケーション・メディアでは、オンライン協働学習やオンライン・セミナーでよくあるように、教員の役割は依然として中心的なものですが、実践コミュニティ、すなわち cMOOCs のように、参加者全員、あるいはその多くの協力によって作られる学習の場面では、教員は中心的な立場ではないということもあるでしょう。

このように「権力」がどの側面にあるかは重要だと考えられます。ところで利用者や学習者が特定のメディアやテクノロジーを操る場面では、どんな「権力」があるでしょうか。歴史的に捉えてみると近年は学習者に大きな「権力」が移っていくような流れがあるように感じられます。より大きなコミュニケーション・メディアへの動き、そして放送メディアから離れていく動きは、教育に対して深い意味を持つものでしょう。もちろん社会にとっても同様です。

6.4.3 この特徴の教育メディアへの応用

このような分析の手法は教室での指導のようなテクノロジーを使わないコミュニケーション手段、あるいは「メディア」にも当てはめることができます。小さいセミナーではコミュニケーション的な側面があるのに対し、講義形式には放送的な側面があると言えます。図6.4.3ではいくつかの一般的な技術について、オンライン・メディア、教室、放送的/コミュニケーション的な連続体に沿って並べてみました。

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Figure 8.6
図6.4.3 知識の広がりの連続体(1段目:オンライン、2段目:教室、3段目:テクノロジー、黒矢印左:放送メディア的、黒矢印右:コミュニケーション・メディア的、緑矢印左:権力が教員側にある、緑矢印右:権力が学習者側にある。)
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練習問題を行うときは、以下のことに注意しておくことが重要です。

したがって、あるメディアやテクノロジーが、放送メディア的かコミュニケーションメディア的かという連続体の中で、どこにぴったり当てはまるかについて考えることは、教育および学習の場面で使われるメディアやテクノロジーを決定する際の一つの要因です。

アクティビティー6.4 放送的かコミュニケーション的か

以下に挙げたものはどうでしょうか。

  • 学習管理システム
  • ブログ
  • オンライン協働学習
  • Twitter
  • セカンドライフ [オンライン・ゲーム]
  • ポッドキャスト
  • 無料公開されている電子教科書

1. どれがメディアでどれがテクノロジーなのでしょうか。確認してみましょう。両方に当てはまるということもあるかもしれません。では一体どのような条件で、そう言えるのでしょうか。

2. あなたの経験から、それぞれのメディアやテクノロジーを図6.4.3の中に置くとしたらどこでしょう。なぜでしょうか。このことも書き留めておきましょう。

3. 分類上、何が簡単で何が難しいのでしょうか。

4. この連続体はあなたの教育でどのメディアやテクノロジーを使うかを決める際、どのように便利なのでしょうか。何が決めるのに役に立ちますか。

私の分析を知りたければこちらをクリックしてください。

6.5 メディアにおける時間と空間

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Figure 6.5.1 Audio cassettes are a recorded, asynchronous technology
図6.5.1 オーディオカセットは録音された非同期技術です

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メディアやテクノロジーが異なると、時間と空間における動作が異なります。これらの側面は重要です。なぜなら学習が容易になることもあれば困難になることもあり、また学習者を制限することもあれば一層柔軟にすることもあるからです。実際、時間と空間には密接に関係する2つの側面があります。

6.5.1 ライブか記録されたものか

これらの違いはかなり明確でしょう。ライブ性のメディアとは定義上、対面型のイベントであり、講演会やセミナー、あるいは1対1の指導です。「ライブ」イベントでは参加者全員が同じ時に同じ場所にいることが必要です。ロック・コンサートの場合もあります。スポーツ・イベントや講演会の場合もあります。例えばセミナーのようなライブ・イベントは、感情的に強く保持された信頼を築こうとする時や、挑戦的な態度や地位に向かわせようとする時など、個人的な関係が重要である場合にうまく機能します。(学生の場合もあれば教員の場合もあります。)ライブ講義の教育的な利点は、学習者の強い感情に訴えることで、実際に発生する知識の転移を超越した励ましや勇気づけが行えるかもしれないことです。そして感情的な「力」を与えることで、学習者たちが学習する前にいたところから、新たな高みに上昇させる手助けをすることができるかもしれません。ライブ・イベントは定義上、一時的なものです。このことはよく覚えておく必要がありますが、一方で繰り返すことができないという特徴があります。もし繰り返す場合には、違った経験になるでしょうし、別の学習者に対しても行われることになるでしょう。つまり、ライブ・イベントには強い定性的あるいは感情的な要素があります。

一方、記録されたメディア、例えばビデオ・カセットやオーディオ・カセットの場合、それを所有する人であれば永久に利用できることになります。書籍や印刷物も同様に記録されたメディアです。記録されたメディアの重要な教育的意義は、学習者が同じ教材を、学習者に都合の良いタイミングで何度でも無制限に利用できるということです。

もちろんライブ・イベントも録音録画しておくことはできますが、記録されたメディアの映像を見ることと、生で同じスポーツの試合を見ることでは、違う体験をすることでしょう。とりわけ録画されたスポーツの試合では一般的に感情的な側面での感覚は低下します。特に試合の結果を知っている場合は尚更でしょう。「ライブ」のイベントを「熱い」、記録されたイベントを「冷たい」と考える人もいるのではないでしょうか。良い小説など、記録されたメディアであっても感動することはあったとしても、書かれた場面に居合わせることに比べたらはるかに異なる体験になるでしょう。

6.5.2 同期か非同期か

同期テクノロジーはコミュニケーションに関わる全ての参加者が同じ時間に集まる必要がありますが、同じ場所である必要はありません。

ライブ・イベントは同期メディアの一つの例ではありますが、ライブ・イベントと違い、テクノロジーによって全員が同じ場所に集まらなくても良い、同期的な学習ができるようになっています。ただし全員が同じ時間に集まっておくことが必要です。テレビ会議やWebセミナーは同期テクノロジーの一例であり、「ライブ」で配信されますが、全員が同じ場所に揃っていなくても構いません。同期テクノロジーには、他にテレビ放送やラジオ放送があります。放送される時には「その場所」にいなければいけません。さもなくば見逃します。しかし「その場所」に教員がいなくても構いません。

非同期テクノロジーは参加者が情報にアクセスする場面や、コミュニケーションする場面が時間的に異なっていても構いません。通常、参加者は場所と時間を選べます。全ての記録メディアは非同期です。書籍、DVD、YouTube 動画、講義録画システムによって記録され、オンデマンドでストリーミング配信できる講義、オンライン・ディスカッション・フォーラムは、全て非同期のメディアまたはテクノロジーです。学習者は時空を超えて自らの選択によってこれらの技術にログオンしたりアクセスしたりすることができます。

図6.5.2では時間と空間の組み合わせという観点からまとめた、主要なメディアの違いを示しています。

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Figure 6.5.2 The separation of teachers/instructors from learners by time and space
図6.5.2 教員と学習者の時間と空間による分離
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6.5.3 なぜこれが問題になるのでしょうか。

総合的に見て、非同期あるいは記録されたメディアには膨大な教育的利点があります。それはいつでも情報にアクセスできたりコミュニケーションを取れるというメディア特性があることにより、学習者に対して、より多くの操作性や柔軟性があるからです。教育上の利点は、多くの研究によって確認されています。例えば Means et al. (2010) はブレンド型学習の方が優れていたと述べています。その理由は、オンライン教材が学習者に対して、常に提示されていたために、より多くの時間を学習者が課題に割くことができたからです。

オープン大学での研究でも、学習者は学習コンテンツもフォーマットも全く同じであったにも関わらず、実際のラジオ放送よりもカセットテープに録音された方をはるかに好むということが分かっています。(Grundin, 1981; Bates at al., 1981) しかし音声のフォーマットがカセットテープに置き換わると、停止・巻き戻しのような制御が可能になるため、さらに大きなメリットにつながることが分かりました。また、学習者は放送を録音したカセットテープよりも、「設計された」カセット教材、特に文字やイラストなどと一緒に設計された、あるいは統合されたカセット教材から多くを学んだことが判明しました。これは例えば学生に数学の公式を説明する場合に特に貴重な研究となりました。(Durbridge, 1983)

この研究は同期テクノロジーから非同期テクノロジーへの一手として設計を変更することの重要性を強調しています。例えば、柔軟性や入りやすさという意味では、生の授業を講義録画システムによって録画したものであっても、あるいはいつでも教科書が利用できる状態であったとしても、利点はあることが予測できます。しかし、もしその授業や教科書が非同期型で利用できるよう設計されていたならば、そしてテストやフィードバックなどの活動が組み込まれており、授業を一旦止めて学生が調べ学習をしたり、参考文献を読んだりしてから授業に戻れるようになっていたならば、学習上の利点ははるかに大きいでしょう。

非同期型で記録され、教材資料をストリーミング配信できるように設計されているメディアにアクセスできる能力は教育の歴史の中では最も大きな変化の一つと言っても過言ではないでしょう。しかし高等教育における支配的な考え方は未だライブ講義やセミナーなのです。これまで見てきたように、ライブ型のメディアにも利点はあります。このようなメディアに独特な長所やアフォーダンスを活かすには、もっと対象を絞る必要があるでしょう。

6.5.4 インターネットの重要性

放送メディア/コミュニケーション・メディアの区別と、同期/非同期の区別は別々の次元にあります。これらを区別して配置すると、図6.5.4のように異なる技術として4分割することができます。(ここで示した技術はほんの一部です。図の中に他の技術を追加しても構いません。)

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Figure 8.9 The significance of the Internet in terms of media characteristics
図6.5.4 メディア特性の観点によるインターネットの重要性
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インターネットがなぜこんなにも重要であるのかを考えてみましょう。それはこのようなメディアやテクノロジーを包み込むようなメディアであり、教育や学習に限りなく大きな可能性を与えているからです。私たちが望みさえすれば、インターネットというメディアは教育設計において、ありとあらゆるテクノロジーの特徴や次元を活かし、ほとんど全ての学習状況に当てはまるよう非常に具体的なものにしてくれます。

6.5.5 結論

放送メディア・コミュニケーションメディア・同期・非同期のそれぞれについて長所と短所があることが分かりました。しかし今の段階で述べておかなければならないこととして、これらのテクノロジーをいつ使うか、あるいは結合して使うかを決定するための評価方法が必要であるということは否定できません。つまり特定の文脈における最適なテクノロジーの選択を決定できるような基準を設けなければならないと言えるでしょう。

アクティビティー6.5 テクノロジーにおける時間と空間

  1. このようなテクノロジーの分類はあなたにとって意味のあるものですか。
  2. 他のメディアやテクノロジーを図6.5.2や図6.5.4.に簡単に置くことはできますか。しっくりこないメディアやテクノロジーはありましたか。それはなぜですか。
  3. (学生がどちらのテクノロジーも利用したことがあると仮定して)Second Life よりもオーディオカセットの方が教育・学習にとって良い選択であるという状況を想像できますか。また、オーディオカセットよりも Second Life の方が良い選択であるという状況についてはどうでしょう。この判断基準や状況の決め手となるものは何でしょうか。

参考文献

Bates, A. (1981) ‘Some unique educational characteristics of television and some implications for teaching or learning’ Journal of Educational Television Vol. 7, No.3

Durbridge, N. (1983) Design implications of audio and video cassettes Milton Keynes: Open University Institute of Educational Technology

Grundin, H. (1981) Open Unive