8.4.1 メディア革命
ほんの10年ほど前までは、コストはテクノロジーの選択に影響を与える主要な差別化要因でした (Hülsmann, 2000, 2003; Rumble, 2001; Bates, 2005)。例えば教育目的では、音声(講義、ラジオ、録音)は印刷物よりはるかに安く、印刷物はほとんどの形態のコンピュータを基盤とする学習よりはるかに安く、そしてコンピュータを基盤とする学習は動画(テレビ、録画、テレビ会議)よりはるかに安いものでした。これら全てのメディアは、かなり大規模で純粋な遠隔教育の場合を除いて、通常の授業のコストを拡大するもの、あるいはコストがかかりすぎて対面授業の代わりにはできないものと見なされていました。
しかし、対面式の授業を除いて、あらゆるメディアの開発や配信にかかるコストは、過去10年間で劇的に減少しています。これにはいくつかの要因があります。
- スマートフォンなどの消費者向けのテクノロジーが急速に発展し、利用者が低コストで文字、音声、動画を作成、送信できるようになった。
- デジタル・メディアの圧縮技術により、帯域幅が大きいビデオやテレビ放送でも、無線や固定電話回線、インターネットを介し、安価なコストで(少なくとも経済的先進国では)送信することができるようになった。
- メディアやソフトウェアの改良により、専門家ではない一般の利用者にとっても、あらゆる種類のメディアを作成し配信することが比較的容易になった。
- 教員も学習者も自由に使える開発済みのメディア教材であるオープン教育リソースの量が増加している。
ありがたいことに、一般に、そして原則として、コストはもはやメディアの選択における自動的な差別化要因にはならないはずです。この文を額面どおりに受け入れられる方は、この章の残りの部分は読み飛ばしてもかまいません。ご自身の教育ニーズに最も合ったメディアの組み合わせを選択してください。どのメディアでコストが高くつきそうか、心配する必要はありません。実際、コストだけを考慮するべきならば、もはや対面授業は純粋なオンライン学習に置き換える方が安上がりであることは分かり切っています。
しかし実際には、異なるメディアの比較でも、一つのメディアの中でも、文脈や設計によってコストが何であるか大きく異なる可能性があります。教員の立場からすると主なコストは時間ですから、コストの原因となるものは何なのか、つまり文脈や利用されるメディアに応じて、コスト増加と結びつく要因は何なのかを知ることが重要になります。こうした要因はテクノロジーの新しい発達の影響を受けにくいため、教育メディアのコストを考慮するときの基本原則と見なすことができます。
残念ながら教育におけるメディア利用にかかる実際のコストには、様々な要因が影響する可能性があります。そのため、コストについての詳細な議論は非常に複雑なものになります。詳細については、Bates & Sangrà, 2011を参照してください。ここでは主要なコスト増加要因を特定し、次にこれらの要因が対面式教育を含む様々なメディアのコストにどのような影響を与えるかについて、簡略的なガイドを表の形で示します。この表は試行錯誤によって得られた工夫と考えるべきでしょう。つまり、このセクションは「メディア・コスト入門」と考えてください。
8.4.2 コストのカテゴリー
教育用メディアおよびテクノロジーの利用、特にブレンド型学習やオンライン学習の利用に考慮する必要がある、主なコストのカテゴリーは次のとおりです。
8.4.2.1 開発
開発コストとは、特定のメディアやテクノロジーを使った教材をまとめたり作成したりするのに必要なコストです。開発コストにはいくつかのサブカテゴリーがあります。
- 制作コスト:学習管理システムでビデオを作成したり、コース・セクションを作成したりする際に必要なものです。制作コストに含まれるものは、Webデザイナーやオーディオ・ビジュアルの専門家などの専門スタッフの雇用時間と、Webデザインやビデオ制作のための全てのコストです。
- 教員としてのあなたの時間:教材の開発・作成の一部として教員の仕事に必要なものです。開発だけでなく計画およびコース設計も含まれます。時間はお金であり、おそらく教育用テクノロジーを使う上で最も大きな単一コストですが、さらに重要なのは、学習教材を開発しているということであり、研究や学習者とのやり取りなど、他のことはしていないということです。したがって、金額で表されるようなものではありませんが、現実にコストがかかっています。
- 写真やビデオ・クリップなど、第三者の素材を利用する場合は、著作権処理のコストが必要です。繰り返しになりますが、このコストは金銭よりも時間の面から考えることになる可能性が高いです。
- インストラクショナル・デザイン(教育設計)の専門家に依頼するための時間コストがおそらく必要になります。
開発コストは通常、固定された金額、あるいは「一度だけ」のものであり、学習者の数には依存しません。一度メディアを開発してしまえば、それらは通常、大規模にしても費用などはそれほど増加しません。つまり、一度制作すれば開発コストを増やすことなく、任意の数の学習者による利用が可能です。オープン教育リソースを利用すると、メディア開発コストを大幅に削減できます。
8.4.2.2 配信
配信には、コースを提供している期間に必要となる教育活動のコストが含まれます。学生とのやり取りに費やされる指導時間や、課題採点にかかる指導時間も含まれますし、さらにティーチング・アシスタントや、それ以外の部署の補助員、インストラクショナル・デザイナーや、技術支援スタッフの派遣にかかる時間も含まれるでしょう。
メディア主体の授業では、指導時間や技術サポートなど人的要因によるコストがかかるため、受講生の数が増えると配信コストも増加する傾向があり、またコースが提供されるたびに繰り返す必要もあります。言い換えればこのコストは周期的に起こるものです。ただしインターネット主体の配信では、通常、配信のための直接的な技術コストがゼロになる場合が増えています。
8.4.2.3 維持(メンテナンス)コスト
コースの教材を作成したら、それを維持する必要があります。 リンク切れがありますし、設定した読み物が絶版になったり、期限切れになったりします。さらに重要なこととして、当該分野の新しい発展に対応する必要が出てくることもあるでしょう。したがって、一旦コースを提供すると、メンテナンス・コストが継続的に発生します。
インストラクショナル・デザインやメディアの専門家にもこのようなメンテナンスの一部は管理できますが、それでもやはり教員がコンテンツの入れ替えや更新に関する決定に関与する必要があります。メンテナンスは単一のコースなら普通はそれほど時間がかかることはありませんが、もし指導者が複数のオンライン・コースの設計と作成に関わっている場合は、メンテナンスにかかる時間を合計すると、かなり長くなる可能性があります。
維持コストは、通常は学生数とは無関係ですが、指導者が担当するコースの数によって変わり、毎年繰り返されます。
8.4.2.4 諸経費
諸経費に含まれるのは、学習管理システムのライセンス料や、講義録画システム、ビデオ・ストリーミング用のサーバーなどのインフラ費用や事務経費です。これらは実際のコストですが、単一のコースへの割り当てが可能な経費ではなく、多くのコースで共有されるものです。諸経費も重要ですが、通常は機関の経費と考えることができますので、メディア選択に関する教員の決定に影響することはおそらくありません。ただし、これらのインフラなどがまだ導入されておらず、当該機関がその提供元に関して直接請求するような場合は別です。
8.4.3 コスト増加要因
コストを押し上げる主な要因は以下の通りです。
- 教材の開発・作成
- 教材配信
- 学生数・拡張性
- メディアを扱う教員の経験
- 教員が教材を単独で開発するか、専門家と協力するか
ビデオ・プログラムやWebサイトなど、テクノロジーに由来する教材の作成は、受講者の数に左右されないという点で固定費と言えます。ただし制作コストはコースの設計によって変わってきます。Engle (2014) は、ビデオ制作の方法によって、ある MOOC の開発コストが6倍になる可能性があることを示しました。つまり最も高価な制作方法は全てをスタジオで制作する場合であり、これは教員がノートパソコンを使って自分で録画する場合の6倍になります。
それでも、いったん制作すれば、そのコストは学生の数とは無関係です。したがって、コースの開発が高価になればなるほど、学生1人あたりの平均コストを削減するために、学生数を増やす必要性が高まります。言い換えれば学生数が多いほど、メディアが何であれ、高品質の制作物が利用されるための確実性を高める理由となります。 MOOC の場合、学習管理システムを利用してオンラインで単位を履修するコースのほぼ2倍のコストがかかる傾向がありますが(University of Ottawa, 2013)、学生数が非常に多いため、学生1人あたりの平均コストは非常に少なくなります。したがって、常にできるとは限りませんが、もしもコースの受講者数を増やすことができるのであれば、デジタル教材の開発を行うことで、それなりの規模での費用削減につながる機会となります。これはメディアの拡張性(スケーラビリティ)が潜在的にもつ力と言えるでしょう。
同様に、コースが開発された後は、そのコースを教えるコストがかかります。これはクラスの規模が大きくなるにつれて増加するという点で、変動コストとなる傾向があります。オンライン・ディスカッション・フォーラムや課題採点を通した学生と教員のやり取りを扱いやすいレベルに保つのであれば、教員と学生の比率を比較的低く保つ必要があります。例えば、分野やコースのレベルにもよりますが、1:25から1:40が望ましいでしょう。学生が増えるほど、教員はやり取りに必要とする時間が増えますし、場合によっては追加で契約講師を雇う必要が出てきます。いずれにせよ、学生数の増加は一般的にコスト増加につながります。MOOCs は例外です。MOOCs の主な価値命題は、MOOCs が直接的な学習者サポートを提供しないことであり、これによって教員と学習者の間でのやり取りにかかるコストをゼロにしています。しかし MOOCs を無事に修了する参加者が非常に少ないのは、おそらくこのためなのでしょう。
もしも双方向的な学習教材のための先行投資を増やすことで教員と学習者とのやり取りの必要性が減るのであれば、教員や機関にとってメリットがあるかもしれません。例えば数学のコースでは、自動化されたテストやフィードバック、シミュレーションや図式、そしてよくある質問に対しては事前設計された回答などを用いて、個々の課題の採点や教員とのコミュニケーションに費やす時間を減らしたり、あるいは全く不要にすることさえ不可能ではありません。この場合、質を大幅に損なうことなく、教員と学習者の比率は1:200、あるいはそれ以上でも対応できるかもしれません。
また、特定のメディアや配信方法を使った経験や、それに関わる仕事をした経験も重要です。教員がポッドキャスティングなどの特定のメディアを初めて利用するときは、後の制作や提供にかかる時間よりも、はるかにたくさんの時間が必要です。そしてメディアやテクノロジーによっては、他のものよりも使い方の習得に多くの努力を要するものもあります。したがって、教員が一人で開発をするか、メディアの専門家と協力するかが、関連するコスト要因になります。教材を一人で開発することは、教員にとって、プロと協力するよりも通常は時間がかかります。
デジタル・メディアを開発するとき、メディアの専門家と協力する教員にはメリットがあります。メディアの専門家は確実に良質な教材を開発してくれるでしょうし、何よりも教員は、例えば適切なソフトウェアの選択、編集、そしてデジタル教材の保存とストリーミングなどにかかる、かなりの時間を節約することができます。インストラクショナル・デザイナーは、様々な学習成果に向けて、様々なメディアを適切に利用する提案をしてくれることでしょう。結局のところ、全ての教育設計と同様、チームで取り組んだ方が効果的になる可能性が高真理ますし、他の専門家との協力によって、教員もメディア開発に費やす時間をコントロールしやすくなります。
最後に、設計に関する決定が極めて重要です。コストは、メディア内部での設計上の決定によって決まります。例えば対面式の授業で言うと、講義とセミナー(あるいはラボでの授業)ではコスト要因が異なります。同様に、講義録画のように、動画を単に話し手を録画するために使うこともできますし、例えばプロセスの実演やロケ地に出向いた撮影のように、メディアのアフォーダンスを有効利用するために使うこともできます。(第7章を参照)コンピュータの利用は可能な設計の範囲が広く、そしてその範囲は広がりつつあります。例えば、オンライン協働学習 (OCL)、コンピュータ利用型の学習、アニメーション、シミュレーション、あるいは仮想世界も含まれます。ソーシャル・メディアも同様に考慮する必要があるメディア群の中の一つです。
図8.4.3は、主に決定を下す教員の立場に焦点を当て、コスト要因の複雑さを捉えようとしたものです。繰り返しになりますが、これは発見を助ける手段、あるいはこの問題に対する考え方の1つと捉えてください。ソーシャル・メディアや教材のメンテナンスなど、他の要因も追加できるでしょう。枠内それぞれの記号は、私自身の経験に基づいて個人的な評価をしています。私は従来の指導法を中程度、あるいは平均的なコストとみなし、そこから特定のメディアのコスト要因が、それより高いか低いかで、枠内にランク付けをしました。読者の皆さんは違ったランク付けをするかもしれません。
様々なテクノロジーを利用した教材を開発し、配信するためにかかる時間は、どのテクノロジーを利用するかを決定する教員に影響を与えるでしょう。しかしそれは単純な方程式にはなりません。例えばビデオ教材とテキスト教材を組み合わせた良質のオンライン・コースの開発は教室で行われる授業よりも、教員の準備時間が大幅に長くなるかもしれません。しかしそのオンライン・コースは、数年間で、やり取りにかかる時間は大幅に短縮される可能性があります。学習者がオンラインで課題に取り組む時間が長くなり、教員との直接的なやり取りをする時間が短くなるかもしれないからです。繰り返しますが、設計はコストを評価する上で決定的な要素なのです。
要するに、指導者の立場から言うと、決定的に重要なコスト要因は時間です。使うのに時間がかかるテクノロジーは、使いやすく時間を節約できるテクノロジーよりも、利用される可能性は低くなります。しかし教員がどのくらいの時間をメディアに費やす必要があるかは、やはり設計上の決定によって大きく左右される可能性があります。そして教員や学習者が独自の教育用メディアを作成する能力は、ますます重要な要素になりつつあります。
8.4.4 検討すべき課題
近年、大学教員は、オンライン・コースで配信するものとして一般に講義録画に関心をもつようです 。オンライン学習や遠隔学習の実施が比較的目新しい機関では特にそうです。これは学習管理システム上で主に文字ベースの教材を再設計して作成するよりも「簡単」だからです。講義録画は従来の教室での教育方法に近い方法でもあります。しかし対象分野によりますが、教育的には講義録画は協働学習やオンライン・ディスカッション・フォーラムを使うオンライン・コースに比べると効果的ではないかもしれません。また、機関の立場からすると、講義録画システムは、学習管理システムよりもはるかに高い技術コストがかかります。
学習者自身はプロジェクト作業や eポートフォリオの形で評価を受ける目的で、自分のデバイスを使ってマルチメディア資料を作成できるようになっています。もし望むのであれば、教員はメディアを利用することで、必要に応じて指導や学習における大変な作業の多くを、教員自身から学習者たちに移転させることができます。メディアを利用することで、より多くの時間を学習者が課題に費やすことができるようになり、また携帯電話やタブレットのような低コストの消費者向けメディアのおかげで学習者自身がメディア作品を生み出し、学習成果を具体的な形で示すことができるようになっています。これは学習者がオンラインで勉強する時、教員がある場所にいることの必要性が失われたという意味ではありませんが、教員が学習を支援するために、どこでどのように自分の時間を使えるかを変えることができます。
アクティビティー 8.4 使うべきメディアを決める際、コストはどのように影響するでしょうか。
- 考えられるコストや、あなたの時間に対する必要性についての懸念は、どのメディアを使うかという決定に影響を与えますか。もしそうなら、どのような面ででしょうか。コストに関するこのセクションを読んで、考えは変わりましたか。
- 講義の準備にどのくらいの時間をかけますか。その時間は教材の準備に使い、講義の準備にかけていた時間を、学生とのオンラインまたは対面でのやり取りに使う方がよいと思いますか。
- あなたの教育機関では、メディアの設計や開発に際して、インストラクショナル・デザイナーやメディアの専門家から、どのような支援を受けられるでしょうか。この質問に対する答えは、どのようなメディア決定の動機となるでしょうか。例えば専門的なサポートを受ける機会がほとんど、または全くない幼稚園〜高等学校(K-12)にいる場合、メディアや設計について、どのような決定をするでしょうか。
- もし仮にあなたが図8.4.3の枠内を埋めるのであれば、私の提案とどのような違いがありますか。それはどうしてですか。
- 図8.4.3に、次のメディアを追加してください。コンピュータ利用の中に eポートフォリオ、そしてコンピュータ利用の下に次のセクションを追加しましょう。ソーシャル・メディア、ブログ、Wiki、cMOOC。開発や配信などに向け、これらの枠にはどのように記入しますか。他に追加するメディアはありますか。
- あなたは次の見解に同意しますか。「もしコストだけが考慮すべき事柄であるなら、対面授業を純粋なオンライン学習に置き換えれば、安上がりでしょう。」これが本当だとすると、あなたの授業にとって何を意味するでしょうか。それでも対面授業を正当化するような考慮にはどのようなものがありますか。
参考文献
Bates, A. (2005) Technology, e-Learning and Distance Education London/New York: Routledge
Bates, A. and Sangrà, A. (2011) Managing Technology in Higher Education San Francisco: Jossey-Bass/John Wiley and Co
Engle, W. (2014) UBC MOOC Pilot: Design and Delivery Vancouver BC: University of British Columbia
Hülsmann, T. (2000) The Costs of Open Learning: A Handbook Oldenburg: Bibliotheks- und Informationssytem der Universität Oldenburg
Hülsmann, T. (2003) Costs without camouflage: a cost analysis of Oldenburg University’s two graduate certificate programs offered as part of the online Master of Distance Education (MDE): a case study, in Bernath, U. and Rubin, E., (eds.) Reflections on Teaching in an Online Program: A Case Study Oldenburg, Germany: Bibliothecks-und Informationssystem der Carl von Ossietsky Universität Oldenburg
Rumble, G. (2001) The Cost and Costing of Networked Learning Journal of Asynchronous Learning Networks, Volume 5, Issue 2
University of Ottawa (2013)Report of the e-Learning Working Group Ottawa ON: The University of Ottawa