シナリオA:大学教授、変化に対応する

キャンパス近くの、とあるコーヒーショップで聞こえてきたこと:

やあ、フランク、なんだか元気がないね。

うん、最悪なんだよ。昨日うちの学部長が全学部の会議を招集して、大学の新しいアカデミック・プランのこととか、学部が抱える全てのアカデミック部門の意義とは何かについて議論し始めたんだ。今年のはじめに会議が何度もあったことは知っているよね。いくつかの会議には出席した。だけど、新しい時代にフィットする大学の構築とか、教育方法の革命的変化とか、同じような古くさい、曖昧なことばかり話しているように思えたなあ。でもこんな議論は僕の教えているコースには影響がないような気がする。どんどん閉鎖されていく部門からの影響がないことは、早くから分かっている。どちらかと言えば僕のクラスはむしろ大規模になるみたいだ。少しの労力で、より多くのことをやらないといけないということだよ。僕の研究は上手くいっているし、教育負担の増加を引き受けることについてについても、今回は回りくどい話はなかった。その時点で興味がなくなった。こんなことはこれまで何回も経験してきたからね。

だけど昨日の会議で学部長が話し始めたとき、すぐ僕はおかしいと感じた。組織はもっと教育に対して「柔軟」にならないといけないなんてことを語り始めたんだ。それって一体どういうことなんだろう――講義の前にヨガでもやれでもというのか。それから彼は「明確な学習成果の定義」と「個別化された学習」について話し出した。そうだよ。そんなことは馬鹿げている。学んだことを身につけなければいけないことは誰もが知っている。そうじゃないと何にもならない。僕のコースはいつも変わり続けている――もし、僕がコースの最初に成果目標を設定したとしても、多分、コースが終わるときまでには変わっているはずだよ。

でも、驚くようなことが聞こえてきたんだ。これは難しいだろうなあ。「5年以内に、少なくとも全クラスの50%をブレンド型、つまりオンラインを授業の中に含める方法で教えるようにしたい」オーケー、そこまでは大丈夫だと思う――僕は既に講義のバックアップ用に学習管理システムを使っているからね。でも、それが別々の学習者がいるコースの全てで同じコンテンツを提供して、ほとんどの講義を手放すという意味だと学部長が言ったとき、本当に困ってしまった。彼は高校の新入学者から生涯学習者までの、ありとあらゆる学習者に奉仕する必要性や、僕たち上級学部教員に対して教育コンサルタントとして、チームで教える必要性があるなんてことを語り始めた。もし学部長が、僕が教えたいことを部門の誰か他の間抜けな奴らに決めさせようとしているなんてことを思っているとしたら、彼は頭がおかしいね。そんなことよりも、この話が恐ろしいのは、学部長がこんな馬鹿げた話をすっかり信じきっていることを、僕が思っていることの方がだよ。

ただ、僕が本当にパニックになったのは、彼が僕ら全員に教え方についてのコースを受講し始めなければいけないと言ったときなんだよ。今、僕の講義では学生たちからはとても良い評価を得ている――学生たちは、ただ僕のジョークが好きなだけなんだけどね――そして僕の科目を教える方法に口を挟める奴は誰もいないはずだよ。僕は自分の研究領域ではこの国ではトップクラスなんだ。管理側はいったいどうして教え方のことを知っていると思えるんだろう。そんなことよりも僕がいつコースを受講する時間を作ったらいいんだろう。僕は既に一生懸命仕事をしている。僕らにかまわずに、僕らが報酬を得ている仕事を進めることを信頼してくれたらいいんだけどなあ。

 

この話のどこかで思い当たることがあるなら、本書はあなたのためにあります。

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デジタル時代の教育 by Anthony William (Tony) Bates is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial 4.0 International License, except where otherwise noted.

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